ブッククラブニュース
令和元年(平成31年)
7月号(発達年齢ブッククラブ)

暑中お見舞い申し上げます

 7月7日は七夕だ。でも、甲府の空はまず晴れたことがない。いつも梅雨の真っ最中の曇りか雨。ここでは織姫と牽牛は絶対会えない。空を眺めても星さえ見えないことも多く、七夕らしい七夕はあまり体験したことがない。
 7月7日はウチの長女が生まれた日だが、そのときも蒸し暑い曇り空だった。妻と「これじゃこの子は牽牛に会えないな。」などと半分冗談、半分真剣で話した記憶がある。 娘たちが幼児の時は七夕飾りをして、いろいろな願い事を短冊に書いて吊るした。かなわなかったものもあるし、かなったものもある。
だが、案ずるより産むがやすし。牽牛と会ったどころではなく、もう二人の子持ちだ。次女は無謀にも(笑)3人姉妹まで産んでしまった。長い時間があっという間に経った。まさに「人類の星の時間」・・・すべては時間の経過で大きく変わっていく。

 その時間はどう過ぎたのだろう。30年くらい前の七夕のとき、私はこんな話を娘たちにした記憶がある。
 「お父さんが子どものころ、つまり20世紀の中ごろは、空がきれいだったから七夕は星が見えたし、暗いところでは天の川も見えたよ。」・・・
 「きれいだった?」「きれいにみえたよ。」
 「天の川って?」「願いをかなえてくれる川さ。」
 「お願いをタンザクに書くの?」「どんどん書いてみな。」
 親はそう言いながらも子どものことは心配になるものだ。ちゃんとした大人になってくれるだろうか。狭い自分の価値観だけで、周囲と軋轢を持たないだろうか。
 真っ当な考えで生きていってくれるだろうか、と。・・・小さい子どもはかわいいが、猫かわいがりだけではきちんとした成長をしない。親もまた悩む。
 「なんて書いた?」「ケーキ屋さんになれますように、って書いた。」年子の下の子が負けじと言う。
 「毎日、アイスが食べられますように・・・・」
 ふとアンデルセンの「絵のない絵本」のラストシーンを思い出した。小っちゃな女の子が「明日はパンにたくさんバターを塗ってください」と祈るシーン。酪農王国になる前の貧しいデンマークの話だ。我が家も裕福ではなかったから「毎日のアイスがお願い?」と考えると親としては恥ずかしいが、我慢させるのも親の仕事である。

平和に酔っていると

 しかし、親は子どもが食べられるようにいつも気を使い、必死で食べ物を運ぶ。なるべく出来合いの物ではない家の食事・・・ケーキもアイスもそういう食事とはちがうから子どもはほしがるのかもしれない。まずは安全なもの、温かい家庭料理を食べさせるのが幸福なのだろうね。親は考えるが世の中は考えてくれるだろうか。
 果たして、これから、この国は国民にその義務を果たすだろうか。お金稼ぎ競争で身を削っていないだろうか。そして疲れ果て心を病んでいないだろうか。
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」・・・・・とても実行されているとは思えない。一機100億の戦闘機を100機買い、世界中にお金をばらまき、子どもたちを自衛隊に誘い込む。年金は何兆も損失を起こし、少しも福祉に使わないくせに消費税を上げる。物価も上がる。身内の悪事はかばってごまかし、記録は全部消してしまう。最近、とんでもなく治安が悪くなった感じがする。マスコミを抑えて何も報道させないからみんなは知らない。スポーツと芸能、食い物とお笑い・・・ごまかされて、われわれは何もわからない。見て見ぬふりをしていたら何が起こるか分からない。ここは流れを少しでも変えないと危ない。すべては次世代の幸福のためだ。星に願いを! いや願いではかなわないのが世の中の常。このまま国民が平和幻想の中にいれば数年後に憲法は変えられ、もっともっとデタラメことが始まる。子どものために何ができるか考える夏。たはり徴兵や悲惨な戦乱はごめんこうむりたい。戦争をして儲けたい政治家たちに今が批判の心を向ける時だと思う。

昔、むかしの夏休み

 柏原兵三という芥川賞作家に「長い道」という彼の少年時代を描いた作品がある。読んだことのない人は映画「少年時代」と言えばわかるかもしれない。「いえ、そんな昔の映画は観てません。」という若い親は、井上陽水の歌「少年時代」なら知っているかもしれない。これは、その映画の主題歌。ヒットした。
 ♪ 夏が過ぎ、風アザミ、誰のあこがれにさまよう、青空に残された私の心は夏模様
 という歌詞だ。これなら子どもでも知っていることだろう。
 ♪ 夏まつり、宵かがり、胸のたかなりにあわせて八月は夢花火、私の心は夏模様 と続く。歌詞も秀逸、メロディーはノスタルジックに心にしみる。

長い道

 小説「長い道」は、私の少年時代よりひと昔前の時代で戦時中の話だが、これもまた現代と同じ不安な時代で独特のイジメが横行する少年たちの物語だった。ただ、この子たちは家の手伝いや勤労奉仕などで忙しかったから、そういうふうな心理的圧迫からイジメをしたのだろう。
 戦争が終わって貧しさは戦後と同じようにひどいものだったが、私の少年時代は、この小説ほど悲惨ではなかった。小学校は55人クラスが5学級、6年生まで1000人くらいいた小学校、中学はもっとすごくて55人学級で一学年が15クラスあった。
 人は多かったが、人間関係のイザコザはなく、度を越さなければ何をやってもよかった時代である。宿題もさほどなかったから、夏休みなどは遊びに遊んでいて、わずかな宿題を8月31日に眠い目をこすりながらやった。それでもなんとかなった。不登校もなく、イジメはあったが陰湿ではなく、とにかく窮屈な学校生活ではなかった。何もなく、ほとんどどこにも行かない連れて行ってももらえない夏休みだったが、そこはそれ子どもは何もなくても遊ぶことにかけては天才である。
 いまの子どもは夏休みにはあっちに旅行、こっちの見学、塾の夏期講習に各種イベント参加・・・忙しいことである。Busyにはちがいなかろうが、子どもよってはbusierで、中には夏休みの毎日がスケジュールで埋まっているbusiestの子もいることだろう。

夏に自然の中で遊ばなかったら

 昔の夏休みは、少なくとも私には「遊びまわる」時間だった。朝から昆虫を追いかけ、昼は川で魚釣りや泳ぎをした。夜は蚊帳の中で本を読む・・・いつの間にか、そのまま寝ている。思い出すとこんな夏休みを中学2年くらいまでやっていたと思う。頭の中などグチャグチャで、いまのお利口な小学生とはまったくちがっていた。小学3年ではファーブルを目指していた。4年では探偵を目指した。5年では旅行家を目指し、6年では考古学者になろうと思った。それらはみな蚊帳の中で読んだ「幼年版ファーブル昆虫記」、「少年探偵団」「地底旅行」「夢を掘りあてた人」などの影響だったと思われる。
 つまり、すべて夏休みの読書の中で思いついた夢の職業だ。しかし、そんなあっちに飛び、こっちに飛ぶ夢花火のような夏模様でまともな大人になれるわけはない。ろくに勉強をしなかったから、立身出世はとても無理。お金持ちになることなど夏の青空に残されたままだ。さまよう夢のようなものである。でもまあ、お金がないと、なくなる心配もないので気楽なものだ。お金ではない何かもっと大切なものもあるし、それに向かって生きていれば、それもまたおもしろい。何か目的をもってやりたかったら、一生懸命お勉強をすることかもしれないね。
 私が、ろくに学校のお勉強もせず、世の中で流行する価値に左右されないで来たが、それはそれでおもしろかった。歪んだ人間にならなかったのは、山や川の自然環境の中で友達と遊びまわり、親がいつもそばにいて、いろいろ教えてくれてからだと思う。なにより、祖母や親は、温かく見守ってくれて、毎日何かしら言葉やしぐさで、言葉では表せないいろいろなこと、さまざまな生き方を伝えてくれた。
 学校で教えてもらったむずかしいことはみんな忘れてしまったが、別にクイズ王を目指したわけでもないし、高い地位を目指したわけでもない。またこの頭では目指せるわけもなかったが、けっこうおもしろい人生は送れたと思っている。

やはり少年時代は大切だ

 幼少期の環境と言葉は、ぜったいに人の人生を左右する。これは断言できる。温かく見守ってくれる家庭、重圧のない学校、そして心が開いていくために不可欠な自然環境・・・はるかにお金に勝ると思いますよ。
 いまは、多くの人が金、金、金の世の中で追い掛け回され、時間に追われ、どこかで人情や愛が失われていますよね。金は天下の回り物。いや。最近は 天下が金の回し者、追いかけられたら目が回ります。あまり、あくせく子育てしないで、夏休みくらいはゆっくりたっぷり楽しい時間を過ごしましょうよ。親も子どもも心を病んだら最後ですから。

発達に応じるということ
③ 1歳児の絵本の変化

 どこでも選書の多くを発達心理学(最近はユング心理学が主)で行なっていますが、ゆめやは絵本を発達形態学というものを基礎にして選書しています。良い絵本の選書リストを出しているところは多いのですが、多くは子どもの発達とは無関係に本の良し悪しで決めて、良い本をリストアップしているだけです。いくら良い本でも二歳児によいものが五歳児によいとはかぎりません。その逆もね。ひょっとすると悪い効果をもたらすかもしれません。やはり、発達に合ったものを与えることが重要だと思います。ですから、読み聞かせ前は、あまり焦らず語りかけで十分でしょう。子どもの本で一番重要なことは良書を選ぶことではなく(それは当然のことです)、いかにタイムリーに発達に応じた本が与えられるかということなのですから・・・。与えすぎもよくないし、与えなさすぎもよくない・・・・むずかしいものです。
 「形態学で選書している」この流れと基本的な体系、そして順にアップデートしていくリストについては2005年に山梨子ども図書館の「子どもの本の専門家養成講座」で、合計13時間の講義公開をしました。全データの公開でした。ちょっと、このニュース紙上に載せるにはデータと文章量がハンパではないので無理ですが、当時神奈川大学の白須先生がまとめてくれた紀要がゆめやのホームページにあります。よければ見てください。探しづらいですが「ブッククラブのご案内のページのPDFのマークをクリックすれば出てきます。
 1歳児の絵本は急速な発達に応じて目まぐるしく変わります。押さえておかねばならないことは次の変化です。認識絵本(どうぶつ、くだもの)→動作絵本(おつむてんてん、おててがでたよ)→感覚絵本(もこもこもこ、だるまさんが)→初期の探し物絵本や語り絵本(きんぎょがにげた、しろくまちゃんのほっとけーき)、ナンセンス絵本(ぞうのぼたん、ごろごろにゃーん)・・・・こういうパターンの本が0歳から2歳まで、月刻みで対応できるようプログラムは個別に組んであります。楽しく読み聞かせれば2歳の本の反応は大きなものがありますよ。

本とともに過ごしてきて

 東京都江戸川区 伊藤百代さん 悠真くん(小6)
 ゆめやさんは、甲府出身の海外で生活している友人の紹介で息子が10ヶ月の頃から今年で11才になる長いお付き合いとなります。絵本を読み始めた頃は「しろくまちゃんのホットケーキ」のような擬音に「キャッキャッ」言いながら喜び、何度も読みましたがその度に喜んでいました。「バートンののりものえほん」は、ひこうき、でんしゃ、ふね、とらっくの4冊セットでしたが、でんしゃだけを何度も読みたがり、結局それが息子の「鉄ちゃん」の始まりとなりました。電車の絵本から大人の鉄道の本へと、そして家族旅行はわざわざ遠まわりする電車で行く旅行になる程の電車好きへとなりました。毎日、寝る前の読み聞かせが日課でしたので国内はもちろん、海外旅行にまでも数冊の絵本は必ず持って行き読んでいました。内容を最後まで聞かないと寝ないので聞きながら寝るというような寝かしつけはなりませんでしたが。
 ゆめやさんの新聞にあるように途中さまざまな誘惑もありました。2年生ではすっかり自分で読むようになり、3年生では学校の図書室で本を借りてくるようになります。そこで漫画に出会い「サバイバルシリーズ」にハマります。ゆめやさんの本だけは読んでいましたが、このまま本離れになってしまうのかと思いました。4年生の頃でしょうか、配本の江戸川乱歩「怪人二十面相」を読んだら「おもしろいんだよ!」「学校にも乱歩シリーズがあるんだよ」と借りてくるようになりました。
 きっとこれがきっかけで漫画から抜け出たように、お手紙を書いているとさまざまな思い出がそれぞれの本とともに次々に思い出されます。幼少期の読み聞かせをしてきた日々は、私と息子の大切な思い出となっています。毎月、月齢に合った、的確な本の選び方をしてくださっているゆめやさんのお陰だと感謝致しております。
 4月で6年生となった息子はどこへ行くにも二宮金次郎のように本を持ち歩く子になっております。ゆめやさんへぜひ伺ってみたいです。お写真で拝見する楽しそうな空間が近くにないのがとても残念です。

ゆめやより

 ほんとうに長いお付き合いでありがとうございます。こんな小さな店でよければ、ぜひお出かけください。新型の特急あずさも走っています。新宿から1時間半、江戸川からでも2時間ちょっと。そんなに遠くではありません。「乗り鐵」、私もそうですよ。昔はいろんなところに鈍行で行きました。いまの夢はSL(とくにC57)に乗ること。なかなか暇がないのですが。



(2019年7月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

ページトップへ