ブッククラブニュース
令和元年(平成31年)
6月号(発達年齢ブッククラブ)

けっきょく原因は、あれだね

 「相変わらず嫌な事件が続く」・・・これは昨年6月号の新潟西区少女殺人(2018/5/8発生)の記事の書き出しだが、またまた嫌な事件が起こってしまった。川崎・登戸・カリタス小学校・無差別殺傷・・・連発するとみんな鈍感になる。先月書いた「いってらっしゃーい、いってきます」の対句「おかえりなさい、ただいま」がない事件だ。
 「かわいそうだね!」「ひどいね。」「猛暑で頭がおかしくなったんじゃない!」という声は聞こえるが、「またか!」で終わる人も多い。
すぐ「オリンピックのチケットが取れないよぉ!」「あそこのフレンチ、最高!」などという日常に戻っていく。報道は寄ってたかって大々的だが、どうせ半月もすれば消えていくだろう。こういう状態に慣らされていくと、何事も「他人事」になる・・。どんな事件がいつ起きたかも忘れてしまうからだ。
 「殺された人は不運だよな。」「監視カメラを増やさねばねぇ。」だ。意見もひたすら他人事。ここでは当事者への想像力が圧倒的に不足している。自分の子どもが、夫が、妻が・・・そういう事件で命を落としたときに同じことが言えるかどうか。情報化で、人はドンドン鈍感になり、危険も察知できなくなる。だけど「とりあえずウチの家族は安全。忙しい時代なんだから他人のことなどどうでもいい。」となる。事件現場の供え物の光景も毎回見ていれば「またか」である。自分の子に重ね合わせる想像力はない。そんな事件・事故を考えるより、儲け仕事をどう持ってくるか、あれを買わねば、これに乗らねば、あれを食わねば、・・・これを着ねば・・・。次から次に「消費せよ!消費せよ!」と生み出される目先の欲にたぶらかされて、どんな悲劇も他人事だ。自分は社会に貢献していると思っていても、じつは目に見えぬ悪の手先になっているからだともいえる。そして、こんな世の中にしているのが、ほかならぬ欲かきリーダーたちなのだということにまでは頭が行かない。よく考えれば、もう少しましな世の中を作れるのだが、欲張りが治安を悪くしている。ここ十数年で社会不安が大きくなったことは誰もが感じている。下はサブカル起因の事件だけが起きた時期(季節)だ。5月6月でこれだけ起きている。

この時期が危ない

 「西鉄バスハイジャック 5/3」
 「神戸連続殺傷酒鬼薔薇 5/27」
 「佐世保小6殺人 6/1」
 「秋葉原無差別殺傷 6/8」
 「池田小無差別殺傷 6/8」
 「新幹線殺傷 6/9」
 「大阪心斎橋連続殺人 6/10」
 「奈良自宅放火連続殺人 6/20」
 「広島少女集団暴行殺人6/28」
 「新幹線放火 6/30」
 「松本サリンも6/27」だったね。
 昔から「木の芽時」と言って、この時期、頭がおかしい人間が出てくるという。季節の変化が人間に影響して人間の衝動を引き出すのかもしれない。昔は、誰もが持つ精神の弱さを何らかのきっかけで拡大させたのだろうが、最近はゲームやSNSなどで依存症やうつ病になる人もいるし、統合失調症まで引き起こすこともある。

ゲームなどサブカル依存にしない

 何らかの形でサブカルに依存した人間が殺人衝動を持つ。不幸な自分と裕福な小学校の子どもを引き比べて不満がつのる。「8050問題」もある。80歳前後の親とひきこもりの50歳前後の子の問題。考えてもみよう。犯人が51歳なら11歳のときに任天堂のファミコンが入ったのだ。無頓着に買い与えられ、やがて引きこもる。家庭内暴力とゲーム依存。犯人は包丁を4本持参していたことがゲーム汚染を物語る。この武器がだめならポイントで他の武器をゲットするのはバトルゲームの定番である。手が2本しかないのに4本の包丁・・・これが、この世代の闇を象徴している。まったく、典型的だが、報道されない。
 ゆめやは、サブカル関連問題についてほとんど40年間、警鐘を鳴らしてきた。最近はゲーム世代がブッククラブでも親になっているので言いにくいが、個人差(事件を起こす、ひきこもり、異常行動→非常識、ヤンキー行動、対話ができない)があるとはいえ、影響は確実に出ている。事件に鈍感になっているのもその影響だろう。どこかバーチャル。たしかに被害者は遠くの誰かであるが、それが治安の悪化と同時に身に迫っていることも考えなくてはいけない。かつては関西が事件の主流だった。しかし、いまは千葉、埼玉、神奈川など首都圏が、ここ数年、治安が急速に起きた後の対策は空しい。(ニュース6月号一部閲覧)

400号と430号

 この新聞のボリューム・ナンバーが400号になった。ニュースは430号になり、それぞれ12ケ月で割れば33と36、つまりブッククラブは36年やっていることになる。新聞は一度も休刊しなかったから、計算は合う。この読書が困難になってきた時代に、よくもまあ零細書店が40年もやってきたと思う。(写真は1982年のゆめや)
 継続する・・・それは私の力などではなく、お客様である皆さん、あるいはいろいろ協力してくれている方々、さらにはさまざまな地域でゆめやのブッククラブを多くの方に広めてくれた初めのころの会員の方々・・・
 そんな皆さんの力の結果であるといっていい。そうでなければ、最初に開業資金を借りに行った銀行の言い分のように「ああ、このような起業企画では、この小さい町では3年も持ちませんね」ということになったろう。
 長く続けられたのは金の力ではなく、どこまでも人の力だったのだと思う。ゆめやはご承知のようにClosedな営業方針で誰もが簡単にブッククラブ会員になれるものではない。会計監査の関係の人にこのやり方を話すと「いまどき!」とびっくりされる。なんでもかんでも売れればいいというネット通販とは真逆な手間のかかる、アナログな仕事をやっているのだから驚くのは当たり前だろう。
 ブッククラブは初め8人で始まった。ほとんどが紹介制だからわずかな例外を除けば、いま在籍する会員の多くは、この8人にさかのぼれるというわけだ。

広めてくれた方々

 最初のころは転勤族の方が広めてくれた。すごい例がある。海野美智子さんという方が入りたいと言ったとき、お子さん二人が開始年齢を過ぎていたので断った。すると「では三番目を産んだら入れますね」と言って3番目のお子さんを産んだ。これでは、3人とも配本しないわけにはいかない。この方はさまざまなところに転勤し、学校の先生だったこともあって教え子や転勤地のお母さんをたくさん紹介してくれた。ゆめやがNHKの30分番組「小さな絵本やと4つの家族」で紹介されたときに登場した2家族(埼玉・東京)は海野さんの教え子である。配本した上のお子さんたちはもう結婚してお孫さんができ、いまだに孫配本をしているから、ほんとうにありがたい存在である。こういう例を挙げたら福井県で数多くの会員を紹介してくださった飯野ゆかりさん、名古屋近辺の多くの方がさかのぼればこの人に行きつくという佐々木元司さん。初期にこういう方々がいなければ、それこそ3年で店はつぶれていたことだろう。感謝以外のなにものでもない。
 書店というのは利益幅がほとんどない本というものを取り扱う。しかも専門店が質の低い売れ筋本を並べていたら、それこそ3年も持たない。売れない本を売るのだから、広めてくれる方がいなければとうてい継続していくことはできない。
 さらに利益幅がないのに余計な能書きをならべるから、この新聞やホームページの展開で経費もかさむ。大会社なら平気だろうが零細では無理だ。だが、どういうわけかいつも協力者が現れる。会員関連の納品、会計のシステムを設計してくれて管理してくれている大久保智さん。彼は17歳の時からのお客であり、娘さんができてからは会員にもなってもくれた長い長い協力者である。安価でホームページをアップしてくれるのはやはり会員のお子さんだった情報処理の専門家・遠藤めぐみさん、格安で印刷してくれる友人の山本育夫さん・・・こういう陰の支援がなければとても、この時代を乗り切れないのである。その意味では私は金には恵まれなかったが、人に恵まれたと言っていいと思う。だから上記の人たちには足を向けて寝られないのである。


 世の中の状況はさらに緊迫化してきている。政治の頂点から「反知性主義」が出てきて、まっとうな言語文化を壊そうとしている。漢字もろくに読めない連中が仕切る国は危ない。この7年で書店数は20年前の半減に近い数字を示した。激減だ。しかし、子どもたちをおかしな人間にしないために、もうひとふんばりしなくてはならない。儲からないからやめるというわけにはいかない。これからも、みなさんのご支援とご助力をお願いして400号からさらに続けたいとも思う。よろしくお願いします。(新聞6月号一部閲覧)



(2019年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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