ブッククラブニュース
平成31年1月号(発達年齢ブッククラブ)

本年もどうぞよろしく

 今年もたくさんの年賀状をいただきました。ほんとうにありがとうございます。とても返信ができませんので、恐れいりますが、ニュース紙上で新年のご挨拶をさせていただきます。みなさまの年賀状は立春まで店頭展示してあります。ぜひご来店くださいましてご覧ください。
 子どもたちの笑顔が写されたみなさんの写真を見ていると世の中はまだまだ明るいと思います。いまの大人の社会やテイタラクな政治とは別の世界のようです。来店の方々は全年賀状を立春まで展示していますので、ぜひご覧になってください。300点余の年賀状は店頭展示させていただきます。来店受け取りの方ばかりでなく、配達の会員の方もたまにはぜひご覧になってください。
 左のように多くの会員の皆様から今年も早々に年賀状をたくさんいただきました。心よりお礼を申し上げます。年末年始の繁忙のため、ゆめやからは年賀状が出せませんが、このニュースでの年賀(下の賀状)で新年のご挨拶に代えさせていただきます。今年もいろいろなものと戦わねばなりません。毎年、デザインが同じになります。敵は多い! トホホ。ますます、子どもを取り巻く状況は忙しく、悪化の一途となっています。

写真年賀状を見る限り

 年賀状の写真には子どもたちの笑顔が溢れ、みなさんの生活の余裕が感じられます。見ている私も癒されます。今年は「喪中欠礼」のハガキも多かったです。時代が急速に変わっていますね。
 店頭展示は2月節分までですので、年賀状を見ながら温かいお茶でも飲んで、今年の抱負を話しましょう。昨年は良い年でしたか? 今年はどんな希望をもって一年をお過ごしになりますか?・・・
 私どもゆめやは、負けても負けても、子どもを歪ませていくものと戦いたいと思っています。親の世代は変わり、親自身がもうゲームやアニメの非読書時代、無読書時代に入ってきています。半導体を売りたいがために、子どもや大人から想像力を奪う電子機器が満ち溢れ始めました。言葉を壊す短文化されたSNS関係のものも大人ばかりか子どもへの浸食を始めています。こういうものを園や学校も推し進める側となり、無用な便利さを広げることで、真っ当な親や子を囲い込んでいる状態です。その結果として、切れる子ども、心を病んだ大人が増え、事件や事故が多発しています。世の中は「儲けること」ばかりを考え、金さえあれば何でもできる、見かけの豊かさの時代に突入しました。三本の矢を受けてかなり手傷を追っていますが、まだまだ戦う力は残っていますので、年賀状にあるお子さんたち、親御さんたちの笑顔を味方にして、もうひと踏ん張りがんばりたいと思う新年です。

年の初めのためしとて・・・

 さて、甲府は意外に日中は暖かく、夜だけが寒い冬となりました。いつものことです。おだやかな新年を迎えました。今年は亥年で私の年。イノシシは右も左も見ずめちゃめちゃに突き進みますから自分を抑え込まないと大変だと思っています(笑)。でも、イノシシは驀進します。止められません。
 ですから、私はお雑煮を食べて、鋭気を養い目の前を遮るものを乗り越えて、猛進しようと思っています。我が家では暮れから正月用の料理を作り、いろいろ飾り、新しい年を迎える準備をします。いわば猪突猛進の出発点を造るわけですね。自分の進む方向が正しいことを信じて、がんばりたいと思います。
 特別な宗教信者ではないのですが、まあ社会風俗として家庭内では新たな年を迎える準備をしました。猛進と言っても、みなさんと同じふつうの日本人です。妄信にならないよう気をつけて進みます(笑)。神社でお賽銭はあげません。それがカルト勢力の収入源ですから・・・・ね。
 今年はどんな年になるのでしょうね。実感としては、どんどん忙しくなり、余裕がなくなると思います。時間に追われて、重要な家庭行動ができない、考えるヒマもないということになると思います。実際、近年、読み聞かせをする時間さえない!という困った事態が起こっています。いくらお勉強させて成績がよくても悪事を働いたらアウトですから、ここは、ひとつ日本の社会の流れにドップリ浸からないほうがいいと思われます。黙っていても、日々の生活は悪い風潮によって歪められています。それを誤魔化すために、あるいは深く考えさせないために、芸能・スポーツ、バラエティで向こうは攻めてきます。これで、精神までやられる人がたくさん出てきますから。要注意ですね。まあ、きちんとした本を読んで、観察したり、察知したり、悪や理想を想像できれば、かなりの防御になりますが、熱くなって芸能・スポーツ、バラエティや消費にハマると未来は暗くなるような気がします。今年はとくにお気を付けください。

恒例の予測・じつにむずかしい年!

 今年は、じつは良い年ではないのです。かなりの大変動が起こる可能性が高いんですね。時代が変わる、世の中が変わる・・・この兆しは昨年(戊戌)から感じられるようになっています。なんとなく危うい感じです。つまり目的や理想がなくひたすら突き進むだけの状態・・・これって暴走と同じでよほど「行く先は大丈夫」という確信がないと事故ります。今年はそんな状態なんですね。
 干支も前述のごとくイノシシ。この年は大きな地震や洪水などの災害はある、政治変動はある、経済も大変動を起こすという変化が大きい年なのです。そうならないように祈るよりないのですけどね。何が起こるかわからない、特定できない、しかし、ものの本には、どれを開いてもあまり良いことが書かれてありませんでした。
 24年前の1月、亥年ですが、みなさんご記憶の阪神大震災がありました。1923年(大正12年)は亥年、あの関東大震災が起きました。死者・行方不明者10万人あまり、避難人数200万人以上の未曾有の大惨事でした。阪神大震災の12年前(1983年=省は58年)には日本海中部地震。日本海側で発生した最大級の地震でした。マグニチュード8。10メートルを超える津波により被害が拡大し、たくさんの犠牲者を出しました。 同じ年に三宅島の噴火がありました。全島島民が東京近辺に避難したのですから覚えておられる方も多いと思います。亥年と卯年は地殻の変動が現れる年なんです。これは気を付けねばなりません。そういわれてもどうすることもできませんけどね。緊急避難速報が出てもどこにどう逃げればいいかはわからないものです。自分の勘と危険察知の力を信じるよりありません。

字で考えると

 は字の形からしてギザギザの雷が落ちるような様子があり、起爆性のエネルギーが炸裂する意味があります。はもちろん「自分のこと」を示しますが、自分本位になって屈曲して悪がたまり、他と乱れやすくなると言われています。
 オウムの地下鉄サリンを覚えていますか。あれも、ものすごいエネルギーの拡散でしとよね。しかも自分本位です。あの年も亥年でした。社会的な揺れ動きが多い年なんです。「もんじゅ」のナトリウム漏れ、あわや大惨事でしたが、これも卯年の福島原発事故につながる予兆だったのかもしれません。
 予兆ねぇ・・・たしかにその傾向は昨年からありますね。筋を通して、「自分」を律していかないと巻き込まれますが、さてさて、なかなか難しい。精神がおかしくなれば理性でのブレーキもかからず、「相手が悪い、自分は正義」となります。個人も国も同じですが、利己的に悪がたまると災いを招きやすいのです。低劣な上が穏やかな下に勝つ状態というのはとてもヤバいですが、まあ、そう長くは続きません。下から突き上げが起きてきますから・・・・。気になるのは大災害ですね。 

悪霊を退散させる準備の時期?

 61年前、62年前の己亥のときの歴史年表を見ると、権力者が権勢を手に入れ、思うように国を動かし始めたことが記されています。61年前には初めて原始の火が点り、東海村で原子炉が動き始めました。
 去年、一昨年と、原子炉の再稼働が始まってますね。亥は木偏を付けると「核」ですからね。核関連の事件は起こりそうです。核の問題はこりごりです。まだ、何も終わってませんからね。
 さらに年表を見ていると皇太子(現・天皇)の婚約がありましたし、60年前になると桜島は噴火するは、爆発的なエネルギーの噴出が盛ん。災害です。行きつくところまで行って、その次の年でなんとかまとまるということですから、今年はある意味、要注意なんでしょう。つまり東日本大震災の年並みに気を付けること、とくに政治経済変動に気を付けること・・・そのへんがとても予測できないむずかしさがあるのです。亥年は、言葉の嘘がバレ始める年でもあります。オウム事件のときに流行語になったのは「ああいえば上祐」というのがありました。平気で嘘をつくのです。あのときはごく一部でしたが、近年は殺人犯が「殺意はなかった」とか「やってない」とか言います。言い逃れというやつですが、これが上から下まで蔓延してきた時代です。責任を取らないでも逃げられると思っているのでしょう。地殻変動から気候変動、経済変動から社会変動・・・・・。日本人の精神性が変わると言うのも大変動かもしれません。インフラなしで移民が入れば、治安は悪くなるので、当然、自国ファーストの気運が高まるでしょう。もうそういう気運が満ち始めています。お互いに思いやる気持ちが出ず、煽り運転に見られるような相手のことを考えずに突っ走る社会になりつつあります。精神がおかしくなり、自分のことはさておいて言いがかりや挑発、クレームを拡大させる人も出てくるでしょう。
 あまりもたくさんの要素がありすぎて、残念ながら「これだ!」とまとめることができません。
 まあ、端的にいえば北西・西南を貫く地霊・悪霊に要注意ということかな。日本海側で大地震がないのも怖いですね。・・・・いやあ、危険要素ありすぎで、どれを取っていいのか・・・ゆめやの考えはつたないものですが、今年もいろいろ危険の察知をしたものを伝えたいと思います。本年もよろしくお願いします。(ニュース一部閲覧)

あけましておめでとうございます

 ここ十数年、いえ、ここ五、六年で時代スピードが速くなっていると感じるのは私だけでしょうか。あっと言う間に、時間が過ぎ、ほとんど記憶できないまま世の中が流れていきます。年末に新しい新年の飾りをするときに「なんだか、ついこの間、2018年のを飾ったような気がする」と思ってしまうのです。
 子どもは時間がゆったりと流れていると言われますが、いえいえ子どもたちに尋ねても「忙しい!忙しい!したいことが何もできない!」という答えが戻ってきます。
 ある意味、新年、なにがめでたい!と言いたくなります。元日からスーパーはやっていて、コンビニも休みはない、忙しい時代は、考える暇もないので、人と人のつながりがどんどん切れていきます。次世代を生きる子どもたちがこんなことでいいのでしょうか。こういう忙しい時代を生き抜けば、おだやかで豊かな時代がやってくるのでしょうか。

時代

 中島みゆきの「時代」という歌にこんな歌詞がありました。

♪そんな時代もあったねと
 いつか話せる日が来るわ
 あんな時代もあったねと
 きっと笑って話せるわ
 だから今日はくよくよしないで
 今日の風に吹かれましょう
 まわるまわるよ 時代はまわる
 
 という歌ですが、もはや若いお母さん方は、この歌も歌手も遠い記憶のかなたでしょう。当然、若者は知りません。記憶の底にもない。あるのは目まぐるしく変わる歌手やグループ、日本語とは思えない歌詞、ほとんど記憶に残りません。そのときだけです。
 次から次に流行は移り変わり、何も考えたり感じたりしないまま、おそらく時間が経っても「いつか話せる日」や「笑って話せる日」やってこないのでしょう。
 それにしても「今日はくよくよしないで・・・」とお気楽なことを言っていていいものかどうか。時代の崩れはすごいですからね。

過去を記憶しないと不幸な未来になる

 と、ある本にありました。
 「なに、今はネットがある。みんなネットの中に過去の情報が詰まっている。心配ない。」という人がいます。
 「いや、もう、そんなのを調べる必要もない。AIが、人間を越えた情報収集と分析でわれわれをより豊かで幸せな未来に導いてくれる」なんていう人もいます。
 では、過去の情報がそんなに蓄積されているのに、30年前、40年前より、世の中や国際社会が悲惨さや不安に満ちているのはなぜなんでしょう。家庭は忙しいだけです。昨日のこともうまく思出せません。
 毎日のように子どもが親を殺したり、親が子どもを殺したり、無差別な殺人や事故が起こるのはどうしてなんでしょう。30年前はなかったのに。
 でも、その答えはわかりきったことです。半導体は過去を覚えているかもしれないが、人間が忘れているのです。スマホの中には人生も生きる意味での答えがないのです。
 人は、もう考えるのをやめ始めています。ここまでウチのニュースを読めた人は、まだ考える余力のある人です。
 多くは、この短・文化、短文・化の時代に、長い文を読んで考える力など残っていません。
 ネット情報などいくら引いても目を通しても次から次へと忘れていくだけで、決して「過去が記憶」されるわけではないのですから、やはり人間は肉体や五感を使って学習しないと記憶ができないのですね。電気が一度通ったものはみんなダメなんです。
 記憶のない人間は反省もないですから、また同じ失敗をやらかします。都会の異常な発達のしかたがこれを暗示しています。あるのは便利だけ。幸福や子どもの未来はありません。その中で、精神が狂ったり、悪意を強く持つようになったり、30年前には考えられない人も出てきています。都会と田舎、人工物と自然・・・過去は消えていきます。
 あのときも国家神道が戦争を煽った! 殖産興業が人々から余裕を奪った・・・こういう過去も知らないまま時代はまた悪夢の富国強兵を繰り返して回っていくのでしょうか。いまや学校さえ、それを推進する側になっていると思いませんか。

自宅に紙の本が何冊あったか?で・・・

 記憶は、体験や読書で概念を積み重ねるよりないのです。情報や知識はいくら覚えてもクイズ王になるだけ。最近はSNSの発達で長い文章を読めない親も子も出てきていますから、こりゃあもう先行き不安です。でも子どもは次の時代を生きる。学校や文科省が推し進める「考えない教育」「処理だけを覚える教育」では次の時代はダメだということを、ゆめやとしては年頭に強く言っておきたいと思いますね。
 学生の頃、自宅にどれだけの本があったか、覚えていますか? ある調査によると16歳の時に家に本が何冊あったかは、大人になってからの読み書き能力、数学的思考、ITスキルの高さに比例することが調査で明らかになったのです。
 研究者らは、「子どもの頃に自宅で紙の本に触れることで、一生ものの認知能力を高めることができる」と言っています。
 実際、いくらタブレットやスマホ学習をしても学力が上がらないのです。この調査を行ったのは、オーストラリア国立大学と米ネバダ大学の共同の研究者たちです。2011〜2015年に31の国と地域で、25〜65歳の6万人を対象に「国際成人力調査」のデータを分析しました。
 「16歳の時に自宅に何冊本があったか」をまず質問、その後、読み書き能力、数字、情報通信技術(ICT)のテストを受けてもらった統計がやっと去年出たのです。
 すると、本がほぼない家庭で育った場合、読み書きや算数の能力が平均よりはるかに低かったのです。高学歴でもです。自宅にあった本の数とテストの結果は不思議にも比例し、テストが平均的な点数になるのは自宅に80冊ほどあった場合だったといいます。塾などの効果はまったく反映していないそうです。

本の重要性は失われつつあるが・・・

 本に囲まれて育った中卒と本がなかった大卒が同じ学力だったり、大卒の方が低かったりするケースもありました。最終学歴が日本の中学卒業程度であっても、たくさんの本に囲まれて育った人は、大人になってからの読み書き能力、算数、IT能力が、本がほぼない家で育った大卒の人と同程度(どちらも全体の平均程度)だということも分かったのです。おどろきですね。
 個人的な例ですが、私の友人で80歳になる中卒の人がいます。ものすごく知的関心が高く、古文から哲学的文章までどんどん読むのです。
 いまの若い人が、長文すら読めないことを考えるとすごいなと思います。
 この結果から読み書きや数学の基礎知識において、子どもの時に本に触れることは物を見る力や危険を察知する力が高いと研究者たちは結論付けています。
 興味深いのは、「言葉の読み書き」(文系の能力)と「数字」(理系の能力)が別物と思われる中で、自宅に多くの本があると、このどちらも強化することがわかったということです。研究者は「これは予期していなかった、おどろくべき発見」だと述べていました、「子どもの時に本を読めば大人になって文字を読むのが得意になる、という単純な話ではありません。読み書きとはまったく異なる学習能力が高まるという結果なのです。もちろん、上の左の書棚のように質は高くなくてはいけませんけどね。右の本棚ではいくらあってもね。マンガやライトノベルではねえ・・・・(笑)。

「本好き」の国別ランキング

 最も本好きの国はエストニアで、平均は218冊。日本は平均102冊で、18カ国中、なんとランキング14位でした。世界全体の平均は115冊。やはり北欧、ロシア、ドイツが上位に来ています。それにしても出版王国といわれていた日本が14位というのは情けない話ですね。
 イギリスやアメリカも日本並みで低いです。知性がないと強欲にはなるのかもしれませんが、国別で考えても、国民の幸福度と比例するのかもしれません。
 察知する能力、考える能力、私は、フレンドシップニュースに今年の予測を書きましたが、右の2冊ほか数冊を読んで、今年は変動が大きいこと、北西から南西にかけた(京都が中心)で何か起きそうと、とりあえず書いてみました。
 以前、3・11を予測した(2011年1月HP参照)は、三代実録から暗示を受けました。熊本大地震は(2015年1月参照)本には過去の記憶がいっぱいです。本には過去に起きたことがたくさん書いてあるのです。過去を知らないことは未来を幸福にしないことかもしれません。いま、この国は歴史を捏造して、また明治時代に逆もどりしようとしています。真実を探り、未来を見るには本を利用しない手はありません。さあ、学校のお勉強、スポーツ、塾・・・大変でしょうけどね。さてさて、まともな本が16歳で200冊読めているかな?

本とともに過ごしてきて

 小林ちえりさん(東京都品川区)
 小6の娘と小2の息子が、それぞれ生後10ヶ月からお世話になっています。
 娘の乳児期・・・外で遊んでいたら、「危ない・汚い・冷たい=やめなさい」周りの親から聞こえる声。私は世の中とズレてるのか・・・育児について自信もポリシーも確立出来ないでいたので、『読み聞かせをする』ことだけが唯一の柱でした。その柱のおかげか、子供たちの会話や文章力が楽しいものになっています! 娘は4年生頃から感想文・絵手紙・短歌など様々なコンクールで評価していただき、副賞でいただいた図書カードは1万円近くに!いつか好きな本をたっぷり買うんだ〜!と言っています
 夏休み、息子と父親2人で大阪に旅行した時、息子が迷子になりました。一人で勝手に歩き出し、繁華街のど真ん中30分さまよったらしいのですが・・・息子の頭の中は「エルマーの冒険」か「たんたのたんけん」か。
 あまりに饒舌に語ってくれたので、大笑いして怒るのを忘れてしまいました!ゲームがないこともそろそろ乗り越えてきました。自分自身で勝負出来る、魅力的な人間になってほしいなぁと思っています。
 息子は、先生に「小林君の日記はおもしろい!」と言われ、「僕、本を読んでいますから!」と言ったとか。

《ゆめやより》

 ときおり、思います。子育ては他人任せではダメだと。小林さんともいろいろやりとりしてきましたが、会員のお母さんの多くは、小林さんのように熱心に読み聞かせにも読書にも取り組んでいます。すぐに成果は出ないのですが、やがて結実する! 大人になった時がちがうというのは、はっきりいえます。「僕、本を読んでいますから!」・・・・すごいですね。映画・「三丁目の夕日」の淳之介少年を思いだしましたよ。(新聞・一部閲覧)

 



(2019年1月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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