ブッククラブニュース
平成30年9月号(発達年齢ブッククラブ)

大丈夫ですか?

 先月末から九月に入って、台風の影響が相次ぎ、西日本各地に大きな影響が出ています。大阪の地震、その後の強風被害・・・いちおう当該地域の方には安否お尋ねのハガキとメールを送っておきました。豪雨災害から、かなりのハガキとメールの数です。そうしたらまた北海道で地震・・・災害列島です。前もって気を付けられない天変地異ですが、個人的に被害を避けられるよう日頃から準備しておきましょう。

返信

 会員から来る手紙・はがきには必ず手書きで返信している。また、県外の会員からは振替用紙通信欄にお便りを書いてくる人も多い。振替の方にはすべて絵ハガキで返信し、お便りには返事を書く。毎日かなりの数!
 しかし、たとえ数行、数十行でも手書きでなければ意味がない。どんな下手な字でも手書きだからこそ、自分一人にために書いてくれたと言う感じが出るわけだ。ワープロで打った文章は、その意味では無機質で冷たい。だから、私はどんなに面倒でも、また時間がかかろうと手書きでハガキや手紙を書き続ける。パソコン全盛の時代だからこそ、そういう心遣いは必要あ野ではないだろうか。「手間がかかる」、「合理的ではない」、「メールが一番早くて便利だ」という声が聞こえてくるが、ゆめやはネット通販ではない。すべてが決まったフォームで受け取り、処理して、定型のお返事を出していたら、それこそソフトさえあれば誰でもやれる商売で、そんなことをやったところで一期一会のお客様を粗末に扱うだけのことになるしかない。そんなことはできない。ゆめやはどこまで行っても「書店」なのだ。

テレビ番組

 十年ばかり前にNHKがゆめやを描いた30分ものテレビ番組を作ってくれたことがある。制作は柿本健一ディレクターで、読み聞かせや読書の風景を会員の家庭で撮りたいという。甲府の会員は表さんと林さんという小さいお子さんがいる会員にすぐ決まったが、県外の会員は選定がむずかしかった。
 しかし、ここがディレクターさんのすごいところで、我が家の物置にあるいくつものダンボール箱の手紙やハガキを片っ端から読み始めて、目に留まった埼玉の鈴木さん、東京の田中さんに白羽の矢が立った。
 さすがはNHK。クルーを率いてロケである。この番組は、ローカルでもBSでも、さらにNHKワールドでも流されたので台湾やドイツ、英国の知り合いや会員から「見た!」という知らせが入ったのにはびっくりした。

アナログ通信

 当時の会員は、ほとんどの方が電話・FAX・手紙・ハガキ・振替通信欄を利用した交信で、アナログだった。多くの方が手書きで通信してきたのである。それを私はすべて年毎に箱に入れて保管してある。探すのは面倒だが、お子さんのだいたいの年齢で見当をつけて、時間をかければ探せるものである。
 柿本ディレクターが読んだ手紙の中で埼玉の鈴木さんと東京の田中さんのお便りは、どこかで彼の心を打ったものがあったのかもしれない。
 人が手で文字を書いたものが人の心を揺さぶることを柿本ディレクターは熟知していたわけだが、それにしても長時間、物置に入り込んで撮影に使う一通を探すのを見て私は驚いた。最近のテレビ番組はろくに下調べもしないやっつけ仕事、しかも下請けの企画会社がつくるのだから、粗悪で雑になるが、当時のNHKの仕事は丁寧なものだった。およそ一ヵ月、ずっと張り付いて取材し、放映されない細かいところまで調べ上げるのである。記録は保管しておいてよかったと思う。
 だから、その後も手紙は捨てないで箱に入れる。ますますダンボールの数は増える。トホホだが・・・。 

当時と現在

 この番組で取り上げたのはゆめやと会員の4つの家庭、番組のタイトルは「小さな絵本屋と4つの家族」だったが、もちろんブッククラブ会員は全国に散らばっている。大手のブッククラブのように数は多くないが北海道から沖縄まで、いや数は少ないが、イギリスもフランスもドイツもアメリカも会員がいる。こういう方々との長いお付き合いがあるので、記録は保存しておかないと、何かの時に再連絡がつかなくなるのである。いまではパソコンに保存すればいいのだが、これは壊れれば消えてしまうものだ。火事にでもならない限り書類ならいつでも取り出せる。
 3・11のときも記録は活躍した。東北4県の古い会員との交信ができたからだ。また最近では、今月6日の北海道の地震である。当該地域にはどの災害でも被害のお見舞いのハガキを出すのが通例だが、かつての会員の住所は手紙で探す。パソコンのない時代のことだから記録は書類だ。紛失や改竄をしたらつながりが消えてしまう。札幌、北広島市、苫小牧、室蘭、小樽・・・この人たちの手紙を探し出してハガキを書いた。手書きで伝えたい気持ちからである。これは、3・11のときも同じだった。手紙とハガキが人をつなぐ。
 無数の電子メールやSNSのコメントと一通の手紙。メールやSNSは、便利な面もあるが。これらがすべてと思う人も現代ではいるだろう。しかし、手書きが前世紀の遺物になるのではなく、手書きには人の心を揺さぶるすぐれた面もあり、宝として大事にしまっておきたいものもあるのだ。メールのラブレターを保存してもあまりパッとしないが、初めての恋文を箱の底にしまってある人はいるだろう。

時間が封じ込められている

 手紙やハガキのすぐれた点。それはなにか? いろいろある中で、私がなによりも魅力的だと思うのは、ゆったりとした時間が詰まっていることだ。毎日毎日、すさまじい勢いで電子メールやSNSのコメントを書き、ますます目まぐるしくなる日常生活。まるで回転器具をグルグル必死に回し続けるハムスターのような私たちは、いったいどこへ向かっていくのか。忙しいだけで人生が終わりそう。チャップリンが百年前に作った映画「モダンタイムス」そのもので、人は情報の洪水と機械の回転に巻き込まれるだけである。
 たしかに手紙は面倒だ。ペン、便せん、封筒、切手、どれがなくても届かない。ようやく書いても、ポストまで行かねばならぬ。でも、きちんと郵便局で仕分けされて、雨の日も風の日も雪の日も、赤いバイクで届けられる。この膨大な手間と時間がメールやSNSにはない。でもね。便利ではなく「あなたに多くの手間や時間をかけるのはもったいない」という気持ちもまた相手に伝えてしまうのですよ。で、人はつながりが薄れていく。
 先日、上記のテレビに出た鈴木さんのお嬢さんのお便りの返事に弟さんが生まれたときにゆめやに来た20年も前のハガキを同封して送った。するとお母さまからハガキが来て「今月ゆめやに行く」と言う。十数年ぶり。文字でちゃんと人はつながっている。
 メールやSNSで、どこまで人はつながれるだろうか。(ニュース9月号一部閲覧)。

残念!

 会員のみなさんは、「ゆめやは堅物でサブカルものは全部拒否しているだろう」と思っている。アニメも漫画も何もかも。・・・ところが、昔から我が家には漫画が2シリーズだけ置いてある。ひとつは「三丁目の夕日」シリーズ、もう一つは「ちびまる子ちゃん」だ。「三丁目の夕日」は、昔の遊び方や物がたくさん載っているので、参考資料として貴重だから何冊か揃えた。
 「ちびまる子ちゃん」は、娘が小学一年の時に、担任の先生が「自転車の乗り方」というというところをコピーして生徒に配ったので、「読んでみたい!」と思った娘たちがお小遣いで買ったものである。以来30年間、我が家のトイレにあり、入るたびに読んだから(もちろん大のときね)、7巻までのエピソードのほとんどを覚えてしまった。
 なかなかペーソスにあふれ、子ども心の機微がうまく描かれた漫画だと思っている。その後、娘たちはさくらももこさんのエッセイ集まで集めて読み、考え方の足しにしていたようだ。なかなか洒脱な文章で快く頭を刺激する。いろんなことを体験し、考えて来た人なんだなあと感じていた。
 そういう本を読んでいると、本にも質の低い本、高い本があり、漫画だって質の高いものもけっこうある、と思う。私が言う「サブカル」は質の低いものである。子どもの頃から、そんなものばかり読んでいたら、心が歪んでしまうこと請け合いのものである。本の体裁を取っているものでも、たとえばライトノベルの多くは、ものすごく質が低いものだということをもっと親は知らねばならない。

鋭い感受性と相手を思う心

 ところが、その漫画家のさくらももこさんが8月15日、乳がんで亡くなった。なんと53才の若さだった。  彼女のエッセイに漫画に出てくるまる子のおばあちゃんと近所のおばあちゃんが亡くなった5才の頃を回想して綴った文がある。
 「深い悲しみがまとめて湧いてきた。今、目の前にいる大切な人達とも、いつの日かを境に二度と会えなくなるのだと思うと、悲しすぎると思い、毎晩布団の中でむせび泣く日が続いた。むせび泣きは、一年以上続いていたという。
 この一文を読んだだけでも、さくらさんは、感受性の強い、すぐれた見方が出来る人だったように思う。
 どこの家庭でも見られる子どもの新鮮な行動と考えを、見事な描き方で表した国民的漫画『ちびまる子ちゃん』。テレビのシリーズでは28年間も放送が続いていて一定の視聴率があったというから、やはり時代、世代を越える共感を与えるものだったのだろう。
 まる子のモデルは作者自身だという。怠け者で、お調子者だが、子どもらしい鋭い感受性を持った子である。生意気で大人ぶっていても、どこか憎めないかわいらしさがある・・・それが子どもというものだが、最近は、妙に大人のコピーのような子どもも目立つ。感受性がない子どもである。大人になったらどうなるのだろうと心配してしまう。

感受性があるとストレスも

 さくらさんの乳がんは3・11直後からの発症らしい。しかし、その後の著作活動を見ていても、格段の変化はない。覚悟を決めていたのかな・・・。ニュース報道ではさくらさんの友人が「感性の塊のような人なので、孤独の中でさまざまな葛藤があったようだ」と言っているが、音を上げずに頑張っていたかと思うと、その意志の強さに感動してしまう。
 東日本大震災が起きた1週間後に、さくらさんはまる子が花畑の中で涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容の4コマ漫画を新聞に描いた。それから2週間、新聞の連載を休んだ。「その時期が本当につらかった」と振り返っているが、大きな衝撃を受けていたと思う。それは震災での悲劇であり、そして原発という人災からのショックだったのだろう。
 この国の首相や心無い政治家たちとは違って、それだけ物事をきちんと受け止める人だったようだ。地震や津波の被害はいくら大きくてもみんな立ち直れる。一番の悲劇は、国が売られてしまい、国画壊れてしまうときだ。天災ではなく人災である。さくらさんは原発事故で、それを直感したんだろうね。こういう人がいなくなるのは、まったく、残念以外のなにものでもない!
 最近、若い人がガンで死ぬ話をよく耳にするようになった。すべてが悲劇の結果とは言わないが、まったく残念なことである。早くいなくなってほしいという人物はいくらでもいるのに、心ある人が急逝するのはほんとうにつらい話だ。
 でも、さくらさん本人は「ちびまる子ちゃん」に出て来た人たちに看取られて、「きっと幸せな最期だったんじゃないかな」と思っている。(新聞九月号一部閲覧)



(2018年9月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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