ブッククラブニュース
平成30年5月号新聞一部閲覧 追加分

5月20日(日) 大月市立図書館 13時から

ブックトーク・ミハエル・エンデの「はてしない物語」
司会 大月市立図書館館長・仁科幸子
トーク 猿橋幼稚園・仁科美芳 都留文科大学・白須康子 & ゆめや

 混迷の時代を越えて、希望を見つけ出すためにどう戦うか・・・エンデが「はてしない物語」で描いた現代の問題と提示された命題をいつものコメンテーター3人が語ります。今回は、ある意味、ファンタジーを越えた大きく深い作品なのでコメンテーターの力量が及ばないのではないかと3人が思案しています。何か心で受け止めてもらうものあればいいなとトークを続けています。すでに5回目。これからも時代にあったブックトークを展開する予定です。お近くの方はご参加ください。
 「Alice Tea Book Talk」というシリーズで、お茶とクッキーがインターミッションで出ます。前回は12月にクリスマス絵本のトークを行いました。
 今回は、大作に挑みます。エンデの残した最高傑作、ここでエンデは何を語ろうとしたのか。指輪物語やハリーポッターとどうちがうのか。ファンタジエンを復活させるために名前を新たにつけていくということはどういうことなのか・・・・
 これまでにもさまざまなとらえ方がされてきましたが、文化の衰退が叫ばれて久しい現代。人々が「無」という巨大なものに飲み込まれているなかで、じつは、ほとんどの人が、その意味も分からず、ただのファンタジーとして読んでいる。これは、ただの冒険物語なのか。それとも時代が陥った巨大な衰退の比喩なのか、いろいろ語り合います。このトークの内容は後日またHP上に挙げさせていただきます。むずかしい内容ですが、がんばります。(PR)

昔ばなしの中に出てくるツール①

 昔話の中には、いろいろな道具が出てくる。ありきたりの道具もあれば不思議な力を持つ道具、さらには恐怖をもたらす道具など・・・まあ、さまざまだ。で、昔話なので若い人は、その道具さえ知らないということになる。この間、ある園の若い先生と話をしていて「ゆめやさんは歳のわりにはあまり白髪がありませんね。」というので、「とんでもない。ここなんか白髪だらけですよ。玉手箱を開けたとたんにあっという間におじいさんて感じ。」というと、「え、玉手箱って何ですか。」ときた。何と玉手箱を知らなかった。そこで意地悪じいさんの私は、「じゃ、打ち出の小槌って知ってます? 」という当然、知らなかった。昔話では話の核心になる重要なツールなのに・・・。つまり、いまの若い人は昔話もろくにしらないのか、と不満を吐き出してはいけない。それが老人の悪い癖だ。かれらは打ち出の小槌も玉手箱も知らなくても新宿駅地下のお菓子屋のパティスリーやスマホにダウンロードする安価なソフトがどれかなどはよく知っている。玉手箱や打ち出の小槌など知らなくてもじゅうぶんに生きていかれる世界を歩いているのだから。
 しかし、どちらが人生に重要なのかを考えたときに、とりあえず玉手箱も知っておいた方がいいので昔ばなしのなかに出てくるツールについて考えてみよう。ただ解説をしても百科事典的なイミダスにすぎないので、そういう道具から何が見えてくるかをちょっと見ていきたいと思う。さて何から始めようか。ツールというくらいだから、「つるのおんがえし」からにしようか。

つるのおんがえしと機織機

 さて、では「つるのおんがえし」・・・いわずと知れた助けた鶴が恩がえしをする話。昔話だから時と場所はわからない。自動織機のない時代だから当然江戸時代以前、場所はどこだろう、雪が深いところだから敦賀(つるが)かな。ま、いつでもどこでもよい。助けられた鶴が娘に姿を変えてやってきて、「誰も見ないように」と言って機織りを始めるというものだ。町で高値で売れるすばらしい錦が織れるのでどういうふうに織っているのかのぞくと・・・「見たなぁ〜」と・・・いう、これでは怪談だけれど、まあ悲しい結末となる。
 で、鶴が機織りをする機械が「機織機」だ。「きしょっき」なんて読むと首相・副首相レベルの読みになるので注意。これは「はたおりき」と読む。織物を織る機械だが、上の絵のように昔は木組みの織り機でかなり大きなものだった。紡いだ糸を筬(おさ)に縦糸、杼(ひ)に横糸を入れて滑らせる織り方。これが日本全国、津々浦々(つづうらうら)にあった。多くの女性が織の仕事に就いていて様々な織布をのんびりと生産していた。当然、現金収入になるから女性の経済力は上がって、織女の権利はかなり高かった。
 いま道徳の授業が進められていて、もう学校の先生は政府の唯唯諾諾で道徳の導入を始めている。その中には「恩」という概念もある。「つるのおんがえし」なんか教材に使われるかもしれん。なんといっても受けたささいな恩を返すために鶴が自分の羽を抜いて機を織るのだ。「美しい自己犠牲」と「恩返し」・・・ホレホレ、「幼児教育は無償化するよ」「高校までは学費要らないよ」と恩をかけて、「さあ、国難だ! お国のために恩返し。戦地に行ってもらおう!」・・・こんなふうに自己犠牲を強要されたらたまらないよね。でも先生方は反対の声を上げてません。まあ、公務員だからしかたないか。

働き方改革

 と、話がそれた。機織りの機械の話だ。機織りは江戸時代の各藩で貴重な産業で、当然、〇〇紬なんて名産、特産の織物がつくられた。例えば、山梨県の東部・富士北麓に都留(つる)市というところがある(ダジャレじゃないよ)。ここは昔から機織りが盛んだった。甲斐絹という上質の絹糸ができたから絹織物は主力産業だった。江戸時代の都留では機織りの女性が経済力を持っていたから、つまらん男は追い出される。江戸時代を通じて日本中で一番、女性から三行半(みくだりはん・離縁状)が発行されたところでもある。言われているように江戸時代の女性は下に見られていたなんてのは半分は嘘で、明治政府が倒した幕府を悪く喧伝した、ひとつの手段。ずっと明治の方が女性は酷い目に遭ってきたのだ。
 明治時代になると豊田佐吉が自動織機を開発して過酷な労働となってしまった。女性の地位はどんどん下がって、働いても働いても苦しい状態になっていった。生糸も絹織物もみんな国家間の貿易の道具になって、すべてお国のためである。とんでもない働き方改革が行われてしまったわけだ。糸取り工女も織女も使い潰しで、過労死はあたりまえ、賃金は低いということになった。こういうことは名著「女工哀史」、「ああ野麦峠」に詳しく描かれている。恩返しどころではないのが近代の機織り機の話なのだ。
 つまり、昔ばなしのツールを知ると、当然ながら、その時代の生活が浮かび上がってくる。昔は悲惨だったという史観が支配的だが、よくみるとそうでもない。考えてもみよう。江戸270年間で戦争は天草の乱ひとつ。3万人が死んだという。ところが、明治から昭和までの80年間で戦争は4つもあり、太平洋戦争では何と300万人の日本人が死んだ。アジア人はもっとだろう。子どもにはいろいろな視点で物を教えてあげたいね。(ニュース一部閲覧)

読み聞かせのHow To ①

なぜ図書館の利用を薦めないか・・・

 ブッククラブのプログラムを最初にお送りするときに、「ご挨拶」の文が添付してあります。おそらく読んでないですよね!(笑) ニュースのバックナンバーが一年分も分厚く入っているので、ほとんどの方は「ご挨拶」は読みません。バックナンバーも。毎年、読み聞かせについて書いてはありますが、悲しいかなほとんどの人は読みません。
 「ご挨拶」には、こうあります。
 「図書館などを利用して発達不適応の本を大量に与えるより、何度も何度も読んであげてください。配本はいずれ増えていきます。図書館を利用する暇があるなら、ぜひ外の世界で現物を触ったり見たり聞いたりする時間に当ててください。いっぺんに大量に与えるより何回も読み続けるようお願いします。」ということを書いています。
 幼児(赤ちゃん)の図書館利用は、常識となりつつあります。これは行政が宣伝していますし、その行政の周辺にいる人たちは幼児を持つ図書館利用の推進に力を入れます。マニュアル世代の親はそれを「良いこと」だと真に受けます。若いお母さんの中には、赤ちゃんを連れて図書館へ行くことが「ライフスタイル」と思っている人も少なくありません。一般人は宣伝に弱く、行政が奏でる神話をそのまま受け入れるものです。でも、最近、政治や行政が嘘くさいということは私たちにもわかってきましたよね。図書館事業も公共事業ですから、どこかで嘘が出てくるものです。
 でも、まだ上の挨拶文のようなことを言うと「この人、おかしいんじゃない?」とか「絵本が売れなくなるから言っているんじゃない?」と思うことでしょう。ゆめやは、それほど「尻の(失礼)穴」が小さくはありません・・・。

年齢に合わない本を山ほど借りる!?

 図書館は利用率を数で計測しますので、いくらでも貸し出しOKです。だから赤ちゃんでも平気で十冊は借りられます。毎日1〜2冊読まないと返すまで消化できません。利用者は、タダだと「1冊だけ借りて帰るより、たくさん借りたほうがいい!」という気になります。ここでも「タダより高いものはない」という定理はちゃんと生きています。貸し出す方の無責任もね。借りるとき「この本は、お子さんの年齢では合わないと思いますよ。」なんていう図書館員はいないということです。これは問題なのです。
 赤ちゃん(幼児)にとって読み聞かせは回数によって成り立つもので、次から次に本が変わったら、まずもって中身を楽しめません。さらに本を返却してしまえば、本も中身も「無いに等しい」のです。まして1回、2回では頭の片隅にも残らないのです。偏差値教育で育った親は、「たくさん与えればそれだけ効果がある」という幻想を持っていますが、とんでもない! 赤ちゃん(幼児)にとって「次から次へ」は「百害あって一利なし」。読み聞かせはフラッシュカードではありません。
 発達に合わない本を山ほど借りて返す・・・そうすれば、本を乱雑に扱うようにもなる・・・図書館慣れしている子の本の扱いの悪さは「定評があります」。親が「ここの本は図書館の本とちがうのよ!」と、たしなめても小さい子はわかりません。この時期に教えなければならいことは本の中身ではなく、さまざまなものをどう扱うかということでしょうね。「育ちをよくする」ということはそういうことです。

絵本より大切なこと・・・

 それは実際のものを見たり、聞いたり、感じたりすることです。近くの動物園にいく、近くの草むらにいく、川辺に行く、八百屋さんに行く・・・庭でアリの行列を見てもいいし、空の雲を見てもいい。なんでもいいのです。現物を見ること、聞くこと、感じること・・・これが十分に行われないと、大きくなってから言葉から想像力が働かなくなって、本も読めなくなることでしょう。スマホやゲーム、マンガではねぇ。幼児を連れて図書館に行く時間があったら、どうか外に連れ出していろいろなものを見せて、遊んであげてください。
 最近の若いお母さん、お父さんは、こういうことが無駄だ、効果がないと思っている方が多いようです。たしかに早期教育のように目に見えた効果はないのですが、人格や能力を大本になっているのです。
 私は、幼少期から早期教育をうけ(苦悶式とか体操教室など)塾漬けになって成長した人を何人か知っていますが、生活人としてはまるでダメです。かんたんに言えばクギ一本打てず、キャベツひとつ切れない。それだけではありません。趣味が短期間でコロコロかわる。何をしてもモノにならない。それでも親や周囲がお金や物で支援するから甘えて何もしない。こういう人間をつくりたくないですよね。遊ばなかったからです。昔は読み聞かせなどしないでも立派な人はゴロゴロいました。物事を知る最後の防波堤は本と遊び・・・がんばりたいものです。

本とともに過ごしてきて

 熊本市 黒岩文子さん 俊太くん(中1) 舞子さん(小4)
 青葉が美しい季節になりました。いかがお過ごしでしょうか。俊太は中学生となり、新しい環境の中で勉強や部活にがんばっているところです。先日は、息子のブッククラブ修了に際し、お祝いの本や修了証をいただきまして、ありがとうございました。お礼が随分遅くなりましたこと、申し訳なく思っております。大変失礼いたしました。思い起こせば、福岡の蔵本さんからご紹介を頂き、ゆめやさんとのおつきあいが始まり、約11年間、たくさんの良書に出会い、子どもの心を育てていただきました。そして、本との関わりの中で、読み聞かせといった親子の幸せな時間を得ることができ、今では私の大切な思い出になっています。
 世の中がどんどん変化し、一年先さえ予想もつかないような時代、自分を客観視したり、大事なものや変わってはならないようなものを見極める力が必要とされますが、「我が子は大丈夫じゃないかぁ!」と、親バカではありますが何となく感じています。そのように思えるのも。たくさんの良書に出会え、本のおもしろさを教えていただいたゆめやさんのおかげだと思います。ゆめやさんから卒業した俊太が、これからどんな本を選び成長していくのか楽しみです。これからもまた舞子がおりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

低・中学年の本読み ①

 中学年での「読書挫折」が頻繁に起きるようになった。かつては80%の残存率を誇ったゆめやのブッククラブもいまや中学年で月1冊も読めない子が出てくるようになり、今年の3月の終了時点では60%を切ろうとしている。さびしい限りである。こんなことはかつてなかった。なぜ、こんなことになったのか? 一般ではもっとひどい本離れが進んでいることだろう。ある山梨県の中学のクラスで、一ヵ月に何冊本を読むか?というアンケートに3〜4冊と出た。スゲェじゃん!と思ったが、問題は中身だ、そのほとんどがライトノベル・・・漫画よりかんたんな本である。
 するとテレビでは大学生の50%が一年に一冊も本を読めないでいるという調査結果が・・・ガビーンである。
 この原因は様々だ。これまで、読めなくなるのは小学校中学年でスポーツに比重が行き、本から遠ざかる子がいたということだけである。もちろん、一人読み移行に失敗して、漫画やゲームに走る子も多かった。それが、さほどスポーツに熱中するわけでもなく、ゲームもあまりしない。マンガもたいして読まない。そんな子も多い。そういうふつうに学校生活をしている子でも読書挫折が起きている。この辺がよくわからないが、テレビで訳のわからんことを言うお笑い芸人の「芸」をおもしろいと思ってしまう。当然、お笑い芸人の支離滅裂な話法、無意味な新造語に影響される子が出てきているのだろう。

二極分化 読めない子は読めず読める子は読む

 はじめは「低学年での読み聞かせから一人読みへの移行がうまくいかなかったからだ」と思っていたが、それはどうもちがうようで、移行がうまくいかないのは一部の例。原因はお稽古事の多さなどでの時間のなさなのではないか。しかし、いちばん疑っているのは「幼少期の読み聞かせがきちんとできていたかどうか」だ。というより、ある程度、高度な分野に進むことができる言語環境や家庭環境があったかどうかということである。暗
 ただ読めなくなっている、読書挫折が・・・と言いながらも、逆に、しっかりと本が読めている子どももまた存在し、前より増えているのである。二極分化が進んでいるというわけだ。一方は、教科書を読む力さえないのに、他方は大人も読めないような本を軽々と読んでしまう。。。この背後に横たわる問題を解決しないとじつは大変なことになる。

原因はなにか・・・?

 通常一般、本を読まない親の子は、わずかな例外があるにしても、ほとんど読むようにはならない。それが一般的だったが、いまやスマホばかりいじっている親、ゲーム中毒の親まで出てきているのだから、そこの子どもが本を読まないのはしかたがない。スケジュールが過密なお稽古事、塾勉も低学年から始まっている子も多い。帰宅して、夕食を食べ、風呂に入って寝るという忙しい一日では本を読むことのできない子どもは自然と読まなくなるし、手軽な漫画、アニメ、ゲームに走って息抜きとなるだろう。
 かつてはテレビの視聴時間や長時間保育で余裕のある日常がなくなって問題視されたが、いまや留守家庭学級(悪影響のある媒体や遊びの流行・・・)や手持ちのケータイやゲーム機などの心配をしなくてはならなくなった。さらに、現代の子どもはyoutuber(ユーチューブばかり見ている)とかネットゲーマーという依存に近いような症状を見せる子どもさえいる。

対策はむずかしいが・・・

 時代の流れと言えばそれまでだが、いくら反知性の時代とは言え、まっとうな本くらいは読んでいきたい、読ませたいというのも大人側の、あるいは親の人情である。また、それでなければ、大人になったときに人に気配りもできない自分オンリーの人間になったり、先行きのことなど一切考えないでしたい放題する人間が育ちかねない。そこで基本的な乗り越えの方法を何回かにわたって書いていこうと思う。時代の影響でしかたがないのか、それともなんとかできるのか・・・子どもが子どもうちは、それを考え、危険を避けるのも親の仕事でもあるだろう。いまは、昔と違って周囲と同じことをしていればなんとかなるという世の中ではないからだ。
 電子機器(電子ブック、スマホ、タブレット、パソコン・・)などが満ち溢れる中で読書をせよというのはむずかしい話だが、自分の子が依存になったり精神障害を起こしたり性格異常になったりするのは困ることになる。
 考えてもみよう。そういう現象は当の本人は自覚がないのだ。今月初め、新潟西区で小2女子が殺されて、犯人が捕まった。全容は不明だが、ふつうのおとなしいまともに見える若者だと言う。これまでの、このような事件で犯人の成育履歴が公表されたことを

読み聞かせから一人読みへ!?

 小学校に入ったからすぐに本が一人で読めるということはほとんどない。当然、読み聞かせも並行して行わなければならない。
 小1の配本の半分は3〜4歳くらいのレベルの長さの本が入っている。これは自分で読みやすくするための工夫の一つだ。もちろん長いものも混じるが、これはまだ読み聞かせ。ただ読み聞かせはじょじょに回数を減らしてほしい。もう理解力は進んでいるので、幼児の時のように十数回読む必要はない。親も子離れしなければらないように、いつまでも快い読み聞かせをして親が満足するというのはやめたほうがいい。小3くらいになれば読み聞かせるのも大変な長さになるからだ。小1では、親は頭のどこかで自分の子が一人読みができるように意識していなければいけない。次回から、学校図書館問題や時間的余裕のない問題をふくめて、細かく一人読みへの提案をしていきたいと思う。最終的には各家庭の問題だが、とにかくいま若者を筆頭に本が読めない、文が読めないという現象が起きている。なんとかしなければ・・・である。でも、穿って考えると「本を読ませてはならない」という動きが背後にあるのではないだろうか。
 小学校だって、読書推進でさまざまなことをしているが、じつは「字が読めれば何でもいい」というもので、識字率さえ上がればいいという感じがする。その証拠にもっとも、まともな本を読まねばならない中学・高校は部活とテストで本を読ませない状況がつくられる。学校が本を読ませないということに加担しているようにも見えないか。と、いうことは、その背後に・・・・。
 この流れをつくっているのは、「国民は何も考えず、従えばよい」という権力意識だろう。政権の裏にそういう思想をもったカルト宗教団体も見え隠れするし、文科大臣までその組織に入っている。多くの国民はしらない。
 学校は本を、かれらが主張するいうことを聞く国民をつくるために利用する。小・中学校で取り上げられる本が、すべて道徳教育の徳目にシフトされ、大学でも教授・講師たちがテキストを自由に選択することがやりにくくなっている。
 まっとうな本は、教科書によって常識化された事実を、さまざまな側面から批判的に考えるのに役立つ。それから真実を見つけ出すドアを開ける役目さえ持っている。これが読めなくなれば、当然、この世は闇になる。しかし、官民そろって、それを推し進めているわけだから、この国の未来はなんとも危険な方向に進んでいくようだ。また、「あのとき、あんなものを許しておかなければ!」という反省が出るのではないか。(新聞増ページ一部閲覧)

中流から格差へ ①

 『ディスタンクシオン』(ピエール・ブルデュー著)というフランスの社会学の本がある。英語のdistinctionで「違い・区別・差異」という意味だ。この本では、人々の趣味や嗜好が階層によって大きく異なることが明らかにされている。たとえば、読む雑誌を調べてみると、フランスではホワイトカラー層は文芸誌を好むが、ブルーカラー層は大衆誌。服装、映画、スポーツなどの嗜好にも、階層による違いがハッキリと出るとある。つまり職業的・階層的に生活での「ちがい」が出るのだが、それはフランスの話で日本はみんな中流だからほとんど同じで好みの差くらいだろうと思っている人も多い。しかし、日本でも差異を研究したデータはたくさんあるし、私も接客や世の中を見て考えていくとあきらかにへだたりがあるのを認めないわけにはいかない。
 絵本ひとつをとっても読み聞かせは当たり前の家庭もあれば、そんなことは何一つ考えない親もいる。これが職業や階層によってはっきりと出ていることもなんとなくわかる。ただ、これは感じにすぎないので調べてみると日本でも教育関係の研究で社会学的に調べたデータがあった。

職業で違う聞く音楽のジャンル

 『教育社会学』という本で、趣味の職業差を鮮やかに示した統計図が載っている。横軸にクラシック音楽鑑賞、縦軸にポピュラー音楽・歌謡曲の鑑賞実施率をとった座標に、複数の職業を配置したグラフだ。これをみると、教員などの専門的職業従事者は右下にあり、(次の段落の図を参照)販売職や労務職は左上に位置している。前者はクラシック音楽を好み、後者は大衆的なポピュラーや歌謡曲のほうを好む。生活行動でも収入と親の職業で、子どもの体験分野や遊びの分野がかなり違う。差異が大きいのだ。
 出典を見ると、総務省の『社会生活基本調査』のデータをもとに作図されたようだが、最近のデータでも、こういう傾向が出るのかどうか、それを考えてみたいと思う。

ハッキリ階層差が出ている

 これが職業別「パチンコ・美術鑑賞」実施率の図。
同じようなデータで美術鑑賞とパチンコの実施という両極端のマトリクス上に、それぞれの職業を散りばめてみるとどうなるか。 前者は芸術趣味、後者は大衆趣味の代表格だが、←こうなる。
 パチンコに行く職種の例は行く頻度が高い順にいうと接客・給仕、金属製品製造、清掃、建設・採掘、機械組み立て、保安、介護、輸送・運転、運搬、機械整備・・・となっている。
 美術鑑賞では、教員、一般事務、専門職、保健医療、管理、技術者、サービス関係、販売となっていて、はっきりブルーカラーとホワイトカラーに分けられる。
絵本の読み聞かせや読書でもこの傾向はハッキリと同じ形で出てくるはずである。たしかに顧客は図の美術鑑賞実施率の高い順でピンクの円形内の分野の人が多い。それに対して、ほとんどいないのは青い円形の職種の人である。
 おそらく子どもが読書できるようになっても本を与えるのは、この図と同じ分類になるだろう。つまり本に支出をしても違和感を感じない階層、職層の人々だ。一冊1000円の本をケチるくせに平気でファミレスなどの外食では何千円も使う階層、これが、左の円内の職種だと思われる。
 たとえば、ゆめやの38年の営業歴でもハッキリしている職業差がある。まず顧客になりえない職業は土木建設、飲食店、美容理容、ちょっとふしぎなのは銀行員である。皆無ではないがひじょうに少ない。そして、顧客で多い方は教員、医師、法曹関係、マスメディア関係である。
 こういう風に見ていると、あきらかに遊びや支出の傾向が、この図の職業差に集約されていくように思える。そして、生活や子どもの教育でも大きな差異が生まれるのではないかということだ。これについて連続シリーズで考えてみたいと思う。それは子どもの育て方にも大きな影響(差異をもたらす)があるだろうし、どういう成育環境を与えれば。どういう方向に子どもが行くかというヒントにもなるだろうから・・・。(新聞増ページ一部閲覧)



(2018年5月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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