ブッククラブニュース
平成30年2月号新聞一部閲覧 追加分

生活って? まとめ・高度な読書へ

 この国では、識字率が高い国民であるにかかわらず、まともな本を読んでいくうえでさまざまに邪魔が入ります。本を読んで自分なりの考えをつくっていける人は人口比率からみるとひじょうに低いのです。この原因は、おそらく学歴主義や成績偏重。つまり子育てのなかで成績(学歴)が最優先されるために読書(本)よりは勉強が基本に置かれてしまうからです。このことについては来年度またシリーズで書きますが、現実問題として読み聞かせから一人読みに入る小学校低・中学年で極端な本離れが起こることで、やがて会員のお母さん方も実感するでしょう。
 成績という「マニュアル処理能力」と読書から得た「人間形成力」では大いに違いがあるのですが、学校でも家庭でも優先されるのは成績となります。読書を薦める側の人々でさえも「学習優先・成績優先」という意識があり、人間形成などは何も考えていません。学校に入れてみればわかりますが、学校図書館や公共図書館の読書推進運動を見ていても、貸し出しコンテストや朝読、あるいは的外れな読み聞かせイベントが行われ、子どもが成長していく上でのリードなどほとんど望めません。留守家庭学級に置かれている本など「与えないほうがいい」くらいのもの」であり、これにさからうのもむずかしい状態です。なぜ、学校は読書をおざなりにするのか・・・このへんも来年度のニュースで考えてみたいです。なぜ、日本の学校では考え方を教えないのか、高校や大学で哲学を教えないのか・・・という問題です。

弊害は出てきている

 すでに学歴の限界みたいなものは出てきています。東大法学部を出た人が、とんでもない発言をする、一橋大学を出た法務大臣がまともな答弁もできない、外国留学までした人が、法律を捻じ曲げた発言や行動をする。悪事を働くのさえ平気という状態では、学歴の成果が出ているとはいえないでしょう。芥川の「杜子春」1冊読んでいれば、メシをおごって友達になっても力がなくなると人は去って行くということがわかるのですが、わからんのです。読んでないから。読んでいても、題名・作者名・あらすじの暗記で試験は通りますから。
 さらに一般といわれる家庭では、子どものまともな精神性の発達を妨げる強力なものが生活に入り込んできます。30年前に騒がれたテレビの悪影響などもはや大したものではありません。雑多にサブカルチャー(アニメ、ゲーム、ライトノベル)が入り込んできます。読書は、ここで大きな壁に突き当たることになり、高度な読書の可能性はさらに低くなっていきます。
 実際、ブッククラブでもこの状況を見ながら高度な読書へのガイドを行っていますが小学校6年までの成功率は6割くらい、中学では1割弱という成果しか得られていない状態です。とくに近年はお稽古事などで小学校中学年で読書挫折が起きている始末です。ときおり、「あの読み聞かせの熱はどこに行ってしまったんだろう」と思うこともあります。親自身(学校も)が本の重要性より「お勉強が大切」なのですからしかたありませんが・・・・。いずれこの弊害は出て・・・いやいや、もう完全に出てはいるのですが、その辺も述べたいと思います。

私の好きな一冊⑧ あいうえおの木 レオレオニ

 レオレオニと聞いても知らない人も多いだろうが、「スイミー」と聞けば「ああ、教科書に載っていた!」と思う人は多いはずだ。大きな悪い魚をスイミーが中心になって小さい魚たちと力を合わせて撃退する話である。ほとんどの子の配本には入っているが、じつは、このテーマのもとになっているような本がある。「あいうえおの木」という本。いわば、スイミーの魚たちが力を合わせるまでの前の話とも思える本だ。こんな内容だ。
 木の葉が、すべてひとつひとつの字になっている。あ、い、う、え、お、は、せ、が、わ、・・・・というように。しかし、一枚一枚が孤立していて風が吹けば飛んで行ってしまいそうだ。葉っぱたちは身を寄せてビクビクしている。そこへ言葉の虫がやってきて、「字と字がくっついて言葉になれば強くなれるよ」と教えてくれる。「あい」「うえ」「せわ」「おがわ」・・・少しの風では飛ばなくなる。ちょっと安心。でも強い風が吹くと飛びそう。そこに文の虫がやってきて、「言葉を文にしよう」と言う。「あいはつよい」「うえにはうえが」「ひとのせわ」・・・すると、一匹の毛虫がやってきて考えて文をつくることを教える。文たちはさらに他の文とくっつく。「ちきゅうにへいわを」「すべてのひとびとにやさしさを」「せんそうはもうまっぴら」・・・もう風にも吹き飛ばされない。
 毛虫は「すばらしいよ。では、ぼくの背中に乗って!」と言い・・・文が背中に乗ると毛虫は木を降り始めた。文が「どこにいくの?」と聞くと、毛虫はこういう。「大統領のところさ。」・・・。「ちきゅうにへいわを。すべてのひとびとにやさしさを。せんそうはもうまっぴら! ・・・」谷川俊太郎さんの訳もいいですね。
 しかし、私は、こういうメッセージを短い絵本の世界で展開できる人々は素晴らしいと思っている。
 こんな短い文と絵の中に字を覚える意味、言葉を覚える意味、そして考え方を表す文の意味が描かれ、それが行動に結びつくことまでが描かれている。すごいですね。絵本作家って。
 さて、また大きな悪い魚が世の中を泳ぎ始めましたね。まだまだスイミーは小さな魚を集められません。でも、大きな魚は小さな魚を食べて生きていくので、小さな魚がいなかったら生きてはいられません。さて、スイミーでも小さな魚でもいいので、立ち向かう心をつくっていきましょう。
 平家物語は1000年も前に言っています。「おごれるものは久しからず」・・・欲で固まったものは、すぐに分解していきます。スイミーになるためにも字を言葉にして言葉を文にして文を考え方で表していきましょう。

本とともに過ごしてきて

 宮城県白石市 鈴木富美子さん
 思い起こせば十年前、外で遊ぶより本を読むのが好きな息子にどんな絵本を買ってあげたらいいのか?と悩んでいました。私の子ども時代に好きだった本は「わたしのワンピース」や「ももいろのきりん」「ジェインのもうふ」など女の子が好きそうな本が多く、男の子にはどうかな・・・と。
 そんなとき友人からゆめやさんを紹介していただき、個別に季節、発達、性別に細かく対応して選書する本屋さんがあるなんて感動しました。
 それからは息子とともに「今度はどんな本が届くかな?」とワクワクしながら配本を待ちました。何度も何度もねだられて読んだ「ちいさなたまねぎさん」。「続きが読みたい!」とシリーズ全部読んだ「エルマーのぼうけん」。「チョコレート工場の秘密」も好きで映画もいっしょに見に来ました。
 高学年になると「モモ」や「ぼくらの七日間戦争」など私も子どもの頃に夢中で読んだ本も入ってきて、息子と感想を話し合うこともできました。
 一冊の本を介して子どもと同じ世界を共有できる時間は、かんけがえのない喜びのひとときでした。良い本との出会いを私たち親子に素晴らしい思い出としてもたらしてくれたゆめやさんには本当に感謝しています。
 私は、本といっしょに届く新聞やニュースも毎回楽しみでした。まるで頑固な父親に叱られているような気持で拝読していました。いつまでも、われわれ悩める親を叱咤激励し続けてくださることを願っています。
 【ゆめやから】・・・ほんとうに長い間おつきあいくださいましてありがとうございました。一昨年、山形・高畠の「ひろすけ童話館」に行ったときに「一山越せば白石市」という話をお聞きし、道さえ知っていれば山が越えられたのにと残念に思いました。遠足などでいくところだったんですね。こういう時代ですから、ゆめやもいつまでやれるかわかりませんが出会って交流できたのは運命みたいなものでうれしいものがあります。 

⑦ 心と言葉

 甲府盆地から西を見ると、冬は晴天が多いので南アルプスの山並みがよく見える。雪を被っている三つの山は、北岳,間ノ岳,農鳥岳で3000m級の白根三山。今年の冬は寒くて盆地は凍り付いている。甲府は雪こそ少ないが、零下10度近くまで下がる日があって、日中温度もあまり上がらない。
盆地の冬は厳しい。時代的な変化も厳しい。少子高齢化が急速に進んでいる。転出率が年々大きくなる。町の通りでも子どもをほとんど見かけない。中心街はシャッター通り、そこここに空き家が目立つ。まさに時代も冬だ。

飛梅

 でも、自然というのはよくしたもので、極寒の冬でも2月の声を聞くと梅が咲き始める。この梅を見ると、いつも菅原道真の「東風(こち)吹かば匂い起こせよ梅の花」という歌を思い出す。受験生の皆さんは、きっとどこかの天満宮で合格祈願をしたと思うけれど、道真は学問の神様だ。下の句は「主(あるじ)無しとて春を忘るな」。この歌は、冤罪で大宰府に流されて死んだ道真が歌ったもので、飛梅という話もある。道真の怨霊が都まで飛んで、彼を陥れた藤原時平の周辺の人々を次々に呪い殺していくというものである。学問をバカにそういえば福岡には「飛梅」ってお菓子もあったね。まあ、冤罪で流された知識人の恨みがすごいというわけだが、まっとうな人に酷い仕打ちをするとこういうことも起こるということ。怖いね。
 昔も低能な権力者が知識人を追い払うことをよくしたが、いま、現代の日本でも文系の学部がどんどん減らされている。当然、すぐれた文系の学者が冷や飯を食う状態になるのは時間の問題だ。
 いや減らされていると言うより、すでにもう何十年も前から基本的な知識、歴史上の知識などを全く知らない大学生まで出てきている。最近ばかりでなく、こんな道真の有名な故事も知らない大学生や若者が多いことにも気がついていたことがある。たしかに歴史はむずかしいし、なかなか古典をじっくり読むこともないのだろうけれど、関心を持たないと、反知性主義者にダマされることも多くなると思う。
 実際、いま、一部の勢力の動きで歴史を修正しようという考え方も強くなってきた。「〇〇はなかった」「□□はなかった」というものである。

昔の日本の文字は読みにくいから

 江戸の〇〇展、古代◆◆展などを観に行くと、当然、文も展示されている。和紙、木簡、その他モロモロに。これが、じつはうまく読めない。努力しても読めない。漢文を勉強しても古典を勉強してもなかなか読めない。
 なぜかを考えたら字体にあるような気がした。あまりにも墨書が達筆で読めないのだ。全部、木版活字で明朝体なら読めるかもしれないが、とにかく多くは筆で書いたものだ。字が下手なら下手なりに、字が上手なら上手なりにまったく読めないのである。横に解説はあるが、じつはこれも怪しい。
 疑えば、歴史修正主義者が勝手に解説したら、いいように「解釈」されて、上記のように(〇〇はなかった、□□はなかった)事実と異なったものを読まされることになる。子どもは先生や教科書の言うことを鵜呑みにするから、この影響も大きい。やはり、真実に近づきたければ関連の本を読まねばダメだ。
 たとえば、「古事記」という大昔の本でも、我々はなかなか原文を読まないから、ほんとうは、この国がよそから入ってきた人たちによって奪われ、いまだに居座られていることが書いてあっても、読み取れないのである。とんでもない神々がいて、とんでもないことをしていたこともわからないままだ。だから、平気でその神が祀られている神社に拝みに行ったりする。ま、いっか! 信じる者は救われる、・・・では困る、そんなことはない。
 日本語が他言語に比して多くの外国(中国や朝鮮から始まり欧米)の文物まで取り込めたのは、ひとえに漢字と仮名、とくに仮名の発明が大きいことはわかっている。これはすばらしいことだ。しかし、読めなくては自国の歴史もよくわからなくなるから、ほんとうは読めた方がいい。言葉を知らなければ相手が発する心もわからないからだ。
 アジアで日本が比較的早く近代化を成し遂げたことができたのも、じつは、この外国の文化を取り入れるために「外国語の漢語熟語翻訳」「カタカナによる外来語表記」ができたからだ。これが身分の格差を縮めて近代化を進めた。
 この背後には漢語や和文に精通した江戸時代生まれの学者や文化人がいた。だから良かったのだが、最近、なんとなく危うい。漢字が読めない政治家、わけもわからずに外来語を口走る若者・・・もう一度、幕末の人々の精神に戻ってきちんとした日本語を身に付けるために外国語(英語だけではなくいろいろな言語)を学ばねばならないと思う。ゲーテも言っている。「外国語を知らないものは自国語についてもなにもしらないのだ」と。外国語も日本語も深く学ぶこと。そして、いま一度、日本語をしっかりと学び直す必要があるように思うのは私ばかりではないと思う。  (この連載、ここでおわり)

サブカルを再び考える(4)

 3ケ月も前の新聞(2017年11月号 右の写真)増ページなのですが、もう捨てちゃったでしょうか。「主な特徴的犯罪の時代背景とサブカルチャーとの関係資料」の表を1ページ全体に貼り込んでおきました。
 今年、世界保健機関(WHO)が、なんと国際疾病分類(ICD-11)にビデオゲーム(日本語ではテレビゲーム)などによる「ゲーム障害」を「健康に深刻な害を及ぼしかねず、監督を必要とする病気」として記載します。当然、ゲーム機器メーカー、ソフト販売関係は「因果関係はない!」と反対のノロシをあげています。
 こういう状態で、私がいつも不思議に思うのは、かなり残虐な事件・・・例えば相模原の障害者大量殺人や座間の九人の首アイスボックス事件(犯人は20歳代で若い)などの容疑者の幼少期・少年期の報道がほとんどなされないことです。どんな幼少期を送ったかがわかれば、こういう育て方をしたらヤバイという参考になるのですが、どういうわけか出ません。もちろん、同じものを与えても犯罪まで行かない、依存で引きこもる、とか、普通に生活できる・・・という個人差はあるでしょうが、切れる火種として残る可能性は高いのです。
 今月の新聞本文「勉強しても台無し!」でスマホの例を書きましたが、どう考えても脳に影響が出てくることは素人の私たちでもわかることです。ところが、止められない。表を見てくだされば年代が書いてありますが、すでに子どもたちの親がゲーム世代で危機感が薄れているのです。先日、ある会員のお母さんから「父親が年中ゲームをしていて困る」という話が出たくらいです。年齢を聞くと30歳代後半です。そういう人に言っても「どこが悪い!ただの遊びだ、」になるでしょう。困ったものです。これは行くとこまで行きそうです。

ネット先進社会では・・・

 中国では6億3000万人がネットのユーザーで、うち13%が依存症だといいます。日本ではどうなんでしょう。ネットゲームの影響はとりわけ大きく、食事や睡眠をろくにとらずに家やネットカフェにこもって、ひたすらゲームをする少年たちが日本でも増えているのです。また、それほどひどくない人は、私たちの隣にもきっといることでしょう。
 多くの親は「自分の子に限ってそうはならない」という確信めいたものがあり、周囲(学校での流行、友人間の共通遊戯)がやっているからという理由で、欲しがるものは幼児期からみんな与える家もあります。その中に占めるサブカルチャー関連商品は少なくないのです。依存が分かって家族が止めようとすれば、家庭内暴力が始まり、重症化するのは中国も日本も同じ。学校にも行かず、勉強もせず、人生に目的など持たなくなった人も多いです。最大の問題は、性的な衝動(殺人もそういう部分がある)が抑えられなくなることで、関連する事件はかなり増加しています。最近の報道で、そういうものが多いですよね。

どこの国も同じかも

 中国では麻薬中毒の専門家が軍隊的な生活でのゲーム依存やサブカルチャーによる精神疾患の矯正に当たっていますが、その治療中に浮上するのは、家庭や家族です。一人っ子政策で子どもは親の期待を受け、小さいうちから勉強を強いられています。学校は偏差値重視の過酷なハードスケジュール。経済の発展で急速に核家族化、親が多忙で家にいない状態が起きています。子どもは孤独になる・・・テレビを見たあと、漫画、アニメを見て、やがてネット。見知らぬ他人とバーチャルなやり取りして、やがては依存になっていきます。これは中国の話ですが、なんだか日本も同じ状態じゃありませんかね。日本には、そんな治療をする施設はいくつもありませんよ。
 その一番、過激な精神状態になった人が、表にあるような残虐な事件を起こしていくわけです。さあ、どうするか。
少なくとも、いまから30年前はそんな事件の被害者になる心配もなかったことを考えてみることです。

子どもの発達と絵本⑦ 4歳〜話は深く長くなる

 4歳の配本は、3歳のときに比べてはるかに長く、内容も深まってきます。ここまで来れば読み聞かせも定着していて、親がおどろくほど長い話が聞けるようになっています。近くにいるキャラクター絵本や戦隊もの絵本ばかり見ているお子さんはどうでしょうか。おそらく、この長さ・深さがまったく楽しめません。でも、配本で順を追ってきた子にとっては何でもないと思います。前回述べたように、ふつうに読んであげれば、じゅうぶん物語の展開が楽しめるものになっています。
 また内容も社会性を考慮した深いもの(テーマが高度なもの)に変わってきます。女子に入る「うさぎくんとはるちゃん」はぬいぐるみと交わる女の子の話ですが、これも仲間との交流を表現した楽しいお話です。男子では逆にルールを無視したい男の子の活力を表現した「かいじゅうたちのいるところ」などが入ります。「スイミー」も「からすのぱんやさん」も周囲と自分の関係です。

反抗期でもあり社会性がつく時期

 4歳になると子どもの多くは家庭とは違う何かに属しているという意識が芽生えてきます。このため、精神的にプレッシャーを受けて不安定になる子もいれば、すんなりと組織に入り込める子も出てきて、さまざまです。いずれにしても自我が調整できるかできないかです。たいていはさまざまな経緯を経て社会性をつけていきます。
 この時期は、いわゆる第一反抗期で、自我がどのくらい突出するかしないか・・・こういう時期には周囲との関係を描く物語を多く入れてあります。ですから、あまりこうしなければいけない、ああしなければいけない!という規則ごとではなく、自然に「社会性とはこういうものだ」と示すことが大切です。そのためには物語を活用するのもひとつの手ですね。主人公に共感しながら、世の中との関係がわかっていくこと・・・こういうことが、繰り返して読めば、自然に身についてくるものです。たとえば、ここに挙げた「からすのぱんやさん」は、売れなくなっているパン屋という家業を子どもたちが盛り返す話でもあります。世の中の基本のようなものが描かれています。アイディアを出すということ、お客さんを大事にすると言うこと・・・不変の視点がいくつもありますので、子どもに読み聞かすのには最適な本でしょう。

自我が出てくる・葛藤もある

 最近、反抗期がない子どもが多いと聞きます。4歳くらいの反抗は、反抗といってもかわいいもので、ほとんどが口で、です。暴れまわることなどほとんどないです。自我の突出とルールとのかねあい・・・じょじょに慣れていくのですが、中にはルールを意識できないで反抗期を過ぎてしまう子がいます。ルールは教えましょう。
 多くは、親が先回りして、やってやったり、代弁したりしますが、・・・これでは社会性は出ません。後は放任ですが、これも問題多し。自我出しっぱなし。これを注意できる人が少なくなっているので、傍若無人なことをやり、やはりルールが意識できない子が育ちます。そうなると大変・・・学級崩壊の原因はみんなこれです。4歳は重要な時期なんですね。うまく反抗と付き合い、社会性を身につける・・・。やはり、自我と社会性の葛藤はあったほうがいいのです。あることで、自分が世の中のどの位置にいるかも分かってきます。相手を考える力も生まれてきますからね。 この時期の読み聞かせは、以上のこと考慮して組んであります。4歳過ぎれば、深く長い話でも子どもの心に響くはずです。(増ページ2月号一部閲覧)



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