ブッククラブニュース
平成28年12月号(発達年齢ブッククラブ)

今年もお世話になりました。

 残りの日もわずか。今年も、ブッククラブをご利用いただきましてまことにありがとうございました。
 さて、この一年、県外の会員のお客様からのお便りで一番多いのは、「なんと一日が早く終わってしまうのだろう!」というものでした。もちろん、来店のお客様からも同じような言葉が出ます。年末になるとそれが「一日」から「一年」に変わります。「あっと言う間に一年が経ってしまった!」・・・子どもの中を流れる時間は、ひじょうにゆっくりとしたものだと言われていますが、その子どもの口からも「忙しくてなかなか遊べない!」という言葉が洩れます。
 言葉だけでなく、動きから忙しさがにじみ出ている方も多いです。ゆめやは、通常、配本を受け取りに来るお客様にはお茶を出して、短い時間でも会話を交わすように心がけていますが、「急いでいますから・・・・」とすぐに帰られる方も多くなってきました。実際、ここ数年、配本を毎月受け取りに来ることができず、溜めてしまう方も増えています。秋になって夏がテーマの配本を渡すというのも季節対応を心がけている私どもとしては何とも辛いものがあります・・・・紅葉がいつでも見られないように、配本にも旬があるのですが・・・。
 忙しい!・・・なるほど、そりゃあ、そうでしょう。一週間の間に塾から始まり、各種お稽古事で放課後が詰まってくれば息つく暇もないでしょう。余裕なく過ぎていく毎日のなかで追い立てられるような生活・・・・これでは、子どもたちが大人になったときが思いやられます。が、これも時代の流れでしかたのないことなのでしょうか。

ファーザークリスマス

 ファーザークリスマスは、英語でサンタクロースのことらしい。「さむがりやのサンタ」も原題は「Father Christmas」である。サンタクロース・・・こんなにも子どもたちに好かれている「架空の人物」もそういないだろうね。クリスマスは日本では庶民の間では戦後定着した行事だと思うが、イエスの生誕を祝うとか救世主の出現を待ち望むとか・・・そんなことは、置いておいて.日本では サンタクロースの存在だけが大きく成長した。だいたい、日本人は本質は受け入れないで、外側の都合の良い部分だけを受け入れる。キリスト教の原罪とか教義などはまったく考えないで楽しいクリスマスだけを取り込む。その究極がサンタクロースというわけだ。同じことはハロウインでもそうで、意味など考えずに仮装のおもしろさだけ。
 でも、まあ、子どもはサンタクロースが好きだ。それはそれでいいと思う。
 でもね。タイトルに掲げたファーザークリスマスは私なりの意味を込めたもので、サンタクロースそのものの意味とはまったくちがうもの。そのまんま「お父さんのクリスマス」という意味である。

キャバレークリスマス

 今からおよそ30年近く前のフレンドシップニュースに「キャバレークリスマス」というタイトルで文を書いた。この時期はバブル直前の景気の良い時代で、世のお父さんたちは、クラブやキャバレーで飲み会をしながらクリスマスの夜を祝っていた。お母さんたちは子どもとさみしいクリスマスで、事前に買ったプレゼントを朝まで子どもの目から隠しながら、それでも鶏の足やケーキで聖夜を祝うというもの。ある一時期のクリスマスの過ごし方・・・定番でもあった。
 その不満というか淋しさというか・・・そういう話を多くのお母さんから毎年聞いていたので、ニュースに「たとえ24日でなくてもいいから、父親は少しは早く帰ってきて家族とともにクリスマスを祝おう!」と言ったわけだ。それでもバブルが崩壊するまで、このキャバレークリスマスはなくならなかった。いま、50歳くらいの人は「良い時があった」という「懐かしい思い出」をかみしめているかもしれない。

世の中が変わって・・・

 それから二十数年、世の中は変わり、キャバレーやクラブは激減し、父親たちも家庭を大切にする人が多くなった。今ではクリスマスを家族と祝えない父親は、よほど重要な仕事がある人くらいだろう。子どもにとってもとてもいい時代になったと思う。その反面、格差でかつて以上に悲惨な家庭も増えているが、表面的には父親は家庭を大切にするようになってきた。
 子どもは環境によって大きく変わる存在だ。言語においても生活習慣においても環境が大きく左右する、父親の存在もそうで、毎日ガミガミブツブツ言う母親と違い限度を越えたときガツンと叱る。これは、ひじょうに効果があるが、いくらガツンと理屈でしかっても、日頃接していなければまったく効果が変わってくる。思春期になれば、子どもは「ろくに家にいなかったくせに何を偉そうに叱るんだ!」と反抗する。その意味でも絵本の読み聞かせくらい週に一、二度は父親がしておいたほうがいいと思う。

明治から続くパターン

 明治以降、父親は外で活躍し、母親は家を守るという歴史が続いた。今や父も母も外で活躍し、子どもは社会が育てるという歴史が始まっている。しかし、その歴史は競争とあわただしい生活しかもたらさなかった。
 アメリカの日本総領事だったタウンゼントハリスは『日本滞在記』のなかで「江戸の庶民の子どもたちは朝夕、父親に遊んでもたい、おだやかな生活を営んでいる。このような国を国際的な競争の中に追い込んでいいものなのだろうか。」と述べている。
 また、イギリスの女性旅行家イザベラバードは明治初期に日本の東北地方を旅行し『日本奥地紀行』を書いたが、そこではおだやかな生活を営む農民たちの様子を描いている。明治初年と言っても、東北地方はまだまだ江戸時代だった。
 しかし、男が世の中に出て働くのは高度経済成長期に常識となり、で働くことしか能のなかった父親を見て育った息子はやはり家庭のことなど度外視して、仕事や趣味に走る。豊かさが、息子たちの世代ではあるので、それを背景に責任感や家族や家庭をつくろうとする意識も変容してきている。いまやその息子が父親になっているわけだが、果たして、自分の子どもと濃密につき合うことができているだろうか。さてさて、今年の聖夜。あなたの家のお父さんはファザークリスマスを演じてくれるだろうか。それとも、外に飲みに行っているだろうか。子どものプレゼントなどそっちのけで、自分のしたいことをしているのだろうか。
 (※注/この文で「ではシングルマザー、シングルファーザーの場合はどうするんだ! ゆめやの言い分はそういう家庭・家族への配慮のないものではないか!という反論が出てくることが予想されます。さしかにそういう家庭もあるでしょうが、ここは標準的な家庭について述べました。個人的な意見ということでご容赦願います。)

絵本とともに過ごしてきて

 埼玉県行田市 鈴木さん 長女・大学生 次女・長男・高校生
 三人目の男の子が配本を卒業して、早や四年半、一度ごあいさつに行こうと思いながら、日本の「チョー忙しい」中・高校生生活にとりまぎれて、まだ実現していません。息子は残念ながら本好きとは言えない高校生になってしまいましたが、何かしら一家言持っている様子です。
 この夏休みは、突然読んでいなかった6年生配本を夢中で読んでいました。上2人の娘と比較すると男の娘と比較すると男の子は発達が遅くITにも興味が強いので、あと1〜2年長く読んでやればよかったと思います。私自身だんだん厚く長くなる配本についていけず、子どもたちが中学生になってから初めて何冊もの配本を読んで、なるほどこの本を読んできたからウチの子は人間性において、親をかるがる超えていったのだと実感しました。彼らの心の中には「ゆめや」という太い柱が建っているのです。

遅くなった宿題の提出

 埼玉県行田市 鈴木さん
 ゆめやさんからは直近の新聞、ニュースを送って頂き、ご連絡しようと思っているうち季節がどんどん変わっていってしまいました。まず、今年初頭の地震の予言が当たっていたことに驚きました。次は・・・?と思いますが、地球からみれば、一部がけいれんしただけのこと、ヒトの小ささを思い知らされます。
 埼玉県は、10軒に一軒が空き家なのに、我が家の裏の休耕田に、11軒もの建売が立つことになって、富士山が見えるのもこの冬まで、いつも美しい甲府盆地に思いを馳せていたのですが・・・
 「どこまで人間は浅薄なんだ!」と子どもたち・・・と言っても21才、17才、16才が落ち込んでいます。
 受験生の次女は今、隣で英小論文を書いていますが、ちょっと行き詰っているようなので、気分転換にニュースにあった「ヘンゼルとグレーテル裁判」を読ませました。
 長女は様々な実習に疲れていますが電車内の読書が息抜き。「デカメロン」を読んで「これが名作なの?不倫、浮気、恋愛の刃傷沙汰ばかりで?!」 私は私で宮尾版「平家・・・」を読み終わりましたが、ちょっと物足りないです。ベベベンベン!な雰囲気の別版を読もうと思っています。
 私にとって夢新聞にあった南方熊楠は、民俗学の師であるのですが、その系統の学科を出たのに一冊も読んでいない・・・だから、偉そうに言えないのですが、ウチの子たちは配本以外、宮沢賢治も芥川も読んでいないし、遠藤周作や北杜夫を知らないことに驚きました。あんなに試験に追われているのに、学校で何を学んでいるのだろう?!と。
 日本の首相も、アメリカの時期大統領もあまり本を読んでいる顔ではないですね。ゆめやさんがお疲れになるのも無理はないと思います。鳴門の渦潮には抗えない、一歩離れると面白い見物なのでしょうが。でも、その中でも芯を一本持っていればなんとか居場所を作れるかな、とウチの子を見ていて思います。
 今回ニュースと新聞を送ってくださったのは、「本とともに過ごしてきて」の原稿の催促かなと勘繰りました。何年来、催促されてるかな?と思っていたのですが。諦めて、上のような文を書きました。
 今の季節の私の気分は「やれやれ、またクリスマスか!」年末年始の忙しさ。除雪車ケイテイの粘り強さで生きていかねば。「せわしない」という言い分が近いのですがサンタさんに同情をします。我が家にサンタは来なくなりましたが、私にはサンタのくれた鈴の音がまだ聞こえます。

ゆめやから

 そのうちWebでも上げますが、実は、この鈴木さん一家は、NHKが作ったゆめやの紹介番組「小さな絵本屋と4つの家族」(30分もの)の冒頭に出演してくださいました。この番組は、柿本健一ディレクターの制作、ナレーションは鹿島綾乃アナウンサーでした。埼玉県、東京都、甲府市、甲斐市に住むブッククラブ会員の4家族を取材して、その読み聞かせや読書の様子を描いたもので、NHK甲府、BS2、NHKワールドなどで、全国、全世界に何度も放映されました。
 2008年5/19にNHK甲府、同6/4にBS hi(BSハイビジョン)、6/18にBS2、8/3にNHK WORLDで放送されています。YoutubeではNHKの著作権があって流せないので残念ですが、一応あらすじをテレビ画面撮影の写真と文で追います。来春にはHPに上げます。ご期待ください。
(ニュース十二月号一部閲覧)

世界で一番高い塔

 最近、いろいろな人と話をしていて言葉がつながらないことにびっくりすることがある。
 先日、甲府で11月の降雪としては、54年ぶりだった日、20歳代の女性と2年前の山梨の大雪の話になった。「あのときは一晩で1m50cmの雪が降って、我が家の雨樋(アマドイ)が全部壊れた。」と言うと、その女性は『「アマドイ」って何ですか?』・・・
 皮膚科を受診したら、たまたま若い先生が娘の同級生で、「いやいやウチの娘たちはできが悪くて、先生からは存在も見えなかったでしょうねぇ・・・。」と言うと「ああ、名前は覚えていますよ。」と言う。そこで「先生もウチの娘たちと同じ年子の兄弟でしたよね。」と私が言うと、先生は後ろにいる看護師さんに「年子ってなに?」と聞く。年配の看護師さんはブスっと「1歳違いの兄弟です。」と答えた。
 こういうふうに伝わるはずの言葉が伝わらないと愕然(がくぜん)とすることが多い。
 これが古典と歴史の言葉になると、もはや意味もわからず???になるはずだ。
 「ワセリンって体に塗るけれど舌に塗ってなめてもいいんだって。」
 「そんな化け猫のようなことができるもんか!」…これを聞いて佐賀・鍋島藩の「化け猫騒動」が連想できる人は「一般教養」がある。歌舞伎の演目にもなっているくらい有名で、夜中に化け猫が油をなめる話だ。昭和三十年代までの日本人の7割には分かる会話である。

言葉がつながらない

 ところが、今ではまったく通じない。
 こういうことを言うと「ゆめやは新しい言語は知らないだろう。パブリック・インボルブメント、コンプライアンス、コストパフォーマンス・・・意味、分かります?」と来るかも知れない。もちろん、英語はわからない。「では、わからないので説明をお願いします!」と言うと、まず多くの人が意味をつかんでいないので説明もできないのが事実のようだ。つまり、雰囲気で何となくわかるという状態で、これがテレビや行政文書などから流される情報言語となっているので,曖昧にしか意味がつかめないのだろう。これは、本を読まないという風潮から生じているとも思えるが、日本社会ではなんとなくわかればそれでよし・・・という傾向があるのも問題になっているひとつの要素だ。
 学校教育も上っ面の知識で(あまり思考とは関係ない)詰め込み、本当のことは知らなくてよろしいという姿勢で、実際、「真実」は隠ぺいするところがあるから、教育を受ければ受けるほど物事が曖昧にしかつかめなくなるようだ。さらにサブカルチャーやITの世界は共通の話題などは乏しいオタク的な正解なので、これに影響されると歴史的共通言語などは無視されるようになる。「君の名は」は一過性のアニメ知識で流行するが、佐田啓二、岸恵子のすれ違いメロドラマなど記憶の片隅にもないというのが現実である。

高層建築→傲慢→崩壊

 さて、言葉が伝わらないという現象はなぜ起こるのか。実はこのことが旧約聖書にしっかりと書いてある。中東の王様が、天まで届く塔をつくる話だ。有名なバベルの塔である。この塔は実際にバビロンの宮殿につくられたらしいが、神話と考えている人もいる。しかし、多くの神話は事実を反映したものなので、バベルの塔も実際に存在したと思われる。
 ところで、この王がつくったバベルの塔が、ほぼ、天に届きそうなったとき、王は弓矢をたずさえて、てっぺんまで登り、天に向けて矢を放った。怒った神は、この塔を崩し、塔が崩れた後、人々の言語がお互いに通じなくなるようにした。このため、人々の間で争いが起こったり、家族が散り散りバラバラになり、国が滅んだという。
 今、豊かな国々では、こぞって高層ビルを建て、バビロンのあった中東のサウジアラビアでは、1007m(167階)のビル・その名もキングダムタワーがつくられている。そして、多くの国々が高い塔をつくることにも血道をあげている。

歴史は繰り返すというが・・・

 最近の高層建築物競走、高い塔をつくる各国は、そういうもので国威発揚(これも、もうつながらない言葉かな?)を競っている。
 また近頃はいろんな国で、おかしな「指導者」が出てきて、つじつまの合わないわけのわからないことを言いながら威張っている。あるいは、独りよがりの矛盾だらけの意見を強弁し、暴力主義的に現状を変えようとする傾向が出てきている。
 そのうち、バビロンのような傲慢な王様が出てきて、天にミサイルを撃たねばいいなぁーと思う。かつてあったことはまた起こる。人間が歴史に学ばないから、こういう現象が起こるが、そんな「指導者」をかつぎだすのはわれわれでもある。つまらぬ目先の欲につられ、うまい話に騙されて、今さえよければなんでもいいという刹那的な考えに支配されているようにも思える。これもしっかり本を読んで思考してこなかった結果ともいえるだろう。まあ、昔から「民衆」などというものはそういうもので、現代でも「成績が良い」と「頭が良い」と思われているが、じつはそんなことはなく、「成績が良い」者たちが「おかしな指導者」を平気で担いでいる。

昔と今の年末のある日のこと・・・・

 さて、話は変わって、クリスマスが近づくと思い出すことがある。もう二十数年も前のことだが、当時は店も忙しくなく、(今もそうですが・・・)私自身が店番で、ストーヴに当たりながら本を読んでいた。今でこそ、新刊しか目を通さないが、当時は暇も手伝って一日に十数冊の絵本を読み、数冊の児童書を読んでいた。もちろん寝るときは大人の本を読む。これは今でも欠かしませんが、老眼になるとさすがに読書量は減る。
 それはさておき、時間的余裕があるということは、無意味ではなく、蓄積したものが後になって効果を発揮することが多い。でも人はなかなかそれを考えない。まわりと同じにいけばいいと考えるので、時間的余裕を無駄と考える。
 そして、世の中、何もかもがお金の追求になって、人は忙しさの中に身を置いていくというわけだ。この調子で行くと、大人も子どももあわただしい人生を送るだけになってしまう可能性が大きいのだが、考えないのだからしかたがない。
 GDPを上げるお手伝いをするのもいいけれど、それでは貧富の差が開くばかり。富=幸福ならいいけれど、幸福を伴わない富裕は「マッチうりの少女」が覗いた窓ガラスの向こうの世界のようなもの。だから「一日が早く終わってしまう!」「あっと言う間に一年が経ってしまった!」というお客様の言葉にハガキや口頭で、こう返事をする。
 「もう一度、ミハエルエンデの「モモ」を読んで、時間泥棒との戦い方を工夫したいと思う今日この頃です。」世の中金ばかりじゃないわけで、私の考え付かない戦い方をあの少女はもう見つけたのかもしれない。
 今回、体調を崩して一ヵ月半以上、肺炎で入院していて、テレビもねぇ、新聞もねぇ、カラオケもねぇ、紙芝居すら来ねえ病院で、いろいろ考えた。やはり、もっとゆっくりした生き方に変えねばならない・・・と。
 つまり、自分では良かれと思って身を粉にしても、相手がそんなのあたりまえと思っていたら意味ないわけで、向こうは富裕な「マッチ売りの少女がのぞいている富裕な家の窓の中の人たち」・・・こちらは儲からないマッチを売る足が凍えている少女。これはじつにバカバカしい。そんな家に内容の深い本を届けたところで、そのテーマをくみ取るような人はほとんどいない・・・かれらは、暗闇を照らすマッチ一本の光などより、原発で作った灯りのほうが手軽でいいわけですから、この考えを変えることはにだろう。考えが変わらない人間をからかうよりは考えが同じ人間と手を組んだほうがいいということでもある。

動かざること山のごとし

 そんなことを考えながら、「まさかの福沢諭吉」という漫画を上下二巻読み終えて、病院の窓の向こうを見ると、甲府盆地の南には富士山がそびえている。甲府からは山並みの向こうに頭だけしか見えないが、どっしり、何事もないかのように微動だにしない。
 毎日、この風景を見ていても人というものは、何も考えず、ドドーと世の中に流される。そういうふうに福沢諭吉の洗脳を受けた現代日本人の頭・・・でも、私は、そんな刷り込みからは昔から離れていました(立身出世とは無縁、富国強兵は反対、殖産興業は人から自由を奪う)ので、さらに富士山のように泰然と動かず、ゆったりと行きたいと思った。まあ、人それぞれ、栄達を望む人は成績を良くしてがんばってください。多くの本には、そういう生き方は不幸だと書いてありますが・・・(新聞十二月号一部閲覧)



(2016年12月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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