ブッククラブニュース
平成28年9月号(発達年齢ブッククラブ)

読み聞かせは何のために?

 いろいろな考え方があるとは思うが、私は、読み聞かせは「読書するため」だと思っている。「あたりまえじゃないか!」と言う人もいるだろうけれど、こういう時代ではあたりまえではない。重ねて言うが「本を読むため」が目的である。
 もちろん、「幼い子どもが楽しむため」とか「親と子の交流のため」とか読み聞かせの効果はいろいろある。そういうことについては何度も述べてきた。しかし、最終的な目的ではない。目的は自分でまともな本が読めるようにならなくては意味がないのだ。
 日本は識字率が高い国だから、字は誰もが読めるのだが、じつは本が読めない。「こんなにたくさんの本が出ているのに本が読めないなんて!」と思う人もいるだろうが、ちゃんとした本が読まれてはいないのが現実である。この理由もいろいろ述べてきた。これからも言い続けるが、思うにどうやら日本人がきちんと本を読まない傾向にあるのは個人の問題ではなく、学校あるいはその上にある組織の思惑がうまく働いているからだと思われる。
 よく考えて、思い出してみよう。小学校では「本を読め!」「読書は大切だ!」と叫ばれていて、本を読み聞かされたり、自分で読む時間が設けられたりしたものだ。母親が読み聞かせボランティアをさせられたり、先生が学級文庫で本を読ませようとする。しかし、成長して中学に入るともう学校は「本を読め!」とは言わなくなる。急に部活や勉強が増え、本など読む暇はない。親も明治以来の立身出世主義が刷り込まれているので、「本なんか読んでいないで勉強をしなさい!」となる。「学歴をつけて世の中に出ないと良い生活できない、良い人生が送れない。」が日本人の教育観のなかにドッシリと座っている。小学校の読書推進は「識字率を高めたいだけのこと」ではないだろうか。

一度読んでわかる本は底が浅い

 すぐれた本は子どものころ読んで、またふたたび読むと読み取れなかった内容がだんだんわかるようになる。「そういうことだったのか!」と思うようになる。頭が大人になるからだろう。
 「海底二万里」を読んだとき私は、その深い意味がわからなかった。「トムソーヤの冒険」も「三銃士」も「杜子春」も、ただひたすらおもしろかっただけで、作者が言いたいことがわからなかった。それがいま読み返すと「そうだったのか」とわかる。
 「海底二万里」では、人間というものがどれほど始末が悪いものであるか知ったからこそネモ艦長は海の中に隠遁したのだろうし、そういうことがわからない人々が「神秘の島」でもおなじように楽天的な活動をしている。「トムソーヤの冒険」はよく読めば、まじめに仕事をすることが大切なことだとわかるし、「三銃士」、友情が結べれば結束して立ち向かうことができることを教えてくれる。お金を集め、使っても心の安定が得られないことを杜子春は教えてくれる。こういうものを読めば、真実を隠蔽してでも権力を握りたい人間を見抜けるし、仕事がただ給料をもらうためにこなすものではないこともわかる。「杜子春」を読めば、お金では友達ができないこともわかる。あとで意味が分かってくるというのは、それだけ体験や経験を積み視野が広がるからだろう。

加古里子さんの以前の本

 これは、絵本でも起きる。「からすのぱんやさん」を描いた加古里子さんが、民主主義について子どもたちに伝えるために30年前に書いた絵本がある。「数が多い方が勝ちではなく、いい考えをみんなで大切にするのが民主主義」。タイトルが「こどものとうひょう おとなのせんきょ」という本だった。当時は、店頭に置いてもまったく売れなかったが、先ごろ、オランダに住む女性の息子が日本人学校から借りてきたものをブログで紹介すると、多くの反響があって、復刊となった、という。
 児童館の前の広場の使い方をめぐって子どもたちの意見が割れ、投票を通じて解決をめざす物語だ。多数決で決めただけではケンカが起き、子どもたちは話し合いで、譲り合う方法を考える。そのなかで、こんな言葉が語られる(原文は絵本なのでオールひらがな)。
 「民主主義は、良いことをみんなで決めるんだよな。数が多いほうが正しいのではなく、たとえ、一人でも良い考えなら、みんなで大事にするのが、民主主義だろ」・・・子どもの遊び場が狭くなっているのに、大人の「遊び場」がどんどん増えていくことに子どもたちが疑問を持つ。「大人だけの選挙で数が多くなったものが、勝手なことをしているためだ(原文のまま)」現在、この絵本の内容を考えると、何と30年後の日本の「今そのまんま」である。
  絵本に込めた思いを、かこさとしさんは、こう述べている。
 「制度には、プラスとマイナスがある。民主主義は、単に数が多い方が勝ちだというだけではなく、一人一人が社会をどんな風にしたいかを日頃から考え、票にこめて投票することが大切だ。考えが深い1票も、浅い1票も同じように扱われる恐ろしさをかみしめて、それなりに努力しないと、制度の欠陥だけが出てくることになります。この本は、そういうことを子どもにわかってもらいたいと思って書きました。」
 私は30年前に読んだがピンとこない内容だった。すぐれた本は再び読んだときに、「理解」を届けてくれるものである。むずかしいテーマは、子どもにはわからないかもしれないが、いつか自分で読んでいけばいずれわかる。試験問題に答えられても、それは答えが用意されているものだから答えを暗記すれば答えられる。やはり、頭を良くするにはすぐれた本をたくさん読んで考える必要があると思う。そして、それは読み聞かせから始まるというわけである。(ニュース9月号一部閲覧)

なんにもしないいちにち

 日曜も平日もなく塾や習い事。今どきの親は、子どもが遊んでいると「人生に乗り遅れるのではないか」という焦りも感じているようだ。今年の夏は、そんな話題が、ゆめやの店頭でたくさん聞こえた。学校の授業がない夏休みでも水泳にサマーキャンプ、さらに塾の夏期講習などが加わり、子どもは息を継ぐヒマもないようである。
 「この忙しさは、だれかがどこで仕掛けているのだろう?」とは思うのだが、訳知り顔のママが「子どもを遊ばせるとみんなに遅れを取るわよ!」と周りの親を焚き付け、焦らせる言葉を発する。それを聞けば、親の多くは落ち着いていられない。みんな同じことをする教育環境で育ってきた世代である。焦る・・・、そしてネットから情報が山ほど流れるので、それを見てテキトーなものを探す。ひとつややると、やみくもにいろいろなことをさせたくなる。
 「せっかく無料や格安の催し物に申し込んでいるのに、遅刻するからとタクシー移動なんて、意味がないですよぉ。」とケチった分をそれ以上支払わされる、お笑いの結果の話もあったが、とにかく安かろうが効果があろうがなかろうが子どもをノンビリさせていられなくなる。

忙しくさせる手に乗らないように

 それにしても、見ていて親子ともども忙しそうだ。聞けば、午前中はチラシにあった伝統工芸のワークショップ、午後には科学の実験教室、そのあとは毎週のお稽古事・・・・。「お稽古事は週3回。夏休み中の拘束時間は長い日で午前10時から午後3時までのものもある」という。行政も「やってますよ!」のアピールでむやみにイベントをつくる。
 都会に住む知り合いのお母さんは、夏休み前に、学校で配られたイベント・スケジュールの参加可能なものすべてに申し込んだ、と言う。参加費は安いので、「自由研究にも使えるかもしれない・・・」と、子どもの意思とは無関係な計画を立てたらしい。几帳面な性格のようで、「朝のラジオ体操から、午前、午後、夜に分けて、子どものイベント参加スケジュールを管理していた」とメールで伝えてきた。
「夏休みはいろんな体験ができる良い機会。子ども向けのコンサートや演劇なども申し込んだ。実家に帰省できるのはお盆だけなので、サマーキャンプと野球の練習や合宿のスキマに途切れなくイベント参加を加えた。」・・・ひゃあ、すごい! 私のような怠惰な人間にはとても真似できないマジメな夏休みの過ごし方だ。私が子どものころは、セミの声を聞きながら部屋で一日ゴロゴロして本を読んだり、日暮れまで友だちと釣りをしたり、虫を捕ったりだったし・・・。我が家の子どもの夏の楽しみも三日間くらいの海水浴だけ。あとはノンビリした日常だった。都会の子どもたちにとって(いやいや地方の子どもたちも)、そんな我が家の夏の日のような一日は、もう遠い昔の情景なのだろうか? 学校の課題もたくさん出ているところもあるから、私から見れば、「学校がない夏休みのほうが、子どもは断然忙しい」ようである。

どういう大人になるのだろう

 「習い事でも空き時間が出るから、学校の宿題も持たせている。まだ、ウチの子はいいほうですよ。イベントの途中の空き時間にファミレスで子どもの塾の宿題をみているお母さんもいます。」ホントかよ!! 「何にもしない一日はないのか! 」
 これでは、子どもは息抜きに本を読む気力もなくなるだろう。とにかく、近辺の公園や広場で声を上げて遊んでいる子どもたちを見かけない。夜になるとポケモンGOをしながら歩くゾンビのような若者は見かけるが・・・。
 人生は短い・・・だからこそ「なんにもしないいちにち」が必要になってくるのだが、誰も彼も鼻先にエサをぶら下げられて、総活躍させられている。
 思うに最近は誰でも大学に入れるし、大学の内容もじつに薄っぺらな勉強で通り抜けられるらしい。すべてがそうではないと思うが、自分の考えひとつない大学生を見ていると、「ああ、私も若者を悪く言う老人世代になってしまった!」と反省する。忙しい幼年時代・遊ぶヒマのない少年時代の結果が、大人になって世の中で活躍するときに、うまく出ることを祈るよりない。時間は無駄に費やすものではなく有効に使うべきだが有効ばかり考えると一本取られることも。(新聞九月号一部閲覧)

ブームを作って売る時代

 前述のように、かこさとしさんの「こどものとうひょう おとなのせんきょ」という本が復刊されるということは、政治は「混乱」の時代に入ったようです。「民主主義」というのは語感からすると良い印象を受けますが、「多数決」とか「最大多数の最大幸福」などということが平然と行われると強引に多数を仕組むことも行われます。強行採決などが良い例ですね。明治以来、日本の法律は憲法を初めとして府庁省令まで6929件(存在するものの合計)でした。・・・このうち法律は1777。国民が知らないうちに法律は作られていくわけですが、この数の中で突出しているのが小泉元首相が任期中に成立させた法律。なんと861件・・・憲法改正法や教育基本法、後期高齢者医療法などの重要法案がたくさんあって強行採決も多かったのです。小渕内閣が出したガイドライン3法もこの時期成立していました。これはじょじょに日本が戦争ができる国になっていく下地を作った法律で、当時のゆめやのこの新聞で「ガイドライン三法の成立」を記憶しておくようにと述べたことがあります。なにせあのとき防衛庁が防衛省になったのです。この夢新聞紙上で「コネズミ首相」「コネズミ改革」という言葉を使いましたから記憶がある会員も多いと思いますが・・・もう十数年前、忘れてしまったでしょうね。しかし、現在の安倍政権をどうのこうの言っていても実は下地は20年近く前に、もうできていたわけで、国民はうまくうまくダマされてきたわけです。
 では、なぜ小泉政権で861件も法律が通ったかというと、ご承知のように小泉首相は「劇場型政治」をして、小泉ブームを巻き起こしました。メディアはこれに乗ってブームを煽りました。ブームの側に入らないと「変わった人」と見られてしまう感じが出てきて、多くが「小泉」「小泉」でした。何が子どもと関係があるかと言われると困るのですが、私のように未来が少しの人間と違い、子どもには長い未来があります。だから親たちは乗せられてはいけないのですが、目先にマイホームとか新車買い替えとか「経済成長」とか言われると未来のことより今を考えて支持してしまうのです。もっと子供の未来のことを考えないといけないのですが、人間は「飲めや歌えや」が好きなのですからしかたありません。

ノーベル賞もオリンピックもブームをつくるが

 ブーム・・・ノーベル賞でも同じようなことが起きています。多くの受賞者が「偉大な学者・発明家」に祭り上げられますから国民が沸き立ちます、「日本人で、そんな見知らぬ学者や発明家を知っていたの?」と思うのですが、メディアが偉人のように取り扱いますので、みんなその気になります。そして大騒ぎをして、翌年にはもう忘れている。
 私が、なぜこんなことを子どもの本屋なのに言うのかといいますと、「こういうブーム型の環境で子育てをすれば子どもが、あらゆるものを一過性のものとみてしまい、きちんとした視野が持てなくなるから」と思っているからです。
 ブームとは「今までなんとも思っていなかったものを好きにさせられる状態」だと思うのです。本質や中身などどうでもよい。今回のノーベル文学賞は、なんと予想に反してボブディランでしたが、これでディランで一儲けしようというブームはまた起こります。以前、村上春樹の「1Q84」が一週間で100万部売れたという眉唾物の宣伝について述べましたが、「ハリーポッター」の売り方や他の分野の商品の売り方と同じで、ブームの仕掛け人がいるように思います。乗せられてはいけないのですが、みんながの乗るのがいいことのようになってしまっています。未来が危ないのですが・・・・。

「ええっー!!」ということが・・・

 サッカーやオリンピックなどでもブームを煽って、その背後で商品を売ろうというヤカラがいます。予約販売にする、読まれていないのに発売一週間で百万部売る、・・・話題を仕組んで短期間で大量に物を売りたい人がいるのでしょうね。こういうやり方はスポーツを始めとして食品やファッションまで広がっています。ダイエット効果、美肌効果でブームをつくり、関連商品を売る。「多くの人が認めるものは良いもの」「最大多数の最大幸福」・・・これは怖い話です。一番、困ったことは、そういうブームの仕掛けに気づかずに慣らされて行って、いつかとんでもない状態に陥っていることもありえますよね。もっとも、小学生のころ、私も昆虫ブームに巻き込まれて採集少年になった前科を持ちますが・・・。
 さて、政治でブームを起こすばあい、仕掛け人は何を売るのでしょう。テロや海賊、ミサイルや爆弾で危機を煽り、対策中に死者でも出れば熱くなって戦争ブームが広がる・・・七十年前もそうでしたが、あのブームは「国を売る」ことが最終結果でしたね。今回も同じようなことになると思うのは私だけでしょうか。以前も同じことをいいましたが・・・さらに現実に近くなっています。そのうち、国民が口をあんぐり開けて「ええっー!!」と思うようなことがおきるでしょう。(新聞九月号一部閲覧)



(2016年9月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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