ブッククラブニュース
平成24年8月号(発達年齢ブッククラブ)

残暑お見舞い申し上げます

 いやはや全国的に暑い夏になり、お見舞い申し上げます。しかし、ゆめやのある甲府も暑いことに変わりがなく、涼しい北海道や東北のお客様から「暑中見舞い」のお便りをいただくとありがたいのですが、うらやましくもなります。梅雨明け以来、35度オーバーがお盆まで続いています(アレ!ということは、このニュース、お盆に入ってから書いているのでしょうか?)。とても集中して仕事ができない暑さ。さらに熱帯夜の寝苦しさ。遮光カーテン、緑のカーテンなど知恵を絞ってはいますが、やはり暑い。2004年には、40.4度というものすごい暑さを記録しました。写真はそのときの甲府上空の太陽です。2004年7月21日午後2時の太陽。ギラギラしていました。外に出られない暑さ・・・公式記録は甲府気象台の庭の芝生の上の百葉箱の中の気温ですから、街路の気温は50度くらいになっていたのではないでしょうか。昔はこれほどではなかったのに・・・なぜなのだろうと思います。
 車やクーラーの排気、コンクリート建造物の増加・・・温度上昇にはいろいろなものが原因になっています。水田や空き地の減少も暑さに拍車をかけているのかもしれません。とかく暑いと気が抜けます。行楽にお出かけの際は、水の事故もですが、日射病(いつから熱中症という言葉になったんだろう?)にもお気を付けください。
 気温の歴史ひとつを調べていても想定外の変化や予想しなかった温度になることが起きています。甲府は寒さもハンパではなくマイナス20度近くなったこともあり、毎年マイナス10度くらいにはなります。つまり、夏冬の寒暖差が50度くらいあるわけで、気温的には住みにくいところでもあります。
つまり気候が比較的安定していた時代が終わり、大きな変動に入ったということでしょう。人間は自然に影響される動物ですから、やはり異常が起きてくるでしょうね。体の異常も頭の異常も・・・・・。

子どもは暑がらない

 さて夏休みに入ると来店のお客様がお子さん連れになります。昔と違い、今はお子さんも忙しいですからね。普段はなかなか顔を見られないことが多いです。それが日焼けした顔をほころばせて入ってくると店内はにぎやかになります。子どもたちは、すぐに遊び道具を見つけて一心不乱に遊び始めます。とにかくオモチャや備品を用途の限定なしで、さまざまな遊び方をしてくれますから、大人としては驚くことも多いです。ゆめやには単純な木や紙のおもちゃや道具しかないのですが、お子さんたちが、自分なりの遊び方で遊ぶのは見ていると楽しいものがあります。
 よく観察していると、わかるのがまず「遊ばない子はいない」ということです。もちろん、お母さんに抱っこされている1歳前後までのお子さんは遊ぶことが積極的ではありませんが、もうこのくらいの年齢で机の上に置いたものを触ったり、舐めたり、手当たり次第、投げ落としたり、これも遊びですね。でも2歳を過ぎると、そこにあるものを利用して自分で遊ぶようになるのです。そこで、一番、笑ってしまうのは、親がひじょうにありきたりの遊びを教えることです。「ほら、これはこうするのよ。」「それじゃ、ほどけないわよ。こうしてホラ!」とか・・・決まった答えを教えようとします。子どもは、そんなことより試行錯誤自体がおもしろいのに、やり方を早く飲み込ませようと必死でアドバイスします。「ああ、学校教育の成果(弊害)が出ているなぁ!」と思います。せっかく、子どもが自分なりの答えを見つけようとしているのに・・・世間一般の答えを教え込んでしまう悲しさ・・・も垣間見ることができます。
 絵本を「ためになるもの」「言葉を覚え、字を書ける、読めるようになるもの」として捉える傾向は、ずっと続いていて、どうもこれはよく考えると明治までさかのぼり、けっきょく福沢諭吉あたりの立身出世主義が教育の方針として日本人の頭にずっと刷り込まれてきたように思うのです。
 実際、田舎では農家であっても子どもを教育して大学へ入れ、お役所(中央官庁に入れればさらに)に入れれば親として成功者という風潮もあります。その根底には子どもには教育投資をして「立身出世」を狙うという目論見もあるのでしょう。この傾向はアジア(とくに日本、韓国、中国・・・)で顕著です。近代化の途中なのでしょうね。意識も・・・。

子どもを見る親の視線

 さて、また、夏休みは遠くに出かけるときでもありますから、ゆめやには遠方のお客様もいらっしゃいます。行楽で山梨に来たついでにお寄りになる県外の方もいらっしゃれば、外国会員のお里帰りで来店するお子さんも多国籍になります。
 いつもの月とは違う顔ぶれですから、なんだか新鮮な毎日・・・。子どもは、私のように「暑い!」、「暑い!」と言いませんから、この、めげない元気はしっかりともらって次の日のエネルギーとします。子どもの声、笑顔、しぐさは、ほんとうに大人を癒してくれるものです。見ているだけ、聞いているだけで・・・元気になります。
 新しい発見さえあります。国際結婚のお子さんたちを見ていると、いちばん面白いのは、基本的なことは親が用意(環境造り)をしていますが、細かいことにはあまり口出ししないことです。「こうすれば簡単にできる」とか「こっちのほうがやりやすい」というガイドをしないのですね。ほとんどはお母さんが日本人、お父さんが外国籍ですが・・・やはり、いわゆる日本人のお母さん方とはどこか違います。
 外国の教育事情には疎いので、よくはわかりませんが、決まった答えを覚える教育と自分で考える教育の違いがあるのではないでしょうか。ブッククラブのお客様のほとんどは、そういう外国会員と同じく環境造りはきちんとしているとは思いますが、ここ数年で目立つのは、おどろくべき「スケジュール」の過密。一週間毎日なんらかの習い事をしている子さえ出てきています。こういう子どもたちが大きくなったとき、どういう大人になるのでしょうね。

壊れ始めた人々

 私は、今、世の中を騒がせている人たち・・・つまり、政治家や企業家、警官や教育委員、原子力保安院や電力会社の幹部の人々が、子どもともっと関わっていたら、あるいは、子どもの未来を考えていたら、現在やっているようなことは、とてもできないと思います。つまり、単なる欲の深さや考えのなさ・・・これが想像力の貧困を彼らの心の中に生んでいるわけで・・・前回七月号の冒頭で述べたように、完全に子ども時代をサンテグジュペリの彼らの子ども時代はきっと楽しくなかったと思いますよ。おそらく、お勉強、お勉強でろくに遊ぶこともなく、そりゃあ成績はよかったでしょうが、たいしたバランス感覚もつかず、エスカレータに乗って位だけが上になる。そして、その結果、犯してしまう誤り・・・そういうシステムが現代社会で、その複雑で考えなしのシステムが動いて、だんだん人間が壊れてきているように思うのは私だけでしょうか。でも、立身出世と言っても、もう大学を出ても大学院を出ても昔のようにエリート・コースには乗れません。そりゃあ、そうでしょ。誰でも大学に行かれる時代です。大学出も大学院出も山ほどいます。
 私は、以前、少子化すれば大人が多い分、子どもたちにいろいろなことをしてやれるのではないかと思っていました。ところがエンデが語る「モモ」の世界に突入してしまったわけで、大人は生きるのに忙しく、子どもには何もしてやれなくなっているのです。「いや!昔よりはるかに子どもたちには丁寧なことができている!」ということを言う人がいると思いますが、それはすべてお金で出来てしまう見かけの子育てなんです。中身はお粗末になっています。こうした子どもへの投資をしても受験勉強が人生でほぼ何の役にも立たないことを、もう親たちの世代でもわかっているんじゃないでしょうか。と、いうことは、いくら投資して、高学歴しても中身はパーということになります。

もう壊れているシステム

 今春、こんなことがありました。ある子が大学に入ったということを知らせてきたのですが、その子は行く高校がなくて困っていた過去がありました。普通高校がダメならと実業高校に入ったのですが、そこからけっこうの大学へ合格!快挙ですよね。「すごく勉強したわけだ!」と単純に思ってしまいました。ところが、無試験で入ったというのです。今では高校在学中の特殊経験、スポーツや技能などの記録、渡航体験が考慮されるとのことです。大学の教員をやっている友人に、そのことを話すと、「スポーツ枠とか帰国子女枠、留学体験者枠というのがあって、ほとんど書類審査、無試験。大学も授業料を納めてくれる学生がほしいですからね。かなり緩やかに入れます。どこで辞めても入学金や授業料は入りますし、留年すればその分また入りますから・・・」とのことでした。つまりは、どこまでもお金です。こんな方法で入った人がろくに勉強もせずに社会に出ていく怖さがあります。私などは、大学センター入試の問題を解いても正解の自信がほとんどないのですが、こういう難しい入試をくぐった大学生と話をしても、ほとんどまともな話にならないのです。どう見ても頭が良いとは思えない!  誰でもが進学できる、誰でもが大卒になれる・・・こういうことが「壊れ始め」の端緒になっているのだと思います。

だんだん欲をかくように

 多くの親は、子どもが生まれると何事もなく元気に育ってほしいと思います。これは親だけでなく周囲の人みんなが子どものことに関心を持ちますよね。少なくとも、これまでの日本社会の常識はそういうものでした。店に赤ちゃんを連れた人が来ると、大人だけではなく子どもも、赤ちゃんをあやしたり、「抱っこさせて・・・」と言ったり、急に賑やかになります。これは、きっと社会的動物が持つ「みんなで育てる本能」の一端かもしれません。
 こういう感覚がまだ現代でも残っていますから安心ですが、しようもない事件を起こす人々は、子どもたちを見ても、この時代の先を考える余裕も思考能力も持たないのです。しようもない事件の犯人ばかりではありません。上はこの国のリーダーから下は地方の首長や議員まで、およそ我欲ばかりで次世代のことなんか考えておりません。儲かれば、利益になれば後は野となれ山となれ!です。ふつう一般の人が、まじめに一生懸命仕事をしてがんばっているのに、こういう人たちが野放しで、子どものことを考えない社会になっていますから、とても危険・・・個人的には注意が必要ですね。
 「多くの親は、子どもが生まれると何事もなく元気に育ってほしい」と思いながらも、こういう大人が増えてしまうのは、おそらく子育ての途中で欲を掻くのでしょうね。「這えば立て! 立てば歩め!」の親心・・・まではいいのですが、「もっと成績がよくなってほしい!」「 もっと学歴が高くなってほしい!」「もっとお金を得てほしい!」「もっと地位が高くなってほしい!」・・・際限なく欲を掻いていきますと、実力に見合わないことをやらざるを得ません。バカでも大学をだし、能力がなくても地位を与える・・・世襲社会になればなお親がそういう操作が可能です。しかし、これは結果的に個人レベルでも社会レベルでも意欲や活気を失わせていくだけですよ。

元気なのはスポーツだけか!

 オリンピックは、時間が時間なのでほとんど見ませんでしたが、日本で元気なのはスポーツだけです。あとバラエティタレントやジャリタレは元気(と、いうよりは脳天気)・・・何も考えずにヘラヘラ笑う力・・・みんな、お金に結びついているのに、それを景気よくごまかしながら報道するメディア。たしかに、オリンピック報道は、近い将来、社会的な問題になるようなことにはほとんど触れず、見ないふり、知らないふりで、忘れ去ることが良いことのように煽っています。ジャリタレの小娘の芸など芸というほどのものですらないのに、どういうわけか(これも、お馬鹿ファンからお金を絞る仕掛けなのですが)毎日、飽きもせずに報道しています。
 こりゃあ、構造的には、あのとき戦争を煽ったことを反省したメディアが七十年くらい経って、それをコロコロ忘れて同じ道を歩き始めているのと同じことのような気がします。放射能問題についてはほとんど報道しないメディアが領土問題ではけっこう煽っている。オリンピック報道も国威発揚の一環ですよね。 これも幼い子の未来などまったく考えないで現実をごまかしている仕組みの一部なのでしょう。

こっち側も悪いのでしょう

 増税も放射能問題も、総合子ども園も・・・子どもたちが成長するころには、きっと大問題になるのでしょうが、いいですよねぇ、何をやっても辞めてしまえば何の責任も取らなくていいというのは・・・ほんとうは、メディアがきちんと書いて、伝えて行かなくてはいけないのですが、問題が起きても、きっと、この国のメデイアは何の批評も論評もせずに、ヘラヘラと通り一遍の記者会見発表の記事とお笑い番組を流し続けるだけです。そういうものに流されたくはないですが、世の中が重要なときにオリンピック、オリンピックと言われると、すぐ何もかも忘れる国民。流行り物に飛びついては流される国民・・・去年起きた原発事故さえ忘れ去りたい国民ですから、なんとも・・・はや。こっち側も悪いのです。 
 子どもには未来があると言いますが、それは子どもが大人になって結果を出すまでの期間が長いからです。子育ての答えなど三十年くらいしないと出てきません。良い中学に入った、良い高校に入った、良い大学を出た・・・良い友達ができた、良い本を読んだ、・・・これは過程の話です。過程での成果はとりあえずの成果・・・人生は想定外のことが起きます。すべて良いに越したことはありませんが、やはり子ども時代は、良い記憶として残るような環境がないと、大人になったときに結果が違ってくるように思います。大人になって、子ども時代の嫌な記憶より、楽しい子ども時代の思い出を持っている人の方が、人間的にはずっと優れて来るように思いますが・・・・どうでしょうね。

夏は読み聞かせなど忘れて

 夏は暑くて大変ですが、子どもが楽しめることをいっぱいしたいですね。夏は絵本の読み聞かせなどは二の次、三の次・・・近くでもいいから、どこかに出かけて体を使って遊ばせたいものです。三歳の子に三歳は一度しかない時間で、五歳の子も五歳の時間を一度しか体験できません。  子育てがゲームのようにリセットできたり、必須アイテムをそろえて完璧化が図れればいいのですが、それほど子どもの成長は単純なものではありません。完璧な子育てなどあるわけもなく、まずは親と子が楽しい時間を過ごせればいいのではないでしょうか。そのためにも夏は楽しく過ごしたいものです。熱帯夜の読み聞かせもいいですが、暑い日差しの中を駆け巡ってクタクタになって眠ってしまうことも大切な経験です。自分の頭で考えられる子にする・・・それは体験がなければダメです。子ども時代の体験は、大人になってからの思考や感情や生活の基本になっていますからね。良い体験があれば良い大人になれると思います。(平成24年8月号ニュース一部閲覧)

出る言葉は、「アツー!!」

 梅雨が明けて、いきなり35度オーバーの猛暑が続きます。甲府盆地はまるでフライパンの底のようで、服を脱いで皮も脱いで、ついでに肉も脱いで骨だけで涼みたくなるような暑さです。「37.9度・・・全国二番目」・・・一番はどこだ? 熊谷か? 多治見か?・・・そんなことを競ったって仕方がないので、クソ暑い毎日をいかにおもしろく過ごすか・・・それが問題で・・・ゆめやの駐車場を見ると炎天下に灼熱のボディの車がありました。「この鉄板の上で目玉焼きを焼いてみるか」と思い、やったところ写真のように成功。バカげたことですが、この暑さでは私の頭も狂ってきます。

賞やメダルの価値

 とにかく、そんなふうにしか頭が働かないので、このニュースの文章を書く気にもなりませんでした。
 で、かなり発行が遅れました。熱帯夜で文も書けない、考えるにも高温が邪魔。「なるほど、山梨に作家が少ないのは暑さのせいか!」と妙に納得したりします。みんな子どものころに脳細胞が煮えくり返ってしまう(笑)というわけです。
 でも、先月、近隣の町出身の若い女性作家が直木賞を取ったんですよ。その方の作品は一つだけ読んだことあり・・なんて題名だったっけ?「0807」だったっけ? 「1984」だったっけ? 「こういう本は高校生あたりが読んだら共感するのかなぁ?」という感じの作品で、私のような爺さんの感覚では理解不能の文学でした。だから途中で読むのをやめた記憶があります。もっとも、二十年くらい前から芥川賞、直木賞・・・内容がひどすぎるので、ほとんど読んでおりません。選考委員の判定もなんだかおかしいですしね。
 しかし、なんでもそうですが、賞を取ったりすると実質とは関係なく「社会的成功」になり、名誉市民の称号が与えられたりします。オリンピックでもメダルを取ると、行政がすぐに賞を授与したがる。「郷土が生んだ偉人」といったところなのでしょうか。ま、国・県・市のお偉いさん方は賞を与えることで、「俺たちはお前よりも上なのだよ!」と言いたいのかもしれませんが・・・。すごく不思議に思えるのは、選手たちが出発式に出たり、受賞者が報告に官庁を訪れたりすることです。練習費用や便宜を国や市町村が与えてくれているのかもしれませんが・・・・。

与える方が壊れてきた

 それはいいのですが、最近は賞を与える側の不祥事も目立ちますよね。そして、その処分が甘い。「謝ってすめば警察はいらない」という常套句がありますが、その警察官が物を盗んでも強姦事件を起こしても不起訴処分や訓戒、女子高生に裸の写真を送らせた剣道日本一のスポーツマン警察官もいましたが、どうなったことやら。まあ、最近、政治家ばかりではなく警察官の不祥事は山のようにあり・・・治安状況への不安というより、警察への不信のほうが不安を募らせています。
 山梨では、今月、知事が洋服の御仕立券を合計300万円ももらったことが発覚。でも謝罪方法は給与カットなんです。・・・つまり返却すればいいということで決着がついた。これじゃ、万引き少年が捕まっても「返せば文句はねぇだろう!」で終わることもありえますよね。もっとも、御仕立て券でよかったのかも・・・。御食事券だったら大変。御食事券・・・おしょくじけん・・・汚職事件・・・ですからね(笑)。でも、御仕立券でも巨額ならお食事券以上の・・・いや汚職事件になることだってありますよねぇ。

言葉が大事にされない

 やったことを「やらない!」「知らない!」と言い逃れ、責任逃れですからね。・・・謝ればすむ。ごめんなさい。申し訳ございませんでした。仕切るはずの大人がどうしようもありません。もっとすごいのは公約になかったことをゴリゴリ押して、強引に通してしまうこの国のトップ。さらに、次の公約には「脱原発依存」を掲げる・・・言葉が死んでおります。誰ももう「公約」そのものを信用しないことでしょう。国民はこれを見てあきれるでしょうが、中には平気でまねをする連中もいます。「上がそれで通るなら下の俺たちも通そうじゃないか!」当然、いじめたり、殺したりした子どもも、そんな大人を真似て、「知らない!」「やってない!」とシラを切ることを学びでしょう。ここにはもう「恥ずかしい」などという気持ちはまったくありません。ここでは「言行一致」など虚しい熟語です。彼らは。もともと言葉を大事にしないで、狭い世界の経験だけで生きてきたのですから、「言行一致」も「言行不一致」もないのでしょう。ごまかせば何とかなるという世界の熟練・・・・。昔、中国の各帝国が、国を経営するはずの四書五経を暗記している役人によって逆に滅んだのと同じ現象が日本でも起き始めたということでしょう。やはり、知ったら行うということがないと世の中は腐敗するばかりなのでしょうね。

本読めよ!

 とにかく彼らはろくに本を読んでいませんから、「知ったら行う」などということもないわけです。財政を改革しようとしたら「日暮硯」を書いた松代藩・家老、恩田木工のように自らも耐乏生活をしなければ、人々はついてきません。つまり自ら範を垂れることをしないで、自分は良い給料をもらって贅沢三昧の生活を温存し、他に節約や質素、倹約を強制するのでは、これはもう人の怨嗟を買うばかりです。
 多くの人がエコカーや軽自動車に乗り換えているのに、お役人が平気で高級外車を車庫に入れているのでは、人々は納得しないのと同じです。
 言ったことは行う。前言を翻さない、ごまかさない、責任を持つ・・・こういうことを、大人が、あるいはリーダーが、また教育者がやれなかったら、子どもたちにも範を垂れることなんてできません。子どもは大人の言葉を聞き、行為を見ていますから、同じようなことをすることでしょう。大人がもう少し本を読んで、身を正さないと、子どもたちも平気で恥知らずなことを言い、行います。しかし、言葉を知れば、なかなか身勝手なことやデタラメな行いはできなくなるものです。本を読むことは重要なのです。

オリンピック報道で消されたもの

 でも、そうは言っても、暑いし、みんなオリンピックで浮かれているし、テレビ見ればなんだか日本は豊かで平和・・・八月七日のニュースは、広島も福島も取り上げないで、トップニュースはオリンピック体操競技。こんなことで大丈夫なのかとも思いますが、そんなドサクサに紛れて私たちの未来を決める法律はどんどん通ります。
 その法律で子どもたちの未来が安心で安全なものになればいいのですが、これを決めた政治家の言葉が信じられないのですから、税金だってどう使われるか、わかったものではありません。「消費税は全部、社会福祉に使う」なんて信用できるわけがありません。だいたい、公共事業にぶらさがっている人は山ほどいますから、これ幸いとどんどん公共事業に使ってしまうでしょう。「どうせ、国民はみんなバカ。だって、金メダルのニュースに沸き立ち、メディアのオバカ番組ばかり見ている。大の大人がAKB48を話題にするのだから、消費税も15%、20%でもいいのじゃないの?」というふうに思っていることでしょう。為政者たちも・・・。
 「よかった!よかった! この大事なときにオリンピック報道でみんなの目がそれたぞ!」てな、具合です。私は、単純にこう思うのです。8月の上旬・・・いったい日本人・一億二千万人の人のうち、まともな本を1冊読んだ人が、どのくらいいるのだろうと・・・・。真夜中まで起きて、試合を見ている人は何千万人もいるでしょうが、その時間に本を読んでいる人は何百万人もいないことでしょう。

自分の常識を疑うほど・・・

 「政治責任で・・・きちんと!」と言われてもねぇ。辞めてしまえば、「その責任は誰が取るの?」・・・・まったく、デタラメな世の中になってしまいましたね。これも暑さのせいですか!
 メディアを見ていると最近、私は自分の常識を疑うような社会現象ばかりが目につきます。前述の責任逃れや言い逃ればかりではありません。みんな、もう去年のことを忘れているかのような動き、震災も原発事故も終わっていませんよね。でも、現状は「え、終わっちゃったの?」と言う感じです。
 海の汚染はどうなっているのか報道さえありません。福島原発の状態の報道もない。
 身近な問題などそっちのけで、オリンピック、オリンピック・・・メダル、メダル。ガンダムの展示に何万人も集まる。それも一過性? ご当地ゆるキャラがニューストップにも・・・どうせ一時的?・・・消えては現れる泡のような現象の連続です。メディアが仕掛けたものに「ワーッ!」と集まり、すぐ忘れて、フワフワ生きているだけ・・・そうこうしているうちに、世の中自体がサブカルチャーそのものになっています。起こる事件もほとんどサブカルそのものの病的なものばかり。「これは違う!私の常識がおかしいのではないか」と思っても、止められない、変えられもしないのですが、やはり行き着くところまでいかないと、浮かれている人々にはわからないのかも知れません。
 マックス・ピカートが言っています。「ナチスの台頭は新聞とラジオがもたらした。十数分で他の番組に移り、記事のすぐ横にはまったく関連のない別な記事がある新聞。これが国民の頭を深く考えることから遠ざけた・・・。」(沈黙の世界)・・・もちろん、

スマホの中に答えはないよ!

 時折、けっこう年配の人と話していて嫌になることがあります。話の最中にスマホをいじり出して、「ああ、それはこれこれですよ。」と教えてくれる人です。たとえば、有名な太田道灌の雨が降ってきて蓑を借りる話ですが、この話をしていて、「蓑(実の)ひとつだになきぞ悲しき・・・の上の句は七重八重だったと思うけれど・・・」というと、やおらスマホをだして、検索を始め、「ああ、七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき・・・ですね。」と来る。話のテーマとは違うし、あんたが知っていて教えてくれるならまだしも、スマホから引っ張ってどうする? 検索の方法、検索時間の短さでも誇っているのかい?と言いたくなります。
 いろいろな人に夏休みの過ごし方を聞いてもメディアが示すワンパターンの行事一覧そのものを実行する家族ばかり。スマホを頼るから、行動までスマホ化する。まったく人間とは環境に左右されるものです。まあ、日本人は自分で何かの考え方を読んで、自分で自分の考えをつくれないので、左右されるよりないのでしょう。いずれ子育てもスマホに聞いて、自分の生き方もスマホと相談して、自分の努力ではなく、「それでいい、それでいい!」と自分に言い聞かせながらワンパターンになること自体が安心なのかもしれません。スマホの中に答えなどないのですが・・・横一線、みんながやっているから・・・少しは痩せ我慢でもして、退いて考えてみるということはできないか・・・この調子だと小泉劇場の二の舞をまた大阪維新の会の台頭でやってしまうのじゃないですかね。「赤信号、みんなで渡れば怖くない!」 でも、最近の車は止まってくれませんがね。それでも日本人は、どこまでも「和をもって貴しとなす」・・・みんなと同じにやっていれば大丈夫、大丈夫ですかね。みんなで渡って何か起きても、想定外が起きても、それはそのときのことなのかな。
 みんなスマホに尋ねて、答えをもらう。「近くに自動車の修理屋さんありますか?」「夕日町三丁目 鈴木オート・・・」くらいならいいのですが、「この世で一番美しい人は誰ですか?」「あなたではありません。修羅雪と言う人の方がきれいです。」・・・だんだん、おかしな質問検索になり、やがて一億総スマホ中毒になっていくかもしれません。

真夏の夜の夢

 多くの人は、自分で考えるのが面倒臭くなっているのかもしれません。そのうち、自分でするのも面倒くさくなって、なにもかもバーチャルにしていくことが起こるでしょう。人間が壊れ、国が壊れる・・・大変なことになるかも。熱帯夜で寝苦しいと、ついつい、こんな訳のわからないことを考えたり、悪夢を見たりします。正夢になったりしないで、ただの私の真夏の夢で終わればいいのですが・・・けっこう当たるんだな、私の考えや想像は・・・。(平成24年8月・新聞一部閲覧)



(2012年8月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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