ブッククラブニュース
平成22年1月号新聞一部閲覧 追加分

新年おめでとうございます

 たくさんの年賀状、まことにありがとうございました。
 年頭の御挨拶を新聞でするのは恐縮至極ですが、夫婦ふたりの零細店。年末、年始は大忙し。皆様への年賀状まで手が回らず、この新年のご挨拶で御勘弁ください。その代わりと言っては何ですが皆様の年賀状は今月一杯全点店頭展示させていただきます。
 さて、今年の年末年始は極端な寒さで震えていました。でも元日は晴天に恵まれ、清々しい年の初めになりました。こういうさわやかな気持ちで年賀状を読む。これまた楽しいものがあります。いただいた年賀状の多くは写真入り。ご家族は三人以上ですから年賀状の数の四倍から五倍の笑顔の数が目に飛び込んできます。笑顔や微笑は人の心をおだやかにしてくれます。こういう笑い顔を見ていると悲惨な事件や残酷な現実はテレビの中だけ、新聞の上だけというような気がしてきます。

今年はどんな年になるのかな

 さて、今年の干支は「庚寅(かのえとら)」・・・漢字「庚」は「ものが改まる」、「寅」は「慎む・助ける」の意味・・・つまり前の年の継続で「抑制とそれを進める力が働く」意味となります。まあ、ここ三年の夢新聞の年頭の占いは民主党政権の登場でだいたい当たりました。嘘だと思ったら新聞のバックナンバーかHPの一部閲覧をお読みください。ほんとうのことを言うと「政権交代」ができるとは思っていませんでしたが、占いのほうに従うとそうなるわけです。
 茂りすぎた枝葉の剪定が必要な2008年(戊子)の状態は自民党的な社会が崩れる兆候でした。昨年(己丑)は新しい制度や指導者が選ばれる年、今年は前の年の続きで新しいうねりが始まる年のようです。あまり一般家庭とはかかわりのないような動きだと思いますが、方向の変化は確実に起きているわけで、影響が近いうちにわれわれの間にも出てくるでしょうね。
 ただ、メディアはあまり信用できませんよ。あまりどころかほとんど。メディアは視聴率というカセがありますから平気でセンセーショナルな対立軸を作り、攻撃を加えます。真実やベターな解決策などどうでもいいのです。考えても見てください。戦後60年の自民党がやってきたことで起きた問題を三ヶ月や半年で解消して、矛盾のない国を作るなんてシーザーでもナポレオンでもヒトラーでもできません。ところが、公共事業抑制策でダム造成を止めようとする国土交通省大臣と賛成派を対立軸にしてニュース報道をします。見ていて面白いからですが、50年前の計画をダラダラ引きずってきたダム計画自体の是非については報道しません。子育て支援だってそうですね。子どもの立場に立つどころか親の立場に立ったおざなりの報道で「待機児童解消!」「保育園の充実!」ばかりを言っています。他の視点での報道は見たこともありません。
 こういう状況の中でどんなことが静かに起こっているか・・・・よく気をつけてみないとあぶないですよ。

モンスター・リーダー

 ちょっと横道にそれてすみません。まあ、ゆめやのニュースは横道だらけですが・・・・。世界史のお勉強で覚えている方もいるかもしれませんが、ギリシアの民主制が崩れるときにペイシストラトスという僭主が出てきました。表立って政治の指導をするのではなく、隠れて采配を振るう影の権力者です。
 こういう状態では、理屈とか道徳的なことより力が先に立ちます。表向きはそうではないように見えるけれど、実際はでたらめな欲望で力が発揮されるような仕掛けで、ギリシアでも政治だけではなくいろいろなところで影の実力者が生まれました。目立つこと、人気が出ることなど外面的なことだけが目的で存在する人です。現代では、この傾向は「カリスマ」という名で多方面に存在しています。もちろん、現代のカリスマはメディアが作り出した見かけだけの存在でもあります。つまり「善」とか「正義」などどうでもよくて、目的は「目立つための力の発揮」だけ。そして、その背後にカリスマを操る怪物のような僭主(Monster Leader)が必ずいるのです。スポーツ界でも芸能界でも政界でも・・・・およそどこの世界でも・・・。ある人を動かす企画や指示をしている人がいて、おおくのカリスマはそれで動かされているわけですね。でもこの背後にいる人は「僭主(ティラニー)」というくらいで、誰も気付かないようになっています。
 これは民主主義の末期に起こる現象で、驚くほどのことはないのですが、その原因は大衆が深く考えたり、真剣に話したりすることに飽きてきたことにあります。自分の意見も持ちたくないほど疲れてきているわけです。

面倒くさくなってきている人々

 民主主義と言うのは「議論」を積み重ねて、相手を批判したり、物事を考えたりしながら、かなり複雑な修正や手続きをしなければならないのですが、だんだん多くの人たちが話し合いや批判や思考が面倒くさいと思うようになってきます。そこに力を振るうリーダーが現れてくるということなのでしょう。今年はさほどの問題はないと思いますが、来年が混乱やゴタゴタで大変な状態になるはずです。
 本の世界でも、もう「善」とか「正義」などどうでもよくて、精神病的な展開を読者が楽しむ時代になってきています。村上春樹の「1Q84」など卑猥さとでたらめな価値観に満ち溢れたもので不快な読後感がありましたが、誰もなんとも言わないで一週間で百万部売り上げ、村上もカリスマの一人だと思うのです。後ろには出版社という僭主がいます。で、なければ、つまり仕掛けがなければ一週間で百万部売れるわけがないのです。

善悪ではなく「そうしたい」欲望

 ところがわけのわからない自殺や幼い少女を年上の男がレイプするシーンが何度も出てくる前述の「1Q84」は一方で絶賛されて百万部・・・大人の本だからいいというわけでしょうかね。つまり、2010年の世の中では卑劣な力押しの現象がいろいろなところで起こるということです。こんなことが学校や身近で起きたらたまりません。何が正しく、何が悪いかではなく、単純に「そうしたい」というだけで起こってしまう問題。マスコミは、それを増幅させて実体を隠してしまう装置になっています。「そうしたい」欲望は、歴史上の人物にイケメン俳優を使い、ヒーロー史観で変えてしまうこともしかねません。これはもう捏造です。マンガやゲームの世界は、さらに仮想や誇張で現実を見せない状態を作ります。やわらかい子ども達の頭はバーチャルな世界そのものを現実だと思うかもしれません。子ども達をそういう世界で成長させたくないですよね。モンスター・リーダーとモンスター・リーダーの二つからどれだけでたらめが生まれるか。子どもをでたらめにしたら私達は破滅です。
 「1Q84」では殺人ですら議論や批判や思考もなく「加害者だって事情があったんじゃない?」「被害者だって落ち度があったんじゃない?」という意味不明な結論に導かれてしまう危険な雰囲気が全編に漂っています。これは私の読後感ですが、この読後を熱心な百万の読者はどう捉えているのか知りたいのです。たしかに村上春樹は自殺やレイプを肯定はしていませんが否定もしていません。でも、読後に、なんとなく「加害者にもする理由があり、被害者にも問題があった」と言っているように感じてしまうのは私だけでしょうか。
 村上のファンや読者はどう感じているのでしょう。私は読んだ人の感想を聞きたいのですが、誰も周囲で話してくれる人がいないのも不気味です。読者が百万人はいるのでしょ。それなら私の周りにも一人や二人いていいはずなのですが、誰も感想を話してくれませんし、評論をまだ見つけることができません。ほんとうに百万の読者は、村上が描く「おかしな」世界に癒され、「異常さ」を容認できているのか・・・不思議です。さらには、「ノルウェイの森」が映画化されるということ。おそらく前売券が百万枚売れるでしょうが、それだけ支持があるのでしょうね。
 さらに、昨年、この新聞で指摘した危険なサブカル児童?文学「リアル鬼ごっこ」は映画化されるというし、これはもう、この作家達はでたらめを容認する大衆社会のカリスマです。

モンスター・リーダー

 ああ、これは見出しの重複ミスではありません。こっちのスペルは「Monster Reader(怪物読者)」の意味ですからご心配なく・・・。
 僭主制が始まったころギリシアでは陶片追放(オストラコン)ということが起きました。陶器のかけらに名前を書いて気に食わない政治家を追放するというやり方です。勝手な言い分や主義で相手を議論ではなく数の力で押さえ込むやり方、あるいはチクルという低俗なやり方で失脚させる方法です。どこかでも、しだいに起きつつある傾向です。食品偽装を内部告発で暴く段階ではまだよかったのですが、しだいに自分の主義の正当性を力で誇示して相手をやっつける方法に変わってきています。何も他の事を深く考えず、自分の主義をたやすく力で達成してエゴイスティックな勝利をえるために・・・・。
 事件としては、たとえば試験捕鯨をやる日本の船に体当たりしてくる鯨捕り反対団体の攻撃が典型例です。彼らが菜食主義者ならまだしも牛や豚の肉を食べているのに捕鯨を攻撃するのはあまりにも理不尽なのですが、こういうことが実際に起きています。保育園や学校でも文字通り「モンスター・ペアレント」なる人が、勝手気ままな攻撃を始めているのはご存知ですよね。気に入らないこと、気に入らない人を何の議論もなくそういう攻撃でやっつけようとする傾向が生まれているわけです。

たくさんのふしぎ2月号事件

 さらに今月すごいことが起きました。就学児BCでは購読者が多いので知っている方も多いと思いますが、福音館の「たくさんのふしぎ」2月号・・・これが販売中止となりました。理由は読者からのチクリ。「喫煙シーンが頻繁に描かれ、タバコを礼賛する内容が記載され、WHOタバコ規制条約に違反する、あるいは日本タバコ産業KKの関与が疑われる」という指摘があったのです。
 福音館は慌てて書店に出回ったこの雑誌を回収していますが、私の目に触れてしまいました。で、読んだのですが、指摘されたような内容は読み取れませんでした。子ども二人の前でパイプをふかすおじいさんの絵、せりふのなかで、もらった賃金のお礼に「大好きなタバコ代に使わせてもらいます。」という言葉。そのくらいがタバコ関係で、物語自体はタイムマシンののぞきカラクリで江戸時代の世の中の様子を子ども達に見せてやろうというものです。モンスター読者の指摘などまさに「言いがかり」のようなものでしたが、福音館は回収に走ったのです。「ちびくろさんぼ」が「人種差別だ!」と叫んだ読者によって岩波書店が絶版にした悪夢を思い出さざるを得ませんでした。評判を気にする出版社としては反論するより回収したほうが得策でしょうが、何だかなぁ!という思いにとらわれました。論議がない。批判への抵抗がない。深く考えることがない結末・・・・。おそらく、このタバコ嫌いのエセ・フェミニスト読者は「してやったり!」とほくそえんでいることでしょう。
 もし、「たくさんのふしぎ」2月号がダメならタバコを頻繁にふかす「シャーロックホームス」のシリーズは絶版にすべきですし、芥川龍之介の「煙草と悪魔」も絶版、そうそう漱石の「吾輩は猫である」も冒頭にタバコが出てきます。石原裕次郎の映画のDVD化はダメだし、そんなことを言ったら多くの映画は子どもが見られなくなります。
 指摘した読者は匿名だったのでしょうか。それとも名を名乗って指摘したのでしょうか。指摘は正しいのでしょうか。指摘について私は個人的に検証してみました。表紙を含めて42ページ中、喫煙している箇所は7ケ所(内、パイプを加えているだけが一箇所)・・・「頻繁に描かれ」というのとは違う印象があります。「タバコを礼賛する内容の記載」とは何でしょう。どう探してもお駄賃をもらった男が「大好物のタバコ代に使わせていただきやす」というセリフのみ。江戸時代には喫煙は文化として定着していました。これを文句言うなら落語家が扇子をキセルにしてタバコを吸う所作を子どもに見せてはいけないことになります。さらに「WHOタバコ規制条約に違反する、あるいは日本タバコ産業KKの関与が疑われる」というのはもう言いがかりにすぎないような気がします。
  「たくさんのふしぎ」2月号の「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」は江戸の町の風俗を描いたものでタバコを主題にしたものではありません。些細なことをすべてのように取り扱うのは怖いことです。これから、このようなことが起きてくるでしょうね。そういうことを私達はしっかりと見極めて物事に対処することができるでしょうか。



(2010年1月号ニュース・新聞一部閲覧 追加分)

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