ブッククラブニュース
平成20年3月分

「品格」流行り

寒い冬でした。でも弥生三月・・・桜の便りもすぐにやってくることでしょう。入園、入学準備の忙しい時期ですが、体調に気をつけてお過ごしください。

さて、挨拶の仕方や園や学校での生活に不安があるかもしれません。でも子どもはそれなりに切り抜ける力を発揮します。家庭で築いた習慣や常識があれば、周囲とのバランスを保っていくものです。親の心配はいつもつきまといますが、ちゃんと育ててきたんだから大丈夫。見守ることも大事です。








挨拶や生活習慣といえば、昨年のベストセラーは板東真理子の『女性の品格』・・・なんと三百万部。私が読んだのは昨年の九月。何となくうさんくさいので、「団塊の世代に子育てをさせるな!」と批判しました。彼女は、総理府に勤め、副知事や海外総領事を歴任してきた人、つまり女性の社会進出の旗手なわけで、そういう人が結婚して子どもを育てて、家庭を築いているのなら絶賛です。でも、そんな実力の持たない一般人は見習えないのですから、「凄いけれど、真似できないぞ!」と言いたかったわけです。「例外中の例外」というわけです。
ところが、後で調べると、どうも仕事が優先で(あたりまえでしょうが)、家庭などあってなきがごとしのようで、やがて家庭もなくなり、娘たちからは反発も大きかったらしい・・・と来ると、「おやおや、女性の社会進出もこんな結果かぁ。」と思わざるをえません。いくら品格が失われた世の中とはいえ、こういう人が登場するのは困ったものです。背後には、安倍元首相の「美しい国づくり」? 高度成長を支えた世代のおばさんが、今度は言いたい放題を世間に言う。自分の頭の上の蝿も追えない人に「品格」を語られたくありません。一般家庭では、子育てだって介護だって、わずかなお金の中で悪戦苦闘しながら切り抜けている時代なのに…ね。
しかし、この手の人は「自分は偉い」と思っていますから、屈しない。名前を売るためにはなんでもします。「挨拶をしよう」「手伝いをしよう」「悪口は言わない」などを列記した『親の品格』という本も今年は出した!「ヤナギの下に二匹目はいない」と言ったにもかかわらず、その舌が渇かないうちにです。彼女の娘がまともな娘なら自分の親の品格のなさにまたもや辟易することでしょう。
親の品格・・・こんなことは細木数子でも言うことで、「縁が断たれ、不幸になる」というほうが説得力があります。問題は、この手のベストセラー。塩月弥栄子の「冠婚葬祭入門」から「女性の品格」まで、「なんだかなぁ」です。ベストセラーとは、一般大衆の不平不満に敏感な人が分かりやすい文で書く本・・・世の中そんな単純ではないのですが、複雑な本質を突いた本は、まったくベストセラーにはなりません。『アンパンマン』が売れて、『からすのぱんやさん』が売れないのと同じことです。ま、われわれは普通の生き方、普通の子育てでがんばりましょう。

(平成20年3月 ゆめやのニュースの一部)

大きくなったら何になる・・・


子どもたちが夢を語る話を聞くのは楽しい。「大きくなったら○○になりたい。」・・・がんばってもらいたいと心底思う。山梨日日新聞には「大きくなったら」という欄があって、毎日、子どもたちの「夢」が載る。「野球選手になりたい」「大工さんになりたい」「ゲームクリエーターになりたい」「パティシエになりたい。」・・・ほほえましい夢が数行の文のなかに込められていて「子どもはいいなぁ。」とつくづく思う。私だって小学生のころには大きな夢が持てた。もちろん実現はしなかったが、持ったことで仕事をやり続けることができたような気がするからである。
 今月、その欄に凄い夢が載った。「ぼくは将来、幸せな家庭を築きたいと思います。だから安定した仕事につきたいです。公務員などがいいんじゃないかと思います。安定した収入で家族を養っていくのが夢です。」とあった。凄すぎる。こんな夢が語れる小6少年は、どんな生活をし、どんな親に育てられたのだろう。私などは、まったく安定しない収入で、家族を養うどころか養ってもらってきたような気がして反省の日々なのに・・・この少年の夢は凄すぎる。
 ところで、このちょっと前に子どもたちの優秀作文も掲載されていた。多くが夢を語るものだったが、私はそのなかの一文に惹かれた。それは、ある少女が稲刈りを手伝って、その後見た空がきれいだった、という作文である。夢は何も語られていなかった。しかし、見事な文だった。そして、爽やかな読後の印象が残った。
考えてみれば、私も自分がなりたいものを子どものころに他人に語ったことはない。そういえば、毎日、子どもたちに接していて、「○○になる!」と夢を語る子に出会ったことがないな、と思った。夢とは自分の心に秘めていて公開はしないものなのだ。言葉にして語ればウソっぽくなってしまうことが分かっているのだろう。心の内部に、こうした「自らを律するものを持っている子がまだまだいる」と思うと嬉しくなる。これは、どこかに目に見えない巨大なものの力を信じている姿でもある。そこから人の生き方は形作られていくのだと思う。
昔、私が怠けていたら親父が言った。「人の道に外れた人間だけにはなるな!」・・・私の父は職人だった。「仕事は、まじめにしなければならないが、人の道に外れたことはしてはならない」と常々言っていた。そして、小さな家に神仏を祀り、朝夕必ず礼拝し、神仏の存在を信じていた(これは、戦後日本人が失った貴重な習慣である)。典型的な日本人の庶民の生き方だったと思う。「いい仕事をした後の飯はうまい。」というのが口癖だった。たとえ、法や人の目に触れなくても間違ったことは神仏が許さない!ということなのだろう。つまり心を律する基準があったのだ。
利己主義がはびこり、金儲けや無責任が横行しているのは、この習慣や気質が失われたからかもしれない。
私の夢は叶わなかったが、父と同じように仕事をしたあとの食事はうまい。この意味で職人気質は伝わっているのかもしれない。「見た空がきれいだった」と作文に書いた子の心は、私の食事のうまさよりはるかに「律している心」が高いのを感じる。大きくなって、きっとまじめで丁寧な仕事ができる人になると思う。しようもない夢をペラペラ語るより、自分の心を律することができる人間を育てたいものだとつくづく思った。

(平成20年3月 ゆめやの新聞の一部)