ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2022/冬 comment
ブロッター1  絵本作家・五味太郎の本だが絵本ではない。随筆でもない。体験記でもない。もちろん絵本論でも物語でもない。これは五味流の、皮肉やパロディーや言葉遊びを日常の出来事に重ねたもので、このなんとも対象から身を遠ざけて見る筆致は、なかなか魅力的である。
 マージャン牌を人間に見立てて、あるいは何か変化していくものに見立てる話は、なんとなく人生の偶然性や人間存在のアイロニーまで匂わせてくる。それも五味流のエピソード込みだから、思わず含み笑いが出る。
 たとえばある講演会を頼まれる。頼んできたのは若い行政マン。講演タイトルを五味太郎は「では、『絵本の周辺』で・・・」と決めると了解で電話が切れる。講演会場に行ってみると、大きな看板に「五味太郎氏講演会『絵本の終焉』」・・・そこで驚かないのが五味太郎の真骨頂。巧妙に絵本の時代が終わるという話に切り替えて話す。こういうのは難しい論説文よりはるかに、言葉というもの、生き方のコツみたいなものを教えてくれる。
 五味スタイルの絵も個性あふれる「五味太郎の世界」だが、この人は言葉にかなり習熟した作家であることは間違いない。異色の彼の本として「6Bの鉛筆で書く」は読んでもらいたい本である。
ブロッター2  これも日頃児童文学に真摯に邁進している作家のお遊び的な本だが、やはり笑いの質は高い。この人の「人類やりなおし装置」という本を読んで、児童文学でこういうものが書ける人は希少だと思った。岡田淳は、もと学校の教師、それが多くのヒット作を書き続け、いまや大作家だが、こういうタイプ本も書ける余裕がすごいと思った。この「プロフェッサーPの研究室」は続編まであり(「ふたたびプロフェッサーPの研究室」)・・・ちょっとひねったパロディ的な言葉の切り返しが洒落たイラストとともに読むものを楽しくさせる。
 考えてみれば、すぐれた作家は、みんな哲学的断片を表現できる人たちなんだなぁと思わざるを得ない。
 作家は、比喩を駆使して世界を描く。読者は、この比喩が読み取れなかったら、質の低い読者になってしまう。こちらも、その比喩に笑えるよう、あるいは怒れるような感性で対応しなければと思う。刺激的な漫画ばかり見て来た子どもには到底、この世界は感じ取れないだろうから。
ブロッター3  2022秋新刊、一読して「なるほど!これはいいな」と思ったのは「おなかをすかせたドラゴンとためいきゼリー」という長いタイトルの絵童話。
 ためいき一つにつき、ハッピーになる、黒ネコ特製水アメ一つもらえる・・・こういう話はよくあるが、ためいきを吸ってハッピーエネルギーをつくりだす、ちょっと変わったドラゴンと友だちの黒ネコとなってくると、なにやら、この時代を比喩しているかと思えてくる。案の定。ネコの街を生まれ変らせていくストーリー!だった、これはなんだか、おもしろい・・・・!!
 いまや、世界は働きすぎによる悩みや社会的な不安の中で、まさに閉塞状態にあるわけで、絶望まで行かない人は、ため息をつきながら生きているといっても過言ではない。私も世間を見ながらため息をつくことが多い。そこから脱するにはどうしたらいいか・・・・これを上は哲学者から下は社会奉仕をする人々までどう解決するか考えないと、この社会は終わってしまう。でも、なかなか答えが出ない。
 かつて、ミハエル・エンデが「モモ」で、脱工業化社会で起こる消費社会の「時間喪失(みんながため息をつく時代)」を描き、やがて「はてしない物語」で勇気(ハッピーエネルギー)と想像力を駆使して新しい世界をつくる方向を示唆したが、なかなか日本ではそうした文学運動にまで高まっていない。夢と希望を標榜するだけの児童文学ではなおさら・・・・ね。
 この作家は猫と魚という敵対するもの同士が仲良くなる可能性を描いて「ひろすけ童話賞」を取った人だ。よくよく読んでいくと深いテーマがある。
   

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