ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2018/春 comment
ブロッター1  「私が取りつかれていたのはもう一つの速度の歴史であり、それは二輪の足蹴り自転車から、人力飛行機にいたる役に立たない速度の歴史である。」と寺山は言う。国家の速度の歴史はより速く、より便利にが主眼で、遅い速度のものは問題にされない。
 寺山が「役に立たない速度」というのは、彼が本を万引きして、逃げ切れずに捕まり袋叩きに遭った体験から出た思想である。彼にとっての速度の歴史は「逃げる手段の歴史」というわけだ。それが、万引き少年の大脱走論ではなく、社会の速度に反抗して、既成社会から「逃げる」、自分の日常から「逃げる」ということにまで話が及んでいく。そして「速度は権力的だ」と断ずる。これが、彼の「自らを守るためには速度が必要なのだ」という結論につながる。
 彼は説く。書を読み、書を捨て、現実を生きろ!と。
ブロッター2  「アタマのいい国民は、そのときの首相と同じことをやればいいのだ。
 かくして、現代のもっとも革命的なスローガンを提出する。彼らは絶叫した。ゼニやでえ!」と平岡正明はいう。これは、かつて一世を風靡したピンカラ兄弟の「女のみち」の評伝。
 「彼らの歌にはハートなんてない、ないどころか最低である」と平岡は言う。下層社会出身者の気品も一途さもなにもないと・・・。透けて見えるのはゼニ儲けだけ。その時代とは高度成長期、ものみなゼニの時代である。かつての下層社会には批判力と不屈の闘志があった。しかし、ピンから兄弟から40年たって、歌謡界もお笑い界も批判や抵抗どころか、権力と金にすり寄る世界と化した。
 さて、昨今の紅白歌合戦、名前も歌も知らない歌手たちが歌う。なるほど、この言葉にあるのと同じように「ハートなんてない、ないどころか最低である」。いまは、みんなクズやでぇ!の時代か。
ブロッター3  「革帯がひとつ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折り賃として何銭かあげようとしたが、彼は旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受け取らなかった。」
 明治初期、東北・北海道を旅した英国女性・イザベラバードの紀行文だ。「日本は汚い!」「「不衛生だ」と綴っていた彼女が、旅を続けるうちに、しだいに日本の美しさに気が付いていく。人々はお互いに親切であり、礼儀正しいと絶賛する。風景だけでなく、人の心もまた。これは、幕末に日本を見たチェンバレンやハリスも同じ視点で日本人の美しさを語っている。維新からまだ二十年の当時の東北は、まだ江戸人で、それを彼女は、次々に発見していくのである。まだ、日本人が欲で汚れていなかった時代の人物と風景。上の一節は、會津坂下をすぎたところのものだ。
   

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