ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2018/秋 comment
ブロッター1  消えた記憶が蘇える一節「続・昭和二十年東京地図・周辺のこと」筑摩書房
 「住吉一家系大日本興業社員と口論となり、社員を殴ったことから逆に登山ナイフで腹部を刺された。出血がひどく山王病院で手当てをしていたが、翌日腸閉塞を併発してあっ気なく死んでしまった。長年の興奮剤と睡眠薬の乱用で体がボロボロになっていたのだ。・・・・」
 これは力道山の胸像がある池上本門寺の紹介文。と、いってもこの本は、ふつうの本ではなく写真集なのだ。東京周辺を作者がモノクロで撮り歩いた写真のまとめである。写真の多様さもさることながら、天平宝字の事件から昭和の風物詩まで見事なまでの事実の解説が写真に添付されている。
 旧町名から新町名まで、百姓一揆の起こった場所から三億円事件の顛末まで、すべて写真付きなのだから、おどろく。撮りも撮ったり。書きも書いたりと感嘆せざるをえない。
 こういう東京の風景はもはや1%も残っていないだろう。現在の東京は無歴史状態のメガロポリスにすぎない。いずれ直下型大地震か、都市災害で破滅していく運命だが、1200万の命を抱えた町だ。少しでも多くの人々が逃げ延びてほしいと思う。それもまた続・続昭和二十年東京地図では、ひとつの歴史の一齣として書き加えられるのだろうが・・・・・。
ブロッター2  「洗練極まりない至芸、かてて加えて典籍故事に関する深い教養、緻密繊細な人間描写による広範なレパートリーはオールマイティ型完全主義者で、類をみない一代の名人であった。」
 この一節は「三遊亭圓生」の解説の一部、この評から現代の落語を見ると、芸などとは呼べず、ただのお笑いにすぎないと思ってしまう。中には地道にテレビにも出ず芸を磨いている噺家もいるだろうが、あの当時はたしかに名人がゴロゴロいた。
 実際、私は人形町末広で(会社のすぐ近くだったので)何度も聞いたことがあるが、午後八時過ぎには名人の高座が始まる。それまではそれなりの笑いでお茶が濁されるが、名人の噺は息を呑むほど圧倒的なパワーで迫ってくる。
 この本の作者は寄席文字・橘流の橘左近さん。なるほど「書く人は知る人である」・・・落語への造詣の深さが伝わってくる。落語の歴史から噺家それぞれ、噺そのものまでが網羅された本で、コンパクトなのに「すべてがわかる」感じだ。読み終わると名人たちの噺を聞いてみたくなる。幸い志ん生、圓生、金馬、文楽など名人のCDは残されている。時間を見つけて声だけでも楽しむことはできるだろう。
ブロッター3  テレビで見たので原作を読みたいと思って当たったら漫画だった(笑)。長いシリーズで、とても全巻読むことはできないとあきらめたが、なかなか設定はおもしろい。読んでいないので細部のことでは思い違いや誤解があるかもしれないが、すくなくともテレビシリーズはなかなか面白かった。なんだか、最近のくだらない小説にくらべて、エンターテイメント性も歴史的な視点も一歩先んじているように思える。
 いまだに先に原作を読みたかった感じが残っている。だから、あえて挙げることにした。マンガのすべてがよくないというわけではない。初期には水木しげるやつげ義春などがでてきたこともある。当然、このジャンルでも優れた才能が後に続いているとは思う。知らないのは読まないで来てしまった私だけかもしれない。
 いまや現代での物語作法は、現実を細かく描写したり、心理を重箱の底つつきするものではなく、こうした歴史的な俯瞰と時代的な問題を重ね合わせることが重要なのではないかと思われる。
   

バックナンバー