ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2015/冬 comment
ブロッター1  確定したものがひっくり返るということはほとんどない。時間が経っていればなおさらだ。しかし、ひっくり返るのは最近のことであって、遠い過去の真実は曖昧になる。それどころか事実とまったくちがうことにもなる。とくに政治上の歴史的事実は、時の権力によって捻じ曲げられ、都合よく書き換えられるものだから隠蔽・ごまかしは多い。
 これは古代史ばかりではない。現代史にもある。われわれは明治維新は「新しい時代の幕開き」で、「近代への扉」と教わってきた。江戸時代は、食うや食わずの水のみ百姓がいて武士がしたい放題をしていたと思わされてきた。これは教科書だけでなく芝居や小説を通して刷り込みが行われた。
 ところが、この本は「明治維新は悪逆非道の長州テロ集団が引き起こした政権奪取だ」と言う。司馬遼太郎の小説で育った私たちには信じがたい見方だが、言われてみると教科書には戊辰戦争などチョロチョロっと記述があるだけで説明がない。これは考えてみるべきだ。関連本を読むと、どうも我々が学校で教わった近代はうさんくさい。それどころか、肝心なところは授業でも取り扱わず、くわしくもない。これだけでも明治政府が事実を隠ぺいしたことがわかるだろう。隠蔽されたものが違った視点からが見えてくるおもしろい本だ。
ブロッター2   文学賞を取ったものを読まなくなって久しいが、かなり後になって読むと、受賞時の騒ぎがないからかなり冷静に読めるものである。
 さて、この本は1974年の直木賞受賞だが、その後のしようもない受賞作とは違う異色の反権力、風刺に満ちた作品である。すべて明治時代が舞台だが、表題の「アトラス伝説」は、江戸時代に幕府設置の蕃書調所で学び,維新後,明治政府に仕え,陸軍省参謀本部測地課長の役職に就いた洋風画家川上冬崖(万之丞)が、山縣有朋によって失脚・殺害されるというサスペンス風の小説だ。おそらく事実だろう。政府の闇と歴史の真実を地図から知ってしまった人間が殺されるというのはありがちな話である。明治天皇の東北巡幸の絵図がからんでいるのもなかなか裏が見えそうで面白い。
 また所収の短編「非英雄伝」は、さらにおもしろい。英雄・N博士こと野口英世がとんでもない人格の食わせ者であったことが描かれる。偉人伝で立派な人物と思ってきた私には痛快と思えるほどの虚像・偶像だ。近代日本の歴史そのものが生みだした理想的な成功者がじつは浪費癖、借金癖、踏み倒し常習犯として容赦なく描かれる。すべての少年・少女のお手本だった野口英世の偶像はものの見事に打ち砕かれていた。これは胸のつかえがすっとするすばらしい短編である。
ブロッター3  最近、宮部みゆきをよく読む。文体が平明で頭に入りやすいからかもしれない。軽く読める本は一服の清涼剤ともなる。しかもテーマが現代社会が持つ病巣であり、そこでドラマが展開するとなると、そらぞらしいロマンチックな文学や暗いペシミスティックなものよりはるかにおもしろい。当然、読ませるにはドラマツルギーがなければ魅力は感じないし、作者の健全な考え方が答えとして提示されないと安心感が出てこない。例えば、歪んだ現代ん人の心理を取り扱う作家で直木賞の〇〇さんとかノーベル賞常に取り逃がし常習犯さんなどがもてはやされるが、ひたすら暗く、救いがなく、何を言いたいのかさえわからぬ複雑な展開ではスッキリ感が出ない。読者とはわがままなものだ。きちんと時代を描いて作家自身で自分の意見を出してほしい。
 その意味では宮部の展開はおもしろい。この本は一人の少年の飛び降り自殺を軸に教師、親、友人、第三者など大人たちの嘘、欺瞞、隠ぺい工作などを数人の少年少女が学校内法廷をつくって暴き出していくものである。
 こういう真摯さ、正義感、純粋な疑問を最近の若者は忘れていると感じているから、この展開は新鮮だ。なぜこうも若者が薄汚い大人のコピーになってしまったのか・・・それは、すべて金目の世界で、金がなければなんにもできないという価値観を身に着けたからだろう。しかし、金目で出来ることは消費だけでしかない。そんな虚しいことを目的にする前に若者はもう少し大人の薄汚さに立ち向かわねばいけないのではないか。そうしないと、やがて自分の未来が暗黒になってしまうよ。
   

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