ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2014/春 comment
ブロッター1  はじめは、「ふんふん」と読んでいた東京に巣くう?地霊の話が、東京の歴史を現在から未来まで進むにつれて複雑になり、怪奇になり、やがては人間が魑魅魍魎となって跋扈する首都のグチャグチャ。これは一体、何を暗示しているのか?と恐ろしくなった。あきらかに3・11後の諸問題をとらえたものだが、作者は福島の原子炉爆発から何を想像したのだろうか。見えてくるのは壊れつつある首都と都会を構成する人の崩壊である。
 時代の雰囲気を掴むのが上手な作者だが、これはさらにその向こうに何かを見せてくれる怖さがある。この近未来の混乱と崩壊は、東日本大震災が単なる兆しでしかなかったことを教えてくれるかのようだ。複雑に絡む日本の支配構造のゆくえ・・・ここでは正義も良心も何もない作者が言う「なるようにしかならぬ」混沌とした状態だ。こんな時代になるのか! 作家の鋭い目がじつは真実を見ているのでは?とやるせない期待となった。
ブロッター2   商売をなるべく精密に丁寧にやってきたつもりだった。最初のうちは客との交流も濃密で、共感や一体感があった。それが歳を取るにつれてなんとなく合わなくなってきた。私が老いて精密さや丁寧さがなくなったのか。いや仕事内容は以前にくらべてはるかに整然。手作業のミスも昔からの許容範囲だ・・・ではなぜ、客と密着度が薄れているのだろう? そんなことを考える最近だったが、この本を読んで、合点が行った。
 なんのことはない「時代が変わった」のだ。客はもはや精密さなどは不必要になり、暖かい対応やサービスは鬱陶しいもの。完璧な仕事、心をこめたもてなしなどどうでもいい時代になったということだ。それに対応したビジネスも出てきた。しかし、どうなのだろう。それでいいのだろうか。私はこの本の執事ステーィブンスが、時代が変わり、舞台が変わっても「品格」をかたくなに守っていることに注目する。これしか生き抜く道はないと思われる。次の時代を私は生きられないが、自分の矜持として変えないで行きたい。
ブロッター3  以前、出版されていた本が再版されることはよくあるが、これもその中の一冊だ。安倍政権への危機感から再刊したのだろう。しかし、色あせない内容なのは作者の意図が真実を突いているからだ。
われわれは学校で民主主義を教わってきたような気がするが、じつは、うまくゆがめられた民主主義で、たとえば、その代表は「多数決」。これが絶対正義になってしまっていて、少数意見はあたかも悪いものであるかのように植え付けられてきた。この弊害は、イジメになって現れている。少数者をイジメて多数の側にしようとする心を作ったのは学校ではなかったろうか。この本では、多数決ひとつとっても、われわれが教わった内容とはちがう民主主義の基本が、わかりやすい例、ていねいな説明で描かれている。もちろん、子ども向けだ。しかし、この基本すら知らないで投票権を持ってしまう大人もいるのではないだろうか。ろくに候補者の質も考えず雰囲気で行われる選挙・・・まだまだ、その意味では日本は後進国の仲間に入る。
   

バックナンバー