ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2013/秋 comment
ブロッター1  山本周五郎は、「赤ひげ診療譚」「樅ノ木は残った」「さぶ」など多くの時代劇傑作を書いているが、個人的には、この「日本婦道記」が好きだ。明治以降の価値観は女性を下に置いている部分がたくさんあるので江戸時代は女性蔑視があたりまえのように錯覚させられてきた。しかし、この本を読むと現実には男を立てはするものの女性としてかなりしっかりとした生き方を見せていたことがうかがえる。
 「墨丸」の「お石」、「桃の井戸」の「琴」とか「糸車」の「お高」、さらには「尾花川」の「幸子」・・・みんな芯が強く賢明だ。フィクションとはいえ江戸時代の女はこうだったと思われる。その証拠に周五郎生誕の地の山梨県郡内地方は江戸時代に女性からの離縁状が全国最多であったとか・・・ダメ男は、どこにいてもいつの時代でも捨てられる運命にあるのかも。
ブロッター2  これは、なかなか引き込まれた本だった。個人的な話で恐縮だが、出身が外国語学部のため、辞書と切り離せない学生生活を送っていた。当時は電子辞書なんてないし、否が応でもページをまくって引かねばならぬ。引いているうちに、「この辞書を最初につくったひとはどんな性格の人なのだろう」と思うことしきりだった。しかも同じ外国語の辞書でも出版社によって微妙に意味表現が違う。使用例文などは監修者別にみんな違う。すごいもんだな。と思っていた。
 さらに20歳代後半で諸橋轍次の「大漢和辞典」というのをそろえた。これがすごいなんてものじゃない。どうやって編集したのかさえよくわからない「ものすごさ」。世の中には、ああでもない、こうでもないと議論しながら、より精密に、より多様に物をつくりだしていく職人がいるわけで、あこがれもある。こういう辞書作りの人たちみんなA型の血液なんだろうな。
ブロッター3   前半は、熟女と若者の道ならぬ恋で、読み様によっては官能小説のような感じもあり、電車内の読書で「ああ、細かな字の文章でよかった」と思ったくらいだ。法学部学生の若者がベットの中で熟女にいろいろな本を読んでやるというのも甘ったるいものが感じられ、何となく顔が赤らむ。
 ところが、ある日、その熟女がいなくなる。再び出会ったのは法学生が研修で行った裁判所の法廷。なんとその女が裁かれているのを見てしまう。ここから話が魅力的になってきて引き込まれる。
 彼女は強制収容所の女職員だったのだ。しかも文盲で本を読んだことがない。そして無知が「無慈悲な行為」につながっていくわけである。彼女はさばかれ、更生施設に入るがけっきょく罪の意識から自殺してしまう。青年が本を読み聞かせさえしなければ無知のままでいられたのに・・・本を読む行為が、こんなところまで人を動かすかと思うと怖さも出てくる。
   

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