ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2012/春 comment
ブロッター1  国王夫妻が来日して急に小国・ブータンが脚光を浴びてきた。鎖国政策の後のゆるやかな開放。独自の環境政策や文化施策・・・この本は、世界が抱える困難な問題の解決の糸口がブータンにあると示唆している。つまり、多くの国が目指さなければならないものを国家としてブータンが持っているというのである。しかし、ブータンが、このグローバリズムを乗り越えて優れた国家になるかどうかの予測は難しい。鎖国だからこそ可能だった人々の意識も、インターネットやケータイ、各種メデァイの普及で「世界の悪」が容赦なく入り込むことも考えられる。いまのブータン、かつてのブータンが「未来国家」のお手本というのもわかるが、これはそう思いたい作者の意識なのではないか、と思われる。 映画「続・ALWAYS三丁目の夕日」の一シーンに実業家・川渕康成が、茶川の書いた小説の美しい一幕を読んで、「願望だな!」というところがある。同じことを、この本を読んで思う。現在あるいは以前のブータンを見て、「日本もアメリカも欧州もそうなってもらいたい」、という思い。わからぬでもないが世界は欲の深い人間が増加しているから、お金になれば殺人でも戦争でもする。しょせん「良い国つくろう!」は願望か! もう鎖国はできない。
ブロッター2  映画「続・ALWAYS三丁目の夕日」の一シーンに社長・川渕康成が、茶川の書いた小説を読んで、「願望だな!」というシーンがある。それに三丁目の人々は猛反発し、われわれ観衆も「その考えは汚い!」と思う。しかし、現実の日本は、その昭和33年を基点にして、三丁目の人々やわれわれが望んだ人情や心の調和を目指す方向ではなく、川渕社長が目指した「豊かで便利な社会」に進んでしまった。豊かで便利ではあるが、巨大な不安と充実感のない生活になってしまっている。だからこそ、われわれは、その昭和33年を懐かしむ。・・・ところが、この作者・布施さんは、「この映画への感動はノスタルジーにすぎず、だれだって物が不足して、不便な時代になど戻りたくはないのだ!」と以前、商社マンだった人らしく断言する。・・・たしかに、現代日本の基点になる年は昭和33年で、そこから大きく変わった。今日のあらゆる問題の原因がその時代に根ざしている。教育も、公害も、競争社会も、おそらく原子力事故も・・・・そして、見た目の豊かさと便利さに押し流されていくわれわれ。それでも、まだ「今だって悪くない」と言うのだろうか。
ブロッター3  「チャングム」「イサン」などの韓流歴史ドラマを見ていて、その衣装、風俗について何も知らない自分を発見していた。ヤンバン(上流階級)のかぶる絹の帽子は閻魔大王の帽子、五月人形の鍾馗さまが被っている帽子ではないか! つまり、私たちは、隣国朝鮮の歴史も風俗も何も教えてもらわずに大人になってしまったのだ。明治や大正の話ではない。戦後のことである。教科書には何も書かれていず、関連学習はまったくなかった。
 それが、このテンペストでも同じこととなった。われわれは琉球の歴史を何も教わらなかったのだ。琉球王国が明治11年まであったことすら知らなかった。この教科書や歴史教育における朝鮮王国や琉球王国の「隠蔽」は意図的だと思う。繰り返して言うが、この「隠蔽」は国家主義の時代のことではなく、戦後のことなのだ。
 戦後もまったく教えられることがなかった隣国の歴史・・・いやいや、沖縄は隣国ではなく、日本国の内部に組み込まれた「内なる王国」なのだ。それを無視し続けてきた学校教育。それが、皮肉にもテレビ・ドラマで取り上げられて脚光を浴びる・・・・上下・二巻は一気に読んだが、果たして、歴史を嫌う日本人の認識は、この本で一気に高まるのだろうか。
   

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