ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2012/新年 comment
ブロッター1  つい先年・・・紙幣デザインが変わった。五千円札は新渡戸稲造が借金証文ばかり書いていた樋口一葉に、夏目漱石が描かれた千円札は、金遣いが荒い野口英世に・・・しかし、最高額紙幣一万円札は福沢諭吉のままだ。なぜなのだろう。よくよく考えてみると、明治以来、国は福沢諭吉の思想から離れていないのではないかと思われる。つまり富国強兵、殖産興業、脱亜入欧・・・この路線は戦前も前後も変化ないのだ。名前は日米同盟、高度成長、G7などと変われども・・・基本は変わらない。福沢の思想は結果的に太平洋戦争に至ったし、戦後も同じ方向に進む。慶応大学は小泉元首相を初め、東電の清水社長などお歴々が輩出している。なるほど、すごい。すごいが国の行方を危なくしている人たちでもある。
 つまり、江戸幕府のすべてを否定して出発した明治がたった三、四十年で大戦争を二度も起こし、貧富の差を広げたのは、立身出世のための「学問のすすめ」に影響を受けたからではないのか? ハリスが「日本滞在記」で描いた「穏やかな日本人の生活」は「列強としのぎを削る帝国国民」の姿に変わって、「天は人の上に」だけが虚しく残tta。いやいやよく読めば、そのフレーズだけが意図的に教科書上で暴走していただけで福沢は「世の中には差がある現実」を認めている。ちゃんと本は読むことだ。その意味ではタレントの齊藤孝さん訳でもいいから読んでみましょう。
ブロッター2  さて、「日本滞在記」と言えば、総領事ハリスの文は、まさにスパイが敵情を克明に観察して報告しているような鋭い目で捉えた文だ。江戸の朝の風景(親が子どもを慈しむ様子を描いた)の場面があるが、当時、日本を旅した外国人のほうが鋭く日本を看破して、精緻な表現で描いているような気がする。この「日本奥地紀行」もそうで、NHKで特集が組まれていたので、求めて読んでみたが、予想以上に「日本人の良さ」が表現されていた。この女性旅行家の目もまさにスパイのような詳細な記録をつくりあげている。あるいはスパイ以上の文化人類学的な視点もたくさんある。
 ケチョンケチョンに言っていた日本を彼女がしだいに好きになっていくのは「第十信(続き)」で描く「日光を過ぎて新潟方面へ向かう途中」からだが、こういう当時でも残っていた日本の良さ(現代日本が求めているものでもある)を覆い隠してしまったのは明治政府の教科書だったのかもしれない。日本が、「外国に追いつく、豊かになりたい」という裏で悲劇や塗炭の苦しみを重ねる歴史に入っていったのも、やはり福沢諭吉の強い影響であろう。日本には誇るべき「昔」「日本人の心」があったのだ。こういうことが外国人によって著されているというのはおもしろい。学校で植えつけられた知識や思考法ではないものを確保するのも読書の醍醐味だと思う。
ブロッター3  集英社の児童書編集長の大森敦子さんから送られてきた資料の中に「戦争×文学」という刊行シリーズの案内があった。編集委員はすべて戦後生まれだ。どういう視点で「戦争」を描くのか・・・期待があった。敗戦を終戦という言葉で置き換えて、教訓にも反省にもしてこなかった日本がふたたび極東第二の軍事力を持ち、フクシマをヒロシマにしている今・・・戦後の文学者たちが編集する方向に関心があった。そんな折、ブッククラブ会員の薩川さんが「祖母が書いた小説がこれに載っているので読んで!」と持ってきて戴いた。とにかく所収してある作家の顔ぶれがすごい、五島美代子、中村汀女、石垣りん・・・藤原てい、大庭みな子、壺井栄、向田邦子、瀬戸内晴美、石牟礼道子、・・・まだまだ・・・薩川さんのおばあちゃんは、その中の「焔の女」を書いた上田芳江さんだ。久子という遊女が主人公の廓の話だが、艶っぽいところなど微塵もなく、強靭な女の意志が語られる。「街には戦争にでもならなければやりきれないという空気が漂っている」・・・そんな時代は今また日本にも来ているのではないか。考えすぎ?。儲ける話ばかりの現代・・・「戦争になれば儲かる」という、この物語の環境と同じものがうごめき始めているようにも思える。それは主人公が陥る破滅的な狂気へ進むのかも。
   

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