ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2011/冬 comment
ブロッター1  知り合いの慶応の教授が、「芥川賞の『きことわ』を読む前にまずは処女作を読んでおけ!」と言って貸してくれたのが、この本。朝吹真理子著「流跡」・・・読み始めた。私の頭では、とても筋についていかれない。対象はあっちにとび、こっちに飛び、現実なのか想像の中なのか心象風景がちりばめられる。読めども読めども何を言いたいのかわからない。まあ、我慢して最後まで読もう。長い小説ではなし冗漫さに耐えるくらいの読書力はある・・・・と思って最後まで読んだ。なにもなかった。えッ・・。これで終わってどうするの?である。受賞作『きことわ』も同じかもしれない・・・読む気が失せる。
 翌日、教授が来たので本を返しながら「いまじゃこういう本が受けるのかなぁ。オレにはとても好んで読む気にはならん。」すると「ジャーナリズムは毛並みの良さを讃えている。作品評はほとんどない。みんなわからんのだろう。」とのたまわった。「『きことわ』は読まないぜ!」と私。教授いわく。「これ全部読んだのか? オレは数ページ読んで綴じた!」と言う。「それで奨めるとはおまえはどういうヤツだ!」と私は言った。
ブロッター2  先日、有名な戦闘機・0戦がなぜ0戦というのか初めて知った。昭和十五年(皇紀2600年)に初めて飛んだから、その0を取って零式戦闘機。なるほどなあ。そういう基本的な知識を、この年齢まで知らないのは恥ずかしいものだ。と、いうことは一式陸攻は皇紀2601年製ということか。
 しかし、そんなつまらない知識と所以を越えて、この物語は戦闘の美学を煽り立てる。読むほどに進むほどに散る美しさがこれでもかこれでもか。涙が出るほどだ。今年はスギ花粉が多すぎるのかな。
 こういう描き方は危険でもある。戦後60年を経て浮かび上がる特攻の真実は、こんなものだったのか!と思う。私にも菊水作戦に参加して遺骨(ほんとうの遺骨ではないだろう)になって戻った叔父がいるが、みな、多くの戦死者が背後に同じような思いを抱えていたのかと思うと、どんなにグジャグジャの世の中でも悲惨な戦争より腐った平和のほうがいいと痛切に思う。戦争を美化してはいけない。こういう描き方は若者を戦争に引きずり込む可能性もある。
ブロッター3  以前、買って、最初の数冊しか読まなかった「昭和史発掘」を読み始めた。2・26事件につながっていく暗い昭和初期の事件とその背後にうごめく戦争への傾斜・・・石田検事怪死事件から始まる政治と軍部の軋轢・・・政党の混乱や脆弱さは、まさに現代の政治状況に酷似している。
 二十代で読んだ時は、あまり実感がなかったが、それは高度経済成長の中で政治的不安がなかったからだろう。それに国民の大多数が、反戦だったし、軍隊として自衛隊を認めていなかった。それがいまはどうだ。海外派兵でも誰も文句を言わない。デモひとつ起きないことだろう。読んでいると、当時の政治家や軍部中枢部に頭が切れる人間が一人もいず、なんだか合議、合議で戦争への道が開かれていったような気がする。それも、国民とはまった離れた時空間で進んでいく怖さ。まあ、歴史は繰り返すというけれど、まさか、この政治混乱の中で軍部が台頭してくるなんてことはないでしょうねぇそこんとこ知りたいので。GWまでには読みきるぞ!
   

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