ブッククラブニュース
令和8年
5月号(発達年齢ブッククラブ)
2026年5月、6月の予定
定休日は日曜、月曜、祭日です。
3月3日はから9月末まで営業時間は
★午前10時30分〜午後6時30分(夏時間)です。
5月は3・4・5・6日 連休です
6月は定休日のみの休業です。
受け取りの方で夕方時間外に来た方は電話かピンポンで呼び出してください。
休日も事前にお電話をいただけば店を開けます。外出予定がない限り
ゆめやは零細商店ですので「昭和」の感覚でお出かけください。休業日でもたいてい在店していますので、ご遠慮なく。たまに買いものに出かけているときもありますが・・・。
あわただしい世の中になってますが・・・
おだやかな春が過ぎていきます。今年は木々、草花が例年よりどっと伸びたり咲いたりですが、気温が高いせいかいつもと違う生育状態の草木になっているのを感じます。夏の高温が予想され、今年も無策な農政のためにお米が足りなくなるかもしれませんね。武器を売って儲けようなんて貧相な考えはやめて、贅沢しない豊かな生活をしたいものです。
おだやかな春なのに、日本社会は穏やかではなくなりつつあります。自分たちが憲法でできた国会で議員になっているのに「憲法を変えたい」というのですから話になりません。「それを言うなら、外側から言えよ!」と言いたくなります。
自分の父母から生まれた子が「お父さんなんか嫌いだ!」「お母さんなんか嫌いだ!」「だから私に合った他のお父さんお母さんの子になりたい」というようなヘンテコな意見ですよね。
おそらく憲法を読んでないと思われます。たしかに一定の読書力がないと憲法の原文は難しい言葉が入り混じってます。では、抄訳とか解説文付の憲法をよんでいるのかどうか、怪しいですね。高校の時、第一章の暗記をさせられました。それから折に触れて重要な条文を読んで考えました。最後尾の98条とか99条などを・・・・非道な政治をしないように縛る法律だということがわかりました。
若者が二月の選挙で与党に多く投票したらしいですが、その政党がまさか戦争をできる国にして徴兵令を敷くことなどは少しも考えずに入れたのでしょう。子どもを持つ親は、自分の子が兵隊に取られるなんてことは考えたくもないでしょう。ここに掲げた井上やすしの「子どもにつたえる日本国憲法」はわかりやすい文で書いてあります。一読しておく必要はありますね。本を読まない人間は、拙劣な自分の考えで進んでいくものです。それを論破したり退治できるように読んでおくべきでしょう。
忙しさの果てに来るものは・・・・
いまの時代、親や周辺の大人は子どもたちに「まともな生き方を教え、育てている」でしょうか。かつては、そういうタイプの大人が子どもの周辺にいて、子どもが自分なりの人生を送るための適した力を持てるように手助けをしていたような気がするのです。それは、おじいちゃん、おばあちゃんであり、となり近所のおばさんや年上の子どもたちだったように思います。そういう人々との接点が多いことは、必要な心を育てるしつけを、幼児期に周囲が与えてくれていたように思うのです。
個人的に思うことですが、戦後の「民主主義」や「自由」「平等」「個人主義」というものをいい加減に考えて主張していたら、世の中は大混乱になります。だいたいどれも過去の歴史で実現したものではないので、すべて「絵に描いた餅」。民主主義は「俺たちが一番」、自由は「何をしても言ってもかまわない」、平等は「あいつと同じものを!」、個人主義は「俺に文句は言わせないぜ!」となっていきます。ここにはモラルが入り込む余地がないのです。人と人がうまくやっていくにはモラルが必要です。口喧嘩で終わらず急にぶん殴るのは非倫理的です。そういうことを子どもに教えるのが「しつけ」つまり「子育て」なのだと思います。何でもOKをやったら世の中で生きていかれないことを教えなければならないわけです。その意味では、江戸時代のほうがはるかに進んでいたと思います。
ところが・・・いまや高学歴・高収入がワンパターンの目的となり・・・なんでもいいから豊かになればという考えで競争させる子育てになっています。なっていると言っても、べつに自然現象ではなく、晩婚化・少子化・個人主義の害をなんとかしようとする側が、教育や消費の宣伝事業に乗せて、「高学歴・高収入でないと生きられない」と煽っているだけですが。
宣伝にだまされない
庶民は、だれかに「働いて?5」と叫ばれると、うまいもの、きれいな服、車などの宣伝に釣られて、動いてしまいます。そうなると人によっては子どもを12時間預けてでも、そういう生活が欲しくて働く人もいるでしょう。この結果、子どもとの接点はどんどん減っていく。でも学校やテレビやスマホ情報で洗脳されると先を見ることができないので、指示通り動いてしまうのが多くの人々です。スマホの中には答えはないのです。
子どもは大人になるまで(いや大人になっても)、接する人々からいろいろ学びます。大人になってからの考え方や行動パターンは幼児期から周辺の人たちや家庭環境の中から生まれるものでしょう。
「しつけ」や「礼儀」は大きくなって対人関係をうまくやるために大切なものですが、いま、それが薄れていますよね。「叱らない子育て」なんてバカな風潮もあって、何をしても叱らない、たしなめない・・・これでは、子どもは「何をしてもいいのだ!」という頭になってしまうのではないでしょうか。親自身が、もうそういう人間関係の基本を身に着けていないのですから。
幼児期にうまく心が形作られないと、どこかで軸を失ってしまって、目先の欲で横道にそれてしまう可能性も高いのです。失敗したら謝る、変な誘惑はきちんと断る、それを子どもに教えるのが周囲だと思うのです。
親もなんとなく相手をしてやってないうしろめたさもあるので、けっこうお金を使って旅行やレジャーをします。自分の楽しみのためにテーマパークを連れまわす親まで出てきます。しかし、そういう環境で、子どもは「生きていく力」を学べるでしょうかね。
どういう方法があるか?
消極的な方法ですが、私は親が自分の考えを語ること、あるいはすぐれた本を読んでいろいろな考えを頭に入れることが、子どもが自分の考えをつくっていくのには効果的だと考えています。
46年やってきて、かつての会員が親になり、お子さんのためにまたブッククラブに入ってきているのを見ると、そのことがハッキリ実感できます。
その親御さんたちは、きちんとした社会生活をしてますので、それは彼らの親(旧会員)の日毎の読み聞かせもひとつの大きな成果だったと思うわけです。
もちろん今よりゆるやかな時代だったので、その方々の子ども時代はいろいろな大人(友人である子どもも含めて)から生き方を学ぶことができたわけです。
親と子のつながり、こんな時代だからこそ大切にしましょうよ。「働いて?5」と叫ぶ総理大臣の言うことなどまともに聞く必要はありません。そろそろ政治家やその下のシステムが、庶民にとってロクでもないものだと気が付く時期に来ているのではないでしょうか、ね。
子どもが大人になって、どうしたら良い仕事、充実した人生を送ることができるか?の手助けをする。忙しいので子どもの相手は出来ない・・・それは逃げ口上です。
お金で完璧な人生が買えるならともかく、世の中はそうはいきません。子どもにとって一番必要なのは、自分を育ててくれ、考えを話しかけてくれる「親」や「身近な身内」なのです。赤の他人ではダメなんです。(ニュース本文)
絵本作家さんたちの考え@
ゆめやのブッククラブ配本で作家別作品からみるとかなり配本されている五味太郎さんの本、1歳の「きんぎょがにげた」から小6までけっこうの数の選書をしている。彼の作品には逆説的な発想が多くて、おもしろい。そのパラドックスでこちらの読みを刺激してくれるから選んでいる。日本人はどういうわけか、人と同じに生きたい傾向がある。世の中の流れに乗るのが最上の生き方だと思っている。「そうじゃないんじゃない?」とか「こういう考え方・生き方もあるよ」と思う人が少ない。学校の決めた方針に乗っていけば安全とか周囲がそう考えているから、というのをそのまま生き方に当てはめてしまう人がなんと多いことか。まわりが、何と言ってもお金が大切といえば、そうだ!そうだ!軍備を固めるために税金を!といえば、そうだ!そうだ!・・・となる。それで先の大戦は行われ、その後も占領国の言いなりになってきてしまった。こりゃあマズイですよね。また子どもたちが85年前と同じ人生を生きるかもしれない。どこかで違う考えを増やしていかないとアブナイわけです。その考え方のコツを作家たちは教えてくれているのですが、なかなか読み取れない人も多い。少なくとも親は読み取ってほしいです。そうすれば子どももいつかみんなと同じが「おかしい!」ということがわかるんじゃないかと思うのです。
そこで今月から何人かの作家の考えをシリーズで取り上げてみようと思います。
五味太郎さん かく語りき
そもそも、「平和と戦争」って、対で考えるのが大間違い。 平和の反対は何ですかというと、「平和じゃない」というこ とになるけれど、「平和じゃない」はイコール「戦争」とい うことではないんだよ。戦争について考えるより、まず平和 がどういう状態かっていうことを集中的に考えていくべきなんだよな。
たとえば、戦争反対じゃなくて、平和反対って運動をしようとしたらどうなるのか考えたら、かえって分かりやすくなるよね。平和ってどういう状態なのかというのを考えざるを 得ないじゃない。
日本人は、中国人や韓国人と憎しみあってなんかないのよ。 仕事でアジア各地に行くけど、みんな仲がいい。「今、 国際関係がギクシャクしていて、憎しみあっている。戦争の危険が高まってる」みたいなこと言う人もいるけど、俺の実感としては、全然そんなことない。それに極端な話、国家同士が憎しみあっても戦争なんか起きやしないと思うんだ。
じゃあ、今どこに危機があるんだろうと考えると、儲かるからという簡単な理由で戦争をどうしてもしたい連中がいる んだよね。これは湾岸戦争でみんな分かったと思うけど、戦争は儲かるわけ。産業的に。だから、この構造を変えるしかない。この構造を解体したり、止めたり、チェックしたりすることを、本当はものすごくしなきゃいけないわけよね。
例えば「平和は戦争と対で考えない」
例えば、情報公開請求をして、軍需産業に携わっている企業のリストみたいなものを作って、その企業の株を買わない ようにする運動を起こすとか、さ。みんな利子をもらうために、銀行に預金してると思うけど、銀行がそういう企業にも 融資しているってことに気づくとかね。大きな構造の中に、何が組み込まれてるのかってことを、個々が考えた方がいい。 戦争が不安だったら、ちっちゃいけど打つ手はいろいろあるよ。
歴史を見ると、第一次世界大戦で、日本は一応勝ったわけだよ。それでなんとなく強くなったって錯覚があって、世界的に不景気となったとき、日本の多くの国民が「次の戦争やろうよ!」って思ったんだよ、無意識に。 誰かが「嫌だなー」 と思ってても、みんなが 「やろう、やろうよ」って言って、 あの形になった。
たくさんの人が盛り上がってると、反対意見がなかなか出なくなる。二度目の東京オリンピックだって、あまり誰も反対していない。「やっぱり今、国と国が戦うなんてナンセンス じゃないか?」っていう人はほとんど出てこない。儲かる人がけっこういるから無理してでもやるわけ。 「そんなにお金がたっぷりあるなら、もっと違うビジョンがあるよね?」っていうアイデアをなかなか表に出てこない。誰も一回立ち止まって、ニュートラルに戻って考え直したりしない。何が楽しくて何が楽しくないのか、何が無理してるのか、一個ずつ止まって考える習慣がない。多勢に無勢で世の中の流れに乗るだけ、人任せじゃ世の中悪くなるだけなんだよ。(ニュース一部閲覧)
当然の失敗でしたが
3月号のこの新聞で、「デジタル教科書の廃止」という請願を甲府市議会の委員会に提出したことはお伝えしました。
で、その説明を市議会の委員会(委員20人)でしたのです。「スウェーデンやオーストラリアなどがデジタルをやめ、紙の教科書に戻して、教師(人)が生徒に説明する授業に戻している」というものです。
国へ請願しても製造会社がお金をつぎ込んでいるので議員は動きません。県議会も同じ、比較的自由な市のレベルで考えてみないか!という案件でした。甲府市は「非核都市宣言」までしている市ですし、市立学校で紙の教科書復活くらい他に先駆けてできるのではないかと思った安易な(笑)請願でした。
紙の教科書に戻す裏の原因
説明は、ゆめやの開業理由から。始めました。1980年はファミコンができた年ですからね。ゲームに引き込まれた子の精神が、問題を起こすと思ったから、その対策として本を読め!と。
いま、一部の先進国では、紙の教科書と人が教える教育に戻していますが、我が国は検討もしません。そこで、なぜ各国がデジタル教科書をやめたかという理由を説明しました。
表向きには、ワンパターンの解法で答えを得るので、分析力・判別力、思考力の低下が起きているというものです。しかし、その裏では少年の素行の不良が起きていたからです。
これは、ゲームでも起きています。1980年前後に浸透し始めたゲームは多くの子どもに劇的な変化をもたらしました。
でも十数年後に、サブカル原因の少年犯罪が多発。例えば、友達の首を校門に置いた酒鬼薔薇事件、幼女連続誘拐殺人の宮崎勤事件、光市の母子惨殺事件・・・まだまだありますが、犯人はみんな十代の少年少女でした。では、それから40年後はどうでしょう。最近、無差別にナイフで人を刺す事件続発してますよね。この犯人たちの年齢は、ほとんど40歳代なのです。つまり切れてしまう世代?
少年が起こす事件。これはアメリカはもちろん、各国で起きています。日本は銃器の販売がなくてよかったですね。あればアメリカ並みの乱射事件が起きるでしょう。
事件には原因はある
世の中で起きる事件は必ず原因があります。8050問題はご存じですよね。50歳代の子どもが80歳代の親を介護する問題。デジタルが原因ではない。もちろん親を世話をする人も多いでしょう。でも、親殺しの事件も頻発しているのです。犯人はほとんど50歳代の子。たいてい独身で親の金で生きてきた人です。
原因は・・・50年前のことを思い出してみてください。高度成長で夫婦共稼ぎ・子どもは長時間保育園・・・・80歳代の親は高給をもらって年金もたまった世代ですが、中には意欲のない子どもにお金だけ与えて遊ばせていた家もあるでしょう。その子が若いころは、バブルでモラルが崩れた時代です。小さいときに関わってくれなかった親と住んでいて、親が老化したら面倒になって殺してしまう・・・・お金だけで接してきた彼らには意外にたやすいことなのかもしれません。
こうした事件が起こる原因は置かれた環境があると思いませんか。
そういうことは考えない国なので
そんなこんなを手短に委員会で説明でしたのですが、議員さんからは質問もなく、終わりました。部屋を出てきたらブッククラブの会員で新聞記者をしている方とパタリと会って「何を話したか」聞かれそうになりましたが、「請願の説明で来たが、みんな聞く耳持ってなかった!」と言って逃げました(笑)。どうせ市側の力で記事にはならない話です。あとで聞くと20人中、請願に賛成したのは2人だけだったそうで、けっきょく議案には上がらず廃案となりました。時間を無駄に使っただけでした。
まあ、市会議員も国会議員並みに深く考える力はないのでしょう。あるいは、先を心配する気持ちが欠けていると思います。異論は検討せずに力でつぶす。多数決の論理が誤って使われているわけです。いまの政権も誤った政策をごり押しの多数決で遂行したいようです。
私が請願できたのは、教科書販売権や図書館納入権を持っていないからです。持っている書店主なら、まず行政と戦えません。そんなことして権利を失ったら大変ですからね。とはいえ、いまや書店はどんどん閉店してます。行政に逆らおうと逆らわなかろうと書店は一般大衆の知性の鈍化でもう持たないのです。スマホに染まってしまったわけで、その中毒になっている親や教師が子どもに本を読めとは言えないわけです。それなら全国の書店が閉店していくのもやむを得ない。でもね、そういう「儲かれば武器でも売る」「企業から金が入ればなんでも言うことを聴く」国は遠からずして潰れますよ。こういう社会状況をつくった国の為政者の末路が見たいものですがね。とうぶんはゆめやも踏ん張ります。
こんな零細店ですが、多くのお客様のご利用をいただき、なんと50年近く営業できました。これも売り上げのためには図書館納入でも教科書販売でも儲かればなんでもするという姿勢をもたなかったからでしょう。だから自由に物が言えます。自由というのは大変な負担がいるもの。ということは、私が言いたいことを言える自由を持てるのは、お客様である会員の皆さんのおかげというわけです。心よりお礼を申し上げます。
とかくこの世で流行るもの・・・
いまや情報や知識はスマホから得るのがあたりまえになった。そこにAIが登場して、わからないことはAIに聞く、つくれない資料を作ってもらう、自分の考えをまとめてもらう・・・まあ、すごい世の中になったものだ。だが、ここで頭に入れておかないとヤバイのは、なんでも流行のはじめは夢いっぱい、可能性無限というキャッチフレーズが踊りまくるということである。そして乗せられる。
しかし、時間が経つとだんだん正体が見えてくる。windows95や98が出たとき、インターネットは夢の通信網だった。スマホのときも同じ。いまAIも無限に未来を切り開く知能だと多いに騒がれている。
しかし、SNSも時間が経つとかなりヤバイ機能が出てきて、邪道なもの(詐欺とか購買欲を煽る)も現れてくる。
だが、こういうことを書物や映画は前から見抜いて予言してくれていることを知っているだろうか。例を出そう。
2001年宇宙への旅・・・冒頭シーン
BGMにリヒャルト・シュトラウス作曲「ツアラツストラかく語りき」が流れ、類人猿がモノリスに触る場面が出る。その後、殺戮と破壊を覚えた類人猿が分捕り合いの戦いを始める。
このモノリスは見たところまさにスマホではないか。「スマホは全人類をつなげて人々を一体にする」と初めに言われたが、そのスマホが広がった21世紀以降の人類の世界は、まさに分捕り合いの戦いばかりである。映画の冒頭シーンそのものが、いま現在、行われている世界の現象というわけだ。
そのあと場面は宇宙を旅する宇宙船の内部から断片的に人類が変化してきた歴史の場面が投影される。筋だった論理的説明がなされないので、感覚的に理解するほかに手がないが、冒頭の類人猿のことを考えれば、人類がたどってきたプロセスの再学習なのだろう。
HALLが狂い始める
やがて、宇宙飛行士が頼りにしていたマザーコンピューターのHALLが狂い始める。何か悪をイメージさせる指示が始まり、すべての時空がごちゃごちゃになりはじめていく。結末は理解しがたいが「はじまり」(胎児)に戻るということは・・・・なんとなく、この映画が人類の終わりがあってまた始まるということが暗示されているわけで、なんとなくわかるような気もする。
言っておくが、この映画は2001年に公開されたわけでなく、なんと公開年は1968年である。まだアポロ計画でようやく月面に宇宙ロケットが到達した時期なのだ。そのときに、ここまでドラマチックに人類の起源から闘争や混乱の歴史の本質を投影させた映画はすごいと思う。こういうものを作り出す製作者の頭は千里眼を持っているのかもしれない。
エイリアンでは・・・
「エイリアン」のマザーコンピューターはもっとすごい。「手に負えない宇宙怪物をどのように処理するか?」を船内のコンピューターにヒロインが質問する。かえってきた答えは「エイリアンを捕獲しろ!」と「会社の営利のための案」が指示される。それが、営利案という題になった!(笑)わけではない。でも、結果は、おそろしいことになっていく。
ようするにマザーコンピューターとは独自でデータ計算をして答えや命令を出すものではなく、管理している側の意図を汲んだ指示を出すというものである。ここでは企業のコンピューターだが、国家が使うマザーコンピューターになったら怖いですね。判断に国の意図が反映され、「あの国は、けしからん。攻撃せよ!」とか「あの男や女の考えは危うい。始末せよ!」では法律も行政もあったものではない。
しかし、そういうふうになっていく可能性は高いのです。例えばChatGptなどは、対話・言い分を聞くというゆるやかな対応をしながら、けっきょく結論を押し付けてきます。対話とか討議のような形をとるので、多くは自分が尋ねたものに真摯に対応してくれていると思いがちですが、規模が国家的なものならたやすく、自己権益に誘導できることでしょう。早い話、抽象的な詐欺のようなものでしょう。とにかく人が造ったものは人が管理・介入ができるということを知っておくには参考になる映画でした。
「火の鳥」未来編(手塚治虫)
手塚の長編漫画「火の鳥」も、マザーコンピューターについて描いている。未来編では各国のマザーコンピューターが為政者や国民に身勝手な指示をし始める。漫画だからストレートにわかる表現がそこここに出てくる。「私の計算通りにすれば間違いない」とか「亡命者がこちらに向かっている」とか、いかにも信ぴょう性があるような感じの命令・指示が出るわけだ。そして、多くの国民が、このマザーコンピューターの判断の言うことを聞いて大変なことになっていくという展開だ。
このように20世紀の映画製作者や作家たちは、AI的なコンピューターの働きが、背後にいる人によって操られていることを描いている。いまだってそうですよ。AIの後ろに、何かをたくらむ誰かが必ずいます。それが見抜けないのは、予言的なこうした映画・小説を読んだことがないからである。何もわからなければ詐欺にあってもわからないというのは悲しい。だが、現代でも悪辣な為政者はAIやSNSを使って情報操作をしてライバルを貶めたり、一般を洗脳したりすることは平気である。
「華氏451度」と「1984」
さて映画や漫画の次は本である。文字通り「本題」。ここに掲げた2冊の本。「華氏451度」は、ヒトラーの焚書から十年も経たないうちに書かれたレイ・ブラッドベリの近未来SFだ。本を読まないように燃やす。かつて紀元前200年くらい前の中国で始皇帝が儒教・儒学などの書籍類を自分の政治に反対する思想書として燃やしたのが「焚書坑儒」だ。四書五経などの本を焼いて思想鎮圧をした。その本の紙が燃える温度が華氏451度。それがブラッドベリの本のタイトルになった。
いまや情報が全て。テレビやラジオによる画像や音声などの感覚的なものばかりの社会である。これでは思想など学べるわけがない。火では燃やさないで退ける現代的な焚書坑儒である。
一方、ジョージ・オーウェルの「1984」は第二次大戦直後に書かれたので、もう80年近く前の小説だ。そこでは漫画以外の本の所持が禁止されていて、まさに現代そのものではないかと思わされるところがある。漫画は深い思考力を造らないので容認されたというわけだ。ほかにも現代におけるディストピア的な要素満載の近未来小説である。まあ、現代はグルメ、お笑い、スポーツとしょうもない情報で本を読まないように規制している可能性もありますけどね。識字率も下がっていて、長い本が読めない、深く思考できない、自論を書けないという状態がすでに起きている。この結果、民はしっかり本も読まず、流れ来る情報を見てわかったつもりになり、老人さえも「遅れじ!」と情報機器を操れることが「自分は先進的だ」と錯覚させられ、つまらぬ自己発信を続ける。どんどん日本はバカになる。
先を読める作家は日本にも
だが、外国の作家ばかりではない。日本でも星新一が「ひとにぎりの未来」の「番号をどうぞ」でマイナンバーカードを・・・、「かぼちゃの馬車」所収の「確認」では生体認証を描いた。コンピューターが一般化しない60年も前の話だ。生体認証は、2020年代になって初めて実用化ですからね。こういう頭のよい人、千里眼のような目を持つ人の本も読んで頭の切り替えをしたいものです。こういう本が読める準備として高学年で星新一のシリーズを配本の中には組み込んでいます。
とかく、この世で流行るものは人の頭のレベルを下げ、欲望だけを増大させる性質を持つものばかりです。いまインターネットも「物売り広告」でまともに読めない、見られない状態になってます。AIもウイキペディアのような読むものを排除して、勝手に答えを出してきている。読めば疑問も生まれ、反論も浮かぶが、聞いたことに答えるだけのAIは人の頭を低下させる。さて、世の中の流れに乗りますか?それとも自分を磨きますか?自分で答えを考えますか?(新聞一部閲覧)
(2026年5月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

