ブッククラブニュース
令和6年
12月号(発達年齢ブッククラブ)

2024年12月、2025年1月の予定

定休日は日曜、月曜、祭日です。
 それ以外の休業日は、今月はありません。
12月は29日から1月3日まで年末年始休業です。4日(土)が初営業。
休業日・時間外受け取りは事前にお電話ください。
外出していないかぎりOKです。また前日のご連絡なら在店するようにします。
通常日の営業時間は午前10時30分〜午後6時00分(冬時間)
 受け取りの方で午後6時以降に来た方は電話かピンポンで呼び出してください
 なにしろゆめやは零細商店ですので「昭和」の感覚でお出かけください。たいてい在店していますので店を開けます。ご遠慮なく。たまに買いものに出かけているときもありますが・・・。

発送会員の方へ

 ニュースを2ケ月まとめて送付ということがあります。
 封筒・文書用紙・印刷用紙など通信に必要なものの価格が約1.5倍に。さらにひどいのは郵便代の値上げ。ハガキ、封書を通信に使うゆめやにはたまらないものがありますが会費・通信費などの値上げはしないつもりです。開店以来44年間、一度も値上げをしなかったので、ここは来年も踏ん張ります。どこまでできるかですが。
 書籍の利益はひじょうに少ないので大変ですが、皆様にご迷惑がかからぬように工夫で乗り切るよりありません。このため2ケ月分ニュース・新聞をまとめて送ることにしました。毎月、ほしい方は別にご連絡をお願いします。
 また振替・振り込みのお礼をハガキで行ってましたが、そのハガキは翌月のニュース・新聞に同封します。
 ●ですから、配本代の振替・振込は、できるかぎりお届け1ケ月以内にお支払いください。そうしないと返信が遅くなります。これまでは請求督促をハガキで出していましたが、お支払いが遅くなった場合は督促代を加算します。ご注意ください。
 ●振り込みの方は、振り込んだことをメールでお知らせくだされば確認は返信で連絡します。
 すべてこれまでの政治の悪影響。国がすべきことをしないようにした郵政改革はしてはならないことでしたね

発達対応絵本 ⑧ 4歳

 多くの配本が完全に物語になる時期です。
 4歳の配本は、3歳代と比べてはるかに長く、内容も深まってきます。ここまで来れば、親がおどろくほど長い話が聞けるようになっています。近くにいるキャラクター絵本や戦隊もの絵本ばかり見ているお子さんはどうでしょうか。きっと、この長さや深さがまったく楽しめないでしょう。でも、配本で順を追ってきた子にとっては何でもないものです。ふつうに読めば、じゅうぶん物語の展開を楽しめます。
 また内容も社会性を考慮した深いもの(テーマが高度なもの)に変わってきます。男子ではルールを無視したい男の子の活力を表現した「かいじゅうたちのいるところ」「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」などが入ります。「スイミー」も「からすのぱんやさん」も周囲(親や家族)と自分の関係です。

反抗期でもあり社会性がつく時期

 4歳になると子どもの多くは家庭とは違う何かに属しているという意識が芽生えてきます。このため、精神的にプレッシャーを受けて不安定になる子もいれば、すんなりと組織に入り込める子も出てきて、さまざまです。こういう時期には周囲との関係を描く物語を多く入れてあります。ですから、あまりこうしなければいけない、ああしなければいけない!という禁止命令ではなく、自然に「社会性とはこういうものだ」と示すことが大切です。そのためには物語を活用するのが一番ですね。主人公に共感しながら、世の中との関係がわかる・・・繰り返し読めば、自然に身につきます。
 ですから、あまりこうしなければいけない、ああしなければいけない!という規則ごとではなく、自然に「社会性とはこういうものだ」と示すことが大切です。そのためには物語を活用するのが一番ですね。主人公に共感しながら、世の中との関係がわかっていくこと・・・こういうことが、わかるのが一般的には4歳からでしょう。とはいえ、自我が出てきても自分一人で生きて行かれる年齢ではないので、そこはサポートが必要です。要は、世の中で生きていくのにどういうことが大切かを子どもが実感できる物語があれば、それをこの時期に使うのが有効ということです。反抗期は成長するうえで大切な時期。物を批判的に見る力をつけます。暴走したら大変なことにもなりますが、幼児の反抗は問題ない。これがクリアできれば思春期反抗は切り抜けやすいです。

自我が出る・その葛藤もある時期

 最近、反抗期がない子どもが多いと聞きます。4歳くらいの反抗は反抗とはいえ、かわいいもので、ほとんどが口です。暴れまわることなどほとんどない。自我の突出とルールとのかねあい・・・中にはルールを学べず反抗期を過ぎてしまう子がいます。ルールは教えましょう。
 親が先回りしたり、代弁したりでは、・・・社会性が育ちません。世の中、注意できる人が少なくなっているので、傍若無人・モラルハザードの子が育ちます。そうなると大変・・・学級崩壊の原因はみんなこれです。4歳は重要な時期なんですね。うまく反抗と付き合い、社会性を身につける・・・。やはり、自我と社会性の葛藤はあったほうがいいのです。あることで、自分が世の中のどの位置にいるかも分かってきます。相手を考える力も生まれてきますからね。 この時期の読み聞かせは、以上のこと考慮して組んであります。4歳過ぎれば、深く長い話でも子どもの心に響くはずですうまく反抗と付き合い、社会性を身につける・・・。4歳過ぎれば、深く長い話でも子どもの心に響くようになるはずです。
 ここに挙げたセンダックの名作「かいじゅうたちのいるところ」は。母親に叱られて(眠ってしまった)子が、かいじゅうたちを従えて威張りまくる話です。こういう想像による(夢)での解放感に共感する子も多いでしょうね。

二世会員の読み聞かせ・・・

 甲府市 Sさん 1歳
 今年の夏、ゆめやさんデビューした1歳の娘。絵本を開けば、おつむてんてん、おくちはあわわ…「本」には興味があるようで、時に大人の蔵書点検、一冊ずつ引っ張り出しては「よんで」と私に手渡し、膝の上に滑り込みます。
 …これは、ママがばぁばと「どのパンが好き?」って指さしした『からすのぱんやさん』よ。それは『たくさんのふしぎ』、毎月読むたびに世界が広がって楽しかったなあ。あれはママが「言葉に携わる仕事をしよう!」って決意した安房直子さんの童話シリーズ、いつか一緒に読もうね…。
 娘が持ってくる本の表紙を撫でるたびによみがえるのは、毎月机の上に置かれた新品の本に心ときめかせた頃の記憶。そう、ゆめやさんでいただいた本は一冊一冊に「思い出」があるのです。
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 私たちは子どもへの愛を「課金」の度合いではかられ、街に出てもスマホの中でも「早期教育」の四文字に脅かされる令和の親です。たった一人か二人の子育てなら「コスパ」重視しないのは損?!…でも「ゆめやメソッド(?)」を受けたブッククラブ卒業生は、世にいう「正解」や「成功」ほど恐ろしいものはないことを知っています。今なら分かるのです、大人に振り回されない「モモ」がどれだけ勇気ある少女であったのかを。
 かつて読んだ物語の仲間たちは、大人になった今でも私の味方です。そして子どもの頃に身近だった大人の言動も・・・・。判断に迷ったとき、「〇〇さんなら何と言うだろう」の〇〇に入るのは、しばしば、ゆめやさんor母でした。
 毎月夢新聞を拝読していた母が、「本を読め!」「どうだった?」なんて言うことは一度もなく、ただ幸せそうに読書する姿を見せ、私の伴走者となってくれたのも、ゆめやさんのおかげだと思っています。
 ゆめやさんの考えが絶対正しい!なんて断言したら叱られてしまいそうですが(笑)、子どもたちを愛し、本を与える親たちにも寄り添ってくださる確かな場所を求めて二世会員たちは再び「丘の上の絵本屋さん」をおたずねしているのではないでしょうか。
 ゆめやさんに育てていただいた私たちは、絵本を読む時間が親子の幸せな思い出に、やがて迎える一人の読書時間も孤独ではない営みになることを知っているのですから。

 【ゆめやより】
 なんだか「こそばゆく」なるようなご投稿で「痛み入る」ばかりですが、Sさんが子どもだったころから、そんなに時間が経ってしまったのかという感慨もひとしおです。私の力などほとんどなく、最大の力は本が語るものを受け取った方の成果だと思うのです。
 当然ながら、その受け取りはできる人もいればできない人もいる。本を選ぶのは人ですが、もしかすると本が人を選ぶこともあるかと思います。いくら言っても聞き耳持たぬ人もいれば、一回言ったらもうわかる人がいるのと同じです。
 でも二世会員の多数出現は、時間が44年経って、それなりの成果が出たのではないかと自我自賛しています。会員のお子さんがまたブッククラブを利用する・・・これはそれだけでも信頼が息づいているわけで、うれしいことですから。ここまで褒められるほどのことは何もしていません。何しろ「商売」でやっているわけで、無償で本を貸したり売ったりしているわけではないのです。これは、一般的に評価は得られません。なんといっても貸すという無料でやることが立派なわけです。
 でも本は手にして自分のものにしなければ、効力を持たないのです。そういうものにたいして評価いただけたのは、うれしいことです。なにはともあれ、お言葉ありがとうございました。

今年もありがとうございました

 今年も、ブッククラブをご利用くださいまして、まことにありがとうございました。
 写真は「赤毛のアン」の訳者・村岡花子が教えた山梨英和学院のクリスマスツリー点灯式11・26・2024です。
 この一年、いろいろなやりとりを心よりお礼申し上げます。忙しくても今年を振り返りながら先を見つめたいと思っています。過去を見つめられないと世の流れに流されてしまうので、今日は過去のクリスマスのことを語りたいです。
 過去を振り返りながら先を見つめることは大事です。過去を見ないと世の流れに流されてしまうので、今日はゆめやのクリスマスのことを語りたいと思います。

45年前のクリスマスのこと

 1980年の春に「ゆめや」は開店予定(写真は相生町にあった旧店舗)でしたので、前の年の歳末は選書に忙殺されていました。棚に何を置くか?毎日、その選別で夜遅くまでです。クリスマスの夜、娘は翌年生まれる予定で夫婦ふたりの貧しい聖餐でした。
 選書は私だけが選ぶと、偏るので、ゆめやのおばちゃんにも相談します。まだブッククラブがなかったので、女の子の本の選書は私が苦手。おばちゃんに「子どものころ何か好きな本はあったの?」と聞くと「赤毛のアン・シリーズが好きだったので選書に入れて!」と言うのです。
 こういう本は少年時代に読んだことがありません。で、読むと、小さな島のおばさん、おばあさん、子どもたちが「ああでもない、こうでもない」と言いながら、毛糸を編んだり、パッチワークをする。料理をしたり、人のうわさや悪口という普通の庶民生活の物語です。新渡戸稲造の「武士道」が愛読書だった私としては、とても全巻読む気になれませんでした(笑)。でも、おばちゃんのお薦めを尊重して、以来44年、ゆめやの棚には置いてあります。ここ十数年、読める子が減って人気がないのですが、新書版にして、まだ置いています。

村岡花子・訳の意味

 なぜ私がそこまで凝っているかというと、ひとつは訳文が美しい日本語だからです。そして、さまざまな紆余曲折がありながら、読んだ人に「人間は信じられる」「世の流れとは戦う」というしっかりしたテーマがあるからです。人を信じにくい時代だからこそ読むべきで、いまは子どもの人格をゆがめる人や生活ばかりなので、なお必要な本でしょうね。そこを知りたければ、これをどうしても翻訳したかった村岡花子の生き方も知る必要があります。
 朝ドラ「花子とアン」を観た方は分るかと思いますが、ドラマはちょっとおもしろくしすぎでした。育った家が朝ドラでは上のような江戸時代の農家みたいなのですが、実際は甲府の真ん中の寿町(県民文化ホール近く)で町の中。私の生家と目と鼻の先、中学への通学路でした。父と母方の宗教がちがったので、いられなくなり、彼女の生れた家は東に500m行った和田平という、いまの甲府市立図書館のあるところあたりです。金手駅の近くですね。

彼女の伝記が語る生き方

 朝ドラの描く通り、兄弟姉妹が多く貧しかったのですが、父親が才能を見込んで東洋英和の寄宿生にすると、ものすごい数の本(原書も)を読んでいくのです。そして、高等部を出ると英語の教師として山梨英和(上のクリスマスツリーのある学校、ゆめやから東に1km)に赴任、四年間英語教師をします。ここからの生き方がすごいのです。
 朝ドラではハショッてますが、ドラマ原作「アンのゆりかご」村岡恵理・著には、いかに熱い思いで子どもたちに本を届けようとしたか、女性の地位向上運動に携わっていったかが細かく記されています。かと言って社会的な動きだけではなく家族をまとめ、きちんと生活をしていく側面、いかに家族を大切にしたかも細かく書かれています。さすがは明治の女ですね。朝ドラ再放送をBS12で(12月終了)もう後半になってますがやってます!
 さらに伝記・「村岡花子の甲府時代」深澤美恵子・著には、著者の努力で集めた詳細な資料が、花子の生き方をくっきりと浮かばせます。著者が独自に集めた写真や手紙はみごとなできあがりとなっており、労作です。花子の生き方がいかに多くの女性に影響を与えたかがわかります。ぜひご一読ください。

「思い」は出会いをつくる

 朝ドラでは花子の出会いは柳原白蓮や東洋英和のカナダ人教師など狭い世界の関係しか描かれませんが、吉屋信子・林芙美子・石井桃子(Pラビットシリース・くまのプーさんほか)・渡辺茂男(エルマーのぼうけん)・壺井栄(二十四の瞳)・・・という小説家、児童文学作家など数え切れないほどの多彩な作家とつながり、社会運動家の市川房江、澤田美喜(エリザベスサンダースホームの設立)、ヘレンケラーなど、そりゃあもう書ききれないくらいの人々と深い交流ができていきます。
 なにかをしようという「思い」は、それなりの人たちとつながっていく原動力なんですね。お金とか出世など世俗的なものへ思いを持つ人も多い世の中ですが、どうもそういう人たちの回りには、その場限りの人間関係しかできないようですよね。近年の子どもたち(大人も)には、何かをしようという思いが感じられません。何がそういうふうにさせているのでしょうね。生き方に共感できることは大切なつながりをつくります。これを感じてクリスマスの夜に選書した一冊が「赤毛のアン」でした。

子どもたちは「強い思い」を持てるか

 ・・・・と思う今日この頃です。ゆめやから甲府市街に降る道。甲府駅から来る線路の横に「村岡花子の通り道」という看板(←)があります。踏切の手前ですからよく目にします。これは彼女が勤務した山梨英和から駅までの通学路の途中です。何年も勤務したわけではないのですが、自分が生まれた土地への思いもあったのか、甲府のことは良い感じで記憶していたようです。
 花子が教えていたころの山梨英和は、多く資産家のお嬢さん方が通っていたので、向学心もかなり強い子どもたちの学校だったと思います。それは東洋英和がさらに上流家庭の娘たちで構成されていたように山梨でも地方なりに、資産階級の娘たちが通う学校だったのでしょう。
 伝記では生徒の家に招待されて甲州の名物料理「ほうとう」を食べた話が語られますが、5歳まで住んでいた甲府で「ほうとう」は食べたと思うのですが、忘れているのでしょうね。私の子ども時代でも山梨英和は、甲府市内のいわば良家の娘さんたちが通うお嬢さん学校でした。

お嬢さんたちを眺める

 この道は私の高校への通学路でもあり、踏切のちょっと下の甲府城の東側の石垣横には喫茶店がありました。タケイ珈琲店というコーヒー豆も売り、喫茶もするお店です。だから、帰途は友人とよく寄ったものです。喫茶店入店は校則違反ですが、「コーヒーは酒ではないのに禁止はおかしい!」と頻繁に飲みに行きました。
 でも目的は別。その前の道は山梨英和のお嬢さんがたの帰り道でもあるのです。女子高なので当然、お嬢さんばかりが通る。それを窓から眺めようという、あまり高尚でない不純な「思い」です(笑)。
 ところが近年、仲田さんという方が会員になりお子さんの配本を受け取りに来ました。いろいろ話をしていると、なんと、その喫茶店の娘さんだったのです。喫茶店の窓から英和生の「品定め」をしていたことを話すと「私も通ってました」と笑いながら言います。きっと内心では「ゆめやさんも高校のときは、どこにもいる男子と同じだったんだなぁ」と思ったことでしょう。軽蔑されたかもしれません(笑)。オーナーが代わっているので私の高校時代のマスターのお子さんではないと思いますが、この会員は今、高校の先生なんです。「思い」がなくとも、人は、つながっていくものですね(笑)。

同じつながりでも・・・・

 さて、花子の山梨英和勤務中の写真があります。およそ百年前の卒業式の写真ですが、英語教師の村岡花子(赤い→)と前列中央になんと新渡戸稲造(青い→)が写っているのです。
 新渡戸はこの翌年、東洋英和・山梨英和・静岡英和などミッション系の学校が集まってつくった東京女子大学の初代学長になった人です。言うまでもなく明治・大正期では抜きんでた近代人です。
 二人とも英語が堪能・・・どんな話を、この校庭でしたのでしょうね。
 世の中を良くする人たちと出会っていく・・・自分を高める上でも大切なことだと思いますが、現代のこの国ではむずかしいことですよね。でも、そういう子が出現するのを期待したいです。そして、大人も、学歴だけあっても悪い奴らがつながっているグジャグジャの世の中に負けず、なんとかがんばりたいものです。(新聞一部閲覧)

サンタクロースが来ていたころ

 あっという間にまた年末です。
 世の中の流れが速いのか、太陽フレアーが強すぎて一日が短くなっているのか(笑)、あるいは、生活に追われていて、ゆっくりする時間がないのか・・・・・・。
 能登半島の地震がもう遠い昔のように思えます。なんだかあっという間の一年でした。こういうふうに時間の速さを感じているのは私だけなのか皆さんもそうなのか・・・どうなんでしょう。
 個人的には、流れてくる膨大な情報・ニュース・流行には、ほとんど関心を持たないようにして時間を蓄えています。いちばん気楽なのは子どもの相手をすることで、これは半分、仕事ですから、この時間はゆっくり流れます。小さい子どもは時間に追われていませんからね。こちらが、ゆったりゆっくりなれる「天からの贈り物」ですね。

思い返す

 クリスマスが近づくと私は、その年に出会った人とのことや小さな事がらをなるべく思い起こすようにしています。時間に追われていると思い起こすことさえしませんのでね。多くは周囲の人とのやりとりやブッククラブのお子さんたちのことですが‥‥悲しいことのあった子、いじめを受けてしまった子、学校に行けなくなった子、そういう子どもたちが「来年が楽しい一年になるといいなぁ」と願いながら手紙を書いたり、メールの返信をしてます。
 がんばった子、うれしくなるようなことをやってくれた子‥‥これは、来年も、また未来でも同じようにやってもらいたい。もちろん、目にしたり、耳にしたりした狭い範囲なのですが、必ず何人かいます・・・そういう子どもたちが、大きな想像の翼を広げて現実のパワーを越えていってもらいたいと思います。現実に漬かって、したたかに生きるだけの人間には現実を乗り越える力はありませんからね。持っている物の数や量を競わせる時代を見ていると、物を次々と与えることが人の心を滅ぼすような気もしてきます。日頃、忙しい親や子どもと接する時間がない親ほど子どもに物を大量に与えるといいます。与えるものは他にもあるけどね。

本屋のマルチンになれるかな?

 「くつやのマルチン」という話があります。トルストイ民話集の中のお話です。靴屋のマルチンのところに神さまが「今日行くから」と連絡がきたので待っていると、目にするのはおばさんに叱られた小さな子、貧しい母親と子ども、雪掻きで疲れたおじいさん・・・マルチンは、慰めたり、食べ物を与えたり、お茶をいれてやったり・・・でも神さまはやって来なかった。つまり、じつは出会った人たちがみんな神さまだったということです。マルチンがしたことを神さまはみんな知っていたわけですね。
 お話や本から、いい考えを知ることが重要なことではなく、知ったら行うことが重要なのだということを教えてくれるすてきな話でした。
 昔、12月24日の晩に生まれた人で、何も持っていなくても自分の考えで世界に「やさしさ」を広めた人がいました。やさしさ・・・それは、私たちには大きなプレゼントですよね。それと同じで物語やおはなしは、私たちにいろんなことを教えてくれます。サンタクロースも、きっと同じように物とは別の大切なものを持ってきてくれるはずです。物を喜ぶだけの人間にはなりたくないものです。(ニュース一部閲覧)

家庭はなにをするべきか
⑥ 親の考え

 この項はゆめやの個人的な意見にすぎないので、世の中の流れから外れている! そんな考えはおかしいという方は読まずに飛ばしてください。
 以前はある一定の倫理観や生きるための規準のようなものを周囲の大人や学校が教えてくれた時期があった。ところが「自由」が広まると、何をやっても自由なので教えても意味がなくなる。なにか言えば「私の自由じゃん!」と言われたら、それ以上言えない。かつては倫理や行動パターンが世の中的な決まりとして一定で、「それはダメ!」「それは良い!」で決着がついたものだが、現在はそうはいかない。必ず、「そうはいっても。」「別の考え方もある!」となかなかすんなりいかない。
 最近の政治家の不祥事や一般人の犯罪を見ていても、どうもすっきりした結論にならないのがその結果だ。なんでも許され、問題視されない。こういう流れが世の中にあると、親が子にしつけることが誤りであるように感じられる。
 そうなると、いまの親はしつけに尻込みをしてしまって、子どものなすがまま、「勝手にどうぞ」というのが、良い接し方だと思う風潮が出てきてしまった。一方では育ちも頭も悪い親が虐待やいじめで子どもを全否定する例が事件となって騒がれる。だから、なおさら「子どもは自由に!」という傾向が強くなるのだろう。これは危ない。
 それは子どもが大人になったとき、自分というものを考えられない危険も出るからだ。たとえ親が理不尽なしつけをしても、子どもは、それがいいかどうかの判断をしながら成長していくものだ。親の考えを、子どもに見せなければ、子どものたたき台になるものが生まれないのである。自分の考えがないと世の中に流される。
 ここに一例として挙げた幸田文の本は、父親・幸田露伴のうるさいしつけが書かれているが、それが娘の中に根付き、独自の所作や行動、考え方を生んでいるのが分かる。テレビや雑誌ではとてもしつけの本質は見えてこない。親は周りを気にせず、もっと子どもに介入していいと思う。そのためにも親の考えを固めないとね。世の中の流れに乗るだけが生きる方法ではないということを知らねばならないと思う。(12月号一部閲覧)

 今年も一年ありがとうございました。来年も地味にですが、ていねいに会員の皆さんに対応していきたいと思ってます。温暖化とはいえ寒くなっています。風邪に気をつけて、静かなクリスマス、佳いお年をお迎えください。



(2024年12月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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