ブッククラブニュース
令和6年
8月号(発達年齢ブッククラブ)
2024年8月、9月の予定
定休日は日曜、月曜です。
8月はお盆休みが11日〜14日まであります。ご注意ください。
9月には棚卸休業の秋休みがあります。9月23日〜25日。
休業日・時間外受け取りは事前にお電話ください。
外出していないかぎりOKです。また前日のご連絡なら在店します。
★通常日の営業時間は午前10時30分〜午後6時30分
受け取りの方で午後6時半以降に来てしまった方は電話かピンポンで呼び出してください。
なにしろゆめやは企業ではなく零細商店ですので「昭和」の感覚でお出かけください。たいてい在店していますので店を開けます。ご遠慮なく。たまに買いものに出かけているときもありますが・・・。
残暑お見舞い申し上げます
こちらは7月にいきなり39・4度になり、以後38度前後がつづいたため、普通の生活をしていてもバテバテになる夏です。立秋過ぎても高温は変わらず、秋風が吹くのはおそらく遅いことでしょうね。埼玉、群馬も40度を超える高温・・・都会のクーラー排気がつくりだした高温でしょう。おでかけもあり、お盆休みもお子さんとの行事があると思います。日射病・熱射病・熱中症・コロナ・手足口病・事件・事故に気を付けて秋を迎えたいものです。昔と違い気を付けるべきものが多すぎますよね。
夏はあまり外に出ず、会員のお母様と話をする会や涼しいところでの会合(山梨東部の学校司書さんの集まり)で話(当然私のことですからキツい話です)をさせてもらったり、そういう息抜き(笑)もできますが、いやはや世間を見ていると暗くなります。地震はある、とんでもない事件がある、世界は不安定、物価はあがる・・・楽しくなる要素がまったくありません。
いくら少子化とはいえ、子どもが遊んでいる風景もみませんし、お母様方と話すと「時間がなく、慌ただしい」という話ばかり聞きます。
夏休みはゆめやではウイークディに親子連れの配本受け取りがあり、小学生のお子さんとも久しぶりに会えますが、通常月はほとんどが土曜に集中。みなさん、お仕事に忙しいようです。以前とは大違い。
少子高齢化で、労働力が不足することはじつは30年以上前にわかっていたことです。ところが労働力を確保したいがゆえに、母を子から引き離して労働力にする。以前、0歳児保育はイカン、長時間保育はマズイということを、この新聞でも言っていましたが、国はそんなことより労働力確保。この準備は、ひょっとすると学校などで「女性の権利を大切に!」「努力すればその分良い仕事につける!」というような教育が刷り込んだのではないでしょうか。つまり女性労働力の確保です。消費を美徳にし、家、車、食、レジャーのために働くように釣ってきたような気がするのです。
でも子育てには、そんな価値観は当てはまりません。親が関わらねばならぬものがいっぱいあり、ほっぽっておいて、まともな子ができることなどほとんどないのです。先の効果など無視して、関わることだけが子育てなんです。
長時間すぎる保育
子ども園の先生と話をしていると「朝7時から夜7時まで0歳児や低年齢児を預ける親が多いのです。小学生になっても、その延長で学童としてあずかるようにもなりました。こんな親と子の関係でまともに親子関係ができるんでしょうか?」なんてことも聞きます。低年齢児を夜7時にお迎えなら入浴・食事・就寝で終わり。対話もできないのではないかとさえ思います。読み聞かせなんかまったくできないでしょう。
稼いだお金で幼児教育を受けさせ、「字を覚えたら一人で読め!」では子どもは漫画・アニメ・youtubeにハマるしかないでしょう。外遊びもいっしょにできないでしょうし、見守る時間もありません。当然、子どもは安心感が揺らぎます。困ったものですが、鼻先に「豊かな生活」というニンジンをぶらさげられると親と子の関係を薄くしてまでがんばって働く親もいます。
女性の働く権利・自由は否定しないが
以前、低年齢育児が始まったとき、子どもと離れる哀しさを話してくれたお母さん方がいましたが、いまや、そんな気持ちはどの親にもなく、自己実現、個人としての自由ばかり考えている親ばかりになっているのではないでしょうか。学校の権利教育は労働力の確保が狙いだったかも。
ある保育雑誌を四十年間、読んでいるのですが、ここ2年で内容がめちゃくちゃ変わりました。子どものことより母のことばかりです。辛さをどう乗り越えるか、どう気持ちを安定するか・・・まさに現代社会のストレス対応法ばかりの内容になってしまい、子育ての参考意見、考え方など消えてしまいました。子どもが大きくなったとき、親とどういう関係になるかで、子育ての答えは出るのですが、子どもが小さい内はその想像もできないのでしょう。
この夏は、濃密に遊んであげましょうよ。テーマパークに行くばかりが子どもとのかかわりではありません。
発達対応絵本 ④ 2歳から
2歳の発達はものすごい
2歳から3歳にかけては会話が自由にこなせるようになっていく時期ですが、読み聞かせでも大きな変化が起きるときです。1歳のときに流行もののチャチな内容の本ばかり与えられていた子は、ゆめやの2歳の配本に戸惑うことがあるので、ブッククラブでは2歳以上からの入会は断ることが多いのです。なぜなら、この時期は初期の文章語の絵本も入りますし、絵から読み取るためのナイーブな絵柄の本も入ってきます。
もちろん、すんなり来た子は違和感も感じずに2歳代の本をすんなりと楽しめますが、この変化は驚異的なもので、ひょっとすると言語獲得上の最初の大きな発達かもしれません。1歳のときの本はオール話し言葉ですが、おしゃべりで使う言葉だけではなく書き言葉(物語で使う言葉)が分かるようになってくるのが2歳です。
2歳になったら最初の物語絵本
「ちいさなたまねぎさん」(まだしゃべり言葉による物語)ですが、きちんとした物語で構成されていますから、これに反応できるかできないかでお子さんの本への対応力が判別できるでしょう。
「ぞうくんのさんぽ」Sは、その最初のものですが、平易な文章でもレッキとした物語絵本なんです。1歳代の子どもは一人称の世界にいます。母親は自分の世界の一部で「あなた」ではないのです。ところが、2歳になるとだんだん分離が始まり、「相手」としての意識が高まります。ゾウやカメは、頭の中では自分の世界の中の登場キャラクターですが、。この本を3歳や4歳で読み聞かせても意味がない本ともいえますからタイムリーに与えるなら、この2歳の初期です。そういう本を2歳前半では入れています。3歳以上の本へ対応できる力の基礎です。1歳のわけのわからない能力おどろいていた親は、2歳で単純ながらストーリーが進んでいく物語についていく子どもにびっくりするでしょう。
書き言葉の大切さ
この2歳前半の書き言葉の獲得の時期に、じょじょに文章語(書き言葉)絵本を与えることは、後で物語絵本を読み込むうえで、とても大切な作業です。書き言葉とは、「・・・です。」「・・・でした。」と地の文があるものです。基本配本では「おおきなかぶ」が典型。「おじいさんはかぶをひっぱりました。」というものです。これは「語り手が何かを語っているぞ!」ということを表すもので、話を客観的に読み取るための表現です。つまり、3歳代の本格的な物語絵本に行く途中の2歳の時期には、こういう本が必要です。後半では「もりのなか」などが入りますが、2歳児が3歳児と決定的に違うのは、激しい物語展開にまだまだついていかれないところがあるということでしょう。ただ、これらの本がいくら良い本だからといって、書き言葉への緊張感がありますし、後先のつながりをすぐに把握できないこともあります。
単純な展開・テーマは深くない2歳の本
このため、同じようなことが繰り返される絵本が、この時期にはピッタリなのです。漫画やアニメは話し言葉オンリーですので、これで育った子は当然のことながら長い物語は読めなくなります。4歳や5歳で完成された文章語を読む力を学ぶ最初が、この2歳からの単純な物語絵本でもあるのです。
もちろん、ここは過渡期でもありますし、性差もじょじょに出てくる時期でもありますから、配本では「タンタンのずぼん」(男子)、「わたしのワンピース」(女子)、就寝儀式絵本「おやすみなさいおつきさま」(女子)などが入ります。どうぞ配本されたら、それをその時期に、ただただ何度も何度も読んであげてくだされば、やがて文章語絵本を読みこなす力がついてくるということです。男子では2歳から「車」「電車」に異常な関心を持つ子がいますが、あるていどの冊数はいいにしても図鑑攻め、冊数攻めは押さえてください。頭が形や種類にだけシフトして、物語を読む関心を失うことが多いです。
関心のある方をブッククラブへお誘いください
ご友人・お知り合いのお子さんで10ケ月から2歳くらいの方がいらっしゃったら、ぜひブッククラブをお薦めください。
ご住所とお名前を教えていただけば、こちらから左のような案内をお送りいたします。またお申し込みがあれば、過去一年間のニュース・新聞のバックナンバーも同送して目を通していただくようにお送りいたします。ご紹介でなりたっているブッククラブですので、関心のある方をお誘いくださるとありがたいです。よろしくお願い申し上げます。来店での申し込みは、ゆめやがご説明しますので紹介者は不要、その時点でお申し込みください。
昭和の子どもは自由でした
年々暑くなりますね。どこか夏の行楽には行かれたことでしょう。とりあえず残暑お見舞い申し上げます。甲府は梅雨も明けないうちから連日40度に迫る暑さで、毎日の汗の量が大変なものです。現代の夏は、熱中症の危険から子どもを外遊びにも出せず、クーラー、保護者つきの夏ですから大変でしょうね。
私の子どものころ、親は「外で遊べ!」と言うだけで、親と行動をしたことはほとんどありませんでした。
おかげで、夏休みはしたい放題ができたので、貧しい時代でも遊びの工夫をすれば、じゅうぶん楽しかったものです。
塾もスポーツクラブもないので、みんなてんでバラバラに遊びます。それにも飽きると家でごろ寝ですが、私には楽しみがありました。近所(それも隣)に貸本屋さんがあったのです。1冊5円で一日借りられます。厚い本は10円で数日借りられますが、遅れても余計なお金は取られませんでした。だから毎日親から5円、10円をもらって、その日の1冊を借りて読んだものです。貴重なお小遣いをはたくのですから、短い本でも一日に数度よむこともあったのです。
私の読書遍歴
チャチな絵入りの物語も多かったのですが、学校図書館にはない歴史もののきちんとした物語もありました。「寛永三馬術」や「佐倉惣五郎」などは短めですが、おもしろくて次々に読みました。おかげで名前を聞けばどんなことをした人物かがわかるようになります。歴史ものの物語は正確な内容でなくても読んでおくものですね。
そのころ、紙芝居が下火になってきたため紙芝居作者の本も出始めていました。その中で内容の濃さに惹きつけられたのは「河童の三平」という本。あとになって知ったのですが、これがあの水木しげる大先生のものだったのです。欲しかったが5円、10円では買えません。長い物語なので、何度も借りて読んだものです。それでも欲しくて買おうと思ったのですが、本屋に売ってません。かなり大人になってから、文庫本で出ていたのを買って、いまも持っています。
この本は漫画とはいえ、さすがに作者の思いがこもったある意味、哲学的な展開を帯びたみごとな「物語絵本」だと思います。朝ドラ「ゲゲゲの女房」でも少し、そのへんが語られていましたが、故・安倍晋三さんがこの本を読んでいたら、すこし人格が変わったのではないとさえ思える内容です。漫画好きを自認していた麻生太郎さんは、これを読んだ世代だと思うのですが・・・・分野が違ったかな?
やはり古典文学は読まないと
でも、父は「マンガなどではなく月一冊は、まともな本を読め!」と200円渡し、講談社の少年少女世界文学全集の少年版(青表紙)を買うように指示されました。五年生のときです。当時200円は子どもには高額なお小遣いでしたが。
それで「聖書物語」が初めの一冊、次からは「ホメロス物語」、「アラビアンナイト」、「ガリバー旅行記」などから始めて、「ソロモンの洞窟」、「三銃士」、「ロビンソン・クルーソー」、「地底旅行」・・・・いずれもかなり厚い本ですが、一ケ月あれば読み切れます。なにしろ宿題はやっつけしごとで塾勉強はない・・・読むのは夕食後の2時間・・・・どれもおもしろかったですが、当然、言葉や漢字がむずかしいものもいくつかありました。父の部屋には漢和辞典、国語辞典があるので、それを横に持ってきて調べたものです。それらを読み終えた後は中高になってからですが、父の本棚の本、「三国志」とか「宮本武蔵」、「大菩薩峠」・・・いずれも漢字が多い難解な本ですが、読んでいくうちにいつかは読めるようになったものです。
後日、芥川賞作家・奥泉光さんの「新・地底旅行」を読んだのですが、ヴェルヌの原作はもちろん夏目漱石の主要本をよんでいなかったら100%満喫できない小説でした。
生き方の基本がわかるようになるかも
なぜ、父がこういう本を薦めたのか聞いたことがないのでわかりませんが、最近、思うに、こういう本には正義とか倫理、生き方とか人との接し方の良し悪しがどれもこれもきちんと書いてあるわけです。物事の道理や善悪の判断はもちろん、読めば、品がある行動はどういうものか、悪い人間はどういうことを考えて、どんな考えで人を騙すか、などがわかってきます。
以後、今日まで多くの本を読んできましたが、読み切れるものではありません。もちろん作家や分野で好き嫌いもあります。でも、それなりに読んでいけば、少しはまっとうな考えも身につくというものです。昨今流行の異常心理のドラマや刺激的なノベルなどより、はるかに良い成果をもたらすと思いますよ。
家庭はなにをするべきか
③ 目指すのは自立なんじゃないのか
前も述べたように、この項は「個人的な意見」で、世間の価値観から外れた意見です。そんな意見はおかしい!世間一般の考えから外れている!と思う方は読まずに飛ばしてください。
雑誌・ネット記事の教育論・子育て論など不要なのだが、ついついスマホで引いてしまう自分の考えがない親も多い。これは現在だけでなく昔も。
子育て論が横行した時代の育児雑誌を読み返すと、おどろくほど懇切丁寧に教育施設の選択、学習法の例などが載っている。1980〜90年代のものは経済の豊かさもあって、とんでもなく飛躍した教育例や常識ときまりを無視したものも多い。目を引けば売れるという雑誌出版の悪い傾向が強くなった時期でもある。成功する子育て論とか、間違った選択をすると浮かび上がれなくなるという脅しのような記事・・・・今でもその手の情報はあるから、みなさんも覚えているはず。無責任もいいところで、失敗した人への補償もなにもない。
成功のため?
見かけの成功ばかり狙うので、いい学校、いい塾選び・・・いかにもそれで成功するかのような内容である。この影響を受けた子がいま親になっているのだが、人間として完成しつつあるのか、お金だけを追い求めるだけの人間になっているのか・・・私にはよくわからない。しかし、「世の中の流れに乗って行けば大丈夫だ!」という考えが、いまのような混乱を生んでいるとしか思えない。世の中の流れなどまちがっていることのほうが多いと思うのだが・・・・。
では偏差値の高いいい大学を出たら順調かというと、政府官僚の仕事を見ていれば分かるように国民をいじめるような法案をつくって、くだらない政治家にペコペコしているだけの人が多い。なかには善意がパワハラで潰されて自死する者までいる。自立して戦えよ!と思う。こういう人たちの子どもは大変だろうなぁ。
少しは試練や困難を経験しないと
辛くてもいろいろやって世の中を学んだほうがいいのだが、親は安全なレールに載せたがる。それが近いうちに無理になることくらいわからないのだろうか。ここ十年で家庭間の格差が大きくなり、一方では裕福な家庭は相変わらず情報社会が流す世の中の流れに乗って行こうとし、格差が出た家庭では労働に必死で、子育てなどいい加減になり、子どもはデタラメな生き方を選んでいる。前回でも言ったが、親が教えるべき子育ては変なことをしない人間にする、人とうまくかかわれる人間をすることで、子どもには困難を体験させたほうがいいのだ。そうすれば「生き方」のようなものを次第に学んでいくだから。
倫理や価値観を教えづらい時代だが、手がないことはない。多くの古典文学には、人がどう生きたらいいか・・・どんな考えを持てばいいか・・・こういうことをするとどうなってしまうか・・・という生き方の模範例のようなものが書かれている。悪人とはどんな奴か、よりよく生きるにはどうするか・・・・登場人物の動きを読み取れば、先生や親が教えてくれない人物像が見て取れるのだ。人間を見極められれば、損得で付き合うとろくなことはないとか、こういう仲間なら生涯つきあえる・・・というイメージも出てくるだろう。いろいろな面から自立の材料を探してもらいたいのだが。十数年前は高学年(5・6年)の基本配本には基本的な古典文学をいくつも入れていた。それが十年くらい前から、歯が立たない子が増えてきてDコースに移したが、数年前にはDすら減量せざるを得なくなった。かんたんにいえば読書力が落ちているのである。
だから希望者しか推薦する古典文学をいれてこなかった。中学年でいえば女子の「長くつしたのピッピ」や「だれも知らない小さい国」が不審だったが、こういう本を外したらブッククラブの意味がないので復活させてBやDコースに入れているが反応は少ない。
古典文学を読むには、それなりの読書力が!
ケストナーの「飛ぶ教室」やモンゴメリの「赤毛のアン」なども不振な本になってしまったので、最近は希望者だけだ。ガチっと決まったコースではなく、そういう古典文学にも挑戦する下地をつくっておくのは大切なのだが、けっきょく読む力のある中学生を対象にするしかなくなってしまった。だが中学は忙しい。学校が本を読ませたくないのではないかと思ったりする。
それでも「人間の実体が比喩で書かれた」ガリヴァー旅行記などは、とうていアニメや映画でしか見ない状態で、それでは人間の馬鹿さ加減の比喩や狡さ、気の小ささが見えてこない。当然、どういう生き方が、この世界で妥当なものかも読み取れないだろう。
こういう基本的な物語を読んでおかないと、誠実さを知るためのカミユの「ペスト」、極限状態でも生きる「夜と霧」、無駄なことでもやってみる「グスコーブドリの伝記」などは意味不明な難解な本に終わってしまって手が出なくなる。読めなくなった原因はわかっている。しかし、その原因をとりのぞこうとしても、いまや学校も家庭も頼りにならないのだ。言っておくが、このまま世の中の流れに乗っていったら良いことはひとつもない。他人はあてにならないことをきちんと覚えておくことである
人というもの、世界というものを知るために出会ってほしい本は山ほどあるからブッククラブでは希望者には入れているが、いくら薦めても読めないのでは話にならないので、そういう会員には引導を渡すこともけっこうある。(新聞一部閲覧)
(2024年8月号ニュース・新聞本文一部閲覧)