ブッククラブニュース
令和5年
4月号(発達年齢ブッククラブ)

2023年5月と6月の予定

定休日は日曜、月曜、祝祭日です。
 4月〜5月の定休・臨時休業のスケジュール
4月は29、30日、5月1日が3連休となります。
5月は3,4,5日が連休で6日の土曜日は営業をします。
 (いずれも定休は休業日と重なっていますのでいつもどおり)
 時間外受け取りは事前にお電話ください。
 外出していないかぎりOKです。また前日のご連絡なら在店します。
通常日の営業時間は午前10時30分〜午後6時30分
 受け取りの方で午後6時半以降に来てしまった方は電話かピンポンで呼び出してください。たいてい在店していますので店を開けます。ご遠慮なく。

入園おめでとうございます!!

 今年も入園の季節がやってきました。この近辺の幼稚園、保育園、子ども園では四月第二週に入園式がありました。
 でも、店の回りに入園式に臨む親子連れはほとんど見かけません。近所の幼稚園のひとつは廃園になり、閉園予定の幼稚園も何園か耳に入ってきています。地方人口が減り、出生数も全国で80万人を切る! 50年前とはちがう大変化です。子どもを取り巻く環境も時代もどんどん変化していますね。
 甲府は47都道府県中、もっとも人口が少ない県庁所在地になりました。でも、都会で騒がれている待機児童の問題はありません。県の人口が80万人。園には入れます。 ある程度の園児数で運営している園のほうが目が行き届いて充実した生活が送れそうです。
 個人的には、人口が少なくなるのは、良いことだと思っています。まず事件事故がなくなって治安が良くなります。じっさい、山梨では際立った大きな事故、おかしな事件が(昔はまったく)あまり起きていません。大人もですが、子どもにはまず安全が第一。
 世間ではメディアも政界も「人口減少を危惧」とか「国力が落ちて貧しくなる」なんて言ってますが、子どもって、あるいは国民って経済力のため、国力の維持のためにいる存在なんでしょうか。

楽しいことがまず大事

 子育て期間で、園に通うころが親にとって一番楽しい時期です。子どもも親もくったくなく過ごせますからね。朝、お母さんと離れたくなくて泣く子もいるでしょう。最初はおともだちとうまくいかないで悩む子もいるでしょう。でも、みんな時間が経てば問題ではなくなります。大丈夫・・・大丈夫・・・・それも成長のひとつ。
 なにをしてもかわいい時期ですから、とにかく毎日を楽しんでもらいたいです。小さいころの楽しい体験は、大人になってから、とても大きな役割を果たしていることに大人は気がつくべきです。
 よほどのことが起きない限り、心配ない。親が思うほど子どもは弱くありません。親が子どもを弱くしてしまうことのほうが多いのですから、ここは大きな気持ちで接することが周囲の役目でしょう。
 楽しい一年になるように後ろから見守りながら支えましょう。ゆめやは今年度もおもしろく楽しい本、参考になりそうな考えを提供していきます。たまには園やお子さんの様子を教えてください。

人口減であわてることはないね

 たしかに人口減で、子どもの数は減っています。昨年度の出生数はたった80万人でした。政治家(野党も与党も)を中心に人口減を心配する人が多いのですが、増えたものは必ず減るわけで、増えるときには増えるときの準備、減るときには減る準備をすれば問題ないわけです。
 ・・・準備もせず「増やせ!増やせ!」と妙に煽り立てる人がいますが、いつまでもJapan as NO.1の夢を見ていてはマズいでしょう。
 人口が減れば無駄な消費も減りますし、税金の無駄遣いも減るでしょう。だいたい、この狭い国土に1億2000万人もいることがそもそも問題で、自給自足できない国は戦争で分捕りに走りがちですから、危ないのです。前に、一度、そんなこともありましたから、同じ失敗を二度する国はサル以下の人の寄り集まりということです。そういうサルがまた出現してきていますね。
 戦争ができる国に憲法を改正しようという人をサルと言った議員さんが自分の属する党からも袋叩きに遭いましたが、子どもを経済や戦争の戦力と考えて人口を増加させようなどという人はサルというよりサル以下です。「前にもそんなことがあった」んですよ。「産めよ、増やせよ!」という扇動で、そのサルたちは戦争に入っていきました。

ツアラツストラはかく語りき

 先月号で触れた千里眼作家たちの作品をもういちど考えてみましょう。世の中には先を見ることができる作家がいて、まるで未来を見たかのように作品に描く人たちがいるのです。
 まず、映画「2001年宇宙の旅」(スタンリーキューブリック監督 1968年作品)の冒頭でリヒャルト・シュトラウス作曲の「ツアラツストラはかく語りき」が流れます。
 すると、あの有名になったモノリスが現れ、サルたちが(いや、サル以下の類人猿かな)それを不思議そうに触ったり見たりしている場面が出てきます。
 そして、その後、一匹の「サル以下」が、骨をつかみ、白骨化した動物を叩き割る場面になります。やがて、奪い合いが始まり、残忍な戦いになって行ったのです。
 じつは最初に、この場面を観たときはあまり衝撃は受けなかったのですが、50年経って再び観ると、「このモノリスって、スマホじゃない?」と思ったのでした。「サル以下」が触りまくり、その後で武器を手にする・・・・。
 PCゲームで育った子が、こういうことを言いました。「ミサイルを防ぐためにミサイルを買うなんて馬鹿げている」と私が言ったら、「敵が攻撃する武器を持ってきたら、こちらも対抗できるアイテムがなくちゃ!」・・・・この意見はなんと小学6年生です。こういう「サル以下」の考えを入園した子どもたちが持たないようにするにはどうしたらいいのか?・・・・悩みますね。もうモノリス(スマホ)をいじりはじめている小さな子どももいるのです。なんとか千里眼の作家たちの作品を読ませないといけませんね。バトルゲームや鬼滅の刃では「サル以下」の人間が増産されること請け合いです。
 それにしても、この映画、54年前(半世紀以上前)の映画なんです。スマホどころかバカでかいコンピュータ(電子計算機と言った)しかなかった時代に上映されたのです。千里眼としかいいようがないです。

千里眼作家の目

 世の中には、まるでタイムマシンを使って未来を見て来たかのように書く作家がいますが、じつは歴史では常に同じようなことが繰り返されるので、それを参考に直観を働かせて作品を生んでいくのかもしれません。
 レイ・ブラッドベリの有名な「華氏451度」は、書籍を排すために火で焼いてしまうことで人がすぐれた知恵を学習できなくなる社会を描いています。「焼火士(ファイヤーマン)」と呼ばれる人たちが、全ての書物を燃やし尽くすために書物の捜索及び焼却を行っていく話(焚書)です。 その焼火士から本を守るべく、肩身の狭い思いをしながら身を寄せ合い、隠れて暮らしながら保護・拡散活動を続ける、「ウナギ」と呼ばれる者たちもいます。まさに学術会議を圧迫し、デジタルで本を読めなくし、民を管理して使いやすくする政府、これに対抗して古本屋をやったり子どもの本屋をやったりする人々・・・これは現代でも起きていることです。でも、これはかつて秦の始皇帝が行った焚書坑儒と同じ。近代では、ヒトラーのナチスも行いました。過去が参考になってできた本かもしれません。これを読むとファイヤーマンになるか、ウナギになるかの選択が強いられることになります。
 また、有名なジョージ・オーウェルの「1984」は、1949年に書かれた監視社会を描く近未来小説です。1984年に、オセアニア真理省の記録局に勤務して、「過去の歴史の改ざん」を担当する役人のウィンストン・スミスが、偶然、過去の新聞記事を見つけたことで、支配している党に対して疑問が芽生える話の筋です。 スミスはテレスクリーン(監視カメラ)から見えない場所で密かに日記を付けるという「重大な犯罪行為」を行いはじめるのですが・・・・。まさにこれは現代にも当てはまり、誰かの政権では自殺した公務員も出ました。73年前に現代を見ていたのでしょうか。1984年には早すぎましたが、監視に必要なツール・Windows85が生まれた年でもあります。オーウエルは未来人なのか千里眼なのか・・・・。
 彼が本を書いたことで、監視社会と全体主義の怖さがわかるのですが、それを推し進める「サル以下の人々」は、本を読みませんから危険察知どころか、モノリスに触った「サル以下」のように欲で突っ走ります。

星新一もすごい

 千里眼、未来人は外国人ばかりではありません。日本にもいっぱいいますが、その筆頭は星新一でしょう。たとえば、いまマイナンバーカードを政府が必死になって普及させようとしていますが、これによる悲喜劇を描いたのが「ひとにぎりの未来」の中に所収」の「番号をどうぞ」というショートショートです。
 これは1960年代後半に発表されたものですが。マイナンバーのように国民に番号がつけられた世界で、ボートから湖に落ちてカードや保険証などすべての番号をなくしてしまった男が銀行でも病院でも警察でも番号を求められ、答えられないと拒絶される。困り果てた男は罪を犯して逮捕され、指紋で身元が判明するという話です。まったくのアイロニーですが、まだ住民基本台帳もなかった1960年に、このマイナンバーの世界を描けたというのは、才能というより超能力に思えます。
 まだいくらでもあります。「確認」は1970年代初めに発表したショートショートですが。「かぼちゃの馬車」に入っています。声を出しながら片手をのせると本人と判定される装置が広く普及した社会で、その装置のメーカーでは秘密がもれないよう複数の幹部がそれぞれ仕組みの一部だけ記憶していた。なんかコーラの会社が製造方法の秘密を社長と副社長だけが知っていて、二人はいっしょの行動をしないのに似ている話だ。いっしょに行動したら事件・事故に巻き込まれたら秘密がわからなくなってしまう。それと同じ話。
 「確認」でも、その会社の幹部が集まるヨットが転覆し、幹部が死亡。仕組みをすべて知っている人は残っておらず、新たに製造できないばかりか修理もできない。その装置で銀行や商店の取引が成り立っていたうえ、社員や妻の確認にも使われていたため、誰も「自分が自分だ」と証明できず、大混乱をきたすという話になっている。50年も前に、現在の社会を描けるのは千里眼としか思えない。

歴史を知っている人たちは

 山梨県立文学館には、「楢山節考」、「笛吹川」で有名な小説家・深沢七郎の「人口が減ると平和になる」という色紙が飾られています。明治初期(150年前)には今の半分(40万、日本全体でも4000万人)以下だったのですから、人口が減るのを心配することはない。
 日本の人口は江戸幕府の中期から幕末まで3000万ちょっとの人口でほとんど増えません。あんなに平和な時代がつづいたのに人口は急激に増えませんでした。ところが明治から一気に人口が増え始めました。でも、増えてからは戦争ばかりですからね。人口が増えれば、食べ物・物資を確保しなければやっていけないので、他国を侵略して分捕るということが手っ取り早いのです。その時期も「子どもは国の宝」なんて言ってましたが、子どもは「国の宝」などではありません。国の宝と言いながら戦う人や守る人を増やそうというわけです。どう考えても明治からは欧米列強の拡大戦略の影響を受けてしまいました。そんなものに乗っかって福沢諭吉とか渋沢栄一のような人が天皇を中心に神道で国家主義的な動きを始めたのが問題なんでしょうね。また、「強い日本をもう一度」と仕立て上げるカルトまがいの政治になったら、悲劇が起きますよね。
 深沢七郎の「人口が減ると平和になる」というのは歴史がわかっている人が思う真理だと感じます。(ニュース一部閲覧)

入学おめでとうございます

 今年も桜が満開の中、ゆめやには入学式の報告のメールや手紙、写真が届きます。近くの方の中には式の帰途にお立ち寄りくださる方もいて、うれしくもあり忙しくもあり、春はほんとうに気持ちが高揚する季節ですね。
 報告や来店は、小学校入学だけではありません。中学もあれば高校もあり、中にはわざわざ大学入学の知らせに寄ってくださる方がいると、「ひゃあ!大きくなったなぁ」とびっくりします。
 以前は、この時期は狭い地域に3つも4つも学校があるので、通りを歩く入学式の親と子どもをよく見ましたが、いまやまったく。山梨県の人口は、わずか80万人足らずで、今年の全国の出生数は山梨の人口と同数。さすがは少子化・・・入学式の日でも道は閑散としています。
 コロナ後の世の中はたくさんのものが急激に変わっていますね。何もかもがグチャグチャになり、なんでもありの世界・・・キチンとしたものが通用しない世の中になっていくでしょう。その中を子どもたちは泳いでいかなければなりません。その中で子どもが悲惨なことにならないように一部の人は頑張っていますが、多くの人は「これでよい!」と思っています。

これからいろいろ大変でしょうが

 もう、流されるか流されないかで、未来の自分が決まるときが来ています。「私はそっち側の人間ではないよ!」というメッセージを出すよりないと思っています。
 急速に学校のデジタル化の弊害が出ていますが、これも乗り越えられるか、乗り越えなられないのか、もはやそれぞれの家庭、個人の問題でしょうね。
 いずれ、行きつくとこまで行くと気がつくのでしょうが、子どもたちには、その行きつくところを乗り越えられるまで、大きな影響を受けないでほしいと思います。
 入学を知らせてくるお子さんの話やおたより、親御さんからの連絡や手紙を読んでいると、ニュースで報道されるサル以下の大人たちより、はるかにまっとうな考えが見られてびっくりすることがあります。世の中に同調して、子どもたちの未来の顔を曇らせたくはないものです。
 現代社会はSNSによって混迷の度を深めています。混迷の闇の部分は大人だけではなく、子どもたちにも影を落とし始めました。誰もが自分を表現できるのは民主主義的でいいことかもしれませんが、とんでもない人間もその中に含まれ、勝手に意見を言い合うことになれば、これはもうまとめるために強権発動にならざるをえません。多様化しすぎた世の中をまとめることはほぼ不可能です。

百家争鳴

 かつて中国で「百家争鳴」という時代がありました。改革思想を唱える人たちが、てんでバラバラに意見を出すのですが、けっきょくは強力な政治によってひとつのものに集束していくという状態がありました。人々が、「私の考えはこうなんだ!」と主張しあった時代です。紅衛兵が出た時代ですね。ああでもないこうでもないと言いながらけっきょく何も言えない社会になっています。
 古代中国でも諸子百家が、さまざまな思想を出していましたが、もちろん、この人たちはさらに頭が良い方々で、いわば「百家聡明」なので、その聞き書きや著作は現代まで読まれています。諸子というくらいで、孔子・老子・荘子・墨子・孟子・荀子など名に「子」がつく聡明な思想家のことを言います。ちなみに我が家の妻・娘は「子」がつきますが、聡明でもなければ確固たる思想もないので、こういう「子」は省きます。
 「百家」とは陰陽家・儒家・墨家・法家・小説家・兵家などの思想集団を指す言葉です。家元である人たちの考えは読むに値しますが、一般大衆がつぶやくSNSはほとんど参考にもなりませんね。
 やはり、人の生き方・考え方は、じっくりまともな本を読んで試行錯誤を繰り返すよりないでしょう。お手軽にChat GPTに質問して出て来たものが答えだと思ったら大きな間違いです。世の中、そんなにうまくはできていないことを、親は子どもたちに知らせましょう。咲いた花は散る、生まれたものは死ぬ、新しいものは古びる、・・・・そんなわかりきったことも学校のお勉強ではなかなか教えてはくれないのです。
 自然をよく見る、人間を深く観察する、決まりごとを疑う・・・・入学したらじょじょに教えていきたいことですよね。(新聞一部閲覧)

おたより

 静岡県袋井市 井口Mさん
 私がゆめやさんを知ったのは、子どもに本が好きになってもらいたくてブッククラブを探していたときです。
 たいがいは出版社さんが主催しているブッククラブなので、配本されるのは当然その会社の本のみ。その出版社のことは嫌いではありませんが、なんだか、そこの会社の本を押し売りされているようで少し抵抗がありました。

 「子どものことを考え、本人の成長に合わせて配本してくれるブッククラブなんてないのかしら・・・」と思った矢先に見つけたのがゆめやさんでした。自分が理想とするブッククラブを見つけたので、「即座に申し込みしなくては!」と、ホームページの「ブッククラブのご案内」を開くとそこには衝撃の文言が・・「過去あるいは現在のブッククラブの会員のご紹介がないと申し込めません」・・・。
 自分がインターネットで見つけたブッククラブですので、当然何のツテもありません。しばし呆然・・・でもやはりどうしても諦めきれず、勇気を振り絞ってゆめやさんへ電話することにしました。断られたらどうしようと、あの時の緊張は今でも覚えています。初めての子育てでしたし、それはそれは必死でした。
 お忙しいのにも関わらず、長谷川さんは30分以上私のお話を聞いてくださいましたし、また、色々なお話をしてくださいました。そして、特別の特別、ついにブッククラブへ入会させていただけることになったのです。

 いよいよ配本が開始されますと、不思議なことに、上の子の成長とともに移り行く関心事に合わせて本が届きました。月に興味をもつと、「おつきさまこんばんは」が、言葉を覚え始めて、「いたい」と言うようになったころに「こぐまちゃんいたいいたい」が配本されました。
 「ゆめやさん、どこかでうちの子のこと見てる!?」と思うことが幾度となくあり、これこそ子どもと真摯に向き合い長年培われてきた経験のなせる業と感激いたしました。

 その息子も、今や中学2年生です。小学校高学年になると、残念ながら友人と遊ぶゲームに夢中になっていき、学校でも一人1台ノートパソコンが貸与されるようになりました。この影響はいかほどか、皆様もご想像はつくかと思います。そんな中でも、息子はゆめやさんからの配本された本を全て読み終えることができました。配本された本は、現在家の中の本棚の3か所を占めています。

 本人は理解していないようですが、これだけ誘惑が多く、サブカルにあふれた世の中で、あの数の本に触れた経験はとてもとても貴重です。私が選んだのではとても続けられませんでした。ゆめやさんのブッククラブに入会させていただき、本当に良かったです。ありがとうございます。そして、原稿をせがまれていたにもかかわらず、こんなにも遅くなってしまい申し訳ございません。まだ小学4年の下の子もおりますので、もうしばらくお付き合いくださいますようお願いいたします。

【ゆめやから】

 お忙しい中、身に余るお言葉をいただき恐縮しております。最初のお電話のことはよく覚えていますが、何を話したかはまったく(笑)です。長く話すのは、初めての電話では、どういう方なのかわからないので、いつもこちらから「探り」を入れる形です。ゆめやが広告や宣伝をしないのは、わけのわからない人とおつきあいするのは苦手としているから・・・。この時代、宣伝や広告は1円でも多く稼ぐために騙し化していますので、そう思われたくもないからです。
 人は一つの人生で無限に他の人と出会えるわけではありません。店とお客も同じだと思い、なるべく丁寧なつながりを心がけています。中にはいるんですよ。字を早く読ませたいために本を与えたい人が・・・・。そういう人はネット通販へどうぞ!です。そんな欲は文字通り「本」末転倒で、やはり何かを心で感じ取る力がつかねば本を選んで与える意味がありませんのでね。
 配本が適合するのはお子さんが標準的な発育をしているからで、私どもの選書体系の基本・歴史形態学で、文明の盛衰の変化・発展の順番に合わせて選んで配本しています。発達心理学も何も使っていません。まだ、下の子さんとのおつきあいも残ってます。ますます大変な時代ですが、活路がないわけではありません。細心の注意を払って生きれば、なんとかなることもあります。今後もよろしくお願いいたします。 ゆめや



(2023年4月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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