ブッククラブニュース
令和5年
3月号(発達年齢ブッククラブ)

2023年3月と4月の予定

定休日は日曜、月曜、祝祭日です。
 3月〜4月の定休・臨時休業のスケジュール
 日曜・月曜ですが3月19,20,21日が連休となります。
4月は29、30日、5月1日が3連休となります。
 (いずれも定休は休業日と重なっていますのでいつもどおり)
 時間外受け取りは事前にお電話ください。外出していないかぎりOK。
★3月3日から通常日の営業時間は午前10時30分〜午後6時30分
 受け取りの方で午後6時半以降に来てしまった方は電話かピンポンで呼び出してください。たいてい在店していますので店を開けます。ご遠慮なく。
 【コロナ対応について】
 3月は感染者が激減。実状は風邪以下状態なのでお子様のマスクの着用はまったく不要です。もう終息状態でしょうね。いやはや振り回された3年間でした。

3月3日は開業記念日

 ゆめやは43年前の3月3日に営業を始めました。この大変容の時代をずっと見てきましたが、この国はよくなったのか悪くなったのか・・・・それを見続けてきたというわけです。
 ふつう、個人事業主が開業した店の約4割が1年で廃業し、2年で約半数がなくなり、10年後まで生き残れる店は1割ほどだということです。1980年には甲府市では書店が大小合わせて30数店舗ありました。
 でも、いまやスーパー附属のチェーン書店を除けば甲府市内には10店舗。県内には書店がない自治体(村や町ではなく市です)さえ出てきています。すごい変化ですね。
 ゆめやを除くと、甲府で残っている書店は、地域の学校図書館、公立図書館へ納入できる業者さんで、老舗は教科書販売の利権を持っています。 ネット通販にやられたとか、本が売れないといっても、「金のなる木」を持っています。でも、ゆめやは最初から個人の顧客だけでやってきました。
 変化の大きい時代に、顧客だけで書店を維持するのは大変です。ゆめやの開店十年後にはバブル崩壊があり、二十年後にはリーマンショックがありました。そして、三十年後からは書店の息の根を止めるデジタル化の大津波です。その中をやってこられたのは、むやみに仕事を拡大せずにお客様とのつながりを大事にしてきたからだと思っています。でも、斜陽産業である「書店」のゆめやが、ここまでやってこられたのは何と言っても、すべてがブッククラブの会員のお客さまのおかげです。お世辞でも何でもありません。なぜか?
 子どもの成長は速いですが、それでも十年はおつきあいすることになります。それを繰り返すと、お子さんがまたお子さんをつくって、ゆめやのドアを叩いてくださいます。ありがたいことです。本の力は大きいですね。

リピーターが出てきている

 最近は、新規客の大半がかつてお客だった方で、なんだか「二十四の瞳」の大石先生になった気分です。(もはや多くの日本人は、「二十四の瞳」も知らないことでしょう。坪井栄の名作ですが、この物語が忘れられるということは、また戦争への道を歩み始めた感じもあります。「二十四の瞳」という児童文学は戦争が終わって再雇用された大石先生が新入生の名を読み上げると生徒たちの母親が自分の新任だったときの教え子だったという話です。まあ、暇があったら読んでください。読めなければ映画で見てください。何度も映像化されていますから。)
 ゆめやは最初からおじさんとおばさんだけで始めました。それから43年、いまやおじいさんとおばあさんが続けています。支えてくれた顧客の皆さんにはなんらかの形で恩返しをしていかないといけないと思います。これからも頭だけはアップデートして、おかしいことはおかしいと言い、世の中の波に乗らず、時代遅れと言われようと言われまいと子どもたちに本当に必要なものを提供していきたいと思っています。
 とにかく本はいくら売っても儲からない仕組みになっています。多くの本屋、あるいは児童書専門店の人は、心意気だけ、また本が好きという理由だけで続けていると思われます。ならば、初めから儲けなど目的ではない。売り続けられればいいわけで、目的は心に響く考え、思想、ヒントが人の頭に届けばいいというわけです。
 だから、ゆめやの仕組み・システムはこの43年間まったく変えないできました。その代表は「商品先渡し、後払い」・・・です。いまやほとんどの販売でネット通販の影響もあり前払いがあたりまえです。消費者もそれが当たり前になっています。でも先渡し・後払いという商業倫理は守りたいのです。この逆は人と人のつながりさえ消費することになりますのでね。  時代が変わってそぐわない点もあるかと思いますが、ここはひとつ我慢していただき大目で見ながら、おつきあいください。変な店と係わってしまったと思いながら・・・・(笑)。

天に軌道があるごとく

 「天に軌道のあるごとく、人それぞれに運命と言うものがございます。」、これは寅さんの啖呵売の口上ですが、人だけではなく、店も企業も国もそれぞれに運命はあります。
 もう後がない国もあれば波に乗る会社もある。長生きの人もいれば、すぐ消えるお店もある。諸行無常です。でも大事なことは迎合しないでまっとうであること。
 いくら続いても他国を侵略して奪い取る国ではよくないですし、世情の流れの乗ってダマシで一儲けというのもなんだかな、と思います。長生きは悪いことではありませんが、ただ長く生きればいいというものではないでしょう。昨日開店、今日閉業では思いもなにもあったものではありません。なるべく真っ当な生き方で運命を生きるよりないでしょう。
 でも、いま、人みな金を求める・・・・コロナ後は大変化・大混乱が起こると思います。もうすでに国から隣近所まで狂気のような事件事故が起こっています。気をつけよう!甘い言葉と暗い道・・・ですね。なんとかしなければ住みにくい世の中になっていきます。
 そのためにも、ゆめやは、この国から読み聞かせと読書が消える日までは、仕事を続けたいと思っています。(ニュース一部閲覧)

当たった予測

 個人的な趣味にすぎないが、先(未来)を読んだ作品が好きである。才能のある人は必ず先を読む。凡人はそれが起きてから気が付く。気が付かない人も多いが・・・。
 先を透視する作品
 2010年の秋に「原子炉時限爆弾」という本を読んだ。こちらは凡人だから「な、ことあるわけないだろ!」と思っていたら半年後の春にその悲惨な事故が起こった。この本は専門的な科学知識で書かれていて、文系の私にはわからぬ言葉もありむずかしいものだったが、いかに原子炉が危険で、それまで薄氷の上に乗って運転し続けられたかが書いてあった。だから半信半疑というところがあったのだが、じつは恥ずかしい話、読んだ時点で国内に54基もの原子炉があることさえ知らなかったのである。意図的にそういう情報は隠していたのだと思わざるをえないが、三月十四日には、それが私の中に知識として入った。こういうことを先に予告できる知能・才能というものはすごいなぁと思わざるを得ない。
 どんな予測でも当たらねば価値はないわけで、荒唐無稽なものでも当たればこれはもう真実である。

目がきく人は先が読める

 これは映画でも同じで、スタンリー・キューブリックの有名な「2001年宇宙への旅」の冒頭ではモノリスという長方形の板が出てきて、それを類人猿が見て遊んでいる場面がある。50年以上前の映画だが、「意味わからん!」だった。しかし、この黒い長方形の板はスマホだったのではないかと思うとゾッとする。
 しかも、スイッチを入れていないスマホはまさにモノリスそのもので、映画ではこのモノリスが重要な意味を持っているということが示唆されている。
 類人猿らしきものは、まだ人類が誕生していなかった頃の地球に生息するサルの一団だ。ヒョウに襲われ、水場を別のサルの一団に奪われ、夜の闇におびえて生きている類人猿たち。そんなある日、サルの一団は黒い石版(このモノリス)を発見する。突如現れたモノリスに驚くサルたちは、恐る恐る石版に触れて見る。その後、1匹のサルが、動物の骨の中から、一番太くて大きい大腿骨の骨を手に取る。大腿骨の骨を別の骨に振り下ろして破壊し、武器として使用できることに気づくのである。こうして、サルは武器を使って狩りをすることを覚える。
 考えてもみよう。スマホが出現してこのかた、欲しい欲しいの欲望は膨らみ始め、他国を侵略してまで食物や富を得るために武器を使っていくのである。・・・・この映画は1968年公開なのだ。そりゃあベトナム戦争はあり、中東戦争はあった。しかし、スマホはそのときまだ出現していないのである。モノリス状のものがアダムとイブのリンゴのごとき役割を果たすなど観客の誰が想像しえたのだろう。もう半世紀以上も前のことなのだ。

チャットGPTの登場

 最近、Chat GPTという質問すると答えを出してくれる機能を持つAIが出現した。だが、これも手塚治虫の「火の鳥」未来編で登場していたし、映画「エイリアン」でも出てきた。ともにコンピューターなどなかった4,50年前の作品だ。
 コンピューターがここまで発達したことすら想像できないくらいののどかな時代である。そんなときに、マザーコンピューターにお伺いを立てるなどという発想が出ることすら先見的なのに、このコンピューターが人間を支配し始めることまで描いているのである。現代のバカな識者は、このChat GPTがあらゆる問題を解決してくれるがごとき能天気な解説をしているが、進化すればするほど政府や国の思惑に沿った答えを出すのがわかっているかどうか。
 とても未来を想定して適切な生き方を教えてくれるようになるとは思えない。未来予言の本も多く出るが、たいていはカルト宗教やスピリチュアルでごまかすノストラダムス的なものである。

本の世界でも

 しかし、例えばブラッドベリの「華氏451度」(1953刊)は「本が読まれなくなる反知性の管理社会」を紙が燃える温度で象徴して描いている。いわば焚書坑儒。さらには、75年も前に監視社会の恐ろしさを書いたJ・オーウェルの「1984」もある。まさに現代で起こっている状態だ。いわば警告の書である。
 すぐれた知性は、先を読める。われわれ人類の中でもそういう際立って先見的な知能を持つ人はいて映画や小説などの表現でわれわれに未来を見せてくれるのだが、どうもわれわれは欲に駆られてしまい、夢や希望を掲げて消費を煽る人々にからめとられてしまう傾向がある。すごいのは、不快なこと、怖いことには目をつむってしまう習性があることだ。これをうまく利用されて嘘くさい夢と実現することのない希望に向かってしまう。こういう風に仕向ける装置は、どうも学校など教育機関にあるのではなかろうか。日本人が先を読めず唯々諾々と状況に従ってしまう体質は学校が造っているかもしれない。

familiaが描く近未来日本

 さて、今年の初め、「これはありえる」と感じた映画を観た。題名は頭文字小文字の「familia」。成島出監督作品。たまたま会員に、この映画の監督の従妹の方がおられて、いつもチケットをもらう。だから、この十数年は欠かさず観て来たが「八日目の蝉」「ソロモンの偽証」などの社会派作品がすばらしい。
 で、「familia」では、舞台あいさつに美人女優二人(監督も)が来ると言うのでミーハーの私はサッと足を運んだ(笑)。
 ネタバレになるが、映画は役所広司演じる陶芸家の周辺で巻き起こる移民社会とグローバル化がもたらす問題。モラルが変化し、さまざまな考えや行動が入り混じって混乱する状態が描かれる。
 跡継ぎの息子が外地でパキスタン人の奥さんや子どもとともにテロで殺され、ブラジルから移住してきた若者の集団は半グレ日本人とシノギを削るアウトレージっぽい過激な展開。気が重くなるような殺気とゴタゴタの中で家族や人のつながりが壊れていく。
 息子夫婦を失った陶芸家の後継ぎにブラジルから移民の若者たちがなれるかなれないか。そして、新たな「家族=familia」はつくれるのか。

混乱と混沌が始まる?

 映画は、この国(日本)が混血化の先に新しい家族、新しい社会をつくる生みの苦しみを描いたのでは?とさえ思われる。
 コロナを通して、価値観の変化や治安の悪化はすでに起こっている。私ら大人世代が安穏と暮らしてきた社会とはちがう時代をいまの子どもたちは生きていかねばならないだろう。
 映画は陶器の仕上がりとfamiliaづくりを重ねて描く。いろんな土をこねて、混ぜて練り上げ、形をつくって1200度というスゴイ温度の炎で固くして完成するセトモノ。出来上がるまでに大変な状態をくぐりぬけなければならない。
 これについての成島監督の言葉は意味深げなもので「希望がないわけではないので・・・・」。うーん・・・二重否定は肯定なのか? 鑑賞後に監督にサインをしてもらいながら「これまでの作品にないインパクトを受けました。」と感想を言ってみた。共生を口で言うのはたやすいが、民族性、生活習慣の違いを乗り越えるにはかなり多くのハードルがありそうだ。混血、交流に慣れていない日本人はかなりの混乱をきたすだろう。
 でも、舞台挨拶の新人の女優さんたち(ブラジル系/アジア系)に、声をかけると屈託のない明るさとやさしい表情で「日本でがんばります!」と応えた。これからは個性や民族性にこだわらずに「なんでもあり」にシフトしないとうまくやっていかれないかも。
 凡人の私には近未来の日本社会がどんな状態になるかまったく読めず、衝撃だけが大きい映画鑑賞となった。
 先を読んでなんとか生き延びる知恵を持たねば日本の未来は暗いのだが。(新聞一部閲覧)

睡眠いろいろ

 赤ちゃんは20時間寝る、小学生は8、9時間、大人は6,7時間・・・早い話、人生の3分の1以上は寝ているわけで、人生90年としても30年は睡眠に時間を取られているわけだ。こりゃあもったいないが、私は毎日9時間寝ているのですごく無駄な人生を送っていることになる。しかも夢を全く見ずにしっかりと寝る。しかし、ナポレオンとか平賀源内は3,4時間くらいしか眠らなかったそうだ。眠る人は頭が悪いのか、眠らぬ人は頭が良いのか・・・・頭の良し悪しは睡眠時間なのか遺伝なのか・・・この世の中にはわからぬことがいっぱいだ。
 昔、高校生の時に「四当五落」という言葉が流行り、勉強をして四時間だけ寝る者は合格、五時間以上寝る者は不合格というまことしやかな嘘が叫ばれたことがある。やってみたが1日だけ成功。あとは五時間どころか7時間も8時間も寝てしまった。最後は、「やけのヤンパチ日焼けのなすび」で、十時間くらい寝た。受かる大学もあれば受からぬ大学もあって、これが睡眠の差なのかどうかはわからない。しかし、少なくとも睡眠時間の差で当落は決まらないということだけはわかった。半球睡眠という方法もあるらしい。私も片目だけ閉じて寝て見るかな。

Dr.Sawadaの🍓通信 睡眠アラカルト

 成人の睡眠は、睡眠時間の長短で、長眠者と短眠者に分かれるそうです。どちらも深い眠り(ノンレム睡眠)の時間はほぼ同じ。よく言われる8時間睡眠説は生物学的根拠は無く、ノンレム睡眠の時間が大切なのです。昨夜は一睡もしなかったとぼやく人も、眠っている時間は記憶に無く、しっかり眠っているということらしい。
 ナポレオン1世は3時間しか眠らなかったといわれていますが、馬上ではうつらうつらしていたそうです。エジソンも短眠だったそうです。
 睡眠時間が独特で短かったのは、レオナルド・ダヴィンチ、彼は4時間ごとに15分眠って、1日の睡眠時間は1時間半という睡眠スケジュール、逆にアインシュタインは毎夜10時間以上寝て暮らし、相対性理論もベッドの中で思いついたとか。いずれにせよ人間は睡眠無しでは生きていけないという事実を前提にしてのお話です。
 人間以外の生物では、何種類かの哺乳類や鳥は左右の大脳半球を交互に眠らせる半球睡眠をする。草食動物は肉食動物に襲われないように、うとうとしながら草を食べている。肉食動物はゆっくり眠っている。
 冬眠する動物は、眠りっぱなしでは死んでしまうので、ある間隔を置いて目覚め、体温を上昇させてノンレム睡眠に入ることを繰り返している。イルカは半球睡眠(片目だけを閉じて脳の半分だけが眠っている状態)、マッコウクジラは鼻先を海上に出して眠る。生物の睡眠って多様で違いが大きすぎますが、興味深いです。

本とともに過ごしてきて

 甲府市 堀内さん Rくん(小6)
 「もこもこもこ・・・コレ!!」 と一人では持てない大きな本を持ちヨチヨチ歩きで私のところに持ってきたことを昨日のように思い出します。字も読めないのにかわいい声で私の言葉をマネて読んでくれたり、いっしょに読んだり。あのころはとても豊かな時間を過ごせました。
 小学生になると配本も厚くなり、一人読みに変わったので「もう読み聞かせはできないのだ」とさみしく思ったこともあります。でも、配本される選書は絶妙で乳児期・幼児期も凄いと思いました。これは次の例で納得出来ました。中学年で図書館で借りた「ぼくらの七日間戦争」は読んでもピンとこなかったようでしたが、高学年で配本で読んだときは「とてもおもしろい!」と読み込んでいました。反抗期や思春期を考えているかのようなゆめやさんの選書は凄いと改めて思いました。
 コロナ感染の広がりで休校中はどうなるか心配でしたが、息子の心はブレることなく今までの本を積み重ね、次々と楽しそうに読み、時間があるからとゆめやさんまで自転車で向かったこともありました。
 ゆめやさんの辛口の言葉はいまの私たちには耳の痛いことですが、親として考えていかねばならないことだとも思います。息子の横にはいつも本があり、心が落ち着き時間があります。母子ともに貴重で大切な時間を教えていただき、ほんとうにありがとうございました。
《ゆめやより》  ゆめやの配本体系を持ち上げてくださりありがたいです。気持ちが引き締まります。今後ともよろしくお願いいたします。

2022年度全課程修了者のみなさんへ

 三月は別れの月です。この就学児ブッククラブ課程も修了の時期。修了者欄に長い間、お便りをやりとりしたり、毎月会ったりした方々のお名前が出るとなんとなく感慨深いものがあります。
 この3年、コロナの影響が大きく、さらには急速にデジタル化が進む中で、よくぞ、ここまで残ってくれた!と驚くほかにありません。心よりお礼申し上げます。
 ご家庭の環境が良く、親御さんの教育観が良くなければ、この時代ではおそらく、ふつうの本を読んでこられる子どもの数は多くないでしょう。数年前に比べて修了者の数はかなり減ってしまっていますが、まあ、これも世の中の変化・・・楽で便利なほうに人が流れるのはしかたがないことだと思います。

これからも頑張ってくださいね

 ゆめやの40数年を見てきて、本を読んできた人はおかしな人生を歩まないという結果が出ていることだけは言えます。このところ、かつての会員が結婚してお子さんを連れてまたやってきています。その方々と話していて思うのは、テレビで見るようなトッピな考えやファッションをしている人がまったくいないということです。
 つまりメディアに影響されて自分の姿かたちまで異様なものにしてしまう人はいないということでしょう。
 世の中は、以前と違い、まっとうでない考えや狂気に満ち溢れています。大学教授のコメンテーターでさえコスプレでアニメ・ヘアーの時代。ウケ狙い意見を連発する彼らが深く考え、まっとうな考えを持っているとは思えません。人は見かけできまります。99%見かけで判断できます。「人は見かけではない」というのは稀に見かけが辺でもまっとうで確かな力をもった人がいるということでしょう。やはり本で育った人たちは違うのですよ。
 最近では一般家庭では長い物語を読める子がどんどん減り、高学年でもラノベや漫画ばかり。まだそれならいいほうで、ゲーム、アニメ、さらにはスマホ画面しか見ない子さえ出ています。読書する子たちはいずれ貴重な存在になるでしょう。ゆめやは、破綻と崩壊が起きた後の時代、つまり次の次の時代に期待!!してます。破綻はもう始まっており、崩壊もすぐそこでしょう。
 6年間の配本で何が一番心に残ったでしょうか。ここまで読めれば大人の本はもう目と鼻の先です。がんばって!!卒業しても、ぜひ「その後」をお知らせください。おたよりをください。必ず返信します!
 (ゆめやが存在する限りはですが・いやほんと、これからの時代、何が起こるかわかりません、消えていたらごめんなさい・笑)。最後に、あらためて、これまでのご愛顧に感謝申し上げます。ゆめや
 記載洩れの方がいましたらすぐにご連絡ください。修了書などを発行しなければなりませんので。
 (修了書などは配達配本の方は最終配本で、遠方の方はこのニュース同封で発送します)



(2023年3月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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