ブッククラブニュース
令和5年
1月号(発達年齢ブッククラブ)

2023年1月および2月の予定

定休日は日曜、月曜、祝祭日です。
 1月〜2月の定休・臨時休業のスケジュール
 日曜・月曜のほか1月9日(成人の日)、2月11,12,13日連休
 (いずれも定休は休業日と重なっていますのでいつもどおり)
 時間外受け取りは事前にお電話ください。外出していないかぎりOK。
★3月3日まで冬時間の営業(午後6時閉店)となります。
 通常日の営業時間は午前10時30分〜午後6時
 受け取りの方で午後6時以降に来てしまった方は電話かピンポンで呼び出してください。在店していますので店を開けます。ご遠慮なく。
 【コロナ対応について】
 1月はひじょうに感染者が増え始めましたが、実情はインフルエンザ状態なのでお子様のマスクの着用は強制しません。国の対策がどういうわけか状況にあっていないので。今回は8波ですからもうちょっとの我慢でしょうか。通常日は飲み物のサービスしていますが、込み合ってきたらお出しできないことも・・・・土曜日は特に。

発送会員の方に

 郵便振替の際に ATM でお支払いをお願いしていますが、手数料こちら持ちにも かかわらず、日本郵便は振り替え手数料を振り替えるお客様からも取ります。ちょっとひどい。
 で、手数料軽減 の方法として「ゆうちょ銀行」の口座をお持ちの方は、ゆうちょ銀行から振替口座「絵本 専門店ゆめや」00400-6-7649 に直接振り替えると手数料が軽減されます。通信はできませんが、ご連絡やお便りはメールでお願いします。
 振り込んだことをメールでお知らせいただけば、お礼の返信はします。ご面倒をかけて申し訳ありませんが、銀行振り込みやゆうちょ銀行の方法も試してみてください。
 ゆめや店主 1月1日

今年もよろしくお願いします。

 多くの会員の皆様から今年も早々に年賀状をいただきました。心よりお礼を申し上げます。以前に比べて年賀状が少なくなったとはいえ、かなりの数です。こういう方々がいるとまだまだ、この国は大丈夫だな、なんて思ったりします。でも、やがては伝統的習慣はなくなっていくのでしょうね😢。
 ゆめやには初期からお客様の年賀状がいくつもの箱に毎年保存されています。年号の書かれた箱を開けると書簡や年賀状が出てきます。ああ、あの方はこの年だったのか!というような思い出が箱から出てきます。いいものです。年末年始の繁忙のため、ゆめやからは年賀状が出せませんが、上の年賀状で新年のご挨拶に代えさせていただきます。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、恒例の予想、今年はどうなるか??

 今年は「癸卯」。「卯」年は、私、トラウマがあります。十二年前の東日本大震災は「辛卯」。その年の1月号での予想・・・・は、こうでした。
 「「「卯」の字は『門を押し開く』という字形で、行き着くところまで来た状態が門を押し開いて「矛盾や闘争や犠牲を噴出する意味を持つ」といわれています。変わるべき状態をそのままにしておくと、こうしたことが起こる確率が高くなります。「辛」の字は噴き出すエネルギーや力を表していますから、飛び出たらさらに危険が増します。怖いのはこの字が「殺傷」を含んでいる年だということです。大きな犠牲を伴う殺傷が起きなければいいのですが・・・しかし、実際にはまったく、こうした危険が配慮されずに、このまま行くことでしょう。」と。(HP新聞・ニュース一部閲覧・2011年1月号、4月号、参照)でも、そのエネルギーの噴出が地震か津波かも当てられず、「殺傷」の言葉がまさか原発事故を示すものだとは思いもよりませんでした。しかも「辛卯」は方角では東北だったんです。この「寅午(笑)」トラウマがあるので「卯」は、私にはとても嫌な感じの干支なんです。

癸卯

 干支なんて「占いみたいなものでしょ!」という方も多いでしょうが、中国文化は記録の国、たくさんの事実を数で記録して、統計で人相や手相、暦を決めて来た国です。
 重要な裁判資料をたやすく廃棄してしまうような「忘れたい国の文化」とは違います。暦である干支も、ある程度は目安になるでしょう。
 ウサギは見た目がかわいらしいので、なんとなく安心感が湧き、一般的には「飛躍」、「大きな変化の年」などと言われますが、「カチカチ山」「P・ラビット」のウサギのように悪いウサギもいますからなんともね。
 卯年は、じつはかなりヤバイものが吹き出る年でもあるんですね。今回も方向では東方向(京都を中心として)です。でも、そのエネルギーの噴出が地震か津波かも当てられず、「殺傷」の言葉がまさか原発事故を示すものだとは思いもよりませんでした。しかも「辛卯」は方角では東北だったんです。
 この「寅午(笑)」トラウマがあるので「卯」は、私にはとても嫌な感じの干支なんです。

ゆめやは時代遅れで・・・

 「卯」には、噴出するエネルギーへの対応を間違うとどうにもならなくなるという意味合いも含まれています。60年前の「癸卯」は最初の原子力発電(福島第一原発)が行われた年です。2011年は原発事故だけではなく異常な円高も起きました。1998年・一坪一億円という土地バブルを生みだしたのも卯年でした。5年後にはそのバブルも崩壊。天変地異が起きるか経済変動か・・・予言者ではないので、どうなるかはまったくわかりませんが、あまり良い年になりそうもないのは皆さんも感じてるかも。まあ、なにはともあれ、ゆめやはウサギのようにピョンピョン跳ねずに、時代遅れのカメのように歩んで来ました。バブル崩壊があろうとリーマンショックがあろうと。でも、今度のデジタル津波での本離れはどうでしょうか?!。 ゆめやは、流れには乗らないので変わり映えしませんが、今年もよろしくお願い申し上げます。

Dr.Sawadaの🍓通信

③ 胎児から成人までの睡眠について(3)

 2021年に発表したデータでは、日本人の平均睡眠時間は7時間22分でOECD加盟30カ国の最下位。欧州諸国の平均より1時間も少ない。これは具体的にはどういう差を生んでいるのだろう。私のメール返信が午前3時で驚かれる会員がかなりいるが、じつは私はまったく夢を見ないで8時間以上眠る。寝る時間が午前3時過ぎ。起きるのがお昼前、会員の皆さんより1時間以上多く寝ている。若いころからずっとで、30歳代は一日10時間寝ていた。まさに「三年寝太郎」並みの怠け者で、勤労意欲のある日本人とはいえない(笑)。冬はさらに睡眠時間が長い。これでは健康は維持できませんね、トホホ。

(3) 成長に合わせて睡眠の仕組みが変わる

 成人の睡眠はノンレム睡眠に始まるレム睡眠20%、約90分のセットを繰り返します。
 胎児は、母体血中の睡眠物質によって昼夜を経験しています。新生児は40〜50分セットでレム睡眠が睡眠時間の半分です(ノンレム・レムは12月号で説明済)。
 生後6か月児は40〜60分セットでレム睡眠が約30%ですが、1歳までにレム睡眠が25%に減り、5〜10歳で睡眠セットが成人並みの90分になりレム睡眠も成人並みになります。
 この時期の睡眠時間を保つ生活環境はとても大事ということです。しかし、母体の生活環境が胎児期から幼児の成長期にかけて大きく影響します。妊娠中の母体が長時間明るい環境で過ごさなければならないと、胎児の睡眠リズムも自然な概日リズムから外れてしまいます。この結果、出生時体重が少なかったり、早産になりやすいともいわれています。
 また、母乳中のプロラクチンは新生児のレム睡眠を増す働きを持っています。母乳を介して、母体の体内で作られるセロトニンやメラトニンが赤ちゃんに送られますから、夜間の赤ちゃんの睡眠リズムに好影響をもたらします。
 寝返りができるようになる7か月頃から幼児期にかけて、レム睡眠時に寝返りが多くなり寝相が悪くなります。この傾向は成人となる18歳ごろまで続きます。(つまり、ここまでの睡眠習慣がその後の基本になるので大切ということですね。)

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ゆめや周辺は・・・富士山にもあまり雪もなく、でも気温だけ低い新年です。寒冷化になっているのではないかと思うほど寒い夜が続いています。みなさまのところはいかがでしょう。
 慌ただしさから逃れて、おだやかな新年をお迎えになった方も多いと思います。コロナ禍もおさまりつつあり、「そろそろ外で自由に行動を!」という方も増えてきました。まあ、また拡大が始まるでしょうが、初期のころのような重症化はないでしょうね。
 いただいた年賀状の写真では、さまざまなところに行って、いろいろなことを楽しんでいる会員のご家庭の様子が見えました。新しい世代が新しい生活様式をつくる・・・この国もどんどん変わっていくことでしょう。
 さて新年、初詣はどこに行きましたか。寺?神社? 圧倒的に神社が多いでしょうが、これは昔からの慣習で、多くの人が,この習慣を捨てないようです。
 どんな抱負、どんなことを神さまや仏さまにお願いしましたか。
 どなたも「家族の健康や安全」ではないかと思います。大昔の人も自分の力では無理なことを神に助けてもらいたい思っていたのではないでしょうか。古代には神社も寺もなく祈る場所がなかったから祈らなかった? そんなことはないでしょう。
 古代は多くは万霊信仰、木も山も空も神さまです。

初詣

 左の写真は御坂峠にある富士山の遥拝所、巨大な富士山のすべてが見える場所です。河口浅間神社の境内からかなり離れたところにありますが、河口浅間神社の管轄になっています。
 もちろん、浅間神社ですから祭神はコノハナサクヤヒメで、イザナギやイザナミも祀られています。でも天孫族の神はどう遡っても弥生時代の神ですから、この山岳信仰はもっともっと前の縄文時代に始まったものでしょう。なにしろ天孫族は我が国に侵入してきたときに金属の武器をもっていたんですからね。まず最初の国生みでもイザナギとイザナミは「矛」でこの国を作ったのです。
 侵入された出雲族のほうの国生みは金属ではなく、縄とか木製の鍬を使って国を作ったのですから、はるかに古い存在だったのでしょう。
 縄文から弥生にかけての人々は、自然を信仰していたのは確実で、山は尊い神として拝んでいたと思います。より多く何かを得ようと願ったり、利害損得のために拝んでいた人はいなかったでしょうね。ただただ畏敬の念だったと思うのです。

宗教になると・・・

 ところが時代が下ると、神や仏を拝むことを勧める人が出てきて、みんなが拝まされるようになりました。でも初めは良くても、教団となると力を誇示するために、さらに勧誘して大きな組織で動き始めます。 こういう「組織の欲」のようなものが宗教や歴史の本を読むと出てきますね。
 そうなると人を救うというより教団の欲を満たすことが多くなってきます。過激な行動に走る組織も出てきます。
 何百万円もする壺やお札を買わせて、かわいそうな人を生み出したり、挙句の果てには毒ガスや機関銃を作ったり。・・・組織というものはまったく困ったものです。
 人への愛をモットーにするキリスト教でさえも十字軍を起して、たくさんの戦争をしましたし、相互扶助を目的とするはずのイスラム教もテロ組織を作って扶助どころか小さい戦争をたくさんしかけています。
 この国も、国家神道なんて物騒な宗教があったとき、多くの国と悲惨な戦争をしたことがあります。本来、平和を目的とするはずの宗教が戦争をするというのは何なんでしょうね。

新年早々、個人的な話で恐縮・・・

 私の父は、お墓参りや神社仏閣の参拝はやっていましたが、無神論というか神・仏を信じない人で、「神さまや仏さまが人を助けてくれることはない!」とよく言っていたものです。
 火だるまになっていた老人を見捨てて逃げたとか、小さい子どもたちの焼死体が転がっているのを見たとか、それはそれは悲惨な話でした。そういう経験をしていれば、神が助けてくれるなんてことはないと思うのが実感でしょう。
 その関東大震災を東京・神田で経験して命からがら生き延び、その後、東京と甲府で、ご丁寧にも空襲を二度、体験したので、さらに犠牲になって人たちを見て、「神も仏もない」と思ったのでしょう。そんな話を、私が小学生のころからよくしてくれたので、「無神論」は私にもキチンと刷り込まれました(笑)。

きわめつけは・・・

 そういう刷り込みだけならいいのですが、私が中1のときに母が全身リウマチで寝たきりになり、きつい宗教体験もせざるを得なくなりました。
 いまでいえばヤングケアラーですが、母を背負ってホルモン剤注射を打ちに近くの病院へに行きます。中・高校生には、すごく恥ずかしい姿で、「親孝行」なんて思えません。月に2,3回ですが、ほんとうに嫌で嫌でしかたない体験でした。父は朝から晩まで働いていたので、とてもやってもらうわけにはいかず、しかたなく一人息子の私が体を使いました・・・。
 そうこうするうちに、どこでかぎつけるのか、いろんな新興宗教が勧誘にやってきます。〇〇教、〇〇会、・・・7つか8つ宗教団体の勧誘を体験しました。「こういう病になるのは先祖が悪いことをしたからだ」「家に邪気が満ちている。お祓いをしないと・・・」「毎日、燈明(ろうそく)をともして、このお経を読め!」・・・、私が高校生になると、勧誘者との話や会合に私が行かされました。無神論の父は「相手の言葉に負けるなよ。神・仏はいないのだぞ!」と笑いながら言うので、行きました。母は治りたい一心で彼らの言うとおりにしたいのですが、父は私にほんとうにおもしろい経験をさせてくれました。

意外に低レベルな話

 ある座談会に行くとまとめ役の人が「会長先生がいらっしゃるときは、必ず空が晴れる」とバカなことを言い始めたので、「それは天気予報を見てから来るんじゃないですか!?」と言ったとたん、「ちょっと・・!」と言われて外に追い出されたこともあります。こういうレベルで人をたぶらかすわけですから、反論はたやすいのです。むずかしい宗教的な理屈で攻められても、ごく普通の話で反論すれば洗脳されることはないのです。まず「それはおかしい!」と思うことなんですね。
 「こういう病になるのは先祖が悪いことをしたからだ」と言われた時に、「どの時代のどういう先祖ですか」」というと「戦乱があったとき罪もない人を殺したからだ」といいいました。我が家は非国民の家系で(笑)、明治以降、軍人になった人は一人もいません。江戸時代以前ならすべて誰がどうやら調べようもないのですが、戦国時代なら多くの人の先祖で戦さで殺した経験を持つ先祖はいくらでもいるでしょう。そのことを言って「あなたの家でもそういう人がいたと思います」というと顔を真っ赤にして怒りました。

しつこい勧誘はしぶとく耐える

 また、あるときは、いくら断っても来る新興宗教の人がいて、私が反論するので、外国人の教区長まで連れて来て、聖書の教義を説明されました。当然、私は受けて立ちます。まあだいたい聖書も仏典もおおまかには読んでいますからね。
 説明が終わると相手は「あなたは神を信じますか?」と判で押したように言うので、「いいえ」を繰り返します。そして、「天地創造をした神は普通名詞の『神』とだけしかなく、急にアダムとイヴのところではエホバとなるのは、この二つの神は別人ですか」と逆に経典の文章の矛盾を「ここが、おかしい!」と普通の考え方で突きました。相手は当然説明ができなくなります。なにしろ、自分たちが聖典にしている教則本(笑)の辻褄が合わないわけですからね。こちらは時間は余っていますから何度来ても同じこと、そうこうするうちにやがて来なくなります。要は根くらべですね。おかげで仏教や神道・キリスト教についてのお勉強はけっこうさせてもらいました(笑)。どこからでもいつでも何でも学べるものです。本はその意味ではとても大切な学びを与えてくれます。
 イエスやブッダ、マホメット・孔子・・・教祖はみんな立派で偉い人でしょうが、教団は広めたい一心であの手この手でごまかしますから、きちんとした考えを持っていない人たちは騙されます。詐欺と同じですから。
 私のこの体験は、後になって別のことにもひじょうに役に立ちました。人を騙して勢力を拡大しても結果は哀れなことになるというのが、わからないと大変です。これは宗教団体だけではなく人間関係や商業戦略でも同じですね。

騙される方が人が良すぎ

 母の病は死ぬまで治りませんでした。治らないものは治らないので受け入れるよりないということです。
 神や仏の教えを知るのは悪いことではないと思いますが、それで飯を食っている連中にすがると悲劇になるのは宗教二世を見ているとわかりますね。デジタル化や悪政、疫病が流行る時代では人間関係の分断が起きるので、カルト宗教が政治と結びついてなにかをたくらむのは歴史が示す通りです。
 まずは、自分の周囲の人と利害損得ではない「つながり」を持つことが避けたり、抜け出したりする最善の方法です。宗教だけでなく、「これをすると優秀になる」「これを食べると健康になる」「これをすると金が儲かって幸せになれる」などという詐欺まがいの商法も気を付けるべきでしょう。
 詐欺にしてもカルト宗教にしても騙されたり、洗脳されたりするのは批判力も分析力もなく、さらには自分の考えを持っていないから起きる現象だと思います。日本人は実用書ばかり読んで思想書など考えを書いたものを読まないのですぐに引っかかってしまうのでしょう。
 戦前、皇国主義の人々が行った洗脳は、働くことは真面目に働くが、考えることが苦手だった国民が陥った悲劇だと思います。過去のことも考えないので、そういう悲劇すらすぐ忘れます。困ったものです。きちんと本を読んでいないからです。テレビやネットは考えを教えてはくれませんよ。

神仏は助けてくれないが・・・人は・・・・。

 自分が一番大切なのが人間ですから、なかなか人は人を助けませんが、中には助けてくれる人もいます。すくなくとも神や仏よりは人の方が助けてくれるでしょう。そのためにも親子、友人、より良いつながり作っていくことが必要だと思います。
 いま親と子が時間的に、心情的にきちんとつながっているでしょうか。朝七時半に赤ちゃんを保育園に預けに行き、夜7時半に迎えに行って、親子の共有時間が経持てるのでしょうか。車や家のローンのためにしかたがないという人がいますが、車や家と子どものどちらが大切なのでしょう。昔は、親は子どもを助けるものでした。そして子どもは親を助けるように育ったものです。
 ところが、最近、親が子を虐待する、あげくのはては殺すという事件が頻発します。その逆の80―50問題では子が親を殺すという事件が増えてきました。
 思うにですね。中年の親たちはある階層では幼少期に高度成長期の働きすぎの親の元で育ったのです。子どもとの接点が少ない世代です。人任せにした子どもへの愛情はあまり大きくならないかもしれません。若い親の幼児虐待は、これは個人主義が行きついたところで、自分さえ良ければ子どもなどどうでもいいという新しい階層でしょう。
 いま国の方針に流されて、子どもは0歳児でも長時間でも預けて働くのが一般的な通念になりつつあります。学校教育がそういう人材を育ててきたのですから、働いてお金を得るのが一番と言うことなのでしょう。
 あるジェンダー論の先生が、「女性は経済力を持たないと老後も含めて不幸になる」とも言っていました。しかし、経済力を持つことで不幸から脱することはできるでしょうか。たくさんお金があっても子どもから見捨てられる老後だってありますよね。そんな子どもをつくってしまった結果と言えば結果ですが、個人の自由を認めた社会は、孤独ももたらすような気がします。
 では、友人はどのくらい助けてくれるでしょうか。現代ではあまり期待できませんが、中には助けてくれる人も出てくる可能性はあります、

人を大事にするのが一番大切かも・・・

 そうなると、少年期の友人は一時的な遊びや雰囲気でつながるのではなく心がぴったり合う人を選んでいるでしょうか。 もちろん、年齢・年代によって友はころころ変わっていくでしょうが、生涯の友ができないということはないでしょう。人間関係の結果が・・・良くも悪くも出てきます。
 さて、見ていると時代を超える考えが若い世代では起きているのかもしれませんね。
 そういえば、今年の歌会始(1月18日)の席題は「友」です。この個人主義社会やデジタル通信、挙句の果てはコロナで断ち切られた友人関係の修復はできていくでしょうか。
 2023年歌会始めで最年少で山梨県北杜市の中2・小宮山碧生さんが選ばれました。この「友」をテーマに和歌を詠んだわけですが、友とのあり方をどのように歌に込めたか、発表される歌がこの時代に向かって何を発信してくれるのか19日の新聞が楽しみです。(新聞一部閲覧)



(2023年1月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

ページトップへ