ブッククラブニュース
令和3年
12月号(発達年齢ブッククラブ)

来店受け取りのお客様へ

コロナ対応について

 不思議なことに山梨では感染者がゼロの毎日です!12月6日現在。
 一応の感染対策はしていますが増えてるのでしょうか? 終息?
 オミクロン株などというものが出たようです。よくわかりませんが、昔から数波来たら、感染力は風邪並みに強くても弱毒化するのがふつうです。なんか妙に大騒ぎですが・・・  急激な拡大変化あった時には、またお願い条項を貼りだします。
 ①お子様のマスクは強制しません。
 ②マスク着用はお顔が判別できないので、お名前をどうぞ。
 ③土曜日は客数に応じて飲み物サービスは行います
 ④土曜日は密になったら、飲み物サービスは中止いたします。
 ⑤次の来客があったら、恐縮ですが入れ替わってください。
 ⑥念のため毎回テーブル消毒・換気もしますが気になさらないでください。
 ⑦恐れ入りますが、混雑したらぜひ新しいお客様に席をお譲りください。
 ⑧事前にご連絡いただけば、2〜3ケ月分は用意できます。
 受け取り可能時間(10:30am〜18:00pm 冬時間)
発送切り替えも可
 発送も可能です。その際は県外会員と同じく3ケ月一括発送になります。
 ご利用ください。発送のご相談は メールでも受けつけます。
 お振り替えは郵便ATMか銀行振込のどちらかをご利用ください。
 ご理解のうえご協力ください。?ゆめや店主 12月1日

今年も一年ありがとうございました

 一年間、ブッククラブをご利用くださいまして、まことにありがとうございました。12月に入って山梨や北陸や和歌山で地震、この国は大揺れです。それでも、毎日、毎日、お笑い芸人やタレントのウケ狙いの映像や言葉が流され、コンサートやスポーツに熱狂する姿を見ているとウンザリします。これって現実を何もかも忘れようとする見かけだけの「平和」じゃないか!と思いながら・・・。
 私たちの子や孫が、そういうアホ青年、バカギャルにならないように祈るばかりですが、ま、読み聞かせをして安定した幼少期を過ごすことのできる子どもは「おかしな人間にならない」と信じたいです。
 ただ、「パンとサーカス」で頭を壊されて社会が不安定になると、閉塞感の中で破壊的になる人が出てきます。サブカル汚染の青少年が、発作的な事件をよく起こしますから、子どもが(もちろん私たち親も)被害を受けないように気を付けていたいですね。年の瀬であわただしくなりますが、まずは静かなクリスマス、そして佳い新年をお迎えくださることをお祈りします。

聖夜に開く1ページ

 さあ、クリスマスディナーのあと、サンタクロースを迎える準備が終わったら、クリスマス関連の絵本を開いて読み聞かせをしましょう! 朝、お子さんが目を覚まして「やったぁ! サンタさんがほんとうに来たんだぁ!」と歓声を上げるような一冊を選び、眠りにつくまでのちょっと時間。聖夜に開く1ページ・・・それはお子さんが親になるときにきっと大きな宝物になっていることでしょう。さて、どの絵本がお子さんの心に残るか。ここは親の腕の見せ所です。

私の定番・聖夜に読んだ絵本

 私は昔、クリスマスイヴに読む定番絵本がありました。トルストイ原作の「くつやのまるちん」という本です。つつましいマルチンの願いは、キリスト様に会うこと。ある日「明日行くから待っておいで」と、キリスト様の声をきき、マルチンは仕事をしながらそわそわ待っていたのですが。でも神さまはなかなか来ないで、いろんな人たちがやってきます。困っている人、貧しい親子・・・でも彼は暖かな心で接してあげます。温かいスープやお茶を出してあげたりしてもてなしていますが、神さまはなかなかやってきません。日が暮れて、仕事も一段落。キリストさまはやってこなかったな、と、マルチンさんは思いながら一休み。うとうと・・・でも、じつは、次々にやってきたかわいそうな人たちがぜんぶ神さまだったのです。人に暖かく接することが大事だという極めつけの一冊です。こういう気持ちをもう少し多くの人が持てば、世界は住みやすくなるのではないかと思いますけどね。

クリスマスの夜に・・・・

 読み聞かせが夜の早いうちからできるほど、昔からゆめやのクリスマスは時間的な余裕のある日でした。営業はしていますが、意外にヒマ。クリスマス・プレゼントに絵本を選ぶような親はほとんどいませんし、天皇誕生日とつながっていたので、休業日だと思っていた会員も多いようです。昼間からノンビリと掃除。娘たちが小さいころも同じで、クリスマス・イブは、ふつうの日より早めの「晩餐」です。いや我が家はDinnerというよりSupper(夕食)でした。キリスト教信者でもなく、真面目な仏教徒でもないので、平気で鶏の足を食べてしまいます(笑)。殺生禁止の仏教徒なのですが、ウチは浄土真宗なので親鸞聖人にあやかって、生き物も食べ、結婚もして子どももつくります(笑)。
 当然、そういう家庭ですから、信仰の話はあまり家族内で出てきません。ただ、先日、そんな私でもおどろいたことがありました。12月24日がイエス・キリストの降誕祝の日ではなく、サンタクロースがプレゼントを運ぶ日だと思っていた若者がいたことでした。きっと多いのでしょうね、現代では。こうして、だんだん文化や歴史がどうでもよくなっていくのでしょう。グローバル化というのはそれぞれの個性を捨てて、大きなものに同化していく動きですからね。反知性はグローバル化の原動力でもあります(笑)。
 ただ、必ずグローバル化に進むときに経済はバブルとなります。豊かさ満載ですが、必ず弾けます。そのときは大変。最近の様子を見ていると1990年のバブルとそっくりです。住宅建設、高級車の買い物、豪華版飲めや歌えやの飲食・・・あぶないなぁと思いますが、多くはこのままブレーキ無しでバブルのパンクまで進むでしょう。次世代のことを考えないで成長・成長では近いうちに必ず起きますね。

ある寒い日に

 保育園の保育士から児童相談所の子どもたちの世話をする仕事に変えた女性が来て話をしてくれました。この方は元会員で、お子さんはもう成人しています。話ながら「最近、相談所に預けられる子は、以前より悲惨です。親が子どものことを少しも考えていない感じがあるんですよ。以前は預けるのを悲しんだり拒んだりという人もいましたけどね。最近は自分のことしか考えない親が増えているような・・・」と、ため息をついていました。
 こういう社会の片隅の話を聞くと、私としてはなんとも答えようがなくて困ります。ゆめやに来るお客さんは、みんな子どものことを考えていて、それなりの良い家庭を作っており、あまり『問題』のない、いわば幸せな人たちです。そういう人たちばかりを相手にしていますから、あまり悲劇的なエピソ−ドを聞くことはありません。相談所が扱うケースは、それこそ悲惨な境遇の子どもたちや母親で、長くやっていても気が滅入ること多いらしいのです。
 でもただ貧しいのではないのです。「平気で大きな車を買って便利に暮らしているように見えるのに、子どもの生活を守れないというのは進歩していないのは人間のほうなのか社会の方なのかよくわからなくなります。」
 女性は、こう言います。「都市化が進んで豊かさ競争をやりはじめて子どもに目が向かなくなったのかなあと思いますよ。」たしかにそういうことが原因かもしれませんが、親が子に手をかける時代ですから、なんともはや。
 その女性は私が『幸せな人たちだけを相手にしている』と思っているでしょう。私には皮肉に聞こえる彼女の言葉ですが、たしかに「この国はおかしくなった。それもこの数年で急に・・・!」と思うのです。格差は、たしかに実感ですが、以前のようにそのことに思いを強める人たちが少なくなったようにも思います。景気さえよければ危ない法律が通ろうと通るまいと関係ない状態にもなってしまったのですから、自分たちの生存権より「お金」「便利」なのかもしれません。さらに、大人も子どもも自分の生活や相手のことを考えずに平気で迷惑をかける人も増えてきました。こういうことを考えると、私はいつもアンデルセンの世界を思わずにはいられません。

またマッチ売りの少女の時代へ

 子どものころ読んだアンデルセン童話集のなかでいちばん強烈な作品は、「マッチ売りの少女」でした。「彼女はなぜ死んだのか?」という疑問はいつまでも心に残っています。
 戦後のあまり食べ物がなかったころに子ども時代を送った私には、あの少女が裸足で立っていた道の冷たさや空腹状態が痛いほどわかります。当時、私の育った町には、暖炉の前の食卓で鶏の足を食べている家などはありませんでしたが、それでも戦後成金の家では、ケーキを切っていました。それを横目で見ながらクリスマスがお金持ちのお祭りと思っていた私には、現代のクリスマスがほんとうの意味で実感できないのです。山のようにプレゼントをもらった子どもたちのほうが悲惨で何をするかわからない存在だと思うからです。なんだか、あの物語の金持ちの家のきらびやかさも胡散臭さ感じさせるからです。
 娘たちが小さいころクリスマスの食卓を囲んでいると、ふと窓の外が気になったも、そこに貧しい少女か少年が立って覗き込んでいるような気持ちがしたものです。
 飽食の時代に育って、クリスマスの食卓は豪華なものと疑わない私たちの子どもに、いくら『マッチ売りの少女』を読み聞かしても、さらには子どもたちが自分で読んでも、きっと、その印象や衝撃は薄いものにちがいありません。この意味では、絵本や童話の効力など豊かさの前では知れたものです。

同情できない人たち

 貧しい時代の方が思いやる心が育ち、豊かな時代では逆に心が冷たくなるというのも哀しい現実ですが、これが人間というものだとしたら、人間などすぐに見かけにダマくらかされて生きる動物としかいいようがありません。
 アンデルセンが、マッチ売りの少女を死なせたのは、死なせることによって読者の感動を高め、豊かさにしか目が行かない人間の心から『同情』という気持ちを引き出そうとする意図があったのでしょう。日本の現代では、それさえ引き出せないやるせなさがあります。
 たとえば、家庭の破綻があり、また、例えば同情に値する子どもがいたとします。ところがその子が高級なブランド服を着て、高価なマウンテン・バイクに乗り、コンビニでスナックを買っていたら、とても同情する気にはなれませんよね。「不幸が続いてかわいそうだな」と思える家庭があったとしても、同情する側よりいい生活をしていたら、同情は薄らいでいくでしょう。これも豊かな時代の悲劇です。
 たしかに、人間には「同情したい」という気持ちがあります。これは、自分より低い者がいることで安心する「他人の不幸は蜜の味」と裏腹なのですが、まあ世の中のバランスを保つうえでは、けっこう役に立つ気持ちであることはまちがいないのです。しかし、それさえ、この時代では希薄になっているように思います。

思いが消える時代

 物の豊かさが哀しみを生んでいくのは、物を大切にしないからでしょう。保育園の事務長がこう嘆きました。「子どもが服に名前を書いてこないので母親にどこかに名を書くようにと言ったらですね。その母親は『名前なんか書いたらメルカリで売れなくなります』と言ったのです。
 こういう異様な時代を誰が作っているのでしょう。私なんか30年も前の息子のシャツをタンスにまだ入れていますよ。」
 これは、物だけでなく命でも人間関係でも言えます。大切にできなくなっているからです。
 最近、周囲で起きる「死」が昔ほどインパクトが強くないことにお気づきですか? 
 昔は、もっと死者に対して長い間深く考えたものです。最近は、「ああ、死んだか。お香典はいくらにしようか。」で終わります。かなり、つき合いが深かった人でも、何日も考えたり、思ったりすることがなく、すぐに忘れてしまいます。「他人の死」を深く悼まないことで、ストレスを減らそうというわけです。
 マッチ売りの少女の死も一時の同情だけで、周囲の人からすぐに忘れられました。この話は、アンデルセンが母親をモデルにして作った半分実話の物語ですが、少女の死によって「死の意味」を深く考えさせようという思いはあったようです。「主人公の死」を通して「現実」を考えさせる・・・本を読むことにはそういう部分を読み取る必要があると思うのですが、こういう時代では、長く読み継がれない悲劇もあります。なんてったってアニメになってしまったら真実を考えることなんかできるわけもないですからね。「死」を真剣に捉(とら)えない社会は不幸です。「死」を真剣に捉えないことは「生」も真剣に考えないというわけで、人に「孤独」しかもたらさないでしょう。都市化の究極の問題です。

都市化が心の劣化を加速

 TVのお笑いタレントが仕切るニュースショーやバラエティ番組などはその最たるものです。あらゆる悲劇的事件がベルトコンベアに乗って次から次へ消費されています。なんとか深く知ろうと新聞を読むと「甲府の女子高生両親刺殺放火事件」も「京王線内刺傷放火事件」も豊かさとサブカルチャーで狂った頭が引き起こした自業自得の事件としか見えなくなります。背景にある社会の闇などほじくりませんからね。たしかに犯人には同情はできませんが、オモシロネタでもありません。
 現代人は何を考えて生きているのでしょうね。かんたんに子どもを産み、いい加減に育て、その間に悪の連鎖がどんどん生まれ、目の前で知り合いのおじさんに母親が殺されるのを見る三歳、LINEで人間関係をつくる中・高校生、つまらぬ日常をツイッター報告をするあわれな人間。先進国共通の「心の劣化」でしょう。見た目にはきらびやかな街並みですが、これもそれも心が消えていく都市化のせいでしょうか。
 町から書店がどんどん消え、マッチ売りの少女が死んでから150年。デンマークは酪農王国から豊かで高度な消費社会や福祉社会を築きあげましたが、その陰で性的退廃・社会的疎外・幼児虐待・若者の孤独などモラルの低下から来る事件が頻発していました。
 もっと温かな接し方を子どもにはしたいものです。そうすれば乱暴なことやヤンキーなこと、テレビが煽るオバカキャラには走らない子どもたちが育つはずなのですが・・・・。

昔あったことを忘れなければ

 日本も戦後、欧州と同じようなプロセスをたどり、豊かな社会になりましたが、同じような、いや、もっと凄惨な事件が多発するようになりました。デンマーク人が「マッチ売りの少女」を忘れてしまったように日本人は「火垂るの墓」の節子を忘れてしまったようです。戦後七十年ちょっと・・・豊かさの中で「心」が消えています。デジタルの中でアナログが消えていきます。お金のために「思い」が消えていきます。
 昔あったことは繰り返されます。だから忘れないように気を張っていないと、欲に駆られた人々によって昔と同じことが引き起こされということです。
 人々に良い心を配って行くサンタクロースは、まだ来ていないようです。来るのは一儲けばかりたくらむ企業の誘いや詐欺まがいの商法ばかり・・・テレワークというから何かと思えば、直接営業には来ないで、人を騙す電話詐欺まがいの売り込みばかり、これはサンタではなく、サタンですね。
 子殺し・虐待・親殺し、そんな社会的混乱が極まったときに、戦前と同じ法律ができ、戦前と同じ教育が始まり、子どもたちや私たちを追い立てていくサタンがやってくるのかもしれません。今回の衆議院選で、その方向ははっきりし憲法は改正されるでしょう。バカな若者は自分が兵隊にさせられる法案を出す党に投票していたようです。そうならないように子どもの心の健康(大人も)には気をつけねば、と強く思いますが、時、すでに遅しかな・・・。
 子どもには良い物語を聞かせましょう。頭をバカにしないためにも・・・良い物語は必要です。質の高い物語は子どもの心の質を高めます。世の中は確実に大変動していくでしょうが、まともに育てば身の回りの危険を早めに知り、悲劇的な状態になる前に逃げられます。来年も放射能は消えないでしょうが・・・子どもの未来が明るくなるようになんとか努力したいと思っています。では、何はともあれ、メリークリスマス・・・良いお年をお迎えください。今年も一年ありがとうございました。(ニュース一部閲覧)

家庭しか子どもは守れない

 会員の中にフードバンクでボランティアをしている方がいて、知識について話したのですが、貧困に入る人たちが増えてきて「これだけ高等教育を受けたのに何も考えようとしない」「自ら悪循環の中に入っていく」という話題になりました。
 私はボランティア活動ができないので、環境問題と取り組む団体や、貧困、格差問題で活動する小組織にわずかながらの寄付しかできませんが、そんなことで世の中が良くなるとは思ってはいません。「悪いこと、酷いことを進める側には回りたくない」という、せめてもの自己満足です。
 悩みは持ちながらも、ゆめやの会員の皆さんは子どもをきちんと育て、おかしな方向に行かないように気を配っている方ばかりでしょう。
 読み聞かせや絵本の話題では、どの方も「私自身が読み聞かせで気持ちが落ち着く」「物語を読んでいると子どもの不安が消えていくのがわかる」という話になります。これは子どもにとって幸福なことじゃないでしょうか。世の中には、そんな気持ちはサラサラなく、とんでもない日常を送っている親や大人も多いのです。
 小さい時に親と濃密な時間を家庭の中で過ごした子は、「それだけで、まともな心が育つ」と言う人も多いのです。人間の幸福は「立身出世」や「大金持ち」「権力掌握」ではないですからね。人は五百年も千年も生きるのではないですから、イライラや妬みや諍(いさか)いは、少ない方がいいに決まってます。

子どもの心を確かなものに

 幼少期に親と濃密な時間を過ごした子は気持ちが安定していくと思うのです。「子どもは社会が育てる」というような人がいますが、それは子育ての一部のこと。子どもが大人になるためには社会任せではなく親が関わらねばならぬことのほうがはるかに多いのではないでしょうか。
 どこの国の宗教の教典にも「出会った人、係わった人には親身になって世話をしろ」というようなことは書かれています。子どもが最初に出会うのは親です。心を作るのは宗教や学校教育かもしれませんが、99%は家庭であり、親なのではないでしょうか。アメリカ大統領は宣誓式で聖書に手を置きますが、そこに「隣人を愛せ」とあるのを知っているのでしょうかね。イスラム教の国の人は、コーランに「相手憎さのために不当な暴力を振るってはいけない」とあるのを知っているのでしょうか。そういうことは親が教えないとわからないものなのかもしれません。
 人類の多くは賢人が書き残したものを読みませんから、「こうすればこうなる」→「やめておこう!」、「これをすればうまくいく」→「やっていこう!」という知恵による行動が取れないで欲ばかり?いて破滅に向かうことが多いようです。想像力がバーチャルな方ではなく自然なものに向かえば、きっと充実感や幸福感が得られるはずなのですが。
 「忙しい! 子どもと接する時間がない!」と言ってばかりいると、居場所のない子どもたちが、小学校で学級崩壊を起こし、中学校では荒れをつくり・・・大人になればオタクとかヤンキー、引きこもりになっています。こうなったらイエスもブッダもマホメットも救いにくいのではないでしょうか。もう世の中の乱れが家庭や家族の崩壊を生み出していますよね。

サンタクロースになる

 この時代は、みな儲けに走って、騙しや偽りばかりですが、親は子にそんな接し方はしないものです。おなかが空いたといえば食べるものを与えます。子どもに投資をして見返りを狙うなんて親はいないでしょう。やはり、まっとうな人間になってもらうためにがんばるのです。
 サンタクロースも、そんな気持ちで子どもたちにプレゼントを配っているのではないでしょうか。イブがキリストの誕生日ということ知らなくても、親がみんなサンタクロースのようになるのは、子どもがきちんと育ってくれるのを願うからでしょう。
 鶏の足をほおばりながら、私は私で接してきた人を思います。
 「この一年、かかわった人と、どのくらい、きちんと接してきただろうか。」「納得のいくつながりが持てただろうか。」・・・「きちんとダメなものはダメと言えただろうか。」・・・と。
 そして、ケーキを控え目に食べながら思います。「来年はもっとがんばらねば・・・」と。

アンケートへのご協力御礼

 先々月のニュースでお願いした「乳児期に買ったが不要だったものアンケート」、一か月半で100通もご回答を賜りました。 ←集計アンケート一部
 まず、ご協力くださいました皆様にお礼を申しあげます。まことにありがとうございます。アンケート元の澤田啓司先生(三重県津市乙部ヤナセクリニック)からも、お礼の言葉をいただきました。先生は、子どもの発達の研究もされている小児科のお医者さまです。澤田先生からの集計結果などは2月号あたりで一部ですが掲載します。皆様のご協力に感謝するばかりです。
 最初の集計感想を読んでみましたが、われわれは、かなり無用の長物を買い込まされているようです。
 余談ですが、私どもの娘がかかっていた我が家近くの小児科のお医者さまが偶然ながら、澤田先生と大学で医局が同じだったということで、奇遇にびっくりしました。世間は狭いですね。

言葉は通じるが話が通じない

 ところで、話は変わりますが、このアンケートのプロセスで、いろいろ面白い現象に遭遇しました。アンケートの依頼文の中に「無用の長物」という言葉を使ったのですが、お母様方の中で「どういう意味なんですか?」という質問がありました。「わかんないの?!」と言えませんでした。
 なぜなら回答の中には「ミトン」とか「マグベビー」「スイマーバ」「バンボ」「ラトル」など、形状が私の頭に浮かばないものが、これでもか、とあったのです。もちろんお母さん方は全部知っているでしょう。でも、年寄りの私には、すべて、意味不明な言葉でした。
 さらに老化現象は続きます。最近、流行っている歌がよくわからない。聞き取れないのです。日本語なのですが、聞き取れない。ネットでも同じような顔や名前の俳優や歌手が現れては消えていきますが、以前のように覚えられないのです。でも、無理やり覚えて、来店客に確かめたりしますが、じつは若い方々でも顔や名を知らないことが多いのです。AKBの女の子たちの名前を全部言える人がいたら天才だと思います。
 共通の知識や使う言葉が無くなってきているのを、ひしひしと感じます。つまり共通言語がなくなっているのですから、意志が通じなくなったり、いさかいが起きたり、ストレスを感じたりするのは、その意味では自然なことかもしれません。グローバル化というのは、共通な概念、言葉、文化的個性を消す役割を持っているのかもしれません。

バベルの塔

 言葉が通じなくなる寓話で有名なものは聖書の創世記のバベルの塔です。(一説には)ネブカドネザル王が築いた天まで届く聖塔なのですが、王が傲慢にもてっぺんから天上の神さまに矢を射ったため、神が怒って塔を壊したということです。すると、人々がテンデバラバラの言葉を話し始め、国が滅んでしまいました。親と子が通じず、友と友が言葉がわからなくなり、いさかいや戦いが起きて、新しい言葉ができるまで国がまとまらなくなったようです。
 私は無神論者なのですが、これは人間の傲慢と繁栄が「言葉がバラバラになっていく」比喩を通して諫めているエピソードだと思います。まあ、因果応報というわけですね。
 このように「かつてあったことはまた起こる」のです。おもしろいと言えばおもしろいですが、人間の傲慢が引き起こしたということで考えれば、あながち聖書のエピソードにすぎないとは言えません。
 いま世界中で高い塔を建てていますよね。バベルの塔のあった中東でも(ドバイ)で世界一高いビルができました(下の写真)。ここは民族間の言葉がずっと通じずに年がら年中戦争のある地域です。このビルのてっぺんから矢を射る人は出るのかな。いや、中東情勢は相変わらず世界の火薬庫で、子どもたちが成人するまでには必ず戦争のひとつやふたつは起こるでしょう。懲りないのは、人間が過去の事実や歴史の流れを学ばない動物だからだと思います。学べば、どうしたら避けられるか、どうしたら仲良くなれるかがわかります。でもそれをしない。
 戦後70数年で、もはや300万人が死んだ(世界ではその十数倍)ことなどコロコロ忘れています。12月8日が、その戦争の始まりだった「真珠湾奇襲」だったことなど多くの若者は知らないでしょう。こうして、言葉が通じても話が通じない国に、この国はなりつつあります。
 ひとつの文明が壊れるとき、言葉が通じなくなると言います。言葉は人と人をつなぐ重要な道具なのにねぇ。

無用の長物・・・

 でも、このような塔はニューヨークでも上海でも東京でも、さらにメッカやソウルでも建てられ、それらの国は天に向けてドンドン、ロケットを飛ばしています。いたるところにネブカドネザル王が出てきているのでしょうかねぇ。
 あいまいにしか通じなくなっている言葉、共通の知識がない状態で話される言葉、政治家やお笑い芸人が繰り出す真実味のない言葉、感情を刺激するだけの言葉があふれている現在。共通なものは取り返せるか。
 21世紀になって登場した各国の指導者はどうやら傲慢になって金がすべて、発展がすべてという妄想に憑りつかれてしまったようです。上がそうなれば下もそうなる・・・礼儀を忘れ、便利であることがすべて、何もかもが金儲けの材料なら人の世界は分断されます。どうやら世界のほとんどは為政者がネブカドネザルになり、天の神を怒らせてしまったような気もします。
 歴史は繰り返します。お祭り騒ぎで高い塔を造っても、やがて、言葉が通じずに大混乱では大変です。こういう高い塔こそ「無用の長物」だと思うのですが・・・・。ま、なにはともあれ、良いクリスマスを迎えたいものですね。

長い長い会員の話①

 先日、京都のKさんからのメールで「おつきあいが17年になりますね。」というおたよりが来た。一番上のお嬢さんがもう大学生になる。大津に住まわれていた時からなので、二番目のご長男を経て、いまは三番目の弟さん(現在小1)に配本中、まったく長い長いおつきあいの会員である。17年も経ったか!と思わざるを得ない月日の速さ・・・おどろき。
 ゆめやの通常の会員は、本嫌いにならないかぎり最大で11年はおつきあいをする。そういう人は記録に残しているが40年で1万人弱となった。大きなブッククラブから見れば月とスッポンの規模だが、つきあいの濃密さはどこにも負けないと思っている。
 ブッククラブを始めたのは、いまから40年前の12月だった。第1号会員は甲府の中心部にゆめやがあったときに近くに住んでいた古屋さん。たまたまクリスマスプレゼントの話をしていて、「毎月、本がプレゼントできるといいな。」という要望から始めたものである。今年41年目だから実質40年。良いおつきあいができている会員が山のようにいる。
 で、調べてみるともっと長い長い会員もいた。愛知・春日井市のRさんのお子さんたちである。もうお姉ちゃんは社会人である。しかし、Kさんと同じように下に兄弟二人がいるから下のお子さん(小4)現在もまだまだ続いている。長過ぎ(笑)。

最初のころの記録は

 WindowsではなくPC8800(その前はSharpMZ2000)だから記録が残っていない。なにしろメモリーがFDやカセットテープだった。時代も変わった。いま、XPの復元をしているが、ここでも長い長い会員が出てくることだろう。まったくありがたいことである。こういう方々が年賀状などでお子さんが成長した様子を知らせてくれる。あまりの成長の変化におどろくばかりだ。子育ての十数年間・・・その結果がちゃんと見て取れる姿が写っている。うれしい瞬間だ。
 ところで長い長い会員と言えば、まずは名古屋の佐々木さんかもしれない。はじめは二人の娘さん(もうすでに成人)への配本だったが、とにかく、その後、会員を紹介していただいた数がハンパではなく、当然ながら、その会員がまた新たな人を紹介してくれているので、足を西の方に向けて寝られない状態なのです。
 名古屋の会員は元をたどれば多くが佐々木さんに行きつくのではないかと思うのですがどうなのでしょう。もうかれこれ20年をはるかに越えたおつきあいになっているのです。しかし、じつはもっと長い会員もいるのです。それはまた次回からシリーズでご紹介します。

あわただしい 年末・年始ですが

 オミクロン株の出現などで、また生活が脅されている年末ですが、為政者に徳が無くなり、人心が乱れると疫病や天変地異が拡大し、頻発するという説が古代中国の文献(漢代・天人感応説)にあります。まるっきり迷信・異説というわけではなく世の中の乱れがいろいろなことを引き起こすということでしょう。
 たしかに、バカな人間や狂った人間が上から下まで出てきています。騒ぐ・音を立てる、自暴自棄になる、など他人の迷惑顧みずという親や子も増えてきました。どうか事件事故に巻き込まれずに、すてきなクリスマス、良いお年をお迎えください。(新聞一部閲覧)

アサギを呼ぶ声

再版中なので後で配本となります。

 高学年の基本配本・副読本で入るアサギを呼ぶ声が再版中で品切れです。配本は前倒しして入れ、再版になったときに配本します。あしからずご了承ください。
 これについては、またご連絡します。最近、頻繁にこういうことがおこりましてブッククラブ配本が安定配本できなくなるのを危ぶんでいます。



(2021年12月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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