ブッククラブニュース
令和元年(平成31年)
11月号(発達年齢ブッククラブ)

性格・個人差は・・・認める

 子育て上の困ったことの相談がよくあります。こういうのはなかなか答えるのが難しい。最終的には子どもを一番よく知っている親が対処法を考え出さなければならないわけですが、個人的な性格の違いはあるし、ほかの同年齢の子との個人差もあります。その子が「遅れている」とか「おかしいのではないか?」という結論はまずいですから難しいです。
 だいたい親自身の性格も違うし、親をほかの親と比べても多種多様で、大人でも「これが標準」というような性格はないわけです。よく、スピリチュアルにかぶれた人が性格分析や結果予測をしますが、そんなものでくくれたら世の中は平和です。
 ひどくなると占いなどの性格判断で決めつけたりする。誕生日占い、星占い、四柱推命・・・まず、標準的なものはないし、だいたいが当たるわけもないのです。人間はみなちがう動物ですから。
 私は誕生日は北野タケシと同じですが、行動、考え方、発言・・・どれだけ違うか、大違いであることは聞くまでもないです。同じ日に生まれた子は多いですが、みんな同じだったら、そのほうが異常です。しかし、人間は弱いもので、なんとなく、判断を信じてしまうわけですね。でも、自分の子を、思惑で型にはめて、「こう生きるべき!」「こうなるように育てないと!」とやると、やはり子どもは委縮するし、誤った道に追いやりかねません。
 私も失敗が多々あります。実は血液型判定(私はO型)の性格分析が当たりすぎで驚いたことがあります。以下がO型の性格特徴

  • 部屋を散らかし、片付けをしない
  • それなのになぜか本棚はキレイ
  • 基本的にはやる気がないが火がつくとスゴイ
  • 変なことこだわりを持つ
  • 洗濯物はしまわず、あるものを着る
  • 興味があったものが有名になるとすぐ熱が冷める
  • スケジュールは書くが見ない
  • 昔の自分を思い出してアアア!となる
  • 口ゲンカは面倒なのですぐにやめる
  • 今日、怒ったことも寝ると忘れる
  • 忘れついでに大事なことも忘れる
  • 口癖は「そうはおっしゃいますが・・・」
  • 財布の中は金よりレシートが多い。
  • 直せるものではない

     これがなんとドンピシャリでした。ダメ人間の典型でしょうかね(笑)。しかし、直そうとは思わないのです。持って生まれた性格、で、とりあえず、性格は直さないことにして、現状(うえの項目)だけで行こうと思いました。そんなことで人生は変わりません。分析や占いでダマされることもないのです。カウンセラー、精神分析家、占い師は言うだけ言って責任は取りませんからね。自分の力で行かねばね。ダメなら反省して直すべきことは直す。
     子育ても同じで、子どもにも個性があるのですが、それを周囲の標準に合わせようと親は頑張ります。でもね、最近の若者を見ていると、みんな同じで行動パターンや意見、思考が魅力的でない。みんなと同じにするとこういうことになります。持って生まれたものは、それが個人の特質。それを生かして生きた方が生きやすい。

    良き「しつけ」

     現代では家庭でも学校でも基本的な『しつけ』が失なわれてしまったので,子どもは「なんでもあり」の世界で育ってしまいます。学校の先生は叱ってはいけないので、子どもが何をしようと腕をもがれたボクサーのように宙を打つ格闘をしなくてはならない。親は親で「ほめて育てる」という暗示にかけられて怒ることもできなければ、抑えることもできない状態です。当然、子どもは増長する・・・そして、大人になれば倫理観喪失の人間になってしまう確率が高くなる。実際、今の状態がそうである。それがまた親になる。そこではサブカルチャーやヤンキー的雰囲気から異常性格も生まれてくるでしょうね。
     もともとの性格がO型であろうとB型であろうと、自分で意識して、自分をコントロールしていくのが成長というもの。周囲がどうであろうと、異常性格でなければ生き抜けます。
     私は子育てのときも同じにしてみました。あまり、子どもの些細な行動や言動の違いに左右されないで、ダメなもの、ダメなことをしたら叱ればいい。子どもはダメなことをしがちなので、放っておくと大人になってもダメなことをします。だから小さいうちにやってはいけないことだけは教える。大人になってダメなことをしないようにね。成長したら、あとはゆるやかに見ていれば、常識にまみれた人より、優れた大人になると思いますよ。子どもはまっとうな人間や本に接していれば、そこから「まっとうな生き方」を学びます。昔の本はそういう点では良き「しつけ」をしてくれたものです。江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズは、じつにきれいな日本語で書かれていて、敬語の使い方、言葉の使い分けがじつに見事だったのです。同じことは、「若草物語」や「赤毛のアン」でも見受けられます。ここでは個性が光るのです。「神秘の島」や「星の王子さま」などでも相手をどう見て、自分はどう動くかが描かれます。これがアニメになったり映画になっても光景が先に飛び込んでくるだけ、それの刺激が優先で、考えて自分のものにする力はつかないでしょうね。ゲームなど性格破たんしか生みません。
     文章は個性をつくるのです。ほんとうの個性は馬鹿なことをしないものです。甘やかされて、すべて周りと同じ感覚で育つと大変です。でも、偏差値教育で「みんなと同じが安心」で育ってしまった親には、子育て上でも、生活上でも、こんなことを考えるのは無理かもしれないけどね。その前に考える時間がないほど家庭内滞在時間が少ないのでしょうけど。(ニュース一部閲覧)

    大熱狂時代

     今年の秋は台風災害で大変だった。しかし、その報道は遅く、以前なら2・3日で日本全国に知れ渡った惨状が、一か月経っても全容が見えてこないところもあった。11月になって「東松山の実家が水浸しで大変でした」と話す会員。「また屋根から大量の雨水が・・・」とメールをくれる千葉の会員、9月の台風は限定的だったのでお見舞いのお便りは新旧の会員にしたが、今回は広範囲すぎて、しかも情報が流れてこないのでできなかった。福島の被害はずいぶん後になってからで、郡山やいわき市のことなど十月末に知った感じである。
     まるで報道管制をしているようにずいぶん後から小出し。いったいテレビや新聞は何をしていたのだろう。テレビは台風当日でも相変わらずスポーツと下劣なお笑い番組を流し、翌日からは、スポーツ・芸能がメインの熱狂報道となった。
     ラグビーは、その代表のようなもので、観衆の十人中何人、ルールを知っているのかわからないが、すくなくともテレビや新聞は「大観衆が試合に釘付けになっているかのような」報道をしていた。同じことはバスケットボールでも言えるし、卓球でも言える。
     そして、実際には少数なんだろうが、マスメディアはいかにも国民の大多数が熱狂しているかのように伝えた。つい、この間までは話題にもならなかったスポーツである。なんだかおかしい!
     ハロウィンと同じで、ハロウィンの意味さえ分かっていない人たちが都会のど真ん中で大暴れしている。そして、わかっていなくても、これだけの熱狂が報道されると、しだいに地方でも広がり、一般にも熱狂がしみわたっていく・・・そんな気がする。これはアブナイ!報道がこれを煽る。人気グループの一人が結婚という情報がテレビの緊急ニュースで流れる異常さは、何かを隠すために故意に次々に小ネタを取り扱って、大げさに人の目をそらして小さな熱狂をつくっているのではないか。

    今日は○○だから酒が飲めるぞ

     もちろん、スポーツに限らない。即位式でも熱狂するような演出が行われていて、パレードは台風で延期になったものの信じられないほど大掛かりな厳戒態勢が取られた。観衆は発表で11万人強なのに数十万が見に来ていたかのような報道すらあった。わざと大掛かりにやるかのように全国民巻き込み型の報道だ。次は「大嘗祭」で盛り上げたいのだろう。現憲法上では宗教を信じるのは自由だが、政治に宗教が結びつくのはダメだ。神道はレッキとした宗教である。こういう基本的なことがゴチャゴチャになり、大人も学校も見て見ぬふりをしていると子どもへの影響は大きくなる。
     「盛り上がれば何でもあり」という雰囲気は、物を考えるのに必要な「理性」を不要とするので、学校教育で締め付けられている子は息抜きに羽目を外したくなる。熱狂してストレスから逃れたいというのは大人ばかりではなく子どもも同じだからだ。
     その証拠に大嘗祭はたしかに奈良時代には行われて平安までは続いたが、戦乱や経済の問題から室町時代あたりから途絶えたということを知る人はいない。それからおよそ大嘗祭は千年、中断だったのである。それを明治天皇を担いだ長州藩閥政治家が大がかりな祭りにして神格化を進めた。歴史は150年しかないのである。本を読めば書いてあるが、読まなければずっと続いてきたと思い込んでしまう。うまい仕掛けを作ったものだ。神社はヤンキーな心を植え付ける装置でもある。信仰心など、これっぽちもないにいちゃんやねえちゃんで初詣は混雑し、なんの疑問も持たない若い親はお宮参りや七五三で満足感を得る。
     こういう連中が、中年になっても熱狂してペンライトを振る。愚かさで、無理やり盛り上げる手法は園・学校が運動会や学芸会を通じて、これまで試み続けてきたものでもある。人格などどうでもいいから丸暗記で答えをたくさん覚えた東大王が勝ち!でテレビが煽る。考えないように、考えないように・・・・陽気に,陽気に・・・と。偏差値がいくら高くても悪いことをしたらアウトなのに・・・・。税金を私的に使ったら、人を殺したら、激辛カレーをイジメに使ったら・・・事に大小があっても悪事は悪事。成績が良かった者、学歴を得た者が悪事を始めている時代でもある。そのへんをよく「考えない」と流される。

    3s政策なのかな?

     84年前、ドイツではベルリン・オリンピックが開かれた。この前後、ナチスは3S政策ということをやってのけた。SとはSport/Screen/S〇〇の3つで、国民から考える力を失わせようというものだった。スポーツで熱狂させ、映画で煽り、・・・というものである。人気グループの中年男の結婚がNHKの緊急速報でテロップに流れる時代である。
     現代日本・・・東京五輪・・・スポーツとテレビ・・・何を目指しているのだろう? もう少し、まともに子どもが育つように「考えてみる」のが大人ってものだが、こぞって物を考えないで盛り上がることばかりに気が行っている。少なくともわれわれの子どもが熱狂しないように気をつけよう。そして、自分も現実から逃げようと熱狂にしないよう、しっかり考えていよう。
     時代が変わるのはそう先のことではないから。(新聞・一部閲覧)



    (2019年11月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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