ブッククラブニュース
平成30年10月号(発達年齢ブッククラブ)

風立ちぬ、いざ・・・

 「風立ちぬ」・・・日本人の多くは、この言葉に続くフレーズをすぐに思い出せる。老人は堀辰雄の小説で、若者は宮崎駿のアニメで。後に続くフレーズは違うが中年は聖子ちゃんの歌で・・・・ね。
 「風が立つ」は日本語独特の美しい表現で、これをWind standsと直訳するバカ者はいないだろう。
 ところで、「風立ちぬ」の後に続く言葉は「いざ、いきめやも」。多くの人が「行きめやも」と勘違いしているかもしれない。しかし、ね。これは内容から考えれば「生きめやも」、有名なヴァレリーの詩「Le vent se lēve, il faut tenter de vivre.(海辺の墓地)」を引き写したものなんですね。でもまあ、そんな豆知識はどうでもいい。ひけらかすほどの知識もないし、だいいちフランス語は苦手。発音しない文字がつづられるってぇのが好きではない(笑)。
 まあ、知識なんかより、風が立ったら、美しい日本の秋を探しに「いざ、行きめやも」である。で、私は、必ず秋になるとどこかに出かける。去年は立山だった。麓は美しい紅葉なのに、行った途端、頂上は一面の雪。突然の雪にまみれて雪男になってしまった。一昨年は日光で三日間ずっと雨。酷い風邪を引いた。その前の年は磐梯山で。ここも一日中、小雨が降っていた。クシャミが出っぱなし。俺って雨男? シリアやイラクに拉致されればきっと歓待されることだろうね。

体験学習は自然の中でも・・・

 しかし、天候が悪くても秋は秋、自然にはそれなりの美しさがある。お子さんの自然体験は夏だけではない。そんなわけで、今年も風が立ったので、まず、ごく身近なところに行ってみた。長野県富士見町の富士見高原リゾート。冬はスキーでにぎわう。子ども連れのスキーや初心者には手ごろなところだ。
 ここの良さはまずロケーションにある。東に甲府盆地や富士山が見え、南・真正面には鋸岳、甲斐駒、北岳などの巨峰が居並ぶ。西にはなんと諏訪湖が見えるのだ。もちろん背後には八ヶ岳がある。いやいや、ここはすでに八ヶ岳の麓なのだ。これは贅沢すぎる風景だよね。一時バブルの後遺症で衰退著しかったスキー場だが、最近、テコ入れが始まったようで復活めざましいものがある。過酷な暑さを逃れて、ここまで登って見上げればヴェガもアルタイルも手が届くところだ。ここでは夏場には星空教室はやっているのかな。
 魅力は、ゆるゆると壮大な景色を見ながら電気自動車で登って行かれること。自動運転というのがすごいね。子どもと一緒にゆるゆると山を登っていく。とてもさわやかで楽しい体験だ。環境にやさしく、ジェンダーの垣根が取り払われている感じがするので子どもへの教育にもなる。それも口や言葉でない肌で感じる教育。
 夏は花畑が広がり、百日草が一面に咲いていた。秋にはワレモコウやススキ、コスモスやオミナエシ、そして萩やリンドウなどが風に揺れる。これも四季折々の花揃えなのだろう。まさに標高差を生かした天空の花園だ。遠くを見渡せばカラマツ林がどこまでも続く八ヶ岳の麓。登りきると頂上の広大な平地には信じられないほどの数の大きな現代彫刻が並んでいた。作品の抽象的な姿と題名が頭の中でつながらない。その不思議感がおもしろい。
 冬はスキーインストラクターをしているという方が、説明してくれたが、スキー場のオールシーズン化を目指しているという。アベノミクスで地方の疲弊が進み、地方都市はどこに行ってもシャッター街が目立つ。もちろん、こういう風景も子どもにはみせたいね 。いいところばかりではない、世の中にはたくさん貧しい、悲惨なものがあることを見せるのもまた教育。中学生くらいなら、そういう話を風景を見ながら話せば、子どもの頭の中に発想力やアイディアが生まれる。こういう体験型学習は相乗効果があるのでおもしろい。きれいな森や空を眺めていれば、大人だって、世の中の嫌なことをみんな忘れることができるし、ね、一石二鳥。

天空のヴェガ

 では、秋になったら星空でも見に行って見ようか。山の秋は早く来る。夏の日差しが照りつける30度のゆめやから山深い長野・阿智村まで3時間、ロープウエイで15分を一気に昇る。すると標高1400mの天空の楽園は気温14度だった。ここの星空ナイト・ショーは九月が最終日程。ここから先、十月の山の夜は冬に入る。たしかにゲレンデは冷え込んでいた。
 20時になるとレーザービームを使った星空説明が始まる。集まった観衆は老若男女千三百人。二部制だから一晩で二千数百人が集う。冬はスキー場だが、以前は、夏ほとんど人が来なかったらしい。つまり村おこしの巨大な成功例だ。ロープウエイを待つ長い長い行列を見てまさに、「起こし効果」を実感する。
 この山の向こう側は木曽だ。もちろん木曽も「山の中である」。そこにも同じような村がある。御岳山の麓の王滝村。国からの借金でスキー場を作ったはいいが「私をスキーに連れていかないで」の時代になった。いまや村は破産自治体。職員を減らし、当然、福祉はおろそかになる。山の向こう側とこちら側・・・すごいね。この差は。アイディアがあるかないかの違いだ。
 雲が晴れて灯りが消されると天空に、まだ夏の大三角が大きく輝いていた。ヴェガも光を保っている。町に灯りが少なければ、こんな星空はどこでも見られることだろう。電力のない時代、島崎藤村も、きっと林檎畑から満天の星空を見ていたことだろうね。

花桃ねぇ・・綺麗だけど汚い!

 この村に入る街道は「はなもも街道」という。福沢諭吉の娘婿で中部電力の創始者・福澤桃助が植えた花桃が沿道に並ぶ。いまだに中部電力は「殖産興業」という洗脳で「原発を動かして儲けたい、儲けたい!」だ・・・。まったく、諭吉ほど、この国の根幹を百五十年も揺るがし続けている男はいないね。
 ヴェガの北に北斗七星、南に南斗六星・・・七十数年前、軍の航空隊がヴェガを目印に飛ぶ航空図を作成していた計算と作図に多くの女子学生が動員されたことを知る世代はいなくなりつつある。。多くの国民を空襲で死なせた「富国強兵」の結果でもある無意味な作戦だった。
 今夜も30分間で、北から南に17機の航空機の灯りが天空の楽園で点滅した。・・・おそらく名古屋から東京に向かう航路だ。かなり軍用機も混じっていることだろう。この国の空はまだ占領中である。
 ナイトショーでは、アンドロメダとメドゥーサについて説明している。右から老女グループの会話も聞こえる。「ねえ、稀勢の里、勝った?」「ちょっと調べてみる!」、スマホの灯りが点る。左の中年のおばさんたちの話は甲高い。「あのホテルのランチが1000円ってお得よね。」「中華のときのほうがもっとお得よ。」・・・なるほど、この国は平和だ。
 こういう星空を、この国の首相や官僚たちは見上げて何か思うことがあるのだろうか。どうも子どもたちが見る未来の空は暗そうだ。
 会場では再び、照明が点き、天空に輝いていたスターが次々に消えていく。でも、まあ、これも「人類の星の時間」・・・すぐにまた、樹木希林やさくらももこ、加古里子や高畑勲、加藤剛や桂歌丸・・・いくつもの星が輝き始めるだろう。冬に向かって天空の楽園はにぎやかとなる。

北野さん、何と品性を語る

 よく生年月日で占いや性格を当てるものがあるが、同じ日に生まれる子は世界中で山ほどいる。それが全部が全部、同じ性格、同じ意見、同じ行動パターンであるわけはない。つまり生年月日で同じような人間が出ることはありえないという当たり前。
 ただ、じつは左の人、生年月日が私と同じなんだなぁ。
 当然、なにもかもが同じではないが、ときどき、「あ、俺もそう思ってるわ」ということを言う人でもある。
 まあ、同じような時代を生きてくると同じような意見になるという好例なのかもしれない。
 で、(北野さんいわく・・・)
 今の子どもは、ほんとうに偉そうにしてるよ。 親から金をもらうのが当然のことのように思っている。
 親もまた、ねだられれば、子どもにすぐ小遣いをやる。だから我慢ということを知らない。
 そのうえ「欲しけりゃ欲しいだけ手に入る、こんなのとんでもないよ。困れば困るで親にすがりつく。
 困ったもんだねぇ。
 昔は「イヤならやめろ」だったんだ。「まずきゃ食うな」とかさ。あたりまえのしつけがあったんだよ。
 それがなくなると、あらゆることで下品なやつばっかりが増えちゃったんだな。
 品の良さっていうのは、とりあえず腹に収めちゃうっていうことだろう。
 まずいなと思っても、ちゃんと食って、それでもほんとにまずいなら食わないってことだけだ。
 それが、いろんな難癖を付けるようになった。なまじの中流ってのほど下品なものはないね。

 金があると下品なことをやりたがる。金さえ出せば手が届くように見えるものには我慢できずにすぐ手を出しちまうんだ。要するに、金で品(ひん)を買おうとして、いろんなブランド商品を買ってきて自分に品(ひん)をつけようとした。それは大きな間違いだったんだよな。
 買うんじゃなくて、買わないことでしか品(ひん)は得られないんだよ。
 修理した車だとか、修理した靴だとか。修理品を持っていて、なおかつそれなりの雰囲気を持たない限り、日本はいつまでたっても文化的には立ち遅れたままだな。
 車を買いかえなかったりすれば、経済は停滞するだろうけど、人間に品(ひん)だけはガッチリ出る。

学歴や資産では品性は出ない

 なるほどね。同感。北野さん。同感、同感。大田道灌、江戸城を造る・・・だ。かんたんにいえば、人間は生産性とか経済性で生きているのではなくて、もっと多くの無駄を身に付けなければ品性がそだたないということですね。腹をくくって、腹に収めておかないと・・・。
 東大の法学部を出ていたって暴言・失言、裏切り、嘘八百、種々のハラスメントなど下品な行動をしている連中を見ればよくわかること。まあ、どのみち、いい人生は送れないことだろうが、そういう人間が表面に出てきてしまった時代でもある。自分の子をどういう人間にするかではなく、どういう学歴や力をつけるかばかりにとらわれていると品のない子どもが大人になる。その周りは雰囲気が悪くなり、人間関係がギクシャクする。やはり、品や礼儀は必要ですね。お金がなくたって幸せな時代はあったのです。
 最近は田舎に行けばいくど農地を売ったりして裕福な元農家の人もいますが、やはり、身に付けていなかった教育や家風を取り戻そうと、不相応な「物」を買って見せびらかす風潮もあります。たしかに、まだまだ立ち遅れ感はあります。もっとも、これは明治の昔からあったことなのかもしれません。経済破綻は間近だから「品よく生きよう」というわけですかね。
 ブッククラブ会員のこちらの方は、まだ子どもが小さいのでどうにかなる。質の高い本を楽しく読んであげましょう。そうすれば、黙っていても品(ひん)の元になる心はつくれそうです。(10月号新聞一部閲覧)



(2018年10月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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