ブッククラブニュース
平成29年8月号(発達年齢ブッククラブ)

残暑お見舞い申し上げます

 まったくおかしな天候で、暑いことは暑いかったのですが、妙に雨が多い夏でした。甲府はさほどでもありませんでしたが、連日雨が降ったり、集中的な豪雨になったり、気温が下がったり、やはり異常気象なんでしょうね。原因は人類がつくっていると思われますが、その原因を取り除けるほど、まだ科学は進歩していないようです。と、いうよりか、科学の進歩が異常をつくりだしているのかも。
 世間を見てもいろいろなゴタゴタが起きていますが、それを何とかしようという気運も盛り上がらないようで、どんどん行き詰まりまで行ってしまうのかもしれませんね。このまま・・・・。
 皆さんは、この夏どうでしたか?。今年のお盆はゆめやではなく私が個人的には大変でした。なぜかというと新盆の方が多くて、その家に行ったり、お墓参りをしたり、それも近辺ならいいですが、ちょっと遠いところだったり、あちらこちらへ飛び回るお盆で、雨が終日降る中を、ですから湿気と暑さの中、かなりバテました。
 高齢化がかなり進んでいますが、新仏さんの中には私より若い人が2名もいました。忙しい、奔走しなければならないという時代です。無理をすればたたりますからね。大変です。
 一方では現代的な傾向も生まれています。地方新聞を見ていますと、死亡欄というのがあって、どこそこの誰が亡くなったということがわかりますが、この欄の死亡通知数が昨年あたりから急速に減っているのです。亡くなった方が減少しているのではありません。通知するケースが減っているのです。つまり葬儀が密葬、家族葬状態になって非通知というわけです。ここでは、家族という人間関係にも変化が起こっているようです。

子育てと親子関係

 いまの老人の多くは高度経済成長の時代に子どもを育てましたが、もちろん高学歴志向で子どもを高校に入れ、大学にも入れ、企業その他に出世の道を開かせました。もちろん、地方はどんどん疲弊していくので子どもたちは都会に出ます。親とは遠ざかり、親は地元に残って「老齢化」です。都会に出た子どもたちには、介護や葬儀は面倒なものになりますから、なるべく手早く済ます・・・そのための簡便な方式が取られます。その究極が少数の関係者だけの密葬、家族葬。これからますます多くなることでしょう。
 これは、明治以来、学校教育や一般社会で「立身出世」思想が刷り込まれたからで、行きつくところまでいかないと、人間関係が希薄になっていくことは、もはやどうすることもできませんが、それでもまだ戦後の一時期まで中卒就職、高卒就職が多い時代には親子関係も濃厚だったようです。
 これは、いま放映中の朝ドラ「ひよっこ」(写真)を見ても、登場人物の多くが中卒、高卒で働きに出る世代。かれらが主役の話です。昭和30?40年代でも、そんな生活格差があった時代なんですね。脚本の岡田惠和さんは1959年生まれ(現在58歳)ですから・・・親子関係が濃かった時代を知る最後の世代でもあります。

高学歴=高給

 でも、その中卒、高卒の親たちもまた学歴による給料格差が起こったために自分の子を「大学まで出したい」という目的を持ち始めました。団塊の世代から後ですね。もちろん団塊の世代の中でも地方では高学歴志向が高まっています。最近、失言や無能答弁で有名になった東大卒、一橋大卒の大臣たちも団塊の世代で、いわば成績は良かったが頭が悪かったという矛盾が起き始めた時期の方々です。庶民の間でも所得が大きくなりましたから、親になった中卒・高卒は子どもに教育投資をして大学を出します。かなり高学歴な人も出てきた時代でした。この傾向が顕著になったのは昭和50年くらいからでしょうか。バブル直前に「高身長、高学歴、高収入」という男性がモテるという言葉が流行りましたが、これが前述の明治以来始まった立身出世思想の刷り込みが、ある意味「結実」した状態だったのかもしれません。こういう流行語で生きた人々もまた老人の域に達しようとしています。
 社会規範への意識が高かった時代なら立身出世しても学歴と人格が一致した部分はありましたが最近はどうも、胡散(うさん)臭い人たちばかりですね。いまはもう当時言われた駅弁大学などという言葉を通り越して、ほとんど内容がない大学も多くなりました。いずれ少子化で大学自体がつぶれ始めるでしょうが、まだまだ庶民の間では立身出世幻想が残っています。
 当然、こういう状態で早期教育や塾、その他のお稽古に金をかけても思うような効果は表れない時代となります。それが自覚できないというのも恐ろしいですが、行くところまで行く、なるようにしかならないのが現在の状態です。30年前なら変えることができたかもしれませんが、これから高学歴や高給が得られても家族や親子が分解し始める可能性のほうが高いです。どういう子どもを育てるかが問われていますが、親自身が旧態依然の考え方なのですから、これはなんとか幼児期に手当てしておかしな人間にならないようにしないという方法しかないと思います。(ニュース一部閲覧)

6月号「・・・に」「・・・で」訂正

 8月になって甲府は例年通り猛暑で、とても新聞やニュースを書く気力がなく日が経って行きます。夜はくたびれて眠くなるし、頭が働きません。昔は毎日が37度、38度という夏はありませんでした。
 たくさん水田があったので田んぼの水が気温を下げていたのでしょう。とくに夜の温度の高さを見るとよくわかりますね。頭が働かない(ただでさえ働いていませんが)!
 海、山あるいは海の外、山の下・・どこかに行きましたか?お盆ともなると日本中が混雑で、「なんで同じ時期にみんなで移動?」と思ってしまいます。でも、私のようにボーっとしているよりいいんでしょうねぇ。
 さて、この暑さで頭が空になっているときに、6月号のニュースを読んだ方が来店して「この世界の片隅で、ちょっと今から仕事やめてくる」のことを話し始めました。「このタイトルは間違いでは?」と・・・。
 調べると確かに「この世界の片隅で」ではなく「この世界の片隅に」なのです。間違った! その方が「けっして揚げ足取りではなく、『で』と『に』には大きな意味の違いがあると思う」と言うので、さらに赤面です。
 「『で』の後には何かする行為や行動の述部が来る。しかし、『に』に続くのは『いる・ある』。私もこの映画を見たんですが、なぜ『で』ではなく、『に』なのか、ずっとひっかかっていた」と言うのです。鋭い! その方は「私の解釈では、この映画は出来事を描いたものではなく『それでもこの世界の片隅に存在し続ける』ということなのではないか。」と話されました。  

二つの題名をくっつけてしまったミス

 うーん、そうですね。その通りです。とても誰かのように「その指摘は当たらない!」「この表現で問題ない!」などと「逃げの答弁」はできません。助詞一字で全文の意味が変わるのです。
 その方はこう言いました。「その意味では、ゆめやさんが指摘したように戦争と天災とを同じレベルで扱っているということには賛成ですよ。もちろん、多くの天災は人災の影響が付いて回ると思いますが・・・」・・・これは、お世辞でしょうが、私が重要な一字を間違ってしまったことには「間違いはなく」、まったく言い訳ができず、これはその方もふくめて会員の皆さんに「お詫びしなければならない」と思いました。
 映画のタイトルを二つくっつけてニュースの題にしたのですが、後ろが『仕事やめてくる』という述語だったんですね。このため無意識に『…で』にしてしまったのではないかと思われます。ゴメンなさい。訂正してお詫びします。
 それにしても、こういう深く読んでいる方がおられるので、「おろそかに文を書けないな・・・」と思いながらも、すぐれたお客さんがいて、きちんとご自分の意見を言ってくださることに感謝するばかりでした。英語は得意ではないのですが、おそらくatとinの違いでしょう。「?で○○をする」「?にいる、ある」の違いです。日本語は曖昧な表現が多いです。良いところでもあるが悪いところでもある。やはり論理的なことを大切にしないといまの世の中のように大変になります。ただ、その方もわかっておられたように、私は「自分に襲ってくる不幸にボーッとしている」のではなく、「そこから脱け出すために○○をする」ことを述べているわけです。
 これは「世界の片隅に」のような戦争という大きな問題だけではなく、離婚とか仕事やDV,イジメでも同じだと思います。「なにも悲劇が起こるまで我慢する必要はない。」「こりゃダメだ!と思ったら逃げてもよいのではないか」とね。
 さて、気温が40度になったら私も甲府から脱出しようと思います。台風でさえ雨をロクに運んでこないのです。被害があったところの方には申し訳ないような気分になりますが、「甲府の片隅で・・・ちょっと今から涼みに行ってくる」か、「甲府の片隅に我慢している」か、今月の熟考はそんな行動の原点にまでさかのぼってしまいました。(ニュース一部閲覧)

夏の思い出

 夏休みが終わりますが、どこかに家族で出かけたでしょうか?どんなところ? どんなふうに? それぞれ個性的な旅だと思いますが・・・。現代の旅にはいろいろな方法があります。
 私は、この年齢になるまでパックツアーを利用したことがありません。旅行社の企画ツアーを利用すれば安上がりのうえ、いろんなところが見られ、おいしい料理も食べられる。失敗もない。ツアーは旅行会社任せだからスケジュール通り飛行機やバスに乗り、指示通りに動いていれば問題なく旅が楽しめますが、使ったことがないです。
 学生のころからフラリ旅ばかりして、泊まりたいところに泊まり、時間なんかまったく気にしないで、気に入った場所を見てきた癖がついているので、いまだに、その癖が抜けないのです。
 最近は暇もお金もないので年に一回どこかに行くていどですが、これも行きたいところを決めて、あとは自由に動くだけ。だから、必ずといっていいほど失敗があります。電車に乗りそこなうとか、泊まった宿がとんでもない宿とか・・・。

いくつもの失敗

 でもね、後になって記憶をひっくりかえしてみると、この失敗が意外に楽しい思い出になっていて、旅の話が、思わぬ笑いや妙な事件体験になるのですから失敗もまた楽しみです。
 人生、最初の旅の失敗話は飛行機と電車を乗り継いでミュンヘンの駅に着いたとき。迎えに来るはずの友人が遅れ、待てば待つほど頭が真っ白になって、この場所が待ち合わせ場所ではなかったのではないか、時間が間違っているのではないか・・・そんなことばかり考えてました。右も左もわからない。日本人どころかアジア人一人、駅にも町にもいなかった時代です。1ドルが360円のころです。もちろん、スマホもケータイもありません。この旅の思い出は「極度の心細さ」でした。
 夏といえば海水浴ですね。行きましたか? ふつう山梨では静岡の海に行くのが定番ですが、我が家では日本海。新潟や富山へ。いつも親しくしている近所の一家族と毎年一緒に行ったのですが、ここでの失敗は山ほどありました。
 新幹線のない時代ですから、電車を乗り継いで糸魚川まで。みんな「鱒ずしを食べたい」というので、途中の南小谷の駅でいくつも買って、いざ、昼ご飯となったら無い! 駅のベンチに置き忘れです。この思い出は「極度の空腹」でした。

失敗とわからなかった失敗

 海水浴場は辺鄙な地方なので旅館やホテルがない。みんな民宿。お寺さんまで民宿をしていて窓を開けると墓場なんてこともありました。このくらいは失敗でも序の口。
 失敗とわからない失敗も・・・。海岸で花火をして散歩。太平洋岸と違って、新潟・西頸城郡の海岸、富山の宮崎ヒスイ海岸なんて田舎だからろくに照明もない。ところがですね。この時期は北朝鮮の拉致事件が起きていたのですよ。
 後日、甲府郵便局の曽我くんという営業が私に「かなり前にウチの隣の親子が神隠しにあって、みんな不思議がっていたんですよ。」「君の家どこ?」「佐渡ですが、知ってます?曽我ひとみさん。ウチの隣のおばちゃん・・・集落の多くが同じ苗字ですので」・・・そんなことも知らず子どもたちを連れて夜の散歩をしていたとは。知らぬが仏といいますが、それはは恐ろしいことでもあります。

大失敗

 さて、最後は極めつけの大失敗。長野の松本まで普通電車で戻ってくる途中で夕立があって大町あたりで何かの車内アナウンス。子どもたちは「松本駅で駅ソバを食べたい!」と大声でねだる。アナウンスなんか聞いていません。で、待ち時間はけっこうあるから、松本駅で四人の子どもにお金をやって立ち食いソバを食べに行かせた。ところが突然、特急発車のベル。
 そんなバカな! 接続時間がたったの5分。豪雨で電車が遅れたようで、それが車内アナウンスだったのですが、子どもたちが騒いでいたために聞き逃しました。
 大声で子供たちに電車に乗るように叫び、発車した特急内で子どもの数を数えたらなんと一人足りない。置き忘れです。
 初めて電車内電話を使わせてもらって松本駅に確保を頼み、大人一人だけ次の塩尻駅で降りて待機。最終の特急なので、遅い鈍行があと一本しかなかったのですが、なんとか、それに乗って時間遅れで戻ってきました。
 でも、大事件にはならない失敗で良かったです、いまだに会うと話に出る大失敗の「語り草」です。いまの親はぜったいそんなことしませんよね。すべて瞬時にスマホが教えてくれる。子どもまでスマホを持っている。事故や事件に巻き込まれることなんてまったくないことでしょう。スマホさえあれば、失敗など起こるはずもありません。
 それでも私は今でも旅に出るときスマホもケータイも持たず、切符と地図だけ。時刻表は駅で読んでます。便利なものがあるのにバカですね。(新聞一部閲覧)



(2017年8月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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