ブッククラブニュース
平成29年3月号新聞一部閲覧 追加分

たかが絵本、されど絵本

 1990年代に絵本がブームになって以来、大人好みの、あるいは大人のための絵本も増えている。単なるかわいいものへの憧れか、それとも現代人が癒しを求めているからなのか。それは私にはわからないので、解説は社会学者に任せたいが、じつは、内心、難しい思想書や小説が読む力がないので絵本に流れるのではないかと思っている。原因が何かは分からないが、読書推進運動をしている人々と話しても、大人が読むべき本をしっかり読んでいる人はそうそう出会わない。だから「子どもの本ならわかる」から、あるいは「手軽に読める」からという理由で、子どもの本を扱うというのは、「なんだかなぁ!」と思ってもいる。本末転倒だからだ。

ボーダーレスの時代

 たしかに時代はボーダーレスで、大人のものが子どもに入り、子どものものが大人に行く。大人と子どもの境目をとやかく言うのは時代遅れかもしれないし、絵本を子どものものと決め付けるのも問題かもしれない。しかし、子どもに読み聞かせても意味のない大人の本もあることは知っておく必要がある。
 しかし、どうも世の大人、とくに絵本好きの母親たちの嗜好が変わってきているのも事実だ。「こんな絵本は子どもが喜ばないだろう」と思われるものが平気で積まれている、あるいは公共図書館の「お薦め本棚」にあると、「子どももかわいそうだなぁ」と思ったりする。「アライバル」「千の風になって」「償い」、古くは「ラブユーフォーエバー」・・・たしかに大人にとって癒しになるかもしれないが、子どもにとっていいのか悪いのか。読み聞かされた子が「?」ていどならともかく、不快に思うこともなきにしもあらずである。大人好みの本を子どもへ与えるの無理があると思う。
 絵本は子どもが成長の各段階で楽しむものである。読み聞かせボランティアたちの絵本好きを否定はしないが、「大人の本を読まない人が子どもにどういうふうに本をガイドしていくの?」と思ったりする 子どもだってだんだん大人の本を読んでいかなくてはならないのに・・・」と余計な心配も出る。二歳児にも五歳児にも、そして小学生にも年齢などおかまいなく同じ本の読み聞かせでは、読み聞かせパフォーマーとしての場を得て「光りたいだけの思い」にすぎないわけで、子どもにとっては迷惑な話となるかもしれない。

本を読ませない動き・・・?

 絵本は読書のための前段階であると、私は思っている。それでなければ、生後十か月から読み聞かせを始めて、じょじょに内容が高まっていく本を選書などする必要はないだろう。そういう下地づくりが、やがては高度な読書へ進む第一歩にすぎないと見るのは間違いなのだろうか。どこかに一定の基準がなければ与える意味もないような気がするのだが・・・。
 さらに問題なのは「私は子どもの本をたくさん読んできましたよ」とシタリ顔の子どもの本の専門家を称する人々。自分たちが子どものころに名作であっても、今では古びてしまったものがゴチャマンとあることがわかっていない。しかし、そういう人たちにかぎって「活字離れ・本離れ」を声高に叫んで押し付けてくるから始末が悪い。この国の人々に活字や本に親しんできた歴史などないのに・・・。
 つまり、ほんとうの意味で読書というものなど初めから一部の人にしかなかったことが、この人たちには分かっていないのである。こんな発想で読書推進を生きがいにされたら子どももたまったものではない。その証拠にいくら小学校で読書推進を行っても学年が上がるごとにまっとうな本から離れていくのが子どもたちの傾向なのだ。どこかに、「本を読ませてはまずい!」という力が働いているかのようである。

親が整えねばならない子どもの周辺

 たしかに怒涛のごとく出版される本を見ていると子どもの成長に合わせて何を選んで、どう読めばいいのかも分からないというのが選ぶ側の本音である。しかし、いま、ここで重要なことは、大人好みの絵本、老人趣味の絵本、若い親を狙ったキャラクター本などを成長にそぐわない要素があるものとして、区別していく必要があるように思う。何がどの年齢、月齢の子どもに適しているかをきちんと見極め、発達に合わせて絵本を、そして児童書を与えていくことなのではないだろうか。いま、SNSをはじめとして、アニメ、マンガ、などで子ども(大人も)が文を読む力を失いつつある。出版洪水のこの時代、子どもに正常な読書を可能にする方法を固めないと大変なことになる。学校も当てにはならないのだ。絵本や児童書ばかりでなく、おもちゃもゲームも親が子どものことを考え、周辺環境を整えていかないと良い結果が生まれないのは、いまさら言う必要もないことだろう。
 学校図書館も公立図書館も「えーっ! こんなものを蔵書にしているの?」というものが山ほどある。人畜無害のものなら、それもいいだろう。しかし、水は低きに流れるし、悪貨は良貨を駆逐する。できれば、まともな本を、その時期、その時期で読ませたいではないか。そして、すぐれた本、まともな本を読めるようになって、深く物を考えられる人をつくるのが教育なのではなかろうか。
 子どもに自由に選ばせたら、とんでもない結末が待っているのが現代なのである。やはり親が力を入れねば、流される・・・・。流された先にあるものは「読書してこなかった人」というだけではなく、とんでもないことをしでかす人になる恐ろしさである。人畜有害の人間になってしまう可能性も大きい。まともな本を読まないと「自分の行い云々」も見えなくなるし、マンガばかり読んでいると「未曾有の時代状況」がわからなくなる。 (このシリーズ・最終回)

2月号夢新聞裏面の記事が

 先月号夢新聞裏面で書いた学校図書館司書の雇止めについて文を圧縮して短くし、新聞に投書してみましたら掲載→されました。
 非正規労働の待遇が少しも向上していないことがわかります。行政が冷淡なのですから企業だって同じになるでしょう。
 これは図書館司書にかぎらず、非正規雇用で働く人をどう考えるか、あるいは労働の質をあげるにはどうしたらいいかという問題をはらんでいます。
 子どもに本とかかわりあいながら接してくれる最前線の人は図書館の先生です。
 ただでさえ、お稽古事、学校外学習、習い事などで子どもはまともな本を読むヒマがなくなっています。
 さらにSNSや、マンガ、アニメの影響で、本から遠ざかる子が多数出てきます。小学校高学年になれば、読むべき本でも1冊も読めない子がたくさん出てきています。ところが、図書行政は2月号で述べた通りです。中学ともなれば部活とテストでさらに本など読めません。そのうち、みんな物を考えなくなり、気が付いてみたら、大変なことになっているということですね。この問題は来年度も続けて書きます。みなさんもお考え下さい。みんながアクションを起こせば、傲慢な人々も倒れるかもしれません。

「本とともに過ごしてきて」

 山梨県 有賀良子さん 花音さん 美音さん
 結婚して7年目、待望の娘が産まれた時、私もだいぶ歳を取っていたもので、娘の自然な成長を大切にゆっくりと子育てをしようと決めました。そんな中、母として娘にしてやりたいことがいくつかありました。その一つが絵本の読み聞かせでした。
 職場の友人からゆめやさんを紹介された時、迷わずブッククラブに入会しました。我が家の読み聞かせタイムは主に寝る前の布団の中。ほんの20分程度でしたが、毎日の親子の楽しみでした。多くは読んでいる途中で子どもが眠ってしまうのですが、時には私のほうが先に眠ってしまったり、眠すぎてろれつが回らなくなったり、号泣しながら読んで娘たちにあきれられたりと、どれもみな今となっては良い思い出となっています。残念ながら、一人読みへの移行が大変だったので読書好きというほどの子どもとはなりませんでしたが、親子で読んだたくさんの絵本の記憶は、人としての支柱として娘たちの中に根付いているものと信じています。下の娘も4月からは中学生です。ゆめやさん、長い間ありがとうございました。

 ゆめやから・・・ほんとうに長い間ありがとうございました。配達に行くたびにお忙しい中を言葉を交わしていただきありがたかったです。いろいろな情報交換ができたことも楽しみのひとつでした。お元気で。また店の方にどうぞ。



(2017年3月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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