ブッククラブニュース
平成29年2月号(発達年齢ブッククラブ)

日本列島は長い

 「立春」といえば、「春が来た!」という感じがしますが、ゆめやのある山梨では節分のころは冬でもかなり寒い時期で夜の気温はとても低くなります。大寒のころがマイナス7度前後で、それがちょっと緩むのが二月初め。山国は嫌になるほど寒いです。
 その立春直後に九州の小倉に行きましたら、こちらは「零度以下になる夜はほとんどない!」という話、まったくうらやましいですね。松本清張記念館がある小倉城の庭園では梅が満開。やはり甲府の二月とは違いますね。
 とにかく駅のプラットホームの風の吹き方と気温がまったく違うのです。門司港駅は改修中でしたが玄海灘の風が吹いて来ても甲府駅の底冷えのする寒さとは大きな違いがありました。
 いろいろな地方を見て、そこの人々と接すると気候風土に影響されて生まれた地域性や考え方の違い、しきたりの違いが見えて面白いです。閉鎖的な地域性がある甲府は住んでいる人に排他的なものが生まれますが、大陸が近く、古代から半島を渡って入ってきた人や文化が開放的な地域性を生み、多様な人と交流できる下地があるような気がします。やはり日本列島は長いですね。陽気だけでなく人もさまざまです。

松本清張が教えてくれたこと

 小倉と言えば、私の世代では「松本清張」です。私の親の世代では「無法松」ですが、いまの若い世代の方々は松本清張や岩下俊作など読んだことがないかもしれません。私の世代は清張をまず推理小説から読み始め、そこから「昭和史発掘」や「日本の黒い霧」などの政治的な分野の本へ、また古代史関係の読書に進んだ人が多いのです。
 40歳を過ぎてからものすごい量の本を書いた人で、純文学、推理小説、政治や歴史の著作・・・とにかく一体、何百万字、何千万字を書いたのだろうと思わされる人です。そしてファンならずとも、いずれの作品も鋭く時代や日本人のあり方を見据えているもので、いま、若い人が読んでも十分おもしろいものだと思います。
 私は、高校一年で「点と線」に出会い、三十歳代で「古代史疑」や「昭和史発掘」までかなり読みましたが、まだ読んでない本もけっこうあります。そして、清張のものの見方にかなりの影響を受けたのを覚えています。
 昨年夏、作家の保阪正康さんをお招きして講演していただきましたが、保阪さんの本の中で松本清張の文学に触れたものがあり、そこには「事実を資料で集め、それを自分の視点で見直し、真実に肉薄しようとしている」と評価しています。次のようなものです。

スマホの中の事実

 『・・・事実だけなら小学生の絵日記のようなもので○月○日、朝、近所の神社で初詣をした、そのあとお雑煮をたべて、凧を揚げて・・・・・これらは事実ですね。もっと言えば事実にすぎません。しかし、たとえば永井荷風の日記などを読むと「今日は特筆すべきことはない」などとあります。一日は必ず過ぎていくのですから事実は書き連ねればあるはずですが、記す人の視点から考え出したものがなければ真実を描けないでしょう。ここが小学生の日記と違うところなんですね。「特筆するものがない」というのが自分の視点になっているわけです。・・・』
 保阪さんが松本清張の文学が資料を集めて分析して天皇の問題も戦後の問題も徹底的に自分の視点で真実を見つけ出そうとしたことを評価したのはさすがだと思いました。
 保阪さんの講演会は甲府中心部からかなり離れたところで行われたため、甲府駅までお送りしたのですが、その車の中で、私が「昭和天皇と戦争」についてたずねたら、一言「昭和天皇に責任がないわけはないですよ。」と言われました。保阪さんも徹底的に分析して持論を展開します。そのときは「歴史の中で問われている現在」でしたが、考えている人は考えているわけです。

清張の視点

 つまり、松本清張は、つねに歴史的に考え、自分の視点で、すべてのものを見定めているということです。こういうことから考えると、会話の途中でやおらスマホを取り出し、話のネタの情報を披露するというのは、ほぼ小学生の日記のようなもので少しも「自分の考え」というものが見えてこないわけです。
 節分の夜、我が家では大神宮というところにお参りに行きますが、その夜の寒いこと寒いこと、暖かかった記憶はないです。厚着をした鬼が大勢出てきて、幼い子は泣きだす、ワーワーキャアキャア。その腹いせに家に戻って「鬼は外、福は内!」と豆を撒きます。・・・と、これは私の記憶を手繰り寄せた事実の列記。節分や豆まきや鬼について自分の視点で考えたことではないのです。なんで鬼に豆をぶつけ、福を呼び込む風習があるのか・・・それは、もともとはどういう史実と結びついたものなのか・・・・これが、松本清張なら深く考えたことがなかったのですが、調べたら次のような、おもしろいことがいろいろわかるわけです。まずひとつの歴史の反映・・・むかし、こんなことがあったというのです。

豆をなぜ撒くか

 昔、大陸の方からやってきた一族が 「この島を俺たちに譲れ! さもないと血を見ることになるぞ!」と脅したというのです。話し合いで収まるような相手でもなく、この日本に太古の昔から住んでいた人々は、政権交代を受け入れざるをえませでした。生き残るための降伏、それしかなかったのです。ただ、その人々は「いつの日かこの国をもう一度わたしたちに返してくれるように」と頼みました。大陸から来た一族は「いいよ!」と言いました。そして、「いつになったら国を返してくれるのか?」と先住民が問うと、「炒り豆から芽が出たときにね。」と答えたのです。炒った豆から、芽が出るはずもないのにです。すごい強引な理屈ですね。
 それからは、もともとこの国にいた人々は山の中、森の奥へと追いやられ、いつの日か「鬼」と呼ばれるようになったということです。そして、この国を奪い取った人々は、毎年、年の節目になると「鬼は外、福は内」と叫んでは「ホレ! まだ炒り豆からは芽が出ないぞ。お前たちに国は返さんぞ!」と鬼たちに炒り豆をぶつけて、自分たちの領地から追い出す行事が生まれました。
 なぜ、節分に行うのかと言えば新しい季節の節目は「世の中の流れが変わりやすいから」です。なので、「流れが自分たちに不都合な方に変わらないように・・・」と、入り込んできた人々は、この日に「鬼」を追い出す行事を考えだしたということです。

史実はあったのか

 このような話は、いかにも作り話に思えますが、じつは清張流に考えてみると、事実は事実としてあったと思われます。古事記や日本書紀にある、天孫降臨と出雲の大国主の国譲りです。アマテラスの命によって、その子マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミが降臨しようとして、なんとなくウヤムヤになり(失敗?)、そのまた子どものニニギのミコトが九州に降臨する話は有名なことです。そして出雲のオオクニヌシが国を譲るわけですが、出雲国風土記でも古事記でもオオクニヌシ系は先住民で、おだやかに描かれています。それをいきなり来て「国を譲れ!」と理不尽なことを言う人々・・・そしてどんどん追われていく。諏訪に追われた神、北に追われた蝦夷もそうかも。
 例えば出雲大社は祟り神だとも言われています。出雲大社に行くと入口にものすごく大きい注連縄がありますが、これが逆〆の注連縄・・・他の神社は逆に〆ません。さらに拝殿はすごいです。ふつうは拝む私たちの正面に神様がいますが、出雲大社ではオオクニヌシは、ソッポを向いているのです。正面を向いているのは天孫系の神様たちばかりで、私たちは手を合わせるのは、その神様たちということになってしまいます。
 南に追われた隼人もそうかもしれませんが、国を奪い取った人たちは、再び奪い返されないような、さまざまな仕掛けや文化をつくったのかもしれません。清張が邪馬台国論争(九州か近畿か)を大々的に展開したのは、この辺のことを史実とみていたのではないでしょうか。史実なら現代まで細々とでも続いているものがあるはずです。そこに真実を見つけ出すことができるかもしれません。古事記、風土記などを読んでもほとんど西日本のことばかりが書かれていて、琵琶湖も富士山も出てきません。そういうことを探れば必ず真実が見えてきます。そして現代の日本に隠されたカラクリも出てくると思います。スマホの中には答えはありません。

福は内で鬼も内

 自分たちが太古からいたことを知っている人々や地域は今でもわずかに残っていて、そこでは、この季節になると「鬼も内、福も内」叫ぶらしいのです。しかし、全国のもともとこの国にいた人々の末裔のほとんどは、そんなことも忘れて大陸から入ってきた一族といっしょになって「鬼は外!」と叫ぶようになりました。
 凄い話ですね、日本中のほとんどの人が節分の夜に、この言葉を発するのですから、まさにそれは弱い者イジメの呪術の言霊です。
 そろそろ、争いより「和を以て貴しとなす」。鬼と呼ばれる人々に、この国を返しても良いころなのですが、なかなか炒り豆から芽が出ません。でも、鬼も福も、みんな仲良しが一番いい。争いやイジメをつくるのは、ほんとうはみんな小心者や卑怯者です。
 さて、ブッククラブの会員であるあなたは鬼の子孫でしょうか? それとも侵入者の末裔でしょうか? 血は水よりも濃いわけで、国を奪った人々の末裔もまた国を奪うでしょうし、争いが嫌いだった人々の末裔はやはり争いが好きではないということになるのかもしれません。
 絵本を読み聞かせて子どもを育てようとするのですから私たちは「心のやさしい争いの嫌いな鬼」だと思うのです。「福」は支配に執着して、世界中に金をばらまいてでも「譲れ!譲れ!」となりますが、「鬼」は質素にまじめに生きます。来年からは「鬼も内! 福も外!」と叫んでみませんか。豆から芽が出て、この国を取り戻せるかもしれません。(ニュース2月号一部閲覧)

朱に交われば赤くなる

 人間は周囲に影響を受ける動物で、自分の判断ではなく、周りの様子を見て動くものらしい。この傾向が園や学校で刷り込まれることも多い。しかし、「これで大丈夫」というマニュアルさえも手にできないのがふつう。大人になっても確実に生きる方法はないし、多くの人はアヤフヤな情報で、あるいは、その場の雰囲気や置かれた立場で、何となく生きている。
 自分の考えは「こうだ! だからこう生きる。」という人はそう多くない。
 問題は、周囲からの情報をどう取るか、どう判断するかだが、これが精神状態やその時の気分で行き当たりばったりとなることが多い。
 「日ごろ、書物(古今東西のすぐれた人が書いたもの)を読んで自分の考えを固め、高い意識のレベルを保つ」・・・これも口で言うのはたやすいが、実際に行うのはむずかしい。「他の人はどうやっているのだろうか?」と思っていたら、絵本作家の仁科幸子さんがおもしろいことを教えてくれた。

意識のレベルが呼び寄せる

 「同じパソコンやスマホを使って調べ物をしても、どういうわけか検索結果が同じようには出て来ないのを不思議に思っていた。なぜか!? おそらく自分の気持ちに合ったところにアクセスしてしまうからではないでしょうか。」・・・なるほど、そういうことはある。
 「中傷されたり、落ち込んだりして嫌な気分でいるとき、あるいは、ひどい言葉や、汚い言葉の中にいたりすると意識が自然に低くなります。その低い波動の中にいるときに、ネット検索すると、そのレベルに合うものが、ヒットしてくる」というわけだ。
 だから、「まずは、そんな自分を知ることが大事で、自分の思考が低く落ち込んでいるというときには、大事なことは考えないようにするし、重要な決断も下さないほうがいい。」たしかに、これはその通りである。
 「自分の状態を自分でチェックすることが大事ですね。自分の気持ちが低かったら、そこから抜け出して、わくわくするような状態へ抜け出すことが重要ということ。レベルの低い動画や気持ちが暗くなるドラマを、テレビやネットでずっと見ていたり、波動の良くないゲームの中にずっと浸かっていたら、自分の意識も同調して行くますから、そうなるとマズい。そんな時には、すぐにアクセスを止めて、もっと美しい、楽しい世界に移動することが大切です。

麻の中のヨモギ

 むずかしい話のように思えるが、何のことはない。自分の気持ちを高めるには、心が落ち込むようなことをしない、そういう人と付き合わない・・・ということである。
 「心が、オープンで楽しい波動になれば、アクセスする場所も、より高いものに繋(つな)がっていけるし、良い人も良い物も同じように、引き寄せることが出来る」・・・同感である。
 輝いている人は、いつも笑っている人が多いというのも、そこに繋がる話だと思う。なるほど、周囲のさまざまな人を見ていると、その繋がりがなんとなく分かる気がする。
 気持ちの持ち方なのだが、これは大人ばかりでなく、子どもが成長していくときでも同じではないか。暗い人や嫌な感じの周囲ばかりでは子どもも暗くなっていく。
 だから、気持ちを高くしていれば、すべてのものが良い方向に向かうというのもわかる話だ。前向きになる心や楽しさが「善」と「良い人間関係」を生む! 子どもの本を作る人の意見だからこそ説得力が大きい。
 朱に交われば赤くなるが、ヨモギを麻の中に植えておけば、すんなりと伸びていく。子どものころからも人づきあい、成育環境は大事ということなのだ。(新聞2月号一部閲覧)



(2017年2月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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