ブッククラブニュース
平成28年3月号新聞一部閲覧 追加分

発達対応絵本とは5
3歳〜5歳の絵本は内容が多様で楽しい

 4歳になるとストーリーの流れをつかむ力が早くなり、かなり込み入ったストーリーのものや、オチのあるものが楽しめます。読む親の方も単純な繰り返しものではない内容なので読んでいても「はりあい」を感じます。子どもと接している時間という感覚が強くなり、楽しい感じが強まってきます。
 この時期になると文字に関心が向く子がいて、拾い読みをし始めますが、読み聞かせはまだまだ続けた方がいいと思います。字を読むのはかなりエネルギーがいる仕事で、字は読めるが本は読めない状態ですから、やはり本は読んであげたほうがいいわけです。
 「ウチの子は字が読めるので、自力で本を読ませます」と鬼の首でも取ったように話す人もいますが、そうなると子どもは自分で読めるものにシフトしてしまうので、けっきょく本はレベル低下になります。やはり、耳の力は大きいので、レベルを上げたければ、耳を使うほうがいいのです。

読書力は音読より黙読なのですが・・・・

 これは、一人読み読書になっても同じです。高度な内容を読み取るのは目の力です。黙読が一番です。あたりまえのことですよね。ところが学校は、常に音読の力をつけようとします。「読める」ということがはっきりとわかるからかもしれませんが、どうかと思います。いまの子どもたちの読む本のレベルが上がっていかないのは音読のせいかもしれません。
 4歳くらいになると、たいていの親は「自分の子どもはすぐれた力を持っている」と思うことがあります。これが子育ての原動力にもなりますが、この段階で『約束事』の世界へ入れてしまうのは早過ぎます。「これはこれ」「あれはあれ」「AはA」「1は1」・・・こういう約束事は頭を硬くします。まだまだ「これはこれでもあり、あれでもある」「あれは私でもあり、あなたでもある」「Aは『あ』でもあり、『エー』でもあり、その他のものでもある」「1は、リンゴひとつでもあり、アリが1ぴきでもあり、1番速いの1でもある」という柔軟さがないと、その後の想像力が止まってしまいます。読み書きソロバンだけの能力を期待するなら、その教え込みでもかまいませんが、マニュアルを越える思考力が育たなくなります。

読書でつまづかないためにも

 小学校中学年で、読書ができなくなったり、年齢に応じた本が読めなくなるのも3〜4歳の読み聞かせが充実しているかいないかです。まずは読み聞かせ・・・そしてつまらない物は与えず、外遊びはさせたほうがいいです。想像力は外遊びでかなり高まります。
 男の子では自動車や怪獣・TVキャラクターなどへののめり込みが、始まる年齢ですが、この結果がどうなるかはすでに見えています。配本では、登場する動物たちや植物・自動車などを通して、人間の世界や心をイメージさせるので、世界は広がっていきます。物語絵本は、図鑑のように事物(=名称)の数を覚えるものではないのですが、多くの親は「知識が多ければ頭良い」という信仰がありますから、これはもう家庭の方針で何を与えるか、・・・・あとの結果は自己責任ですね。「好奇心」さえ育てられれば、子どもは必要な知識を後からいくらでも獲得していくものです。特定の物への関心で好奇心を他に広げられなくなったら、そこですべてが止まることを意味します。何をどう積み上げていくかということですね。(増ページ一部閲覧)

ゴースト

 よく冗談で妻と幽霊会員のことを話します。ゆめやで幽霊会員というと遠方の会員で、ほとんど会ったことがなく、お便りもなければ電話もない、つまり何も言葉を発さない方々です。筆不精ということもあるでしょう。中にはそれなのに、ほんとうに長くお付き合いくださっていて、ゆめやのゴーストは気になるけれどありがたい存在でもあります。そんなゴーストの一人が振替用紙のすみに初めて数行のお言葉を書いてくれました。「この欄に寄稿がないときには掲載しますよ」と返しました。その返信はまだ来ていませんが・・・。
 この方、お子さんが小さいときに山梨に住んでおられた方で当然、面識はあります(笑)。長いお付き合いです。
 「本とともに過ごしてきて」 立川市 市川陽香さん
 ご無沙汰しております。ゆめやさんには上の子のときから14年くらいお世話になっています。今は末っ子がお世話になっていて、本が届くと喜んで読んでいます。兄も本が好きでよく読んでいます。ゆめやさんいつもほんとうにありがとうございます。

 たった3行のお便りですが、この方、お子さんが小さいときに山梨に住んでおられた方。長いお付き合いです。

2015年度全課程修了者の方へ

 就学児ブッククラブ全課程の修了です。この時期はなんだか別れるのが惜しい方がの名前ばかりが出て来る時期です。「惜別」という日本語がぴったりです。みなさん、すべてお付き合いが十年以上。この長いお付き合いの方々との「別れ」という感じがあるから、さびしさがあるのでしょう。
 下の名簿(個人情報なのでWEB上では掲載しません)を作りながら毎年チェックすることがあります。ゆめやのブッククラブは弟妹配本が多い。だから、お付き合いは十年どころか、それ以上。下の名簿の中には15年、16年の方もいれば、20年以上もお付き合いしている方がいます。こういうふうに長く親密なお付き合いができるのはありがたいことです。通販型のブッククラブではこうはいきません。ゆめやは、小さな店なのに長くお付き合いいただいたことに感謝しております。

これからもご連絡くださいね

 スマホやゲーム、アニメ、ライトノベルなどがあふれる時代ですが、配本は楽しめたでしょうか。高学年の配本は、かなりレベルが高いものが入っていますが、ここまで読めれば大人の本はもう目の先、鼻の先、手の先です。今年の修了者数も、例年並み。よくぞここまで来てくれたと思っています。この学年は、半数以上が高学年まで残ったわけです。これも小さいときの読み聞かせの成果でしょうね。ご家庭の価値観と環境がなければ、ふつうは高学年の配本などに手も足も出ない子が多いのです。読み残しているものもあると思いますが、後日ゆっくりと読んでください。これからも周囲の影響に負けずにたくさん優れた本を読んで行ってください。これから、どんな本を読んでいけばいいか分からない方はご連絡ください。また、ぜひ「その後」もお知らせください。必ず返信しますので・・・(ゆめやが存在する限りはですが、もうゆめやのおじさんもおばさんもおじいさんとおばあさんで、書店界もきびしいですからね・・・いつなくなってしまうか諸行無常ですから)。
 来店受け取りの方は今後もいつでもお立ち寄りください。これまで同様、お茶でも飲みながらお付きあいしましょう。遠方の方は電話でもメールでもお手紙でも何でもけっこうです。お便りをください。最後に、あらためて、2015年度修了者のみなさんに、これまでのご愛顧に感謝申し上げます。ありがとうございました。ゆめや店主敬白

お願い

 ゆめやのプライバシーポリシーではブッククラブを終えた方の個人情報は、三年前まで書類上、機械上のデータすべてを削除してきましたが、修了した方々との連絡が多く、年賀状などの検索で手間がかかります。申し訳ありませんが、上記(WEB上では個人情報は掲載しません)の修了者に限り、住所・氏名の記録のみはデータとして機械上に残させてください。ぜひご理解のうえご協力ください。ネットにはつながないPC(ゆめやにはWindowsXPが2台もあります)で大切に保護いたします。
 どうしても削除してほしい方は御知らせください。そのばあいはすみやかに削除いたします。
(新聞3月号一部閲覧)

意見には個人差があります。 8多数の意見に媚びない(最終回)

 昨年の2月から一年間やってきた「おはなし会」が今月の3月2日に終わりました。ここで話し続けてきたことは、「自分の考えをつくる」ということですが、そのために「多様な考えをするために本を読む必要がある」、「教科書はいくら暗記してもあまり役に立たない」ということを話してきました。でも多くの人々は大多数の人の意見に同調しておけば安心という考えなので、子育てもみな同じ方向に向き、脱落しないように気を配るだけです。でもね。みんなに同調しても何かあったときに、そのみんなは決して助けてなんかくれないのです。
 いつも警告するようにスマホやゲームなどで子どもの頭がおかしくなっても、周りが助けてくれることはありません。冷たいものですよ。なかには手を差し伸べてくれる人がいるかもしれませんが、そんなものに期待するより、なんとか自分の考えで切り抜けることだと思うのです。教科書だってけっこうきれいごとが書いてあります。これからの時代、だまされないように注意深くしていないと大変です。数が多いほうが正しいというのは嘘です。

こんなエピソード

 先日「かさじぞう」をテーマにブックトークを行いました。コメンテーターは4人でしたが、みなさん「良いことをすれば必ず報われる」という善意に満ちた解釈でおはなしを進めていました。でも、私は、「あまりにもパターン化されたものには嘘がある」という側の人間なので、そうやすやすと善意では解釈しませんで、ひじょうに勝手に解釈した考えを述べさせていただきました。どういうことかというと石、木など動くはずのないものが動くというのは物理学を越えた「超常現象」です。そういう話は「かさじぞう」以外にあるのか、調べてみますと、いろいろあるのですね。奈良には「亀石」という石がある。これが動くと大地震で日本が壊れる、なんて言い伝え。
 写真は「汚れなき悪戯」という映画の1シーンです。捨て子の純真無垢な少年が、修道院で育てられ、納屋にある(この写真ですね)十字架のキリストが、痩せているのでパンやワインを持っていく。すると、キリストが動いて手を差し出してパンを食べ、ワインを飲む・・・この様子を修道士が見ているのです。木のイエスが動いてくるわけですから、いわゆる奇跡です。つまり超常現象。

美談や奇跡でごまかされるな!

 また、アナトール・フランスという作家が書いた「聖母と軽業師」にも似た話があります。これを絵本化したのが左の「神の道化師」です。
 これは、じつに面白い小説でして、主人公は軽業師なのですが、サーカスで軽業をやっていると、修道士たちが来て「そういうバカなことをして人を笑わせて何がおもしろいのかね。人生というものは貴重なもので、勉強をしなくては人間の価値があがらない。」というようなことを言って修道院へ入れてしまいます。でも軽業師だから軽業しかできない。ラテン語の勉強とか神学・・・信仰のお勉強ですね・・・そういうものには頭がついていきません。でも根が真面目なので礼拝堂にこもってお祈りはします。あんまり長くこもっているので修道士がこっそりのぞくと、なんと聖母マリアの像の前で軽業をしているわけです。怒った修道士が取り押さえようとすると、「石でできた聖母マリアが歩み寄って軽業師の額の汗を拭く」という奇跡が起こるのです。これも奇跡を描いたものです。まじめにきちんとすればかならず良い報いがある。・・・・「かさじぞう」と同じです。これは、私には何ともうさんくさい話に思えます。夢とか希望とか奇跡とか美しい話は、宗教だけでなく教育の中でも行われ、うまく利用されるということが多いからです。人を特定の組織や行動の中に引っ張り込むためには、美しい話や奇跡がかなり利用されます。戦争では英雄的な行為が語られます。教祖が宙に浮いている写真で、高学歴の人々を騙したことを覚えていらっしゃいますか。あれと似たようなことが、どこでも行われているように思うのです。夢のエネルギー、夢の超特急・・・こういう言葉も組織や行動の中に引っ張り込む力があるかもしれません。いずれ大事故が起こりますが、その責任は言った人たちは誰も取りません。

どんと来い、超常現象

 さて、現実には弱者に対して、「かさじぞう」や「キリスト像」「聖母像」になりかわって物を届けるのはフードバンクのボランティアさんとかランドセルを贈るタイガーマスク(伊達直人さん)というレッキとした血の通った人間です。物は天から降ってくるわけでなく人間の善意で動くのです。けっして石や木が動いて何かしてくれるのではないのです。奇跡として利用されると底辺にいる人も善意を持てばなんとかなる、良いことが起こると信じるようになりますが、それも宗教団体や為政者の手口のようなものかもしれません。
 映画「Trick」の上田次郎教授と同じく、私もその意味では「どんと来い!超常現象」です。
 石のお地蔵さんが動くという話で、奇跡に見せかけて信仰心を高めたいと思う人がどこかにいる。善を施せば良いことが起こる・・・それ自体は否定しません。善を行うのは文字通り「善いこと」です。問題は誰かが意図的にそのれにご褒美をあげることです。「汚れなき悪戯」「神の道化師」は、完全に修道士の作り話でしょうが、とにかく「かさじぞう」の老夫婦にしても、「汚れなき」の子どもにしても社会的な弱者。それが奇跡によって持ち上げられる・・・これは決して超常現象などではなく作り話です。聞いた人のお地蔵さん信仰は高まり、修道院の霊験あらたかなキリスト像には多くの参詣者がくるようになるでしょう。ただ、まちがえてはいけません。美談の裏の意図を読まないと人はたやすく騙されます。そのためにも多様に優れた本を読んでエセ政治家やエセ宗教家に騙されないようにしたいものです。(増ページ3月号一部閲覧)



(2016年3月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



ページトップへ