ブッククラブニュース
平成28年2月号(発達年齢ブッククラブ)

大書店戦争

 お正月は甲府もひじょうに暖かい日が続き、駐車場の壁のカマキリの産卵袋も低い位置にあって、「これで、今年は寒気もないし、大雪も降らない。助かった!」と思ったのですが、そうは問屋が卸さず、1月18日のわずかな降雪のあとはマイナス7度、8度……と続き、それが立春まで。暖冬なのか厳冬なのか、よくわからない冬でした。まあ、けっきょく「冬は寒い」ということなのでしょう。「冬来たりなば春遠からじ」という言葉もあるように時間が経てばきちんと次の場面になるのが自然の世界というものです。
 でも、人間の世界は騒々しい。欲と欲がぶつかってはゴタゴタ、ゴタゴタ。正義と正義がぶつかって悪と悲劇が、ガタガタ、ガタガタ。「過ぎたるは及ばざるがごとし」というくらいで、限度を越えるとロクなことが起きないが、どうも日本中、世界中が限度を越え始めたようです。
 この間、児童書の問屋である「子どもの文化普及会」というところから少し過激なチラシが届きました。そこにはこうありました。「もっと楽しいお店にしよう! そうすりゃ お客さんが山ほどさ! 儲けることも夢じゃない!
 つまり、これをよく読むと現在の書店は楽しくなく、閑古鳥が鳴いていて、利益がまったくない状態というふうにも取れます。チラシの文はさらに続きます。
 「アマゾン・ドット・コムがリアルの世界に攻め来んで来る。シアトルの中心部の北に500平方メートルの書店「アマソンブックス」をつくった。入り□には『1冊目は3割引き』なんて看板があってさ、閉店まで人の出入りが絶えないんだ。アマソン・ドット・コムがつくった書店なら、大入り満員も不思議じゃない! 問題は、すでに日本での展開も考えてるってこと。 あなたの町に、できないとも限らない!」・・・まあ、ありえる話です。お客さんにとってはうれしいことでしょう。今でさえ注文したものがすぐに届くのです。そのうちドローンで30分後には届くかもしれない。利便性に慣れた日本人はみんな利用することでしょうね。後はいかに安くなるかの競争…街角にアマゾン書店ができれば本は大安売りになります。
 でも「子どもの文化普及会」のチラシは、こう続けます。
 「コンビニって、あなたの町に、いったいいくつあるんだ? 日本中の小売店が、コンビニにやられてきたってこと、みんな知ってる? 書店が、どんどん潰れているのだって、コンビニのせいかもしれない。全書店の売上げが1.5兆円足らずなのコンビニの総売上げときたら10兆円を超えている。いまや100円コーヒーやドーナッツで、ミスドー、フライドチキンといった専門店だって脅威にさらされているじゃないか!こんな事態に、書店ならどうやって対抗する?」・・・これはもう勝ち残り戦争ですね。当然、環境に適応したものが勝つというのが進化論・・・アマゾンやセブンイレブンの勝ちでしょう。と、思ったら「子どもの文化普及会」はこう言いました。
 「幸いなことに、私たちにも本や雑誌がある。日本だから再販制。『アマソンブックス』や『コンビニ』だって、私たちと同じ定価で売らなくちゃいけない!」・・・そうかなぁ。価格破壊はもう始まっていると思うけどなぁ。世界一になるために何でもやって、日本人も後につづく。
 こういうのを私は焼き畑商業と言います。全部,灰にして後には草も生えない商売。でもまだ普及会は言う。
 「元気な書店やアイデアのある経営者が、BOOK CAFEを開いて、町の文化の一角を担っているなんて話、こういうお店をつくりましょう!」と楽しい書店の提案。ウーン、ゆめやなんか30年も前からお茶出しはする、1冊の本を売るのに手間ヒマをかける、でも、なかなかねぇ、元気な書店にはなれません。これからは黒船来航でゴチャゴチャの書店業界。混乱するでしょうね。一昨年、一年間で閉店した書店は全国で300店・・・約一日一店舗の廃業でした。図書館も戦争だけど書店も戦争ですね。(2月号ニュース一部閲覧)

希望の星と失望の星

 よくスポーツ選手が「結果を出す」という言葉を使う。じつは、これは適切な表現ではない。結果には良い・悪いがあるのだから「全力を挙げて結果を出す」と言われても、それが悪い結果ならおかしな表現である。まあ、聞いている人たちが暗黙のうちに「結果=良い結果」と考えてくれるから日本語は便利で、流行語と思えば目クジラを立てる必要はないかもしれない。
 しかし、じつはこの「良い結果」と考えてしまう聞き手側がいけない。結果というものを「良い結果としか見ない、考えない」傾向が強くなるからだ。そうするとなんとなく何事も問題がないような気がしてくる。裏の事実も見えなくなる。
 この国の人々は、なにごともも良いほうに考え、怖いこと、悪いものは見ないようにしているダチョウのような人種である。ダチョウ・・・??? そう、ダチョウは、困ったこと、怖いものに出会うと砂の中に頭を埋めて見ないようにする習性がある。当然、相手がハイエナやライオンであればそのまま食われてしまうことになるが、見なければ怖くないということになるのだろう。物事を良い結果としか見ないものは、その夢に復讐されるということを理解できないのである。
 この「良い結果」しか出さない、見ないという性向は、物事の本質を見られなくなる可能性が高くなる。だいたい本質を見ようとしない性向だから、人はみな「良いこと」しか見ようとしないのである。

不合格者を発表しない

 だから、「結果を出します。」と言うと、それは良い結果しかなく、悪い結果を出してしまっても責任を追及するどころか大目に見てしまう傾向がある。まあ、スポーツくらいならいいが、政治、経済、行政となると悪い結果では困る。悪い結果が出たら誰かが責任を取らねばならないが、どうやら日本では頭を下げるか沈黙するかで済んでしまう。だから悪い結果は公表しないようにする機能がどこかで働いているのである。
 例えば学習塾が「東大5名合格」「医学部医学科22名合格」などと宣伝する。当然、この背後には行きたい大学に落ちた人や浪人せざるをえない人も山ほどいるのだが、落ちた数字は絶対に公表はしない。塾の信頼感が薄くなるからである。 
   ブッククラブでも「○○人修了」とは言うが、「△△人脱落」とは書けない。だから、嘘を言わないために誕生日欄という消極的な表現で「消えた人を見てくれ」となるわけだ。
 消えるケースも、最初は同じ読み聞かせから始まるが、どんなに読み聞かせや読書をしても、どこで、どうまちがえるのか、アニメオタクになったり引きこもったりする人も出ないことはない。もちろん、その後の成育環境の影響なのだろうが、小さいときに絵本や児童書を読めば立派な大人になるなどとはとうてい言えない裏面もある。
 配本をしている側としては、同じように配本しているのに、どうしてこんなドロップアウトが起こるのだろうと思うが、やはり家庭の価値観、本人の個性などが成育の状態でいろいろ変わってくるのだろう。

失望の星

 例えば数年前、ゆめやがNHKのテレビ「小さな絵本屋と4つの家族」で放映されたとき、懐かしさを感じたらしい元会員が娘さん(20歳くらい)を連れて来店した。店には数人のお客さんがいたが、みなドン引きになった。なぜなら、娘さんは完全なコギャルで、マツゲの長さ、スカートの短さが目を引いたうえ、その言葉、態度にみな唖然となったからである。「みてくれ」で判断するのはいけないことかもしれないが、ほとんどのばあい、人は「見た目」でわかる。見た目と人格がちがうことは稀である。見た目が悪いということは、内実も悪いことが多い。まして、態度や言葉は、見た目以上に本人を表す。
 また、やはり別の元会員のお母さんと出会って話を聞いていると、娘さんは20歳代半ばになったが、歌手を目指しているという。どこで、そんな夢を持ってしまったのだろう。歌が好き、歌手になりたい、ということ自体が悪いのではない、そういう夢の中にいて、現実での努力をしないことが問題なのだが、豊かな生活の中では許されてしまう。ほかの方は「息子がゲームクリエーターを目指しているが、ほとんど家に引きこもりだ。何とかならないものか。」と相談にまで発展した。なんだか、読み聞かせや読書の効果も影が薄れて来る感じだ。コギャルがいけないというのではない。ゲームクリエーターや歌手志望が悪いとは言わない。どこかで、自分の考えを持ち、自分の意志で何かになろう、何かをしようとするならば、それは「希望の星」になるが、周囲の雰囲気に乗せられて夢ばかり見ているのは「良い結果」とはいえないのである。いわば、それは失望の星である。

希望の星

 もちろん、ブッククラブでもそういう「好ましくない結果」ばかりでなく、自分の考えを持ち、実行する子もかなりいる。
 14歳の会員・佐藤史佳さんは、シリアで取材活動中に凶弾に倒れた山本美香さんの記事を読んで、命をかけて事実を伝えることに感動し、新聞感想文コンクールに「想いを伝えたい」というタイトルで「伝えることの重要さ」を書いた。そこでは「私が記者なら悲しんでいる人や困っている人の声を尊重した記事を書きたいと思う。声に出したくても出せない人の代わりに伝えていきたい」と言っている。彼女は、ここから平和や正義のこと、伝えることのむずかしさを考え始めたと言う。あらゆることに無関心な大人が世の中に満ちている現在、これは大きな希望の星である。世の中を変えようという思いを、わずか14歳の少女が持つということがすばらしい。それが、もし、本を読んできた「結果」なら希望はさらに膨れ上がる。
本の持つ力は、読んだ後に「考える」部分がでてくるということである。当然、良い本を読めば、良い方向に考えが向いていく。

より外の世界へ

 また、同じ14歳のラオス在住の会員・青木紗良さんは、ある基金を集める活動を始めた。ラオスにいるはずのない外来種・ジャッカルが密輸などで入ってきて、これを自然に放した場合、天敵なしの異常繁殖が起き、ほかの在来種の生態系を壊すからである。動物好きの紗良さんは、飼えなくなったジャッカルたちが野に放されると、ジャッカルも野生動物も苦しむことになると考えてこの活動を始めたという。ラオスでは違法の動物売買が行われているが、日本でも外来動物を飼育目的で輸入して、飼えなくなって捨てるとやはり生態系には狂いが出る。これに14歳で気づいて、基金を集めて保護活動を始めるとはすごいことだ。これも「良い結果」である。とてもライトノベルで魔術や恋愛をテーマにしたようなものだけで育った子には作り出せない「結果」だろう。それにしても、14歳・・・すべての意味であなどれない年齢である。人間の人生の分岐点かもしれない。私など14歳のときには、社会貢献の意識なんかひとかけらもなかった。彼らが希望を失わないように活動してもらうためにも小さな助力ができればいいと思っている。(新聞2月号 一部閲覧)



(2016年2月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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