ブッククラブニュース
平成27年5月号新聞一部閲覧 追加分

発達対応絵本とは
①読み聞かせ以前

這えば立て、立てば歩めの親心・・・

 いつから読み聞かせが可能か?ということは、かなり前から研究されていました。いまでも「生まれる前から耳が聞こえるのだから生まれたらすぐに始めていい」という人がいます。「生まれてすぐの読み聞かせも可能だ」と言う人もいます。とくに偏差値世代の親は、何事も早く、なんでもやれば能力が増すという信仰めいたものを持つ親が多いのです。
 これについては、有名な「ソニー名誉会長の井深大の早期教育反省」事件があります。彼はある早期教育理論の刺激を受け「すべての幼児教育は生まれてから一日も早く始めなければいけない」と考えました。高度経済成長期に理科系の教育で優秀な人材を作る必要があったからです。しかし、0歳からの幼児教室を各地に設け、いろいろやっていくうちに、乳幼児にほんとうに必要なことは知的教育ではなく、「人間づくり」や「心の形成」であることがわかり、早期教育を反省することになりました。過度な詰め込みをすると、それが人間性の崩壊や暴力事件に結びついていったからです。そして、「知的教育は言葉が分かるようになってからでいい」という結論に達したのでした。

しかし、いまだに親たちは・・・

 日本人は過去の事件も覚えていなければ、なにごとも参考や反省の道具にしない国民です。太平洋戦争でさえ都合よく解釈して反省しない政治家もいます。国民も教育や生活について平気で矛盾したことや失敗を繰り返します。原発事故など典型例ですが、詰め込み教育もまた復活しています。「文科省に物を考えさせない国民に!」という深謀遠慮があるのかもしれませんがね。
 いま早期教育になっている○○式とか挑戦型幼児教育教材も多くはもともとは落ちこぼれ生徒を救うという目的から出たものです。でも、企業規模が巨大化していくと落ちこぼれはどうでもよくなり、平気で幼児・・・赤ちゃんにまで手を伸ばし始めました。ある早期教育の会社は、もはや少子化で子ども市場も限界!と考え、「脳の活性化でボケの進行を遅らせる学習=つまり老人教育?」にまで手を出しています。しかし、対象が老人であれ、子どもであれ、効果があるといわれれば、親や周囲はその教材がもたらす悪影響など考えもしません。「与えれば頭が良くなる」と信じます。キャラクターいっぱいの赤ちゃん教材、DVDのアニメで教えるパターン・・・これこそが分かりやすい教材だと思い込みます。中身はひどいものですが、初めて赤ちゃんを持った希望いっぱいの親はなかなか気がつきません。考えてみれば、赤ちゃんのときから「これはこれ、あれはあれ」と物と名を一致させるだけの量攻め学習が後で障害になることは素人でも予測がつきますが・・・・期待は親の目をメクラにすることがあるのです。この子はもっとわかる! この子はこんなこともわかる!と

成長に適したことをしていく

 先端的な心理学や教育学は、「こうすればこうなるのではないか」という思い込みも強いのです。これがソニーの会長が落ち込んだ罠でもありました。でもさすがに井深さんは間違いであると気づくと、すぐにその反省をして、正しいと思われる方向に自分を向けました。ソニーの教育財団は、いまや「自然に交わって遊ぶことからすべてが始まる」という考え方の運営となりました。つまり、あたりまえのところに戻ったわけです。井深氏が強調したことは次のことです。
「私はいま、妊娠した時からの母親の心構えが、その子の一生を決定すると確信している。五感、運動や芸術の能力、信仰心、直感力などは、限りなく0歳に近い段楷から養われる。言葉を話すようになると、幼児でも頭が理詰めになる。直感力などは育ちにくくなるのだ。言葉を覚える前に人間的なことを植え付けなければ、これからの日本は、心の貧しい人間が大勢を占めてしまう。そんな観点から、0歳児教育をなんとか定著させたいものだと思っている。」(しかし、二十数年後、井深さんのこの予言は当たり、日本は心の貧しい人間が大勢を占めてしまったようです。安倍首相がどんな幼少期だったのか知りたいところです。)

発達に応じる

 ノーベル賞科学者たちへのインタビューを聞いていると、例外なく子どものころは遊んでいた、勉強は怠けていた、中には成績がひどく悪かった・・・というような人が多いです。でも、彼らのほとんどは老人で、長い間、「好き」というだけで、ひたすら研究や仕事を続けてきたのでしょう。幼少期の生活環境はみんな豊かだったと思われます。
 何も焦ることはないのです。授乳もダッコもみんなそのときそのときの体験で、人間はその積み重ねを経て、バランスの取れた成長をしていきます。発達に応じたことをさせないと、そこの体験が抜け落ちます。体験が抜け落ちると感性も働かず、危険もわからず、深く考えられず・・・という結果に陥ります。0歳児に大脳新皮質で行う知識集めができるわけもありません。するべきことは物を握らせ、しゃぶらせ、おだやかに接する。目と目を合わせて話しかける。何も生後一ヶ月で読み聞かせなんかしないで、やさしく話しかけてやればいいのではないでしょうか。読み聞かせをする生後十ヶ月などすぐにやってきます。そこは、平面にプリントされたものに目が行く時期でもあります。そこまでは丁寧にサポートです。まちがってもフラッシュカードなどを与えませんように。まちがってもスマホを見ながら授乳をしませんように。(ニュース5月号一部閲覧)

学校図書館の利用で・・・

 近隣の会員からも遠方の会員からも年間通して「学校図書館の問題」を指摘する声が聞こえてくる。多くは「蔵書の問題」や「貸し出し競争の問題」だ。子どもたちの間で低レベルな本が流行るという問題も聞こえて来る。
 これまで「ゆめや」は、朝読書や貸し出しコンテストなどを批判してきた。その後、学校図書館司書の方々に実情を聞いても、やはり読書推進運動が学校図書館のあり方に大きな影響を与えていることも見えてきた。
 朝読書や貸し出しコンテストが始まったのは学級崩壊や少年事件が頻発していた1990年代後半のことだ。もう15年くらい前からである。つまり、朝読書は、かんたんに言えば生徒を落ち着かせる目的を持つもので、読書の質を高めたり、高度な読書にガイドしていくものではなかったのである。それは、実行している内容を見れば一目瞭然である。読む本は自由・・・・漫画でも良いというところさえあった。だいたい読書の制限時間が十分(じゅうぶんではなくジップン)で何が読めると言うのだろう。まともな本で10分で読める本などない(続き読みも可能だが・・・)。
 メディアなどで朝読書などの成果も報道されたが、見ていて、とても成果という感じはない。クラスが落ち着く状態は生まれたかもしれないが、読書が高度化したという話は聞かない。ゆとり教育が見直されて、詰め込みが始まった今、これからの読書の状態はどういう方向に行くのだろうか。読書は個人的な体験だ。管理されてするものではないのだが。

平気で言えるよ

 本屋が図書館を批判できないシステムがどの自治体にもある。地域の本屋が指定業者として自治体図書館や学校図書館の納入をしているのだから批判などしたら大変である。お仕事が来なくなる。行政や学校にとって本屋は「業者」で、「何を文句を言うのか!」という話になってしまうからだ。公共施設納入というおいしいエサで地域書店を組み込む・・・行政がやることは常に同じパターンだ。
 幸い、ゆめやは指定業者ではない。会員の皆さんがお客様として支えてくれているから自治体や学校には何の恩義もないので平気で批判はできるし、ほんとうのことも言える。これは全国あるいは外国会員もふくめて会員の皆さんのおかげです。ありがたいことです。だから、図書館のことも平気で言える。
 さて、例えばゆめやの近隣の市町村の学校の例である。どこの都道府県も似たりよったりだと思うのでいくつか具体例を出そう。

●選書は子どもがする?●・・・山の中の小学校の例だが、購入する蔵書を先生や専門家が選ぶのではなく子どもたちが選書するということが行われていた。子どもに任せるというと聞こえがいいが、果たして選ぶ力はあるのだろうか。新聞報道では、そこの学校の生徒の数もどんな書籍が選ばれたのかも伝えられていなかった。私は、その学校が生徒数が少ない過疎地域の小学校だということを知っている。こういう状態での子どもの選書には大いに疑問がある。
●質を測らずに量を測る行政●・・・・ある市の教委の調査によると小・中学校の生徒およそ二千人を対象に調査した結果、読書推進活動(多くは学校図書館による貸し出し競争、読書?競争)で、読書量が前年度比1.5倍になったという。月間十冊以上が千二百人以上である。ものすごい成果だ。小学二年生ではなんと月間19.2冊平均で読んでいるという。しかし、この報道も数だけで何を読んだかは記されていない。おどろいてはいけない。学校図書館には赤ちゃん絵本まで置いてあるのだから、読む気になれば3分もかからない。マンガ日本史なら一ヶ月に20冊どころか50冊でも可能だろう。巧妙に子どもの競争心を煽りたてて貸し出しても、これでは、「なんだかなぁ」である。
●信じられない話も・・・●かなり前のことだが、小4の男子を持つ会員のお母さんから聞いた話で、ほんとうかどうか今でも信じられないのだが、BCの配本にもある「怪人二十面相」を教室で読んでいたら担任の先生から「そんな本より『かいけつゾロリ』のほうがおもしろいよ」と薦められた、という。この学校は私学だが、私としては逆に会員のお母さんの言葉を疑いたくなるほど信じられない話だった。それほど子どもの本について大人が関心を払っていないのか・・・・それとも、ガイドしていく力がなくなっているのか・・・・
●子どもがつくる流行も影響力は大きい●・・・子どもはいつの時代も流行をつくる。しかし、この三十年間、歴史上かつてなかった遊び道具が子どもたちの間で流行し、進化もしつづけている。ところが、学校も読書推進運動の人々も読書ボランティアの方々も、そして図書館司書の多くも、この流行に目をつぶり、何も言わない。一番、読書を阻害しているこの遊びや媒体に誰も警告や注意を示さないのである。これも、私にとっては「どうして?」である。
 以前の「ピカチュウ」も現在の「妖怪ウオッチ」も、まさか学校図書館にはおいてないだろうが、「こんなものが?」という流行本が置いてある学校もあるし、当然、市町村図書館にはあたりまえのように置いてある。
おそらく・・・入学したての子どもたち(その親)、あるいはBC配本で育ってきた子どもたち(その親たち)は学校図書館のやり方、あるいは蔵書に「???」となるかもしれない。だから、早めに、言っておくが、あまり学校図書館に気を使って、その路線に乗らない方がいい。適当に借りておけばいい。読まなくたっていい。「たくさん借りれば読書力がつく」ということはない。読書は質なのである。それは大人も子どもも同じである。(新聞5月号一部閲覧)

①私の勝手な子育て論

親業インストラクター?

 この世にふざけた商売はたくさんあるが、親業インストラクターというものがあるということを知ったときは、がくぜんとした。子どもに接する方法を親へ手ほどきする、と称する『親業訓練』の企業?の従業員が、親業インストラクターというらしい。そんなものに世話になる親も親だが、当の子どもにとっては、さぞかし迷惑きわまりないものだろ しかし、だからといってむげに否定することもできない。
 なぜなら、今どきの若い母親の一部には(もっと悪いのは父親だが)とにかく自分の考えというものができていない人々もいる。やたらと情報に左右されて、子育て情報誌の記事、インターネットの子育て情報や周囲の子育てばかり参考にする。そして、ワケがわからなくなり不安になって人に頼る。その親たち(団塊の世代も働くばかりで子どもに向き合って育てた人も多くない)。早い話、その親たちも頼れないのである。
 このスキにツケ込むのが新手の商売だから今後も手を変え、品を変えて、こういう子育て関係の商売が出てくるだろう。市場原理社会では、相手のことなど考えずに、とにかく儲かれば何でもするのだから、そういうものの手にかかって失敗しても自己責任だ。もう少し親としての自分を信じて子どもと格闘してもいいのではないか。もともと子育ては格闘技であって、やさしさごっこではないと思うからである。

けっきょくうまくごまかすだけじゃん!

 さて、この親業インストラクターが、どういうことをやるかというと……おもちゃを散らかした子がいるとする。まあ、ふつう、われわれは 「だらしがないわね。だめじゃない。早く片づけなさい!」と叱る。
 ところが、インストラクターは、こうのたまうらしい。「でも、子どもは、また後で遊びたいとか、子どもなりの意思があって、おもちゃを出したままにしているのかも。親は、しつけという形で、実は散らかっていることへの不快感を一方的に子どもにぶつけているのかもしれません。これでは親子の気持ちはスレ違いです。もっと子どもの気持ちに寄り添って考えないと・・・」
 では、どうするのかというと「まず、子どもがなぜ散らかすのか考えてみて、いろいろ尋ねてみること。」さらに散らかっていると「部屋が散らかっていると歩きにくいな。」とか言って、散らかしてはいけない理由と親の不快感をていねいに説明する。それから、二人でいっしょに片づけをするのです。」
 このように、一事が万事子どもの側に立ったもっともらしいことを言うのだが、どうしてこちらの不快感を表現してはいけないのだろうか。世の中には、いろいろな人間がいる。散らかしっぱなしでもまったく怒らない人間もいれば、怒る人間もいる。問題は、子どもがやっていることをどうするのかということではなく、子どもがどのようにいろいろの人間に対処していけるか、ということなのではないか。
 私だって、自分ができているわけではないが、どこかの情報や育児書を受け入れて子育てをした気はない。ひょっとすると自分の子に対する育てる方針がまちかっていたかも知れないが、ウサギのケージに赤ん坊を入れて育てるようだったら責任は取るつもりだし、子どもだっていつまでも子どもではいないから、親に逆らったり、過ちを指摘するようになるだろう。手軽な子育て、親業をインストラクトしてもらってまで「よりよい子どもに育てよう」など、これほどフザケた話はないと思うのである。

いろいろな人間がいるのだから・・・

 周りには、イレギュラーな人間だっているのだ。それに対応していく力を、子どもにつけなければならないのである。散らかしっぱなしにしていると、鬼のように怒る人間だっていることも教えておかねばならない。これは、片づけに対するシツケではなく、人間の多様さを理解させる訓練でもある。そして、どう対応するかも。
 子どもの心を理解しようとしてばかりいると、子どもは周りがいつも自分を理解してくれるものだと思い込む。そうなると子どもというものは、増長することが多い。わがままにもなる。そういう子が、理解してくれない集団の中に入ると「理解してくれないよ~!」となり、拒否反応を起こす。ひきこもるかもしれない。心の中までの過保護はしないほうがいい、まして、他人のインストラクターに指導させるなんて、とんでもないことである。どういう時代でも子育ては、親の役目だ。他人に任せたらその結果の責任はどこにいく!(ニュース5月号一部閲覧)

お話し会の中身をかんたんに・・・

 四月号で「読書の魅力再発見(多彩なテーマで定期開催)」の講座を始めたことをお知らせしました。多くのお問い合わせを受けましたが、場所の関係で定員が二十数名。二回目、三回目(次回)でも定員オーバーになっています。ですからおわびに概要だけお知らせしたいと思います。

なぜ本を読まねばならないか?

 本題は「なぜ本を読まねばならないか?」というものですが、教科書でつくられた常識がちょっとおかしいと思ったことから一回目の講座を始めました。ブッククラブ会員のお母さん方からのお申し出を受けたものですが、教科書には答えがあり、当然、試験のためのものですからあたりまえですが、答えの暗記で終ります。ここでは考える力は不要です。そして、教科書の内容の多くが、かなり政治的な力で捻じ曲げられている部分もあるのです。このことについてくわしく述べたのが一回目です。
 時を同じくして五月十一日に日本教育学会・日本倫理学会・日本哲学学会の会長が「教科書検定に政府が介入してきている」として、「教科書がそのときどきの政府の見解に左右されてはならない」と述べ、検定基準の見直しを求めました。しかし、文科省は、「そういう意見もひとつの意見にすぎない」と、まともに取り上げません。

捻じ曲げ

 私は、一回目の講座(二月)で、安倍政権の歴史修正どころか明治維新以来、教科書はずっと修正や歪曲がされてきて、それは社会科教科書ばかりか国語教科書や、場合によっては算数や理科にまで及んでいることを述べました。
 だから、「教科書だけではなく、いろいろな角度から書かれた本を読むことが大切である」と思って、表題の「なぜ本を読まねばならないか?」を掲げたわけです。とくに今の政権は「あったことをなかったことにする」歴史修正がお得意ですが、多くの人は「あったこと」も「なかったことにすること」もよくわかっていません。明治の産業遺跡を世界遺産にしようというロビー活動も郷里に錦を飾りたい個人の思いを実現する歴史修正ともいえますが、国民の多くは、その意味すらわかりません。
 この明治以来の捻じ曲げの結果、現在のようなおかしな社会になっていることを二回目で話させていただきました。いつも言うサブカルチャーの問題、人間が壊れてきている状態、おかしな事件が続発する問題など・・・。

読書の意味

 本を読むことは、文字を覚えることでも文法を覚えることでも知識を蓄積することでもありません。そんなことは付随的なことで、読むことで多角的に考え、自分の頭で考えていく力をつけるものです。答えの暗記は、誰かの言いなりになるようなものですから、これは人間の頭を向上させません。読む力をつけるために読み聞かせから一人読みのステップを登り、やがて高度な本が読めるように持って行きたいのです。子どももわれわれもスマホを持つサルにならないように・・・。
 三回目(6月)では何のために本を読むかについて、明治維新を境に価値観が逆になったことを話します。四回目では、ひとつの方法として、ごくふつうの人間になるための手順のようなものを述べたいと考えています。その後は、以下のスケジュールで山梨県内でさまざまな活動をされている方と「読書」を軸に対論をしていきたいと予定しています。
 内容は、いずれもかなりむずかしい内容で、私も各回でどういうふうに話せばわかっていただけるか頭を抱えています。それでも連続的に聞きに来てくださっているお母さん方にはひたすら感謝しています。どこかで「読書の意味」がわかっていただければさらにありがたいことだと思います。(新聞5月号一部閲覧)

これまでと今後のおはなし会テーマ 予定日
一回目・なぜ本を読まねばならないか 概論  27年2月 終了
二回目・サブカルチャーが子育てに影響する時代 27年4月 終了
三回目・日新館教育と明治維新 27年6月17日
四回目・ふつうの人間を育てるひとつの方法 27年9月
・「世界を感じる」 天文アドバイザー方との対論 27年10月
・「自分の頭で考える」 企業顧問の方との対論 27年11月
・「戦争のできる国」 平和ミュージアム館長と対論 27年12月
・「漱石の文明論」 慶応大学教授と対論 28年1月
・「心をつくる」 絵本作家と対論 28年2月
   


(2015年5月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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