ブッククラブニュース
平成26年10月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせと子どもの環境
2歳の本(2)

 2歳で気をつけなければならないことは、この時期の子どもは驚くべき記憶力を発揮することです。日常、接していると変化に気がつかないこともありますが、とにかく1歳のころに比べてものすごい勢いで日常生活の知識を吸収しています。2歳半くらいは大脳の旧皮質(情緒、自己肯定感、自己同一性=感性、愛されている充実感、自分は何に属しているか)が発達を終えようとしている時期で、ここでは大脳の新皮質(知識や情報の操作、思考の源を作る)が発達を始めますから、記憶力は急速に増します。
 数回読み聞かせた本を、ページをめくるごとに一語も間違わずにスラスラしゃべっていく子が出現するのもこの時期です。ものすごい記憶です。
 ところが男の子に多いのですが、自動車とか電車などひじょうに偏った分野で記憶力を発揮して、「○○博士」的な片鱗を見せ始めることがあります。車種から記号、車名までどんどん覚えて行く子がいますから、その力に驚いたジジババは、車のモデルから図鑑まで財布に糸目つけずにどんどん与えます。文字通り、拍車がかかって子どもは特定の分野でオタク的知識を持ちます。よく全国の駅の名前とか、電車の名をスラスラ言う3歳児がいるのをテレビ番組などで見たことがあるでしょう。
 しかし、この記憶は5歳くらいまでしか持たないのです。時には自分がその分野に関心があったことさえ、忘れてしまっている子もいます。ここでパターン認識の技術のように頭に無意味な知識を埋め込むのは避けたいものです。

丸暗記の無意味さ

 シャットアウトする必要もありませんが、過度な図鑑攻めは記憶の仕方の基礎をつくってしまうので、オタク的頭脳になるのを避けるためにも適当に流しておくのが賢明というものです。この時期の詰め込み教育が成長してからほとんど成果を出さないのを見てもはっきり言えます。まあ、幼児向けのサブカルチャーに漬けるよりはやがては忘れてしまう車や電車のほうがいいかもしれませんが、あまり頭が偏ると物語絵本に入って行かれなくなることが多くなります。
 人間が成長して形成するあらゆるもののおおもとが2歳という時期にあることを忘れてはいけないと思います。ここでの親との関りはひじょうに面倒な(前回述べたように魔の2歳児なので)ことになりますが、子どもの成長に係わることで、親自身が「親になる過程」として重要な時期です。係わった分、子どもも安定していきますし、思春期での暴走や過度の反抗も避けられると言われています。それよりなにより2歳児は守ってやりたくなるかわいらしさを発揮します。この時期の配本は、男女それぞれかなりきちんと配置してありますので、段階を追って楽しんでいただけば、3歳の物語絵本にスーと入れるはずです。(ニュース増ページ一部閲覧)

私の絵本棚

 昨年、三月に絵本作家の仁科幸子さんが「ひろすけ童話賞」を受賞した記念にシンポジウムを開き、そのとき浜田広介の作品や作家像について、私に意見が求められた。この詳細については、書けば長すぎて紙面が尽きるので、知りたい方は、ゆめやのホームページの「ニュースの一部閲覧」をクリックして平成25年3月号追加分(http://www.yumeya-bookclub.jp/2013031.html)を読んでほしい。私の文は長たらしくて嫌になる人が多いが、何もかも短文で行く時代。たまにはダラダラした長い文を読むのもおもしろいかも。
 で、シンポジウムでは浜田広介や小川未明がなぜ批判されたか(児童文学研究家の鳥越信さんや作家の古田足日さんが批判)について触れ、私なりに再批判をしてみた。否定の否定は肯定・・・というわけで、HPには「浜田広介肯定論」が長たらしく書いてある。たまたま、シンポジウムの会場が大月市立図書館だったこともあり、そのとき大月出身の作家・山本周五郎についてもいろいろ述べた。二人が同じような考えの持ち主だったからだ。「かつて日本人が持っていた良い意味での精神性や倫理感が二人には共通してある」と感じた。

経済が壊した倫理

 この精神性や倫理感が日本では失われて久しい。昭和四十年ころまではかろうじて残っていたような気がするが、鳥越信さんや古田足日さんが広介・未明批判をしたころから、倫理意識や相手を思う気持ちが薄れ始め、高度成長やバブルで完全に失われてしまった。おそらく、その原因は高度成長だろう。豊かさが人間の倫理性をむしばんだわけである。それまでは一部の人間をのぞいて、多くの日本人、あるいは日本社会は、それなりの規範で動いていた。しかし、自由だことの蜂の頭だことの、民主主義だことのを唱える時代の波に乗ろうとしていた鳥越さんや古田さんには、広介や未明の童話は、村人や民衆が置き去りにされた古いタイプの作品として映ったのだろう。
 もっと自由に行動して、したいことをして、自分を抑えない・・・・のが、新しい民主主義の時代の生き方であると言いたかったに違いない。しかし、どうだろう。何をしてもいいならモーゼの十戒も儒教の倫理も破るのはたやすい。
 先月まで放映されていたドラマ「花子とアン」の原作「アンのゆりかご」でも村岡花子は旅行中に男性の誘惑で心が揺らがないように、山本周五郎の「日本婦道記」を読み続けた、と書いている。旅行を案内する男性が花子に好意をを持って接してきて、彼女は不倫に落ち込まないように自分を律っしようとしていたのである。「日本婦道記」は女性の強さが書かれた本だからだ。これは浜田広介の作品もまったく同じで、どこかでシャンとするために、あるいは世の中に負けそうなときに広介童話や周五郎の小説は読んだ人の支えになると思っている。

泣いた赤鬼

 浜田広介の代表的な作品は「ないたあかおに」である。これは配本では5〜6歳で入れているが、配本がつまっている場合(早生まれとか調整中とか2歳くらいで会員になった子)には入っていないこともある。だから、そういうばあいは、小学校中学年で、「椋鳥の夢」などもふくめた「浜田広介童話集」入れることにしている。これなら浜田作品の全容がわかるだろう。自分で読めれば自分の考えを織り交ぜながら、さらに考えていくことができると思うからだ。
 「ないたあかおに」の友人・青鬼のやったことは、道徳教育では「自己犠牲」として強調されるが、そんな安っぽいものだけなら赤鬼は涙をこぼさなかっただろう。やはり、これは相手を思いやる気持ちで、自分が悪者になっても構わないという勇気である。「樅の木は残った(山本周五郎)」の原田甲斐の気持ちにつながるものである。
 私は、すぐれた作品を読むと、その作家がどういう環境で育ったかということに関心が出る。作家だけではない。接する人がどういう環境で育ったのか知ることができれば、だいたいその人の考えや行動のパターンはわかる。お付き合いしている人は話しながら探っていくということになるが、故人になった作家の生い立ちなどは成育歴などを調べなければわからない。山本周五郎は、大月市初狩町の出身で、よく知っている場所だからいろいろ想像もできるが、浜田広介は山形県東置賜郡高畠の出身だ。行ってみなければ、どういう山や川を見て育ち、どのような人々に囲まれて心を育てたかがわからない。

ひろすけ記念館

 で、行ってみた。高畠駅から田舎道を行くこと1.5km。そこにある記念館には広介の生家が移築されていて 、どのような家で暮らし、育ち、どのような空や田園の風景を見ていたかがわかった。秋晴れの青い空が広がる日だったが、山形の農村は美しかった。盆地なので山梨に似ているような感じがしたが、山が低く、山梨よりずっと穏やかな自然環境だった。高畠の人々はやわらかい話し方で、ゆったりと会話ができ、時間がゆっくり流れているのを久しぶりに味わうことができた。広介はこういう環境で育ったからこそ、心を通わせることをテーマにした作品を生むことができたのだろう。
 ところで、まったくの雑談となる。現在、甲府には(ひょっとすると山梨には)児童書専門の店はゆめやだけしかないが、じつはゆめやができる数年前に「赤鬼」という絵本専門店があった。1970年代後半のことである。数年で閉店となってしまったが、私は子どもが生まれる時期だったので、何度か足を運んで絵本を買った。おそらく店名は「泣いた赤鬼」から取ったと思うが、青鬼が存在しなかったために「赤鬼」を支える村人が出てこなかったのだろう。人口20万の甲府では、児童書専門の店を支えるような客になる人々はそう多く存在しない。だいいち、人口20万で、15歳以下の子どもの数は2万人弱。幼児は5000人もいない。家庭の数に換算すれば幼児を持つ家庭は3000軒くらいだろう。そのうち何軒が絵本を買って子どもを育てるだろうか。300軒もいれば御の字である。

本屋は斜陽産業

 ゆめやのある地区は甲府でも文教地区に入っているらしいが、この地区のゆめやの会員はたったの6名・・・それもすべてが他の地区から引っ越してきた人である。こういうところで児童書を商うのはむずかしい。先日、隣の市で木の玩具専門に扱う女性がやってきて話したが、やはりまったく同じで「近隣地区に顧客はほとんどいない」ということだった。
 さて、1980年ごろだったが、絵本専門店「赤鬼」の閉店を知ったとき、私は、とにかく持続する店を開こうと思った。派手なことをやらず、無理をせず、真面目に客に接する店を長続きさせようと・・・考えていた。
 しかし、世の中は高度成長からバブル、バブル崩壊からサブカルチャー全盛・・・・良い本、すぐれた作品の展開をするよりは、売れ筋のアニメでも置いた方が良い時代になった。それどころか、流通の変化で書店がどんどん消えていく。去年は全国で300店も消えた。
 子どもはまず本など読むより、ゲームやスマホである。本らしきものを読むと言えばアニメか漫画だ。年長者はライトノベル・・・これではますます活字文化は落ち込む。学校ですらその力が落ちてきている。近隣地区という狭い市場ではまず書店は生き残れない。
 だが、狭い地域では多くの支えを得ることができないが、広い世界には「心」を持った人がけっこういるものである。遠くは海外、近くは県外・・・・そういう人のおかげで、ゆめやは開店以来なんとか三十数年も続けることができたのである。市場原理のきびしい世の中でも浜田広介の生真面目な気持ちは持ちたかったし、御役人退職者がよく狙う勲章や文部大臣賞狙いの子ども関係の仕事・・・・そんなものは考えたこともない。褒章などいらない。この意味でも直木賞さえ蹴った山本周五郎の強さも学びたかった。山形と山梨には果物をはじめ共通なものも多い。私の本棚には山本周五郎全集もあるが、浜田広介全集もある。この二人の作品テーマは現代では失われた「心を通わせる」ものが多い。現代人が忘れてしまった「言葉を交わして、生きざまを語る」ものだ。まだ何とか本の力も残っているだろうから、ゆめやもやれるところまでやってみようと、「ひろすけ記念館」前の「赤鬼」像を見ながら思った。

(5)ほとんどサブカル

 最初に「異常の中にいると異常に気が付かない」と述べたが、もはや世の中見渡してみると「異常だらけ」だ。いい年齢の大人がアニメのフィギアを集め、行政まで同じようにゆるキャラで町おこしをしようとし、本も読んでいない連中がそのファンタジーのテーマパークでバーチャルリアルティ体験に高い金を払う。はたで見ていると「幼児退行現象」としか思えない。子どもっぽすぎる。もっとも、大人の頭が幼児化すれば、それなりのキャラ商品も売れるから売る側はどんどん人に幼児化してもらいたいことだろう。
 大人の幼児化となれば、ピンキリはあるだろうが、サブカルの影響がないわけがない。おそらく政治の世界から一般市民の生活の中までサブカルは浸透し、深く静かに精神病を生み出す下地を作っていると思われる。何度も言うが、サブカルチャーに漬かると「頭が大人になって行かない」のだ。「きゃあ、カワイイ!」で終わりで、論理性も何も育たない。すぐれたものより底の浅いキャラ。浅薄な見た目だけで持てはやして深みのあるものなど無視。頭の中はAKB48で終わりといえばわかりやすいかもしれない。いや「幼児退行」くらいなら大したことはない。そういう精神状態の世の中で、サブカルの影響を極端に受けた連中が事件をどんどん引き起こす。ここが怖いのだ。少年ばかりではない。四十歳代から60歳代も含まれてきた。

起こる事件は同じ原因

 さて、先月号で最初に挙げた関連事件の表と合わせて、最近のサブカル原因の事件を例に取ってみようと思い、三重の花火見物帰りの中3女子レイプ殺人事件と三鷹の女子高生殺人事件を代表として取り上げようと思ったら、もう佐世保で同級生解剖事件が起き、倉敷で小学生誘拐監禁事件が起きてしまった。神戸の小1少女バラバラ事件はサブカルの影響があるかどうかまだわからないが、とにかく頻繁に起こる異常な事件のほとんどは幼少期から何らかの形でサブカルチャーに汚染された人間の仕業と言って過言ではないだろう。
 このような事件を起こした犯人の成育過程を調べて、どのくらいサブカルの影響が出ているかを見て、そのプロファイルを公開すれば、家庭での子育てでサブカルチャーの浸透を抑止する参考にもなると思うが、それはなされない。ゲームが売れなくなり、マンガが売れなくなり、キャラもの文化で稼げなくなるから、誰も抑止はしないのである。現代社会は儲かれば何だってする社会である。

おかしな人間が増える

 サブカルチャーの精神への影響は「生命」と「性」の二つの方向に分かれる。「生命を確かめる」「性を確かめる」という衝動につながるわけで、これが事件に発展する原動力。生命を確かめる方法を「自分の命」で実験すれば法律には触れないが(自殺)、「他人の命」で試みられると(他殺)、当然、法律に触れる事件となる。性を確かめる方法がマスターベーションなら法には触れないが、痴漢やレイプを行えば犯罪である。もちろん影響と言っても個人差があり、ほとんど影響を受けない人もいれば、ひきこもりやオタク程度でおさまる人もいる。しかし、一部ではドラッグを使ったり、決定的な殺人事件を引き起こすまでの人も出るから幅は広い。
 倫理観がなくなるのだから、衝動的に引き起こすことも多い。それが小さいころからのサブカルチャーの蓄積によるわけだから現代では大変である。大人が子どもじみたものに狂ってやがて変な事件を起こしていく異常な社会。
 みなさんは、ニュースを見ていて気が付かないだろうか。ふつうの職業の大人(ふつうと言われている人々)が痴漢で逮捕されたり、先生が盗撮をしたり、老人なのに強姦事件を起こしたり・・・平気で嘘を言ったり、かんたんに殺したり、とても理性的な行動とは思えないことばかりが起こる。
 ま、政治家なども同じようなもので、とても「選良」は呼べない言動を繰り返す。セクハラ発言はする。平気で言ったことをやらない、やっていないことを言う。平気で税金から出た給料をごまかして私物化する。どこもかしこも理性的な行動とは思えないことばかりを起こしている。
 これはサブカルチャーに浸って、言葉を生身の相手と交わさず、生きる上で大切な「心」がつくれなかったからだろう。こういう人間が身近にどんどん生まれているわけだから、もう注意だけでは避けられない状態だ。被害者にならないように気を付けていくよりない。(つづく)

ライトノベルの弊害

 先月号で、「ライトノベルについて説明する」と言ったが、親の多くは目にしたことがないようなジャンルの本だから述べておこうと思った。言葉を聞いたことはあるかもしれないが、書店業界での略称は「ラノベ」である。ほとんどは中高校生向きだが、当然、小学校高学年でもマセた子なら読んでいる可能性もある。
 で、結論から先に言うと「このような本を読むために絵本の選書や就学児の配本をしてきたわけではない」と言いたいわけで、避けてほしい本の分野である。
 マンガ、アニメ、ゲームといったオタク系フィクションを知っている人なら「当たり前のことを言うなよ」と思うかもしれないが、ラノベはサブカルチャー文学(文学などという言葉は使いたくないが)で、小説というよりは漫画化された小説、小説もどきの漫画的作品と言ったほうがいいかもしれない。ラノベは、書店のマンガコーナーの近くあたりに棚があって、カラフルなイラストが表紙がついている文庫本のような体裁のものだ。これがずらっと並んでいるのを見たことがあるかもしれない。あれがライトノベルだ。これに似た小学生向けのライトノベルも多くなっている。

特徴を分析すると

 ライトノベルのジャンルは大きく分けて二つの分野。一つは「作中に登場する要素」で分けられるパターンで、「SF」「ファンタジー」「推理」「青春」など。もう一つは、読者ターゲットで分けられるパターンだ。どういう内容かと特徴をくくると以下のようなものとなる。
 1.重厚なテーマや人物設定よりも、まず魅力的なキャラクターが前面に来る。
 2.読者と年齢や性別などの点で共通な部分が多いキャラクターが主人公として登場し、共感を持たせる。
 3.漫画やアニメ的なイラストが、表紙はもちろん、本文中にも挿絵としてたくさん用いられている。
 4.読みやすいような技術が施されている。
  (文が短い・改行が多い・会話文が多く地の文が少ない、フォントの拡大や縮小などの目を引く工夫)
 5.学園青春、ファンタジー、近未来 SFアクション・・・「面白ければなんでもあり」というスタイル。

イラストが特徴的

 いろいろなものが出ているが「主に文庫本で刊行され、漫画・アニメ風のイラストが表紙及び挿絵についてくることが多い」という点は一致している。また、物語の作り方やキャラクターの演出・表現などでどれもこれも同じようなストーリー展開が多いのが「ライトノベル」だ。
 「イラスト」はちょっと書店を歩いて、ライトノベルの棚の前に行ってみれはよくわかるが、色とりどりのイラスト(右写真参照)で、うっとうしいほどの同じように見えるアニメ作画が並んでいる。
 中には少女が肌を露わにしていたり、あるいはパンツが丸見えのものもそう珍しくない。眉をひそめる人もいるだろうが。そこまでいかなくとも、「漫画・アニメ風のイラストがついていること自体が恥ずかしく、書店で買えない」ということをブッククラブ出身の高校生から聞いたことがあるが、一般の中・高校生はそんな恥ずかしさなどまったく持ち合わせていないだろうから、これは売れている分野である。それでなくては一般書店で棚を作ってまで置かないことだろう。

中・高校生は読書力がない

 ライトノベルの特徴は、このイラストが占める割合はかなり大きいのだ。じつは一般的な中学生・高校生は、文章展開に慣れておらず、もともと本を読むという習慣が定着していない傾向にある。これだけ、読み聞かせや読書活動が園や小学校で行われているのに現実の中・高校生はこの程度であることが多い。もちろん中には無理に難解な言葉を使ったライトノベルもある(右)。しかし、使われている言葉が難しくても内容はハチャメチャで、「読まない方がずっとよい」ものなのである。
 プリキュアや戦隊ものが大好きで、流行り漫画やアニメばかり読んできた子どもの行き着く先がライトノベルだ。電子ゲームやSNS依存などよりは軽い症状だが、人格形成には支障を起こす可能性が高い。常識崩壊とか倫理性の欠如につながっていくことが考えられる。まともな本が売れない出版界では生き残りのために少年たちに媚びたライトノベルを出版社が大量生産しているから、この世界に自分の子どもが踏み込まないように、今からゆめやとしては注意しておきたい。(新聞増ページ一部閲覧)



(2014年10月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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