ブッククラブニュース
平成25年4月号(発達年齢ブッククラブ)

入園おめでとうございます

 今年の桜前線の北上は速く、甲府ではもう完全に散って葉桜。経度、緯度的に日本のほぼ中央に位置する甲府は、毎年、桜の開花と入園の時期が一致します。ところが、桜前線は緯度よりも温暖化に左右されているようで、素早く北上・・・しかも、春の嵐・・・今年の甲府の信玄公祭りは土砂降りの中を出陣で、信玄役の松平健さんもズブ濡れ、水もしたたる男ぶりでしたが、強風と雨で桜はほとんど散り、翌日はいきなり葉桜になっていました。強風は、ずいぶん吹き荒れて、線路に倒木、幹だけは立派だけれど根が張っていない街路樹も倒れ、屋根が飛ぶなどの被害も。これでは桜は持ちません。多くのところが入園式では「散る桜」だったのではないでしょうか。みなさまのところはいかがだったでしょう。
 さて、子どもたちは入園へ・・・これもまた、「いざ出陣」ですね。

期待もあれば不安もある

 期待と不安に満ちて幼稚園に入っていく子どもたち・・・・・・そんな子たちの心をいろいろな面から支えたいものです。登園がいやで毎朝泣いてくずる子もいるでしょう。でも、これは家が一番、お母さんが一番という気持ちの表れですから、じょじょに馴らしていきたいものです。
 それとは逆に、乳児のころから園に慣れている子も最近では多くなりました。自立しているようにも見えますが、中には「追いつめられた自立」をしている子もいますから、やはりどこかで気遣いも必要でしょうね。
 このところ、親が忙しい、あるいは子育てに無関心などといった理由で、家庭が機能していない子もいて、自己抑制ができなかったり、社会性を身につけられなかったりしてトラブルメーカーになるケースも増えています。なるべく被害に遭わないように、遭ったらすぐに対策ですね。
 このため幼稚園や保育園も質的にどんどん様変わりしています。見ていると園の先生方もほんとうに大変です。子どもどころか、とんでもない親もいるご時世ですからね。つまるところ、大人社会のゆがみが、子どもの世界まで出てきているのでしょう。
 いつの時代でもけっきょくのところはすべて「育ち」が人を決定するのですが・・・。世の中を見ていると「社会的自立」とはほど遠い大人も出てきていますよね。あまり外部に期待をかけないで、やはり「自分の子は自分が育てる」いう「常識」を発揮したいものです。

比べて育てたくなるけれど・・・

 たしかに見た目ではわがままな子や強引な子が他を押しのけたり、かき回したり、言わば「強いもの勝ち」という傾向は見られます。 
 これは今始まったことではなく、昔からあることです。読み聞かせを受け、人の話に耳を傾けられるような子はそういう耳を持たない子の乱暴さに押しのけられてしまうようにも見えます。園によっては、「そういう活発な子の方が元気で良い」などといっているところもあります。これが昔とちょっと違うところです。昔はキチっと指導してましたが・・・相手の気持ちになって考えられないのが幼児・・・でも、相手の気持ちを考えるようにするのが周囲や大人の仕事だと思うのです。元気で活発な脳天気ばかり評価していたらヤンキーな大人になりかねません。
 それに加えて、今では早期教育などを受けている子どもたちもたくさんいます。「学校に上がってからの力を幼児期から身につけさせたい」という考えを「学校で習うことは幼児のうちに習わせる」と曲解した親が育てる子どもたちです。幼児の時にしなくてはならないことをしないで、先のことばかりさせる・・・。こういう子どもたちは、人とのかかわり方をうまく学習できませんから、元気、活発、脳天気な子どもより、さらに問題をはらんでいます。幼児期に覚えた知識など後になれば大した力にはなりませんが、親というものは、どういうわけか他と比較して子どもを育てる習性があって、今、現在、「他の子よりできる!」と自慢したり、逆に「できない!」と焦ったりしているようです。

あまり先のことを考えないで

 よく幼児教育の専門家たちが言う言葉ですが、「幼児期の育ちは、木で言えば『根』の部分、幼稚園教育は『幹』」で、「根を持たずに幹ばかり育てたあげく、一吹きの風で倒れてしまうような子どもばかり増えている」ことは今の世の中の問題の一つだと言われています。私も、何人もそういう子どもたちを見てきました。そんな子が大人になった状態も見ました。
 『それぞれの時期に特有の発達』に対応した「やるべきこと」があり、それをやらないと発達がゆがみ、人間としてうまく形作られない、ということだけはいいたいのです。乳幼児期にはそれなりの発達課題があり、幼児期にも少年期にもある。育てることは、ひとつ上の時期の育て方を引き下ろして優劣を競うのではなく、時期にふさわしい育て方をすることです。生後六ヶ月の子どもに歩く訓練をさせる親は鬼。一歳の子に字や計算を教える親は妖怪です。幼稚園児に高等数学を教える親は悪魔かもしれません。その前にすることはある!のです、たくさん。
 子育てに正解の方法などあるわけもありません。組織の歯車になっているような親が、子どもを優秀になるように育ててもけっきょくは、同じように歯車になっていることは多いのです。

心が言葉を、言葉が心をつくる

 おむつが濡れる、赤ちゃんは泣く・・親は「ああ、よしよし」といって替えてくれるでしょう。「困ったことがあるとその困難を解決してくれる人がいる」ことが子どもにはわかります。幼児期の「育て」は、信頼感をもとにして遊びや探検を通しての「自立」や「自分にはこの世界を生きていかれる」という自信を教えることのような気がします。
 それはすべて言語という心と密接な関係をもつもので学習されていくのです。「ああ、よしよし」=「大丈夫なんだな〜」も言葉、「桜が咲いたよ」=「うつくしいな〜」というのも感覚、「入園だよ」=「緊張する〜」というのもみんな言葉と心・・・・・・言葉によって心を伝達することで心がまだ新しい言葉を作っていくのだと思います。

自然に育てるのがむずかしい時代ですが・・・

 世話をする、面倒を見ることで、言葉が心とつながっていくわけで、これがない幼少期を過ごしたらどうなるか。「根を育てるどころか」文字通り「根こそぎ」で、世話もせず、面倒も見ないで外部依存で育てた結果、思春期になって自分を見失い、漂流している青少年が町中にはすでにたくさん存在しています。幹ばかりで根がない木は、強風が吹かなくても倒れます。
 子育ての目的は「自立」なのですから、発達のゆがむような育て方はやめましょう。人間の頭は物理的にいじってもよくなりません。昔ね、私が子どもの頃でさえ、何もしないで寝ているだけで頭脳の訓練、頭を良くする方法が流行りました。記憶力増進の磁器枕や睡眠中に頭を良くするカセットテープなどですが、それで頭が良くなった人を見たことがありません。人間の質は、たいていは「育ち」が決めているのです。誤った可能性の追求は、子どもを幸福な人生を送れない人にしてしまうことが多いと思います。幼児期にふさわしい生活を確保することが、私たち親をして鬼や妖怪や悪魔にしないことなのではないでしょうか。入園・・・親も子も新しい人間関係に入ります。この時代の流れは、まことに不自然で異常な流れとなっていますが、子どもが大きくなるころには、その流れもなくなっていると思います。新しい時代は意外にすぐそこに来ているのかもしれません。このな状態がいつまでも続く方がおかしいのです。負けずにがんばってみましょう。(4月号ニュース一部閲覧)

入学おめでとうございます

 桜が散っています。その桜吹雪の中を新一年生が学校に入って行く・・・ゆめやの近くには3つも小学校があり、この時期の朝の風物詩ですが、今年は桜の開花が早すぎて、入学式には間に合わなかったように思います。でも、風景が何であれ、入学おめでとうございます。桜の咲く三月、BCでは例年と同じく三月に七十八人を中学に送り出し、四月はピカピカの新入生を百人ちょっと迎え入れました。春の嵐で落下狼藉。でも毎年、同じことが繰り返されて平和な気分を感じています。みなさんの学校ではどんな風景が見られますか?
 ただ、以前は店の前を真新しいランドセルを背負った一年生が毎日何人も通っていたのですが、最近はめっきり数が減りました。少子化ですねぇ。私は店で毎日ブッククラブのお子さんと会うことができますが、町の通り、公園、スーパーマーケット、どこも子どもの数が急減です。そして、逆にどこに行っても老人の数が急に増えた感じがする、ここ数年で、です。これは、私よりはるかに若いみなさんの方が強く感じていることでしょう。

どんどん時代は変わりますが・・・

 サブカルチャーの横行で、本は時代遅れにさえなっています。そのうち学校でも図書館でも家庭でも読書といえばタブレットを広げて、スーッ、スーッと指を這わせる・・・そんな時代がやってきそうです。ま、かんたんに言えば、「時代が変わる」ということでしょう。デジタル化はどこまで行くのでしょう。
 昨年、日本全国で書店が350店舗、消えました。毎日一軒減っていくということです。これではただでさえ危機の児童書専門店など風前の灯。ゆめやはブッククラブの皆様のお蔭で何とか三十三年という長い歳月を乗り切ることができましたが、この次の十年はとても「ない」でしょうねぇ…。少子化の時代・・・サブカルチャー全盛の時代・・・新一年生たちが、どのような読書をして、どのような物に囲まれるか・・・変化は大きいです。
 ゆめやのブッククラブの方式は、開店以来、まったく変化をしていません。三十年間、やり方がほとんど変わっていないのです。ネットショップとはちがい、本一冊売るのにけっこうの経費をかけています。当然、お客さまとのコミュニケーションもかなり。
 さらに、当たり前のことながら、アニメ本やレベルの低い本は配本に入れません。これでは時代に取り残されるとは思いますが、「取り残す時代の方が悪い!」と、もうちょっと踏ん張るつもりです(笑)。ま、精一杯やりますので、ご支援を切にお願い申し上げます。

思い出してみると・・・

 思えば子どもの本の黄金期だった1970〜80年代、いい本がたくさん出版され、古典も含めて継続的に与えることができた時代もありました。それが世紀が変わって、だんだんできなくなってきました。昨年出た新刊がもう今年は手に入らないという目まぐるしさ…いつか配本プログラム自体が構成できなくなるのではないかとさえ感じています。
 ゆめやが選書する本が絶版になるのは、そういう本の購買率が低いからです。良い本は、だんだん読まれなくなってしまっているのでしょう。良い本ほど売れない世の中です。
 一方では、アニメやゲームで育ってしまった親が出てきています。こういうもので育てば、自分の子どもにひどいものを与えても危機感もないでしょう。2010年代はそういう状態で、かなり子どもの問題は増幅していきます。行きつくところまで行って、また気が付いて元に戻る・・・今年入学の子たちが大人になるころ、住みやすい世の中ができているといいのですが・・・ムリ?

本から得てもらいたいもの

 この意味で、バブル期もふくめてゆめやが儲かった記憶はまったくありませんが、そんなことより何より私はひじょうに得がたいものを得たと思っています。それは「お客様」との良い関係です。嫌な感じの方がいないのです。お世辞でも何でもありません。これがなかったら、きっと三年で店をたたんでいたことでしょう。とにかく、良書を間に挟んだ人間関係はとてもステキです。
 「その理由は何か?」と考えました。初めは「赤ちゃんのときからのお付き合いだから、長く付き合えているのだろう」と思いました。でも、いまは違うような気がしています。「赤ちゃんのときから」ということもあるだろうけれど、ひとつは「本を読み聞かせたり、読んだりする人に決め手がある」と思うのです。つまり「本=ブッククラブ方式」にそのヒミツがあるということです。ネット通販や水商売や風俗業、金貸し、いわゆる儲けが多い業種には長く良い関係で付き合うことのできるものはない。質の良い関係で付き合うことのできるものはない。その場限り・・・つまり利害関係だけで付き合うと人間関係は長く続かないということでしょう。よく「職業に貴賤はない」ということが言われますが、それは嘘です。やはり、職業にも人間にも貴賤はあることは事実です。本が作り出すとても良い関係、環境・・・こういうものは子どもが大きくなっていくときにとても大きな力になるでしょう。

本はすごい力を持っている(?)と思う

 良い本は良い人間関係も作るような気がしています。良い人間関係を持つことができるというのは、人生ではとても重要なことのように思えます。
 家庭で毎日の読み聞かせを五年も続けてきた方には言わなくてもきっとわかると思いますが、ほんとうに楽しい時間ですし、もっと子どもが大きくなっている方は、この時間が親子の「絆」を深めたことを実感していることでしょう。私は昔からそういう本の力を信じています。私たちは自分の意見や考えがオリジナルなものだと考えがちですが、じつは過去の本に書かれた内容を繰り返したり、真似したりして考え作ってきたわけです。もちろん、その時々の情報で考えることもありますが、TV、漫画、インターネットなどで考えはつくれません。良い本と出会って読んで行くということは、「振り返れる自分をつくる」ということでもあります。現代の日本・・・まともな本を読んでこなかった指導者たちが、過去の過ちを振り返ることなく、イケイケドンドンになっていますよね。これは早晩、破綻することでしょうが、それにしても何度破綻すれば気がすむのか!でも、個人で破綻は大変なこと。だから良い本を読むことは大事なんです。
 ただ、読み聞かせを受け、一人で読み始め、やがて成長して行って・・・それでいいとも思うのですが、大きくなった子どもたちが、すべて、本を読んだ効果でまっとうな物の考えを持てるかと言うと???とも思います。やはり人間が大きくなっていくのに一番影響力があるのは、家庭、とりわけ親の価値観です。親に反発する人もいるけれど多くは親と同じようになっていく・・・カエルの子はカエル、なかなかトンビがタカは生みません。いずれにしろ、どこかで本の中の提言やテーマを考えていくことができる人間になってもらいたいと思います。

周りはともかくマイペースで良い本を・・・

 本を読むにはエネルギーが要りますが、慣れればこれをほど楽しいものはありません。その第一歩が、六歳から七歳。読書は楽しくしたいものです。ブッククラブでは、この新聞の表紙にある「いちねんせい」から「読書」が始まります。ここから高度な本に進んでいく・・・第一歩。
 入学したあとで、学校図書館の本揃えや読書指導のヒドさに「おどろき桃の木」になるかもしれませんが、あわてず騒がず、良い読書へ入ってもらいたいものです。読み聞かせで充分にその下地はできていますよ。たしかに周囲には脳内汚染の原因になるものが満ち溢れてはいるけれど、そんなものに目をとらわれず「考え」のもとになる読書へ進んでほしいと思います。ろくに本も読まず。経験主義で物を語る老人や学歴や成績で人を評価する大人を踏み除けて、生きていく第一歩です。はじめの一歩は大切ですよ。選書ではできるだけ、うまく読書が楽しめるようにバランスを工夫します。サブカルチャー全盛の時代ですが、それでも本はすぐれた頭を作る唯一無比の道具です。忙しいでしょうが、家庭でもじょじょに読書環境(それと親のきちとんした考え)を整えてくださいね。あとは子どもの力に任せるよりありません。(四月号新聞一部閲覧)



(2013年4月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

ページトップへ