ブッククラブニュース
平成24年1月号(発達年齢ブッククラブ)

2012・新年のご挨拶

 年末年始の繁忙のため、こちらから年賀状が出せないにもかかわらず、今年も会員の方々からたくさんの年賀状をいただきました。ありがとうございます。まことに恐縮ではありますが、いつもながら、このニュースを新年のご挨拶に代えさせていただきます。
 いただいた年賀状は一月いっぱいは店頭展示させていただいています。遠方の方にはゆめやの新聞・ニュースあるいはホームページ上で一部しかお見せできませんが、店の壁面には300点余の年賀状が全部掲示してあります。来店受け取りの方ばかりでなく、配達の会員の方もたまにはご来店くださって、ぜひご覧ください。
 いただいた年賀状は明るさと楽しさに満ちておりました。昨年一年間、私は、心のどこかに暗いものを感じていましたから、なんだかホッとしています。ありがとうございました。

年賀状から・・・・

 たしかに2011年は大変な年でした。もちろん、年が変わって、すべてが元に戻ったわけではありません。と、いうよりは深刻な問題はどんどん引き続き起きていて、ほんとうは大変です。
 テレビも新聞も何もなかったかのようにスポーツや芸能でカラ騒ぎをしていますが、よく見れば大変なことに変わりはないです。
 生活に影響するようなさまざまなこと・・・ これまでにも、このニュースでいろいろ論じてきましたが、生き方や生活方針に影響が出るような問題もどんどん並び始めました。がんばって切り抜けないと、今、起き始めている社会現象(身近に迫ってくる悲惨な事件、飛散する目に見えないものの影響など)に呑み込まれてしまいそうです。
 そんな気分の中で、年賀状のお便りは私には救いでした。いずれも明るく楽しそうなご家族の様子が見て取れ、お子さんたちの笑い顔はすべての暗さを吹き飛ばしてくれたからです。
 東北では、大きな被害に遭った方々、まだ放射能の脅威から遠方に避難している方など大変な状態の会員もいらっしゃいますが、とにかく犠牲者が一人もいなかったことがうれしかったです。
 その方々からの年賀状も、心に沁みるものがたくさんありました。「ふつうに生活ができることの大切さ」、「生きていることのありがたさ」「これまでの生活を見直さなければならない」などという言葉も並び、「バブル以後、狂ってしまった、この国の価値観も変わるのではないか!」と思わされるほどでした。
 実際、ゆめやへのありがたいお言葉もたくさん綴られていました。「余震で怖がる子どもに読み聞かせをすると安心するように見えた」「家族が集まる時間が増えたので、ふと見ると子どもが本を読んでいる」・・・小さな絵本屋は東北の会員の皆様に何の支援もできなかったのですが、絵本や本が子どもの心の安定に力を発揮してくれているようでした。

世の中は変わらないようですが・・・・

 津波が起こり、放射能漏れが始まって十ヶ月・・・不思議なことにテレビも新聞も深刻さを伝えなくなり、民放ばかりでなくテレビ番組の多くは完全におバカ番組を増やし、何事もなかったように毎日が過ごされ始めました。人間と言うのは、せっかく考えや生き方を転換しなければならない機会を与えられても、それが分からずに無、くだらない楽しさ、手に入れたい欲望の中で行ってしまうのがおおかたのところなのでしょう。心配したり、深刻に考える人間が排除されそうな勢いです。この気運を生み出しているのはいったい何なのか・・・意図的なものなのか、それとも日本人特有の喉元過ぎれば熱さを忘れるのか・・・それにしても、小娘どもの企画されたコンサートに集まるアイドル・オタク(りっぱな大人ですよ)の異常さ、金稼ぎのために企画されたということもわからずに受け入れていくアホさ加減にはオドロキます。・・・同じことは、スマホへの乗換えを進める通信会社の宣伝に踊らされている「一般社会人」にも共通したものです。これらが子どもの正常な成長にどのくらい影響を及ぼすかについては、「天才子役」と称される子どもの五年後を見ることで実験と証明ができるでしょうが、子ども全体に及ぼす影響は計り知れないものがあるでしょうね。世の中の全体的傾向を見ていると「こりゃあ、ダメだな!」と思わざるを得ません。インターネットの情報(このホームページも含めてですが)やスマホの情報の中に人生を考えるきっかけや相手を思う心が潜んでいたらいいのですが、それは期待するほうがバカというものです。でも、そういう電子機器由来の情報を知ることで「世の中を知ったつもりになり」「子育てまでその情報に左右されて」いく人間が増えていくのではないでしょうか。
 この国をうまくリードできない政治家たちを私たちが生んでしまった悲劇ですが、これもしかたないこと。せめていえることは、震災で得た教訓を生かしながら個人的に不幸にならないようにするよりないと思います。

壬辰の年・・・

 さてさて、そんな中で今年は、どんな年になるのか?
 昨年、辛卯(2011)年の干支の占いが当たっているのに読み違え、大震災を過小評価してしまったことは昨年四月号に書きましたが、やはり私はただの本読み。超能力者や預言者ではあるまいし、ズバリ当てることなど今年もできませんので、読んだことを言葉遊び的にまとめてみました。
 2012は、壬辰(みずのえたつ)です。・・・これに女偏を二つ付けると「妊娠」という熟語になりますね。二人の娘が妊娠して子どもが増えてうれしい話となるような感じがしますが、じつは「妊」は「孕(はら)む」で、「何か重要なものを孕んだまま行く」という状態です。当然、世の中(とくに日本社会の現状を見るだけで)が良いものを孕んでいるわけがありません。少子化ですから、実際に子どもが増えるといいのですが、果たしてそううまく行くのかどうか。この字面通り、「妊娠」が多くなって子どもが生まれて数が増えていけば万々歳ですが、どう考えてもそんなふうになるわけがありません。もう少し今年の「壬辰(みずのえたつ)」の字を考えて見ましょう。

「壬」や「辰」の字の意味は?

 「壬」に人偏をつけると「任」・・・これは「重要なことを自分の手で行なわず人にまかせる」という意味。・・・「去年、孕んだ重要なものをそのまま人任せで持ち越す」という意味は、どういうことなんでしょうね。読み違えそうなので言えませんが・・・大胆に推論すると、津波や原発事故で浮き上がった、この国が抱える問題・・・これが「孕まれたままずっといく」という状態だと思います。しかし、政治的にも社会的にも、そんなことがいつまでも続くわけがないのです。無責任に人に任せ続けることの結果、あるいは矛盾(膨大な借金をして現状を取り繕う)の結果はすぐに今年中か来年には出てくるでしょう。人々が大人のおもちゃ(スマホやi-pad)に目を奪われているうちに、それが始まります。けっきょく官僚任せできて、官僚に甘い汁だけ吸われるシステムが作られてしまいました。公僕のはずの公務員の給料の高さがこのままで経済が維持できるはずもありません。

ねじる・まげる

 さらに大漢和辞典によると「壬」の字には「ねじる」「まげる」という意味がありますから、世の中が激しく動いてくるときに邪(よこしま)な人が登場しやすくなるということです。悪いことをしても平気で強弁する人、筋道を通さないで強引に物事を押し進める人、大きな騙し行なう人などが出現しやすい状態ということでしょう。自分のしたいように持っていく人ですが、これが選挙や制度をおしまげていく可能性が大きいでしょうね。そういう人は誰なのかな? もう出ているのかな。選挙で乗せられて投票して、その後裏切られような状態は山ほどありますね。小泉劇場、民主党への政権交代・・・演説で「好ましい未来」を吹き込まれ、投票してしまったが、あとにやってきたのは子ども未来を暗くすることばかり・・・・。
 もう政策がブレまくり・・・。なるほどね。「辰」は手偏をつけると、「振」。振れる、ブレる・・・これは、もう分かります。言ったことをしない。チグハグなことを言う。やったことの責任を取らない・・・ブレは山ほどあります。問題は、みんなが黙っていることをいいことに、このブレを強引に進めていく人が出ることです。まあ、まちがいなく出てくるでしょう。東で出るか、西で出るか・・・・!? 鬼が出るか、蛇が出るか・・・・。
 嫌なのは「辰」に「雨」冠をつけると「震」・・・またぁ!?・・・これだけは嫌ですね。東海・東南海地震・・・でも今年は起こりませんね。「壬」があるから、その「震」を孕んだまま今年は終わるということです。また大震災ではたまりませんから、そう思いたいです。これは願望。占いに願望はいけませんが・・・(笑)また、大地震が今年あったら、それだけでこの国は壊滅です。

去年から来年へ・・・辛卯→壬辰→癸巳

 ところで、時間の流れで見てみると・・・そして、まとめてみると・・・去年は本当に辛卯(しんぼう)の年でしたが、そこで孕んだものがじょじょに膨張して外に出ようとしているのが今年というわけです。来年までにはそれが出て来て、やがて破綻とか混乱が起きて(ある意味、新しいものの海の苦しみ)、来年の癸巳の年はよくも悪くも物事の順序立てが始まる・・・という流れにあるということでしょう。かんたんに言えば破綻や混乱をうまく乗り切ればいいということです。
 世界はもう不安定要素ばかりで、いくら金満日本でも借金財政では金満も一時しのぎ。たしかに月賦やクレジットで車や家を買って、ぜいたくをして、その借金は働いて返す・・・という仕組がうまくいっているうちはいいです。働いて返すには若さと健康と意欲が必要ですが、どうやら暗雲が垂れ込めてきました。国が老化して健全ではなくなってきたのですから、1000兆の借金を返せないわけで・・・・またぞろこの国は何かしでかしそうです。それが来年から始まる可能性大です。だって癸巳の年は何かが始まる年だからです。いいことばかりではないですよ。天保三年(壬辰)は越前や長州などの地方財政が破綻・・・翌年は天保の大飢饉で、それが癸巳・・・そこで明治維新に向かうのですが・・・・。大変。  この国のリーダーには期待できませんので、個人的に家庭や家族に破綻が起きないよう、あるいは混乱しないようにがんばれば、来年になると見えてくるものがあるということでしょうね。庶民は、慌てず騒がず、乗せられず・・・がんばるだけです。まじめに仕事しつづけるよりないです。

始動します!!

 さて、ゆめやの初仕事は・・? もちろん選書。絵本専門店は選書がメインの仕事です。昨年出た、およそ千冊の絵本から国内、国外でベストスリーを選ぶことでした。これは、三月刊の平凡社・別冊太陽に載ります。どこかでご覧になってください。今年は、やはり震災という軸を考えずに選書することはできませんでした。
 で、選書結果は?というと、国内のベストワンは「善意」と「水の大切さ」をテーマにした「ウッカリとチャッカリのおみずやさん」(小学館)・・・仁科幸子さんの手になる作品です。この時代で危機にあるのは善意(市場社会で壊されている)と水(汚染が深刻)ですからね。これを訴えた絵本です。震災前に企画され、描かれていた本だといいますが、「予想していたの?」と言いたいくらいのタイムリーな本でした。震災ではたしかに多くの善意が喚起されました。でも、「震災・・・これ幸い!」と自分お売り込みに走るニセの善意を表に出した芸能人、スポーツ選手も目立ちました。物事が起こると、人が見えてきますね。

外国作品では・・・・

 国外の作品では「Tsunami津波」(グランまま社)・・・これは言うまでもないですね。小泉八雲の「稲むらの火」を原作としたものです。・・・米国在住のキミコ・カジカワさんの再話、エド・ヤングの力強い絵が伝える「津波」・・・・、すべての危険は語り伝えることで回避できるはずです。しかし、日系人、アメリカ人、さらに小泉八雲は英国系ギリシア人(?)・・・外国から言われたくない話ですが、今の日本・・・日本人の頭が劣化してますから、これは外国から言われてもしかたないですね。
 でも、受け取る力は劣化させたくないのですが、見ていますとね、幼稚園児までケータイ持って、画面をにらめっこの時代です。学生は友だちと一緒なのに会話も交わさず、スマホの操作。ますます劣化します。理解力も思考力も読み聞かせや読書がすべて土台ですが、それができる家庭は減りつつある。でもね。そうでない家庭、そうでない子どもがいます。その人たちのためにだけ、今年もがんばりますのでよろしくお願いします。

たしかに明けない夜はない!

 さて、大震災の一年が終わり、新しい年が始まりました。さまざまな問題が起きていて、なかなか心気一転というわけにはいかないと思います。とくに東北の会員、とりわけ福島の方々は・・・・でも、よく言われるように「明けない夜はない」わけで、単なる希望的観測ではなく・・・明けない夜に考えたこと、思ったことは、やがて明けた後で役にたつのではないかと思います。
 今月のフレンドシップニュースでも触れましたが、多くの年賀状に書かれていた言葉(「家族が共にいるということの大切さ」「これまでの生活に対する考え方が変わった」・・・)は、そのご家庭にとって無駄にはならないことだと思っています。私たちも世の中も急速に変われませんが、生活したり、子育てしたりする中で時流に流されないものも築きあげられるのではないでしょうか。
 今年もゆめやは同じように続けます。おつきあいのほどよろしくお願い申し上げます。

何があっても終わらない

 さて、年末、ドイツに住む友人が「クリスマスプレゼント」だと言って、3枚のステッカーを送ってくれました。ゆめやの入り口のドアの上に貼ってある黄色の丸いステッカーです。「お日さま」マークで「ATOMKRAFT NEIN DANKE!」と書いてあります。訳せば「原子力お断り!」・・・ここまで原発に頼り切ってしまうと廃絶は長い道のりですが、第二の「フクシマ」が出現しないように一つずつなくしていくよりないと思います。
 これは、子どもたちの未来をどうするかの問題です。・・・そして、大人が何とか考えてやっていかなければならないことでもあります。原子力で人間を終わらせてしまったら、まったくみっともない動物になってしまいますからね。
 終わるといえば、「今年の12月21日で世界が終わる」ということを言っている人々もいます。あの天文に正確なマヤ人の暦が、ここで終わっているからです。
 ところが、この12月21日はゆめやのおばちゃんの○○回目の誕生日。おばちゃんが○○歳になったとたん世界が終わるのでは、ホント可哀そうですが、ノストラダムスのときと同じで、まず絶対に終わりません。明けない夜がないように明けない年はない。悪い時代の流れに乗っていくか行かないかは別として、新しい暦はまた用意されます。

得たものをどうするか

 震災と原発事故で多くの人が、いろいろ考えたことでしょう。私もいろいろな本を読み、いろいろな人の意見を聴き・・・ざっと一年で、自分も含めて、多くの人が国や学校やメディアにだまされているところがあることに気がつきました。何も起こらなければ、そのままでした。実際、今でも国は次にいつ起こるかわからない津波を四十年で劣化するコンクリートの公共事業でごまかそうとしていますし、学校は放射線に関しても原発についても唯々諾々で何も言いません。メディアなど忘れたかのように芸能とスポーツとお笑いで盛り上げています。まったくすごい国です。このほうがオドロキです。

「走れメロス」の授業?

 そんなことを思っているとき、たまたま絵本館という出版社(「いっぽんばしわたる」など記憶ありますか?)の社長の有川さんの通信を読みました。ここには「本をたくさん読んだ人ならでは・・・」の文章の成果が出ているような気がしたのでちょっと紹介します。以下、ハショって引用。
 ・・・ぜひ学校でやってほしいことがある。国語の授業で教材は『走れメロス』でも何でもいい。生徒に読ませた後、先生が「この中に嘘が三つあります。それはどこでしょう?」と言う授業だ。『走れメロス』は、ほとんどの人がメロスの立場になって共感しながら読む。しかし、友人の立場で、あるいはメロスの妹の立場で読むと大いに違ってくる。メロスの立場なら正義感と強い信念・・・ところが友人から見れば直情径行のオッチョコチョイがメロス、妹から見れば思慮分別に欠けるエエカッコシイの兄だ。
 ・・・こういうことはテレビ・ドラマや演劇で演じるとドラマ展開に観客が入り込んでしまうので、演出者の思惑とおりの単純な感動しか出ないが、本を読めば意図的に視点を変えることで、いくらでも嘘が見えてくるものなのです。だから、ある意味、テレビドラマや演劇は怖い面があります。最近のNHKの大河ドラマなどまったくマンガっぽい演出と主役のミスキャストでドラマツルギーがないが、このくらいのインパクトのなさでちょうどいいと思うのですよ。女性の脚本、演出が多くなっていますが、才能がないだけ助かっています。煽動的な演出をされたら、観衆は「そうだ!そうだ!」となってしまう。これはドラマや演劇の怖いところでもあります。政府のプロパガンダにも使える。そう言えばナチスのオリンピックを描いた国策映画「オリンピア」もヒトラーの愛人の女性監督レーニ・リーフェンスタールでしたね。

視点を変える必要・・・疑う力

 さらに有川さんは、こう言う。・・・学校では疑うことはご法度だ。「疑いのすすめ」という教材はないし、他人を疑うのは罪悪だと教えられたりする。しかし、世の中にはオレオレ詐欺を始め、仕事関係、恋愛関係でも詐欺まがいのことはいくらでもある。もし学校が教えてくれないなら、疑う学習は身を守るために自力でやるよりない。相手がどういう人間かというのを知るためにも・・・。ちょっと疑ってみる。疑うという言葉がキツければ、ものごとを違う角度から見ると言い直してもいい。そうしないと騙されてしまうから・・・。
 原子力発電も基本は詐欺。広告宣伝費に年間883億。一日に換算すると2億4千万。詐欺性がなければこんなに膨大な宣伝費を使うわけがない。このお金でテレビも新聞も雑誌もみんな心棒が溶け落ちてしまった。そして、そんな宣伝費にマジメな国民は電気代を払ってきた。ほとほとあきれた国の仕掛けというしかない。そのうえ交付金という名目で4000億も税金が投入されている。同じ公益独占事業のガス、水道がどのくらいの広告費を使っているかを見れば電気事業の詐欺力がハッキリする。・・・視点を変えれば「嘘」が見抜けるというわけですね。なるほどです。

ところが、くだらなくマジメすぎるわけで・・・

 ・・・有川さんは、子どもに多角的に物を見るように言っているわけですが、果たして現状はどうでしょう。たしかに、学校がマジメで良い人間をつくろうとしているのは分かります。それは決して悪いこととではないのですが、ともすると先生の言うことをよく聞く生徒が評価されます。
 これについては昨年11月号の新聞の本文の「朗読者」で、「マジメで勤勉なことだけが善ではないこと、その善はやがて巨悪につながることもあること」を書きました。つまり一方的に子どもに教え込むのではなく、多角的に子どもが学び取ることが大事のような気がします。
 作家の丸谷才一さんは「日本の学校では遊び心が大事にされない。おそろしく、しかも、くだらなくまじめだ。学校は、おもしろく自分の考えを展開できる技術、つまり論理的表現能力を問うべきである」と言っていますが、そのとおりだと思います。自分の考えを展開すること自体を嫌う体質が学校にはあるような気がします。
 ところがですね。読書は決められた答えなどなく、読み終われば自分の考え。すぐれた本を読めば・・・学ぶものは読めば読むほど出てきます。スマホの中にはそういうものが入っているかどうか・・・通信業界の広告宣伝費も原発並みにすごいですから信用できません。でも、私は広告費を使わずに「子どもたちがじょうぶな頭とかしこい体を持つよう」がんばっていきたいと思います。ぜひ、今年も、おつき合いください。



(2012年1月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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