ブッククラブニュース
平成23年7月号(発達年齢ブッククラブ)

心頭滅却すれば火もまた・・・?

全国最高気温

 6月末に、山梨は二回も全国最高気温を記録しました。一回目は、甲州市(ぶどうで有名な勝沼)の39度近く・・・二度目は甲府・・・・でも、数年前には甲府は40.4度というのを記録してますから、まだ涼しいほうですね。甲州市といえば武田信玄の墓所・恵林寺の快川和尚は、織田信長の軍勢に寺を焼かれて、炎の中で「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言ったといわれています。悟りきっているスゴい言葉ですが、もともと暑い山梨にいると火の中でも涼しくなるのかもしれません。そんなことはないか!
 とにかく甲府は盆地で、いつもながら暑いのです。熊谷のお客さんと「今日はこっちの勝ちね。」とか「負けたぁ!」などとメールのやりとりをしていますが、こういう戦いをしていても暑さには慣れません。 私など意志薄弱ですから、言葉の暗示などでは自分をごまかせません。暑さにフウフウ言っています。ああ、皮を脱いで肉も脱いで骨だけで涼みたいです。みなさまのところはいかがですか。北海道の方・・・うらやましいです。沖縄の方・・・これまたうらやましいです。あと二ヶ月・・・また同じ事をくりかえして耐えていこうと思ってます。私も坐禅でも組んで「心頭滅却すれば・・・」と言いたいですが・・・それでも暑さは・・・・??

英語を使って

 いくら言葉でやせ我慢をしても現実には暑いわけで、言葉を操作して自分や相手をダマすのは、やはり、どこかに無理が出て、ゴマカシきれるものではないのです。しかし、どういうわけか、この社会では、言葉でごまかすことが頻繁に行われます。それは振り込め詐欺から始まって、政府答弁までとにかく横行しています。
 「ホット・スポットという言葉は、あまり怖くない感じですよね。」と、ある会員の方が言いました。たしかに怖そうじゃないです。英語に弱い私なんか「暑い所?」とさえ思ってしまいますが、じつは放射線量が高い場所のこと。行政は、何かにつけて英語を使い、それをマスコミがそのまんま垂れ流しますから、こちらは感覚的にゴマかされてしまいます。「ストレス・テスト」なんのこっちゃ? サラリーマンか何かが心理的に圧迫を受けて、その度合いを検査するもの・・・・。英語は、正確に意味が把握できないといい加減な捉え方になり、なんとなく感覚的にわかった感じで使用してしまいます。ルー大柴の英語のように軽佻浮薄そのものなら、どう使われようと別に問題はないのですが、意図的に実体や本質を隠すために英語をつかうことはよくあることなのです。ひじょうに不思議なことですが、これを頻繁に使うのは、日本語を大切にすべきこの国の行政関係者で、文書の中に訳語や注釈なしでポンと使っているのです。レッド・データ・ブックとは絶滅危惧種を登録した表ですが、英語に疎い人には赤字の表、赤字の本というイメージしか浮かびません。日本人に英語の単語を使うと意味をゆるやかに取るので、強烈な印象を与えない傾向があるのです。

質問すると見えてくる

 以前、道路建設の住民説明会で、行政側が「この建設にはパブリック・インボルブメント方式を採用して・・・」と言うので、「ハーイ!」と手を上げて、「すみません。その英語はどういう意味ですか?」と聞きました。分からないと思われるのが嫌で、ふつう住民はあまり質問しません。ですから、行政はわざと内容が分からないように英語を使うことがあるのです。内容や実態をボカすためにです。こういう例は公共事業の計画を説明するときにひじょうに多く使われます。具体的にわかってしまってはまずい場合は英語使用の頻度も増します。
 「しっかりとモニタリングして・・・」と言ったって、ほんとうにしっかりやるのかどうかも疑問です。「しっかり」という言葉が政界では氾濫していますが、これもしっかりしていないことを隠すために使われているのでしょう。モニタリングという言葉も「放射能濃度検査」とか「放射線量調査」などと使えば怖い印象を与えますから、英語にしたほうがいいわけです。「しっかり」と言う言葉も使えばしっかりとやっているように聞こえる副詞ですから、使ったほうが本腰を入れている感じになります。「コウナゴばかりではなく大魚や海底の泥もシッカリ検査してね。」「洗った野菜でなく採った状態でシッカリ計測してね。」と思いますが、なかなか精密なものは発表されません。

言葉にごまかされない

 「原子力事故」という言葉も重大性を感じない言葉ですよね。正確には「放射能漏れ事故」「放射能拡散事故」でしょう。これも言葉によって印象を薄めるゴマカシがある。「放射線量」とは言わずに「線量」と言って衝撃感を減らす。一番使われなくなったのは「放射能」です。この言葉は歴史のある用語ですが、それだけに怖さを誘うからかもしれません。・・・そして、あらゆる言葉が、そのような手法で言い換えられていきます。「炉心溶融」が柔らかい感じで「メルトダウン」となります。「原子炉耐性検査が」が「ストレステスト」になります。しかし、こういうゴマカシ語以上に「言ったことをしない」、「言うそばから違うことをやる」という、言葉が死んでいる状態が、この国の「指導者たち」にはあります。こうした言語の使用は、子どもにも大きな影響を及ぼすことでしょう。物事をあいまいにする言葉、誰が責任を取るのか、どこに責任があるのか・・・そういうものがウヤムヤになっていくからです。

ゴマカシ語の影響は大きい

 「殺した責任は取りますが、殺意はありませんでした」・・・はぁ?どういうこと・・・。「お遍路をすれば生き返ると思った」・・・ここまでくれば、もう精神病です。言葉を正確に使おうとしない社会は、やがてこうした「異常精神」を生んでいきます。サブカルチャー的な環境が生み出した「何もかも他人事」「リセット思考」「責任逃れ」・・・上は政治家から下は犯罪者まで怖いです。これは、表現の自由を逆手にとったちょっと怖い使用法、表現法で、言い逃れる大人たちの影響が出てきた結果ともいえます。
 「放射能漏れ」が何も解決していないのに、・・・もう「原発は安全だ!」と言う。その発表をそのまま受けて、脱原発からトーンダウン(いけねぇ、英語を使ってしまった! 意味は「後退すること」)していくマスコミ、やはりこの国はおかしい! 言葉を大切にしないことで起こるゴマカシ。放射線は見えませんが、いずれ、被害は目に見えるようになります。福島を中心に白血病や小児ガンの増加・・・こうなればお金では解決できないのですが、でも、それは、数年後のこと、後になれば誰も責任は取らないでしょう。そのときの政府が責任をとらなければならないでしょうが、問題をボカして先送りするために言葉が言い換えられているとすれば問題です。検査が徹底しないから不明ですが、少なくとも事故規模がチェルノブイリ級なら、広範囲に放射能汚染があり、いずれボロボロ実態が明るみになります。

言葉を大切にすることとは

 私たちが言葉を学んでいるのは、人をゴマカスためではありません。でも、責任を逃れたい人々や事実を知られたくない人は、言葉をずるく使うことも多いのです。言葉を大切に使えば、そしてごまかそうとして使うのでなければ問題なくすべてが平和裏に行くと思うのです。ところが世の中には必ず一儲けしたい、力を誇示したい人々がいて夢を語りながら、あるいは豊かさを求めて、裏でゴマカシ語を使い始めるのです。日本社会の根底にあった儒教の倫理が消えてしまった現代では、もはや何でもありです。義理も無く、人情も無く、道徳も戒律も無く、ひたすら儲けたり、求めたりするわけで、そこではダマシ、ごまかしは日常的になります。
 おそらく、上は政治から下はテレビコマーシャルまでダマシ、ゴマカシで言葉が使われているのではないでしょうか。言葉を大切にすることは自分を、自分の人生を、そして周囲を大切にすることですが、それは約束を反故にしたり、言ったことを実行しなかったりすることで崩れていきます。大人がすれば子どもが真似る。親がすれば子が真似る。しかし、ダマシ、ゴマカシを処世術として平気で教え込んでいるシステムも回りにあるのではないでしょうか。「向こうが意図した答えを述べるように」「首にならないためにも調子よく話せ」「内申書に響くから逆らわないように」・・・・なんてね。

絵で読む広島の原爆
あれからもう二十年も経った

 発刊当初から男女とも小学校五年の夏に「広島の原爆」という本を入れている。大型の絵本だが、大人の鑑賞にも耐える高度な本だ。
 この本には、なつかしい思い出もある。作者の西村繁男さんとは、岡谷のさとうわきこさんのお宅で何度かお会いしたことがあるのだが、あるとき絵本セミナーで一緒の旅館に泊まることになった。諏訪の亀屋という古い旅館で、私は日本の児童書専門店の草分け、メルヘンハウスの三輪哲さんと同室だったが、その部屋は何と皇女・和宮が泊まった部屋でもあった。そのために旅館は厠を改築したというのだが、たしかに四畳半くらいある巨大なトイレだったことを覚えている。そのときから百二十年・・・私たちが泊ったのは、1986年の夏。まだ、西村さんは「広島の原爆」を描いてはいなかった。
 セミナーのあとの会食で、私は西村さんと生年月日が同じことを知って、いろいろ尋ねてみた。すると、「今、広島について本を描きたいと思っている」と話してくれた。広島に原爆の語り部をしている斉藤さんというおばあちゃんがいるので、その方に取材したり、町をよく見たりするから、三年くらいは広島に住むことになるだろう。」と言った。「どういうふうに原爆のことを描くか悩むところ」とも言った。丸木俊さんの「ヒロシマのピカ」など原爆の本はたくさん出ているから、すぐれた絵本にするのは大変だ。「どのような本になるのだろうか」と想像をめぐらした。おどろおどろしい絵本になるのか、それとも反戦意識の高い絵本になるのか・・・こういう分野を描くのはたしかにむずかしい。

核が怖い世代

 そして、少し経つと、西村さんは、ほんとうに神奈川の藤野から広島に移り住んで、絵本の制作に取りかかっているという話を福音館の営業の人から聞いた。原爆という最悪の武器にさらされた都市の事実を伝えたいという思いが強かったのだろう。私は「かなり入れ込んで描こうとしているな。」と感じていた。たしかに、私たちの世代は、戦争にも原爆や放射能にアレルギーのようなものがある。第五福竜丸の事件はリアルタイムに知っているし、冷戦中は米ソの核実験合戦が繰り広げられていた。セミパラチンスクとかネヴァタの砂漠の地下などスラスラと頭から核実験の場所が出てくる。核は鮮明な記憶だ。だから、スリーマイルもチェルノブイリも、昨日の話だ。「こんなことを繰り返したら我々は全滅する」と思っている。西村さんも絵本を描くときに同じ思いがあったはずである。

この本への反応

 広島・長崎の悲惨さは、戦争が生んだものだ。戦争をすると、こういうことになる。「こんなことを繰り返さないように伝えていかなければ・・・」という強い思いは共通のものでもある。だから、その気持ちを汲んで、私は出版されると最初から基本選書で全員に配本した。現在の30歳代の人は、そういう核アレルギーもないかわりに、怖いものは見たくないという世代だ。できる限り眼を背けて、見えないことは無いと同じこと・・・何かあったらディズニーランドで癒されようと思う世代である。しかし、「広島の原爆」が上梓された20年前は、まだまだ核に対する感覚が残っていた時代だ。選書して配本してもすんなりと受け入れてもらっていた。
 ただ、選書上の問題もあった。「絵で読む広島の原爆」は原爆で死んだ子どもの幽霊が広島を案内するという設定、悲惨な被爆の町の風景、被曝した人たちも描かれている。さらに小学生にはむずかしい核爆弾などについての説明文・・・これに拒否反応を起こす親はいないだろうか、子どもが嫌がることはないだろうか・・・という危惧もあった。しかし、配本してみると「こわい本だ!」という感想は出てくるものの否定的な意見はほとんどなかった。この本をきっかけに「子どもたちに広島を見せてやりたい」という声もたくさん聞こえてきた。それから20年・・・ほとんど問題なく推移してきた。

反応は異なるから

 ただ、こういう本ばかりでなく、本の選書は気を使う。「その本に出会わなかったら、こうはならななかったかも」ということもあれば、「その本に出会ったからこうなった」ということもある。人間は同じものを見ても一様の反応ではないからだ。
 たとえば、原爆ひとつとっても、語り部の斉藤さんのおばあちゃんは被爆体験が、その後の生き方を変えて、「伝える人」になった。戦後に生まれた西村さんも広島を知って、この国が悲惨なことを繰り返さないために「描く人」になったわけだ。
ところが、呉の鎮守府から広島のキノコ雲をリアルタイムで見ていた一人の海軍主計大佐がいた。その時、彼は「これからは原子力の時代だ。日本が農業国になれば、四等国家に落ちてしまう」と思ったらしい。そして、原子力の推進に精力を傾けるのである。
 同じものを見ても、反応がまったくちがう恐ろしさが人間にはある。この海軍大佐は、戦後、政治家になり、原子力委員会を立ち上げ、首相になってからも軍備の増強と原子力発電を推し進めた。やがて、彼が思ったように、日本の農業は縮小されて食料自給率は低くなったが、電力による工業生産の高い国になった。そして、広島や長崎の原爆から66年・・・再び日本では空に放射能が舞った。彼の故郷の群馬の野菜も放射能に汚染されている。
 同じものを見ても人生が違ってくる恐ろしさ。あるものは、原爆の惨状を語り伝えるために人生の後半を費やし、あるものは国の発展のために原発で電気をつくることに全力を挙げた。同じものを見て、知って人生の方向が変わる・・・これは本も同じだ。同じ本を読んでまったく違う捉え方をしてしまうことも起こる。このことを考えると、「子どもに与える本の選書は難しい」ということをいつも感じていなければならないと痛切に思う。



(2011年7月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

ページトップへ