ブッククラブニュース
平成20年12月号新聞一部閲覧

ソドムとゴモラ

デジタル時代に残るもの


 我が家の次女は、地域の歴史を掘り起こしてガイドブックを書き、それに沿って小さな旅を企画することを仕事にしています。こういう時代ですから、小さな町の名もない道祖神やお祭りに関心を示す人も多く、地域密着型の旅はひじょうに人気があります。
 この娘が、先日、山中湖にある三島由紀夫文学館のツアーをしました。帰ってきて話すことには「三島の原稿用紙が展示されていたけれど、びっくりするほど綺麗で几帳面な字だった。」「使用していた万年筆やメモも残っていた。」というものでした。そして、さらに言うことには「最近の作家が死んだら記念館を建てても何を展示するんだろうね。」「説明して歩くときに『これは、石田衣良さんが原稿保存に使ったUSBメモリーです』とか、『西尾維新さんが原稿を出版社に送ったときのコンピューターです』って言わなきゃならないかもね。」・・・いくら時代に迎合して文を書いている作家だからと言って、仮定でも死なせてしまっては怖いものがありますが、これは笑える話でした。つまらない文学作品などどんどん消えていってもかまわないといえば言えますが、現代の情報化社会の本質をつくような話で「なるほどなぁ」と思いました。
 いくらデジタル保存しても紙や物ほど残らないとしたら、大量の情報の意味がありませんよね。
 また、デジタル関連のものは見ただけでは外観しか分かりません。500年、1000年を越える真福寺本・古事記や冷泉家文書は紙に書かれたものでちゃんと残っています。意外に紙は残るわけです。CDもDVDも劣化します。あと数十年後には、現在、記録されている多くの情報はほとんど残っていないでしょう。

過去から学ぶために本はある


 私は、歴史を探ることは過去を知るだけではなく、過去と同じことが起こったときの参考というか教訓というか、そういうものに使えると思っています。そのために記録を残すことは大切なことだと思います。それはまたデジタル保存ではなくアナログでしょうね。この代表的な例はいくつもありますが、衝撃的な発見は「死海写本」でしょう。
 この発見は私が生まれた年のことで、つい最近?のことです。だからよく覚えています(?)。死海の近くで羊飼いの少年が、石が洞窟に入って、壷に当たったことから偶然発見されたのが、この写本でした。
 おどろくべきことに、そこには古い聖書の記述がたくさん書写されていたのです。つまり、1000年どころか、その二倍も三倍も長い期間、記録が残されてきたわけですね。これがデジタルだったらどうでしょうか。すでに、膨大な情報量となっているインターネットの背後の記録はきちんと読まれているでしょうか? 人は、画面からは単純情報しか受け取らないような気がするのです。その場かぎりの情報というわけです。たしかに、多くの書籍・雑誌・・・ベストセラーや流行物は、画面情報と同じく現れては消えていく泡のようなものが多いですが、すぐれた本は何度も出版され、消えては現れるような気がします。

退廃の町の話


]  さて、その永遠のベストセラー・聖書の中に「ソドムとゴモラ」の話があります。かんたんに言えば、倫理的に退廃した町が神の怒りに触れて、硫黄の火で焼き尽くされるという怖い話です。
 読んでいると、これは何千年前もの昔の話でなく、現代の都市のお話のように思えます。同じことが昔もあって、また繰り返されているのかと思えるほどです。
 性的にも金銭的にも乱れに乱れていた町・・・・ソドムとゴモラ・・・毎日、殺人が起き、麻薬、売春、暴力がはびこる・・・なんだか、どこかの都市と同じような感じです。

多くの昔話はほんとうにあったことが多い


 今年の増ページにおとぎ話だと思われていたトロイの町をシュリーマンが発掘したことを書きましたが、昔話の多くは実際にあったことだと言われています。サンタクロースの話も、じつは「なまはげ」と同じように、昔は言うことを聞かない子どもを袋の中に詰め込んで持ち帰るという怖ろしい話だったようです。
 「ほんとうにあった怖い話」は怖い目に会わないように、ひとつの教訓として語り伝えられてきたのかもしれません。その多くは紙に書かれ、長い間、保存され、伝えられてきたものも多いのです。古事記に書かれたことも、けっして神々の世界のお話ではなく、筑紫(九州)や出雲(島根県)の、どこにでもいる人々の間で実際に起こった事件を神話として書き残したもののように思えます。実際「ギリシア神話」と同じく古事記もちゃんと現存の地名付説話ですからね。
   
 歴史の教科書では、ほとんどが政治を表舞台で行った人々の話ばかりです。しかし、現実には庶民の間にもっともっと身近な「現実」を描いた歴史があったのではないでしょうか。
 しようもない一過性の情報を保存したところで、じつはあまり役にたたないことかもしれません。選び抜かれた物語の中には、事実や真実を語るものが教訓や反省として描かれているのかもしれません。それは東京・渋谷駅に掛けられた岡本太郎の復元絵画「明日の神話」、ピカソの「ゲルニカ」などさまざまな形で残されていますが、ただの面白い構図の絵と思うか、そこから深い意味や教訓を読み取るかは、私たちの読解力です。クリスマス・・・・・浮かれるのもいいですが、2000年前の救世主の誕生の話はどういう意味があるのか・・・もう一度、子どもたちと話し合うのもいいかもしれません。
ま た、今年も最後までお説教じみました。良いクリスマス、新年をお迎えください。



(ブッククラブニュース一部掲載12月号新聞一部閲覧)
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