ブッククラブニュース
平成20年12月分ニュース一部閲覧

やれやれ、またクリスマスか!

年末年始、寒くなります。お体に気をつけてお過ごしください。


 御来店のお客様と話していて、「もう十二月ですね。」「なんだか時間が飛ぶように過ぎていきますね。」などという会話が多くなります。毎年のことですが、なんだか年々、時計が速くなっていくような気がしています。師走といえばカレンダーの時期ですが、今年は何と出版社からカレンダーの案内が8月に来ていました。前倒し、前倒し・・・運動会も学芸会も何もかも前倒し・・・ゆめやは12月5日からツリーに灯を入れましたが・・・町のクリスマスツリーは先月から電飾が入っていました。
そのうち日本は、お正月を十二月に前倒しするようになるかもしれませんね。まあ、何はともあれ、今年も一年、ほんとうにありがとうございました。年末年始、寒くなります。お体に気をつけてお過ごしください。

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ある記事


 国はIT革命とやらで、情報通信の大変化を起こそうとしていますが、その効果の裏で子どもたちや大人に、どのような影響が出るのか考えていません。果たして、首相が言うように緊密なコミュニケーションと情報が手に入るのか? 今年の世の中の流れを見ていて、私はエンデが「モモ」の中で登場させた「時間泥棒」のことを思い出します。ゆっくりと生活し、仲良く暮らしていた人々の間にすべてを経済的な価値観で測る時間泥棒=灰色男が現れ、人々から時間=余裕を奪っていくのです。やがて、人々はどんなことにも神経質になり、ささいなことでいがみ合うようになります。相手のことなど考える余裕もなくなり、自分の「豊かさ」や「栄光」だけを求めていく社会・・・
 物の豊かさだけを目指すアメリカがもたらした灰色男たちがグローバル・スタンダードを作り上げる競争の世界です。それに言いなりになっていく日本。
 こうしたなかで余裕を奪われて物だけ与えられた子どもたちが、グローバル・スタンダードを越えて新しい世紀を切り開けるかどうかは疑問です。時代のスピードが速いぶん、大人たちのやってきたことが子どもたちに大きな影響をもたらしている実態も見えてきています。
 私たち個人の力は小さくて、大きな時代のうねりなど変えることはできません。その影響を避けることを考えたり、うまく切り抜けたりすることしかできないような気がします。でも、そういうなかで、だんだん良いもの、善いことへの感覚が脱落していくような気がします。
 こういう時代では、およそメディアが広げる考えなど信用できない。個人的になんとか良いもの、善いことを探したり、考えたりしながらやっていくよりないと思います。

だいたい予測は当たり


 上の文はいかにも本文のようですが、じつは「平成12年12月号フレンドシップニュースの記事」の長い引用です。首相とは森喜朗総理大臣・・・内容は8年前の社会状況です。覚えている方は、あまりいないかもしれません。急速に忙しい時代に突入した時期です。
 しかし、いまや「情報通信の大変化」は物凄く、8年で驚くべき進化?を遂げました。これは誰もが感じていることでしょう。そして、上の文の予測通り、情報ツールの進歩は大人にも子どもにも大きな影響をもたらしました。インターネットもケータイも依存症が出るくらいの勢いで、いちいち説明を加えるまでもなく、それが社会的事件を引き起こす要因になっています。子どもたちへの影響は大きいものがあるでしょうが、一度与えたものを取り上げることはむずかしいですよね。「すべてを経済的な価値観で測る」傾向は御承知の通りです。いまや、子どもは外部委託で育てられ、それが常識となりつつあります。そのうち、自動授乳装置で育てられるようになるかもしれません。ロボットも8年前よりかなり進化してきましたからね。
 「人々が、神経質になり、ささいなことでいがみ合うようになる」ことも、これだけ不安が高まる世の中ではしかたないことかもしれません。モンスターペアレントの出現、サブカルチャーによって引き起こされた精神病的な事件など枚挙のいとまもありませんでした。秋葉原殺傷も厚生次官殺傷も、あの支離滅裂な殺害動機ではIT革命とサブカルチャーの影響を強く受けた精神病としか言いようがありません。

 精神病を発症しないために、とくに幼児期の環境は、ひじょうに重要です。ところが、現代の忙しい生活は、子どもの発達に即した正常な環境を与えません。子育てを外部委託・・・親と子が一日の間に接することができる時間は激減です。
 アイデンティティーを形作る大脳の旧皮質が成長を終わるのは2歳半ですが、すでにその段階までに親が接さない保育が当たり前のように行われています。これでは、事件を起こさないまでも、自己と他人の関係認識ができなくなって学級崩壊や対人関係の不都合が生じます。倫理観の形成や大人になってからの自己肯定感の醸成にも大きな思想が出てくるでしょう。さらに、成人してもまだケータイ・コンピューターなどで媒介されるサブカルチャーが追い討ちをかけてきます。精神が異常をきたすのは証明する必要がないほど、現代の社会状況が映し出しています。でも、親たちは、お金を求めて、まだ子どもを不自然な環境に追い込もうとしています。下層階級ばかりではありません。もはや大学全入という学歴教育が破綻状況にあるにもかかわらず、過去の価値観に拘束された中流以上の親もいまだかつて歴史上で、親と子どもの関係が不適切極まりない状態になったのは中世と現代くらいのものかもしれません。単純に考えれば、男性労働力では維持できなくなったGDPを女性の労働力で確保しようというもので、子どもをどうするかという視点はまったく欠け落ちています。このままでは子の親殺し、親の子殺しは増え続けるでしょう。加えて、サブカルチャー殺人まで社会現象化してきたら、人口減、少子化などの対策はまったく効を奏さないことにもなります。
 どこかで、「それもこれも増えすぎた人口を調整するために親がバカになって、子どもの減少を進めているのだ!」という怖ろしい声も聞こえてきそうです。

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しかし、あきらめてはいけないですね


 でも、そうでない人もいるわけで、いや、そうでない人のほうが圧倒的多数で、やはりあきらめてはいけないと思います。サンタクロースは「やれやれ、またクリスマスか!」とボヤきながら毎年、子どもたちにプレゼントを運びます。おそらく彼は「想像力が現実を越えるパワーがある」と信じているのでしょう。その気持ちが親のなかに入り込んで、枕元のプレゼントとなるわけです。
 絵本の読み聞かせもまた同じで、それをしたからすぐにどうなるというものでないはないことを親はします。どこかで、親と子の共有時間や物語の重要性に価値を置いた子育てを大切に思う気持ちがあるからでしょうね。周りに焦らず、流されず、私もまた「やれやれ、またクリスマスか!」で過ごすつもりです。この時代は、グッと誘惑をがまんして、しのいでいくより正気を保つ方法がないのかも知れません。



(ブッククラブニュース一部掲載12月分)

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